「ジブリに捧げられた作品」メアリと魔女の花 ぐるめ部長さんの映画レビュー(感想・評価)
ジブリに捧げられた作品
ひとことで言うと、「ジブリへ捧げられた作品」。
新しさを感じるトコロがなく、過去のジブリの作品のエッセンスを、モザイクのようにツギハギしてるな~、という印象。
ゆえに、何というか、個性が平均化されてしまっているような。
でもまぁ、多少ご都合主義的な、唐突な場面展開もあるけれど、分かりやすい面白さはある。
それに「役割意識の功罪」に関しては、今の時代、考えさせられた。
おっちょこちょいで、ヒトの役に立ちたいと思っても、上手くいかないメアリー。
「何か私にお手伝い出来るコトはありませんか?」というセリフが、かわいそうに聞こえる。
なぜなら、役割がない≒居場所がない、だから。
だから「自分がピーターを助ける」という「役割意識」を得たとき、メアリはとても強い女の子になれる。
また、助けられるピーターも、どうやら家庭の事情があるらしい。
(父親がいなくてメッセンジャーとして働いてるのかな?)
「自分が母親を助ける」という「役割意識」を持っている。
だから困難なときも、とても強い男の子であれる。
この2人の場合は、「役割意識」が良い結果を生んだ例。
逆に、悪い結果を生んだ例が、マダムとドクターの場合。
2人とも、その根本は一貫して善人だ。
魔法つかいを育てるために尽力している。
簡単に魔力を得られる夜間飛行の花を手にしてからも、自分たち自身には使っていない。
子ども達を「あらゆる魔法が使える存在」にするため、子ども達のために、使っている。
(人々がみな魔法使いになったら、世界はどう変わるのか、
2人が語る場面がないので、動機の強さが表現できていないが)
多少の犠牲はやむを得ない、例えそれが他者の「生」であっても。
我々こそが理想を実現しなくては、それこそが我々の役割だから。
強烈な「役割意識」が、他者を単なる手段としか見えなくしている。
犠牲者の人生に思いが及ばない、テロによる事件を想起させられる。
役割はヒトに居場所を与える、しかし、強すぎる役割意識はヒトを傲慢にする。
そんなコトを考えさせられた映画。