「日本にはこんなスポ根調律師がいるのか?」羊と鋼の森 マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
日本にはこんなスポ根調律師がいるのか?
多分、半熟卵を食べたがるのは日本人だけだと思う。
生卵に醤油を足して、納豆も混ぜて食べられるのは日本人だけだと思うけどね。因みに僕は卵の白身は好きになれない。
さて、テーマは嫌いなテーマではないので、受け入れる事が出来るが、出演している演者が旧国営放送の朝ドラ見たいな話だと感じた。
「愛の無いAIが新たな芸術を創造する」とか言っているが、ここまでアナログ重視している所が、最早、滑稽。「本当にそんな事やっているの?」と感じる。
原民喜先生の文章を引用
主人公が上司に「どんな音を調律師として目指しますか?」聞くと
「明るく静かに澄んで懐しい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のように確かな文体、私はこんな文体に憧れている」
さて。かえって分からなくなった。
曲の受けが変わったのが、ピアノの調律の責任に押し付ける。そんなJAZZピアニストがいるかなぁ。勿論、僕自身は、ピアノもベースもギターもアナログ音の方が好き。だがしかし、
日本文化がアナログな物をそんなに大事にしてきたのか?そんなふうには見えない。
日本的な徒弟制度と年功序列を嫌い、潜在的能力を追ったアメリカンドリームを、全ての産業の多くは日本文化に取り入れている。そして、今や、愛の無いAIの確立が、日本文化の再生とまでも言わしめている。
こんなアドレナリンタラタラじゃないと子犬のワルツも聴けないのなら、ビアノがこの世から無くなっても良いかなぁ。ウソだよ♥
「調律しなくても良い楽器作ってくれ」が願いかなあ。ウクレレだって調律が必要だからね。でも、ウクレレの調律が楽しいけどね。
こう言ったストーリーがあるから、クラシック音楽のハードルがいつまでも高い。ブルジョアの道楽ぐらい未だに考えられている。まぁ、それはそれで良いとは思うが、これからの未来は、普通に生活している空間に綺麗な音楽が奏でられる社会が望まれる。勿論、「綺麗」が「力強い」でも良いが。
この姉妹本当の姉妹なんだね。兎も角頑張れ!お姉ちゃん
グレン・グールドの様なピアノを食べるピアニストもいる。
多分、ここでやっている調律は基本なんだと思うよ。
だって地味な話だもの。鑑賞者は調律師ばかりが職人ではないと理解すべきだ。
アナログなものはアナクロと言われても、人間によって伝わらなければいけない。と言う事。
日本映画界の映画製作者にも職人が欲しいね
妹役の上白石萌歌が「もう少し明るい音になりますか?」とリクエストしていましたね。
正しい音律なんて、この世には存在感していないんでしょうね。全て主観。好みと妥協の領域なのです。
ドキュメンタリー映画「ピアノマニア」のこだわりぶりも、あれは中々でしたよ。
調律しなくてもいい電子ピアノ、聴き比べ動画です。
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