「価値観」セールスマン everglazeさんの映画レビュー(感想・評価)
価値観
"Death of a Salesman"のWillyとLinda夫妻を舞台で演じる、実生活でも夫婦のEmadとRana。現実で直面する問題から、演技も感情的になるという相乗効果がありました。
住んでいたアパートに倒壊の恐れがあり、劇団仲間Babak(舞台ではCharleyの役)の紹介で引越。しかしそこの以前の住人は娼婦のシングルマザーであることを知らずに入居します。Emadの不在中に何者かが侵入し、シャワーを浴びていた妻Ranaが怪我を負います。
Ranaが受けた被害の詳細は語られません。
警察に話すのも恥の上塗りになる、知人にも話さないで、と泣き寝入りを選んでしまう心情、忘れて前を向きたいという姿勢も、復讐した所で何も変わらないという気持ちも理解出来ます。ただ、犯人を目の前にして、許してあげてと言えるのを見ると、実際の所被害はどの程度だったのだろうと考えます。それによってはイメージが大分変わって来る気がするのですが…。
普段から肌を隠すくらいなので、入浴姿を夫以外に見られるだけでも言語道断なのでしょう。近所の男性の心ない言葉など、誤って鍵を開けたRanaにも、日本人が思う以上に落ち度があるような受け取られ方でした。
鑑賞中は終始登場人物達の言動に違和感を感じていました。それはイランの現実に対するカルチャーショックでもあります。
"Death of a Salesman"に検閲が入るというお国柄。スマホで遊び悪ふざけし、至って現代的な男子生徒達の学校で、内容が不適切として図書室から却下される複数の本。再開発の名のもと恐らく近隣住民に何の警告もなくブルドーザーで土地を掘り返し隣のアパートが倒壊寸前となる日常、完全に引越の済んでいない住居にさっさと入居してしまう夫婦…。傷付いた妻に寄り添って彼女の意思を尊重することよりも、男性としてのプライドが許せず犯人を追い詰めることを優先する夫。心臓を患っている老人を長時間閉じ込めたら、どうなるかくらい予測出来ないのか?
"Death of a Salesman "においても、Willyが気付かない自らの価値観の愚かさを、上手く時代の波に乗り効率的に生きるCharleyとの対比で浮き彫りにしています。そこは結局、新旧の価値観の違いから来るものです。
よって「新しく進んだ価値観」を持つ先進諸国民が観ると、「古い慣習」を守り続けるイランの価値観に違和感を覚えるのです。ここは正に意図されたことなのだと思います。ただ古い価値観が必ずしも悪い訳ではなく、引越を進んで手伝う友人達、Ranaを助けるご近所など、イランの人々が支え合って生きている優しさも感じました。
母親と同世代のRanaにトイレ姿を見られたくない男の子に対し、好奇心で他人のシャワー室を覗ける老人男性。タクシーで隣に座っているだけのEmadに嫌悪する中年女性客もいれば、35年間夫が命だと言い、裏切られていたことも知らない犯人の妻。こういった対比も興味深かったです。
Gholam-Hossein Saedi原作の"The Cow"という、牛が好き過ぎて徐々に牛になって死ぬ男性の物語は知りませんでした。
例のトラックをEmad達はしばらく勝手に運転して隠していましたが、その間パン屋は配達に困らなかったんでしょうか?!