「芸術文化としてのファッションという掘り下げについては不足」メットガラ ドレスをまとった美術館 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
芸術文化としてのファッションという掘り下げについては不足
今年も、つい先日にメット・ガラが開催された。ユニークなファッションでレッドカーペットに登場するセレブリティたちを見るのは毎年楽しい。オスカーでは保守的なドレスを選んでも、ここでは前衛的なファッションをして目立った者の勝ち。そしてこのドキュメンタリーは、そんな2015年のメットガラを開催するまでの挑戦とプロフェッショナルたちのプライドが描かれた映画作品だった。
ファッションが芸術や文化の価値観において見下げられていることに対抗するようにして絢爛かつアーティスティックなガラを開催するその様子は確かに見ごたえがあるような気もするが、全体の見え方としてはメイキング・ドキュメンタリー程度の内容しか捉えていないような気がしてしまい、キュレーターのアンドリュー・ボルトンや、VOGUE編集長アナ・ウィンター(さすがかっこいい!)の姿を通しても、「芸術としてのファッション」という概念の掘り下げには至らなかったような印象。それ以上に感じるのは、地位や名声を手に入れた者たちのエゴイズムだったり、人間の醜悪なまでのプライドだったり・・・。
2015年は中国文化と歴史をテーマにして開催したガラだったわけだけれども、「東洋の文化を西洋人が食い物にして利用しているのでは?」という批判が出たときのボルトンとウィンターの反応はまさしくそれで、中国系と思われる記者からのインタビューの後で――さすがにストレスもあったのだろうか――記者のことを口汚くこき下ろす様子を見たら、ちょっと気分も変わってしまった。仮に「日本文化がテーマ」と言われて、「サムライ」「ゲイシャ」「カミカゼ」ばっかりの「ヘンテコジャパン」でしかなかったりしたら、やっぱり私も同じように「食い物にされている」と感じないとも言い切れないと思う。ファッションが芸術・文化であることを魅せようとする一方で、他国の文化や歴史に対しての敬意を払う姿がこのドキュメンタリーからはなかなか見えないのはいかがなものかと。これでは、自分たちの力を誇示したい人たちに見えなくもない。映画の最後に出る文言が、「この年の寄付額がかつての記録を超えて最高額になった」って、この映画の趣旨ってそこだった?ってなるし、確かにメット・ガラは資金集めの行事であることに違いはないけれど、映画の最後の最後に伝えたいことが、寄付額が最高になったことだったのかと思うと、この映画を作った人の価値観が一体どこに向いているのかと不信に思う。映画を観ている間中ずっと、この映画の視点がファッションを本当に愛している人の視点ではないような気がしていたのを確信に変えて決定づけるような一文だった。
いや実際のところ、やはりガラに展示されたオートクチュールの美しさと技術力はやはり身を見張るものがあって、まさに圧巻。ファッション大好き人間の私には目の保養目の保養。なんなら90分間ずっと作品だけを見つめていたいと思ったけれど、それでは映画の趣旨が変わってしまいますね。
極めてどうでもいいことかもしれないが、やはり改めてドレスの着こなしを見ると、「女優」と「歌手」の歴然とした違いが表れる。「女優」たちのドレスの着こなしと、「歌手/アーティスト」たちのドレスの着こなしでは、絶対的な品格が違う。それは別に当人自体の品格や人間性云々とは多分まったく別次元の話で、つまりそういうことが「女優である」ということなんだろうなぁ、と思いながら、メットガラ当日のレッドカーペットの様子を見ながら考えていた。オスカー授賞式のレッドカーペットの光景と、グラミー賞のレッドカーペットの光景は、まったく別世界に見えるもの。