「なかなか深い心の闇」ノクターナル・アニマルズ R41さんの映画レビュー(感想・評価)
なかなか深い心の闇
2017年の作品
原作は小説 「トニー&スーザン」という原題名
これを映像化し、「夜行性の動物たち」というタイトルにしたもの。
このタイトルが象徴するエドワードの小説「夜の獣たち」は、不眠症のスーザンと同じ。
彼は以前、スーザンを「夜の獣」と呼んだ。
スーザンの現在は不眠症かもしれないが、おそらく夜になると急に恐怖に怯えだす症状があったのかもしれない。
情緒不安定になり、エドワードとの生活に耐えられなくなる幻想を抱く。
おそらくそれは決まって夜になると起こるこので、エドワードはそう呼んだのだろう。
彼女のその性質はエドワードの手に負えず、やがて離婚となってしまう。
20年、19年間というのが正しいのだろうか?
離婚後、エドワードはそれだけの時間をかけてようやく1冊の小説を発表した。
「夜の獣たち」
この小説には、トニーと妻と娘が乗った車が高速道路で嫌がらせを受けた挙句、徐々にエスカレートする男たちの言動 そして連れ去られた妻と娘という非常に暴力的な小説となっている。
そしてこの小説を読むスーザンは、そのストーリーに呼応するかのように反応し始める。
小説の内容はまったく異なるが、トニーが受けた心の傷は、スーザンがトニーにしたことと同じことだということにスーザンは気づく。
冒頭、太った女性のおかしなダンスは、スーザンの展覧会だった。
ジャンクカルチャー
芸術を追及できなかったスーザン
その彼女が八トンの財力でできた展覧会
エドワードは言った。
彼女は「物事から何時も逃げている」
少しでも嫌になればすぐ諦めてしまう。
この彼女の悪い癖を、エドワードは見抜いていた。
やがて結婚し、妊娠したスーザン。
同時にエドワードとの裕福ではない生活が嫌になり、ハットンと浮気し始めた。
エドワードにとって、スーザンを守れなかったことが、あの小説を生み出した。
一生の後悔
彼はスーザンの妊娠に気づいていたが、同時に中絶したことも知り、また同時に他の男に彼女を奪われたことも知った。
この事実こそ、小説の中で激しく表現されていた。
スーザンがその小説を読みながら反応したのは、表面上書かれた非情さこそ、彼女がエドワードにしたことだったことを悟ったからだ。
同時にいま彼女は夫の浮気を知ってしまった。
因果応報
それとも、
もしかしたら彼女は、自分のどこが間違っていたのかを探し始めたのかもしれない。
保安官のボビー
彼はガンで1年も持たないことを悟っていた。
地方検察と弁護士の司法取引によって、レイが釈放された。
最後の事件を葬られるわけにはいかない。
ルーとレイを捕獲し、小屋に連れて行ってトニーにガンを握らせた。
しかしトニーは未だ決心できず、二人は逃走してしまう。
ボビーはルーを撃ち、止めをさす。
しかしレイは逃げた。
こうなって初めてトニーは激しく後悔した。
あの現場でなぜ男たちを止められなかったのか?
自分の不甲斐なさを痛感した。
この感覚こそ、エドワードが妻を守り切れず、中絶させ、浮気された悔しさだった。
トニーはレイを撃った。
しかし、レイに金属棒で殴られ左目を失明した。
もしかしたら脳挫傷まで行ってしまったのかもしれない。
テキサスの荒野で横たわるトニー
トニーの復讐は敢行された。
さて、
数年前、スーザンはエドワードに電話したが、切られてしまった。
しかし小説を読み始めたスーザンは、エドワードにメールして会いたいと言った。
エドワードはそれに応え、日時を決めた。
グリーンの胸の開いたドレスを着て、真っ赤なルージュを引くスーザン。
しかし、ルージュを拭く。
そこにあるのは彼女の素顔
展覧会での「顔」ではなかった。
バスタブに頭から漬かり、スーザンは何を思い描いていたのだろうか?
小説に引き込まれ、思わず娘に電話する。
壊れかけている夫婦関係
そして、過去を思い出させ、またエドワードの気持ちを小説によって知らされた。
「スーザンに捧ぐ」
それは彼女に対する復讐だったのか、それとも憐れみだったのか?
スーザンがエドワードにメールしたのは、謝罪の気持ちがあったからだろうか?
レストランでなかなかやって来ないエドワードを待ちながらエンドロールが流れる。
スーザンは、いったいどんな思いでエドワードと会うのだろうか?
スーザンが予約した高級レストラン
なかなかやって来ないエドワード
この思わせぶりなシーンに感じるエドワードの「過去との決別」
復讐の敢行も考えられるが、それはすでに小説で成した。
または、未だにまだ動きの撮れないスーザン自身の「孤独」を象徴しているのかもしれない。
今スーザンには、また逃げ出すという選択肢もある。
夫の浮気とだらしのない娘
誰にも認められないジャンクカルチャー 虚栄
高級レストランの佇む孤独感は、彼女自身を表現している。
彼女自身「不幸だ」と言っているが、その原因が未だにどこにあるのかわからないでいる。
エドワードはそれらをすべて見抜いた上で、あえてレストランに行かなかったのだろう。
そうすることで、「何故」が生まれ、彼女自身を見つめ直すきっかけとなる「かも」しれない。
最後のシーンには様々なことが詰まっているように感じた。