「過去からの復讐劇」ノクターナル・アニマルズ kkmxさんの映画レビュー(感想・評価)
過去からの復讐劇
本作は確かに復讐劇だと思います。でも、個人的な見解では、エドワードからスーザンではなく、過去のスーザン自身からの復讐劇に思えました。
言い換えると、生きてこなかった本当の自分から、偽りに生きてきた現実の自分が復讐される話。ついに20年分のツケが回ってきたスーザンが心理的に破産しかける物語と言えそうです。
マイノリティーの兄やアーティストのエドワードへのシンパシーを持つような、母親とは違うタイプのスーザンがエドワードに惹かれるのは自然だと思います。だが、エドワードとの生活は不安定だし、エドワード自身も不安定。そんな中でスーザンも不安定になっていく。
なのでエドワードに見切りをつけます。しかし、ハッキリと描かれていなかったと思いますが、スーザンは自分を騙して別れたように感じました。
決定的な一件の前からスーザンは言い訳がましく逃げ腰でした。かなり最後の方までエドワードを愛していたが、自分の弱さに負けてベストを尽くさず、自分に対して誠実になれなかった。
つまり流されて見切っただけ。肝心な勝負所でがんばれず、自分を偽ったからエドワードのことがしこりとして残っているです。
しかも、なまじ経済的社会的にいい感じなもんだから、振り返るチャンスもなく20年来てしまった。
その結果、軽蔑していた母親と同じようになってしまった。ダークサイド堕ちってやつですね。
ホドロフスキー師匠流に言えば、自分を生きることができなかった。自分を生きない人間に待っているのは虚無です。
一方、エドワードはダメなりに自分を生きたと思われます。以前はスーザンに作品をダメ出しされてスネるようなダメ男だったけど(ダメばかりだけれど、若き日のエドワードは絵に描いたようなダメ男だ)、小説を諦めなかった。人生諦めが肝心な時もありますが、作品を形にして出版にこぎつけたのは凄い。ここで彼は作家としてのアイデンティティーを確立できたと考えられます。だから過去の重要人物に作品を贈ることができたのです。
なのでエドワードとスーザンの対比は「自分を生きた」vs「自分を生きなかった」かな、と。そんなスーザンの元に、しかも虚無と心理的孤立が顕在化したタイミングで小説が贈られてくるわけですから、恐ろしい復讐ですよ、過去からの。
スーザンとトニーが重なる演出が多用されていたと思いますが、スーザンはトニーに自分を重ねていたのでしょう。
トニーは荒野に取り残された時、妻子を助けに行かずに逃げてしまった。助けに行ったところで結果は変わらないでしょうが、弱さに負けた態度が後悔につながっていったと考えられます。それはすなわち20年前にスーザンがエドワードとの関係で自分にベストを尽くさなかったことと同じですからね。逃れられない苦しみのルーツを突きつけられ、スーザンははじめて自分の弱さと向き合わざるを得なくなりました。自業自得とはいえ地獄の苦しみだと思います。
エドワードがなぜスーザンに小説を捧げたのか。
それは、スーザンとの別れがエドワードの作家としてのスタートだったからです。寝取られですから当然怒りもあったし、恨み辛みもあると思います。しかし、小説ノクターナル・アニマルズの内容から読み取れるのは後悔の念です。
心から愛した女性を大切にできなかった弱い自分自身への後悔。自らの失敗と向き合い、大いなる痛みを抱え続けたことが、彼を作家にしたのだと思います。この作品で彼は後悔を昇華できたのではないでしょうか。
エドワードがスーザンに本を贈ったのは、自分を作家にしてくれた人物に自分の成長を知って欲しかったという、非常にシンプルな理由だと思います。また、付き合っていた頃から自分を受け入れられないスーザンの弱さをエドワードはよく知っていたでしょうから、彼女に対する叱咤激励的なニュアンスもあるかもしれません。実際、彼女は小説を読んではじめて自分と向き合うチャンスを得たのですから。
そして問題のエンディング。
結構ナゾで、最もいろんな解釈ができそうです。エドワードの復讐譚とみれば復讐完了というオチだと思います。個人的にはそうではないと感じているため、唯一モヤるポイントです。公式は解ったが答えが合わないみたいな。
確かに、自分を生きた者と生きなかった者、両者は位相が違うのですれ違う可能性も高いです。が、違うエンディングであったならばスーザン側にマジックが起きるチャンスだったので
(つまり、エドワードに後悔を語れ、再生への一歩が踏み出せるチャンス)
スーザンに対してかなり辛辣で残酷なオチだなぁとの印象です。トム・フォード監督的には、そんな簡単に成長できないよ、再生するなら一度ちゃんと心理的に自己破産しなよ、ってところでしょうか。
しかし、エンディングで着るドレスがあまりにもエロすぎますぜ。個人的には最高としか言いようがないですが、そのタイミングであんなエロい服を着て行くメンタリティーがダメなんだよスーザン!なんて思いました。
とにかく、観ている最中だけではなく、観終わった後もエキサイトしっぱなしで、めちゃくちゃ楽しめた映画でした。考察または妄想が面白くて仕方ない。とても語り合いたくなる作品です。
そして主演のエイミー・アダムスがセクシー。髪の美しさが印象に残ります。もちろん、問題のエロドレスも。