マンチェスター・バイ・ザ・シーのレビュー・感想・評価
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自らの過ちを背負い続ける男のささやかな再生を描く感動作
この作品で、ケイシー・アフレックが第89回アカデミー賞主演男優賞を射止めたのは周知のこと。それも納得の絶望の淵に佇む男の感情が抜け落ちた演技に、観客はおのずと映画に引き込まれ、やるせない悲しみに胸を詰まらせることになるだろう。
便利屋の仕事を日々淡々とこなすリーのもとに、ある日一本の電話が入る。兄が亡くなった
ため、リーは避け続けた故郷のマンチェスターに帰ることになる。マンチェスターで過ごす中で、リーの拭い去れない辛い過去が次第に明らかになり、癒えない心の傷は再び開いて血が静かに流れだす。
兄の遺言で甥の後見人になったリーは、同じように愛する人を失った甥と関わるうちに、悲しみとの向き合い方を再構築していく。16歳の甥は父を亡くしたショックを受けながらも、二人の女の子と同時に付き合っていたり、自分の将来をしっかり見据えていたりと、ティーンエイジャーらしい真摯さで生きることに前向きだ。そんな甥と付かず離れず不器用に寄り添うことで、リーの無機的な生活がわずかに変化し始める。
悲愴感漂うリーの姿はかえってユーモアラスで、重いテーマなのに観ている側の気分が暗くならないのは、ケネス・ロナーガン監督(脚本も担当)の手腕に他ならないだろう。冷凍肉についてのやり取りや、元妻に謝罪されただただ困惑する様子も、当人はいたって真面目なのになぜかくすっと笑えてしまう。登場人物の感情を代弁するようなシーンに合った音楽も見事。セリフ以上に多弁で自然に感情移入が出来てしまった。
喪失から再生へ向かう物語はこれまでも多くの映画で語られてきたが、本作では主人公リーの喪失感は決して埋まることはない。嘆くことも許しを求めることも出来ない、自らの過ちを背負い続けるリーの人生が、リアルに描かれているように思えた。それでも終盤では希望の兆しがささやかながらも感じられ、観客自身が救われる思いを抱いてエンディングを迎えられるだろう。
乗り越えられない
当時、映画館で観ました🎬
便利屋として生計を立てているケイシー・アフレック演じるリーが、兄の死をきっかけに故郷へ戻り、残された甥のパトリック(ルーカス・ヘッジズ)の後見人に指定されていたことを知り‥。
序盤でリーは、便利屋として腕は確かなのですが、性格に難があることが示されます。
何故性格がああなのか、中盤では彼が背負っている重すぎる十字架も明かされます。
ラスト近くにミシェル・ウィリアムズ演じるランディと再会し、会話するシーンはお互いの複雑な感情が見事に表現されてると思います。
最後のリーの選択も、精一杯のものだったのではないでしょうか。
この映画でケイシー・アフレックはアカデミー主演男優賞をしましたね。
ミシェルもルーカスも、負けず劣らずの良い演技だったと私は思います🙂
少しだけ前を向いて生きていける
過去の辛い出来事にとらわれて、苦しみ続けている男が、兄の死をきっかけにその出来事がおきた街に帰ってきた。兄は誰よりも自分を理解してくれていだはずなのに、自分の子供の後見人に任命していたのだ。弟想いの兄がなぜあえて、この土地に帰らなければできない後見人に彼を選んだのか。病で先立つことを知っていた兄はきっと弟と息子のことがなによりも心配だったと思う。荒療治ではあるけれどこの方法に祈りを込めて旅立っていった。
そして、
残された2人はケンカしながら、確かな絆を築いていった。最後に乗り越えることはできないと絞り出すように語る叔父の気持ちを甥っ子も受け取ったことだろう。
最後にそう言う結論かぁとちよっと残念な気もしたけれど、逃げてきたことに向き合い、乗り越えられないというある種の意志を持つことで、彼も少しだけ前を向いて生きていくのだろう。
引っ越して、甥っ子の寝る場所を作ろうと思うようになったことが嬉しかった。
経験したことないので、確信は持てないが、あり得ない話。
経験したことないので、確信は持てないが、あり得ない話。
白人の中産階級が、突然訪れた不幸に翻弄され、身を滅ぼし、その後、少し、再生すると言う話。突然訪れた不幸以外、何一つ苦労することなく、自滅している。突然切れる様な性格の人物が、放置されたままで、ここまで持ち応えない思うが。彼に対する精神的ケアが確実に削られている。また、そもそも、突然切れる意味が全く理解できない。
マンチェスターって言うから、最初イギリスの話だと思っていた。白人社会の甘えを描いているのだろうか?
僕自身の経験から言って、年長の肉親(例えば、親)が死んだ事位で事態が大きく動くなんて事は無い。また、良く出来た善良な肉親ならば、こういった事態は予め予想して、対処していたと思う。余命までわかっていたのだから。だから、あり得ない話。
そもそも、刑事事件として、即刻無罪放免にはならないし、相手の女性からは民事で訴訟を受けるのが、現実だと思う。だから『便利屋やっている』なんて言う次元ではないはずだ。
自ら招いた不幸なのだから『子供が出来て良かったね』って思えないか?
乗り越えがたい悲しみの話
リーが抱えた悲しみと自責の念は、子どもをもつ親であれば想像に難くないことだと思う。
ああやって生きているだけでもしんどいだろうし、ましてや兄の子どもを毎日見ることになれば、嫌でも思い出してしまう。
きっと急逝した兄は、弟のリーに父親のやり直しをさせようとしたのではないか。
リーはそれを、彼なりのやり方でやり遂げようと努力している。
その努力の始まりとともに、物語はプッツリとエンディングを迎えた。
兄の葬儀を終え、甥のパトリックとのつながりを切ろうとしていない雑談の内容から、二人が肩を並べてボートで釣り糸を垂れるまでのラストシーンが美しい。
最後まで自分が犯してしまった過ちを「乗り越えられない」と言ったままであるにもかかわらず、微かな希望と許しの兆しが感じられる。
凍える海の風景は、本来なら暗く陰鬱に映るのだが、なぜか登場人物たちの悲しみを凍結して封じ込めようとする優しさを感じた。
ケイシー・アフレックは演技派然とした振る舞いがどうしても鼻について好きになれなかったのだが、本作で初めて感情移入して観ることができた。
グレッチェン・モルは自分にとってのセクシークイーンだが、アルコール依存に苦しみながら立ち直ろうとするパトリックの母役を、少ない出番で好演していた。
二度目の結婚相手を演じるマシュー・ブロデリックがチョイ役で出てきたときに、なんだか笑いがこみ上げてきたのはいただけなかったけれど。
happier end
監督がこの映画をhappier endと表現していた。安易にハッピーエンドにしたくなかったらしい。
私自身もとても良い結末だと思った。
ケイシーはこの作品で初めて主演男優賞を取ったが、それに値する演技だったと思う。
主人公がなぜこんなに暗くなったのか、回想を所々に交えながら説明している。
時系列が分からなくなりそうだが、主人公が幸せそうかどうかで判別がついた。
基本重い雰囲気の中進むが、日常に起こりそうなちょっと笑えるシーンがちょくちょく挟まれていて、現実味があって面白かった。
その中でも一番好きなのが、兄の葬式の後のご飯会?で、ジョージに食べ物いるか聞かれているシーン。
逆の泣いたシーンは、現在のケイシーが唯一泣くシーンか、ミシェルウィリアムズとの会話シーン。
好きすぎて次の日に2回目を見てしまった。
当初の予定ではマット・デイモンが主演、監督、脚本担当する予定だったらしいが、ケイシーに主演を譲って大正解だと感じた。
マット・デイモンがこの主人公だと悲壮感があまり表現できなさそう。
マット・デイモンはディレクターとして、脚本を現監督に任せることが1番の仕事だったと語っていた。
私のベスト10映画になった。
乗り越えられない
どうしても乗り越えられない。
そんな苦悩を口にしてしまう主人公リー。
最初は奥さんの方を心配してしまったけど、十字架が重かったのはむしろ旦那さんの方だったか。
最後に友人の奥さんに弱音を初めて吐くシーンでは、泣けてしまった。
ヨットの上での止まらない、パトリックとの楽しげなおしゃべりも、その後の悲劇を知ったなら涙が出てしまうだろう。
勝手にパトリックとリーは実は親子だったりして、とか想像してしまったが、そんなひねりはなかったね。
パトリックを演じた子も、若いけど実力のある俳優さん。ルーカス君、要チェックである。
2人の関係の微妙な変化に引き込まれ、一気に観てしまった。
本当に淡々としていたが、良い作品だと思った。
マンチェスター・バイ・ザ・シーって、アメリカなんだ。エセックスとか、なんだかイギリスの話かと思ったけど、ボストンだしなぁ、と。混乱してしまったわ。
孤独、寛容、無関心、愛
東海岸のやや閉鎖的な海辺の街の、生活音、バックグラウンドに聞こえる話し声、波の音風の音雨の音が、この辺りの風景とうまく混じり合いとてもよい。さらに音楽が非常に過剰で素晴らしい。
過去の事件や様々な人間関係が少しずつ明らかになり、リーという孤独な男のことが少しずつわかってくる。自分を許さすことがない、終わりのない、出口のない自責の念自己嫌悪無為そして人にも自分への関心や寛容や愛を求めることを一切しない。
それでもジョージや周りの人達は反感や戸惑いもあるが寛容とか慈愛もある。東海岸独特のある種ストイックな風景街並みと、登場人物たちの、それぞれの不安イライラいつ燃え上がるかわからないような鬱屈した感情があり、また、そこには、みんなで支えあって生きようとする欺瞞ではないコミュニティも感じる。葬儀の後、アイスクリーム代をねだるパトリック。叔父より世渡り上手っぽいがまだまだ子どもで、叔父がつけた段取りに子どもとして安心して自分の未来を託す。アルコールやドラッグやネグレクトの問題なども小さな会話や情景で感じる。システムの中での精一杯の自己嫌悪、罪悪感、同意や共感や反感や理由のない不安、愛と寛容などをじわじわとチクチクと感じたよい作品。なんといってもニューイングランドは素晴らしいところだ。
タイトルなし
全編通して、マンチェスターの雪景色、海、寒空の色が余計に寂しさを感じる。自分の火の不始末で子供を殺してしまい、それが原因で妻とも別れ、生きる希望を失った男が、唯一の味方であった兄の死後、甥の管財人に指名されたため、再びマンチェスターの地に戻り、生活するが、やはり当時の記憶に苛まされる。しかし、甥や元妻との謝罪の話から徐々に、少しずつではあるが、人との交流を持つようになる。結局ラスト乗り越えられないのかと思う一方、絶望から、僅かではあるが、生きる希望を見出し始めたというところで終わる。完全ハッピーエンドで終わらないところがリアリティがあり、秀作。何よりも甥の管財人になったり、良き理解者である友人の支えが素晴らしい。
主演のケイシー・アフレックが素晴らしかった
普段はアパート4棟を担当する便利屋さんで、客の対応は良かったり悪かったり、ちょっとでも高圧的な言葉を聞こうものならすぐキレてしまうキャラ。そんなその日暮らし的な生活の中、突然の兄の訃報を受け取り、病院へ駆けつける。
兄ジョー(カイル・チャンドラー)は数年前に心臓病により余命5~10年という宣告を受けていたことから、驚きや悲しみよりも葬儀やら後処理の対応策に追われてしまう。ジョーの妻は離婚していて、遺族となったのは息子パトリック(ルーカス・ヘッジズ)だけ。そのパトリックを連れまわすかのように、死後処理を行うのだが、遺言にはパトリックの後見人にリーが指名されていた。
パトリックには自分と一緒にボストンまで来るよう説得するものの、パトリックは友人や恋人がいるため断られてしまう。それなら逆に故郷のマンチェスター・バイ・ザ・シーに引っ越してこいなどと言われるが、リーにはその場所での辛い過去があったのだ。それは自分が原因で引き起こした火災により幼き子3人を亡くしたこと。喪失感と罪悪感から警察署内で自殺を図ろうとする姿には胸が詰まりそうになるくらい重くなってきました。
サスペンスならば周りの人間が次々といなくなるのはよくありますが、こうした真面目な作品での喪失感は堪えがたい。孤独に打ちひしがれて他人にも当たり、何とか目的を持って生きていくために甥っ子と共に暮そうと努力する。痛いほど伝わってくるものの・・・
ジョーもリーも妻とは別れている点とか、経緯は想像はできるものの物足りなさを感じてしまいました。長い尺ということもあり、主人公リーの内的再生だけでエンディングまで引っ張るのは辛いものがある。もう一つ終盤に波乱か、意外な回想録とかを映し出してくれれば・・・
【2017年8月映画館にて】
佳作だが地味
主人公リーの自暴自棄な態度の理由が徐々にわかっていくプロセスが上手だった。過去のエピソードが頻繁に挟まれるけど、きちんと過去の話だとわかる。これ、結構大事。
リーの過去の経験は想像したよりも重かった。罪を問われることもなく、その後の日々を過ごさなきゃいけない。そりゃ救われない。でも、甥のパトリックとのやり取りは妙に軽い。それが逆にリアルな気がした。
ラストもとても地味だ。何か驚きの展開が待ってるわけではない。パトリックが来たときのための部屋をリーが確保しようとするくらいのもの。でもそれが彼にとってものすごい変化ということか。
いや、いい映画だとは思うけど、地味すぎて大絶賛!とはならなかった。
良い映画
とても良い映画でしたが、何が良いのかと聞かれると難しい映画でもあるように感じました。
普段はこのようなところに感想を書いたりしないのですが、整理のために書いてみようと思います。
私がこの映画の見どころだと思う点は、
主人公の時計は止まったままだが、周囲は否応なく変化していく点であると思っています。
兄の死をきっかけにして周囲の変化に気付いていく主人公。
特に過去の事件の当事者でもある元妻が再婚し、子供をもうけているということ。
主人公は自分を許せないまま時が過ぎていたのだろうと思わせる序盤の日常風景の描写。
残酷な現実かもしれませんが、素晴らしい構図でもあると思う。
他者と深く関わろうとしない主人公だが、これからの甥の人生を慮ることになるにつれ、過去と向き合いながら周囲と関係を築いていく。
こうなるのも兄の思惑なのかもしれないと思わせる中盤の兄との事件直後のやりとり。兄貴は弟思いの優しい人物だった。
こちらは希望を抱かせるような描写であるし、素晴らしい構図だとも思う。
印象深いシーンは確かにあったはずなのに、日常風景を切り取ったようなリアルな描写だから見終わった後の印象がぼやけやすいのかな。
長文失礼しました。
自分なら死んだがまし
主人公の無気力には理由があった。衝撃の事実が明らかになり、甥っ子は事件を何も知らないのか?この街に叔父が引っ越してこいとは良く言えるなと思った。便利屋ならここでも出来るとかね。でもそんな二人だけど主人公が主に折れる感じで労わりあう気持ちが出てくる。選曲、映像の撮り方がわざとらしく感じた。
重いテーマと色が抜けた画
きっと、これが邦画なら、もっと暗いトーンの映像にまとめられたのでは? 雪も海も拍子抜けするくらいの明るさ。というか、色の抜けた白さ。でもこれが、人物の心情とリンクしてるというか。
傷ついたひと達がたくさん出てきて、各々自分を癒す方法を探ってる。それがいい。
「I can't beat it. 」
「乗り越えられない」と訳がついたこのセリフ。多分、忘れられないフレーズ。この言葉を、自分もいつか使うような慟哭と直面するのか。その時、自分は立ち直ることができるのか。
女性の描き方が不自然
ちょっと思わせぶりな演出が多い。船に乗っているシーンや、便利屋のお客さんの世間話を延々と流しているのは、ドキュメンタリー調で普通の人を演出して、共感を得ようとしているのかもしれないが、くどい。
女の人が主人公を誘ってくるシーンとか、甥っ子がモテモテだという設定も、女の人たちが何を考えているのかがよくわからない。そんなに見ず知らずの男を誘ってくる女性は多くないし、主人公がそんなにモテるほど魅力的だとは思えなかった。なんだか女性の感情を置き去りにして、都合よく主人公と絡ませる飾りにしか見えない。
生きていくのは辛いけど報われることもある
主人公ケイシー・アフレック演じるリーがどうしてこんなに暗くて抜け殻なのか…
とても仲が良かったお兄さんが亡くなったからだけではなく…
中盤くらいでようやく語られる。
仲間と家で酔っ払い、仲間が帰った後にさらにビールを買いに行く前に暖炉に火をつけ、スクリーンをするのを忘れたことにより、家事になり。
炎が上がる我が家には愛する子ども3人が残っていて助けられず、目の前に泣きじゃくる妻をぼーっと見つめるリー。
それはお兄さんの余命宣告がされた後の出来事だった。
家族を失ったことで抜け殻になっていたところ、お兄さんは大きな支えとなっていた。
そんなお兄さんまで失った中、甥っ子の「後見人」と遺言に残されていて面倒をみることになった。
お兄さんはリーのことを想ってそうしたんだろう。
甥っ子はお父さんの死後なのにどうしてそんな普通にしていられるんだろうか…と思っていたけれど、やはりまだ16歳。冷凍庫から肉の塊がこぼれ落ちてきた時に初めてパニックになる。冷凍されるお父さんとリンクしてしまったのだろう。
それを宥めるリー。
そうやって甥っ子の面倒をみることで、嫌でも人と関わり孤独になることがなくなったことでリーの凍った心も少しずつ溶けていく…かと思いきやそうでもない。
完全に失ってしまった心はもう戻ってこないよう。
でも最後の最後にバッタリ出会った元奥さん。
新しい子どもができて、前に進もうとしている姿を見て少し報われた思いになる。
結局はマンチェスターにいるのは辛すぎて甥っ子の後見人を友人に任せて、街を出てしまう。
お兄さんの死をきっかけに、とある街のアパートの便利屋から抜け出したけれど結局戻ってくる。
前後で何か変わったのかな…少しでも何か変わっていたらいいなと思いながらエンディング。
静かなる映画
どうにも映画館に見に行って、途中退出したのがシャクでレンタルして見直してみた。
なにしろ、これ以来ただでさえ手間な劇場観賞が、余計面倒になってたしか映画館に行ってないかな。だいたいレンタル
吹き替えでみた。印象がかなり違って感じたのは、主人公がとにかく陰気くさくてどなりちらしてまるで共感出来なかったのが、声優さんの声質だろうか、だいぶマイルドな雰囲気になっている。
でも作品全体の印象はあまり変わらない。好きな人は好きなんだろうけど、こういう淡々とした展開が
自分も、まるで受け付けないわけじゃないんだが、ここまで何も最後までたいした変化もなく、主人公は終盤でまた酒場で乱闘するは、別れた奥さんとヨリを戻すでもないわ、故郷に帰るでもなく、死んだ兄貴の息子は結局引き取らないわ…そもそも見に行かなかったほうがよかったな…
風景が寒そうだが、なんかいいのと
自分の過失で家を全焼させてしまい、一家崩壊という辛い過去を持つ主人公の哀愁漂う雰囲気がいいという感じかなあ。
ジム・ジャームシュやヴィム・ベンダース、小津安二郎とか好きな人は好みそう
おれはこういうのはいいや。最後までみても自分も何があっても生きて行こう、という気分にもまるでならなかった。そういう終わり方じゃないんだもん
静かな中にある繊細な感情がゆっくりと伝わってくる 最初はただの偏屈...
静かな中にある繊細な感情がゆっくりと伝わってくる 最初はただの偏屈な男性かと思っていたら兄の存在を大事に思っていて子供の頃甥と過ごした時間があった
過去があまりにも辛すぎてほんとは友達がたくさんいて楽しい時を過ごしていたのに
救われない過去が彼を変えていた
兄が亡くなり
甥の存在が彼を徐々に救って行くのだろうと微かに明かりが見えてゆく
どんな人にも救いがあるんだと力を与えてくれる映画だ
心がしんどい!w
ケイシーアフレック演じる主人公のリーは、元々は陽気な性格であったが、ある日暖炉のチェックを怠ったことから家を火事にしてしまい、3人の子供を失ってしまう。そしてそのことが原因で妻とも離婚してしまう。そしてその当時、「100%夫のせいだ、夫が完全に悪い」と余裕のない妻はリーに罵声を浴びせたということと、消防の取り調べの際、「僕は家に帰れるんですか?」と自分が無罪であることに驚いていた様子から、リーは相当強い罪悪感をもっていたことがわかる。
その日を境に、リーは他人とオープンに関わることを辞め、悲観的な人間になってしまう。ここでこの悲観的な人間になる過程だが、現在→過去→現在→過去…といった具合で現在と過去をわざわざ行き来して回想する演出は、視聴者に強烈な印象を残す粋な技法だと思った。こうして我々は、「辛すぎる悲劇」と「強烈な印象技法」によりリーに共感・同情せざるを得ない状況になり、今までのリーの行動が理解できるようになる。
また、要所要所で挟まれるまるで時が止まっているかのような美しい海の映像、プラスでもマイナスでもないような不思議な曲が、リーの人生が止まっていることを連想させる。
そして「とても仲が良かった兄の死」、「甥の後見人になる」、「元妻が既に新しい男との子を妊娠している」など次々に辛いことが起こる。
おそらく「兄の死」の時点でリーは、完全に人生を諦めきってしまったのではないだろうか。それはバーで女に色目を使われても見向きもしなかったことから伺える。そして次に来るのが「兄の子の後見人になること」である。ここからがリーの転換点である。他人とオープンに接することを辞めたリーは、父親を失った甥っ子にも最低限の気遣いしかしない。なぜなら、甥は父親が死んでも女遊びなどに徹し、病んでるといった素振りがしばらく感じられなかったからである。しかし段々甥と接していくうちに、冷凍チキンを見るだけでパニックを起こすほど「甥も傷ついている」ということを認識するようになる。この時点でほんのわずかだけ甥に気をつかえるようになったリーだが、やはり過去の事件の罪悪感は晴れない。リーは過去のあの時点から人生が進むことはなく、つまりはリーにとっての家族は記憶上では元妻と死んだ子供達なのである。
そんな折、元妻から「妊娠した」という連絡がくる。この時のリーの心情を想像すると、とても耐えられない。「自分は過去の事件から逃れられないのに、元妻はもうそれを克服して自分とは全く関係のない奴を新しい家族にするのか」などと思ったことだろう。「世界でたった一人自分だけが過去のあの事件にとらわれている」、そう思ったことだろう。リーは電話に耐えられず元妻からの通話をすぐに切ってしまう。ここで再びドン底にたたき落とされたリー。私は「これ以上の悲劇があるか」と本当に心がしんどかった。。
そしてある日、リーは子供を連れた元妻に会う。
ここがこの映画の見どころ。
元妻は、「私の心はあの日から壊れた、あなたは悪くない、あなたを愛している」と、こう言った。
これを聞いたリーはきっと、「ああ、元妻も今もまだ引きずっているんだな、俺だけじゃないんだな」という安心を得、そして1番はリーと同じようにつらい経験をし、そこで始めてリーのことを考えられるようになった元妻から「責めて悪かった」と謝罪があったことを受け、罪悪感が少し拭われただろう。
この時のリーの動揺する様子がなんとも素晴らしい。
そして罪悪感が拭われたリーの行動も、少し変わってくる。特に甥と船に乗り、にこやかにしている様子はリーに同情しきっていた我々を救ってくれる。しかし、リーの人生を諦めたかのような下向きな覚悟は揺るがなかったかのように思う。それは、甥に「ここは辛過ぎる」と最後に言ったことから。元妻に許しを得たにも関わらず辛過ぎるというのは「前向きな希望がないわけではない」、「しかしあるとするなら再び元妻と家庭をもつこと」、「だがそれは不可能」と、クリアできない別の問題に結局直面してしまうからではないだろうか。だからといってなにもできず、「前向きな意思はあるがそれが実現できず結局下向きな人生を歩んでしまう」ならば、「最初から下向きな覚悟をしてボストンへ去ろう」と思ったのではないだろうか。「人生をやり直せるかも」と思うけど、それが実現できないことが分かってるから辛かったのではなかろうか。
寡黙なリーがどこまで考えていたのかは、わかりません。
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