マンチェスター・バイ・ザ・シーのレビュー・感想・評価
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かすかな、かすかな心の動き
オープニング。マンチェスター・バイ・ザ・シーの風景が映し出されるのを観て、私、この映画は間違いないな、と確信しましたね。海がね、もう本当美しいんですよ。こんな風に海が撮れるなんて、その実力をまざまざと証明しているように思えましたね。
それに、出演のケイシー・アフレックとミシェル・ウィリアムズ。この二人、私大好きなんですね。彼らの出演作で嫌いだった映画ってないですよ、実際。
しかし、静かな映画でしたね。静かで、かすかなこころの動きを、たしかな演出で描き出していたように思います。ケイシー・アフレックのつぶやくようなかすれ声が、この男の悲しさを表現します。ミシェル・ウィリアムズの乱れたウェービーな髪と、ストレートのボブの髪との対比が、彼女の中で何かが決定的に変わったことを印象付けます。
多くは語れません。しかし、たしかにこの映画には本当のこころの動きが映し出されていて、そのかすかさに触れることが、そのかすかさのリアルさを感じることが、この映画の体験だったように思います。
よかった
悲しみの沼からはい上がることの難しさ
ひしひしと感じる…。
弱くても良いんだ
人は互いを認め赦し合うことで自分の居場所を見付けて行くのですね...
そうかぁ、そんなにいい映画だったんだ…
ジワジワくる
タイトルなし(ネタバレ)
てっきりイギリスのマンチェスターが舞台だと思ってずっと見ていたため、ボストンという地名が出てきてそれからずっとアメリカなのかイギリスなのかそこばかりが気になってしまった。
あれだけの事があれば、主人公が意固地になってしまうのは全くしかたのないことで、そんな主人公を責めた義姉は最低すぎるし、あれだけ嫌われても全く仕方がない。
甥の高校生が、とんだヤリチン野郎で全く可愛げがなかった。おじさんを足に使っているのにあんまり感謝もない。ボートを大事にしているところはよかった。
登場人物の気持ちをとても丁寧に描いていたすごい映画であるとは思うのだがとにかく暗いし、甥は可愛げがないし、あまり好きにはなれない映画であった。
濃縮ドラマ
どんな話なのか、簡潔に説明するのが難しいくらいに、特筆すべき出来事が起こらないドラマ。現実世界を切り取って、多少ドラマティックに仕立て上げたといった印象。それでも(それ故?)、涙したり笑ったりしたところがたくさんあって、シリーズドラマを凝縮して見ることができたような気がする。
刺激が薄いところを、カットカットの繋ぎで工夫していたようにも感じられるし、多少混乱を招きかねない編集も見終わって非常に納得させられるところがある。
スタンダードな絵と音の組み合わせであったり、撮影の仕方や絵づくりなど、お手本通りといった印象が強いので、新鮮味といったところに関しては乏しいものを感じるけれど、伝統的な手法が見事に融合すると、こういった素晴らしい作品が出来上がるといった典型のような作品。
新宿武蔵野館にて観賞
主人公が招いた悲劇には胸が潰れる思いになるが、やたら機関銃のように被せて話すズレた会話に笑ってしまう。これは上質な悲喜劇だ。
主人公の決断や感情にリアリティがある。特に主人公が明確に乗り越えなれない事があるという点は通常の映画と違う。
脚本はそのように驚嘆するが、人物の空間を面白い形で見せる演出も効果的だ。ケネス・ロナーガンは前々作よりも相当進化しており、今後も注目したい。
傷負い者に響く映画
まず、「あ、音楽がいい映画だな。」と、普段は思わないことを思いました。
大きな出来事は起こりません。
身近な人がなくなり、そこから始まるエピソードです。
私の身内は皆元気ですが、自分に置き換えて見ることができる映画でした。
身内が亡くなって初めて、思っていた以上に心が揺れ、その人が残したものの重さや、普通に生きることの尊さに気付いたりするのかなとか、いろんなことを想像しました。
不器用な男が主人公というのがよかった。
時間も長く、起伏も少なく、だけどそれが悪い意味ではなくて、どっぷり映画に浸れる時間でした。
故郷に戻ってしまったことと、未来がある若者が自分のそばにいるということが、自分の過去の傷をえぐっちゃったのかなと思いました。
自分は手に入れることができなかった未来。
自分は本当はこんなはずじゃなかったのに。
時系列の整理がなかなか難しいと思う方もいらっしゃるかもしれません。
「過去を乗り越えられない」と言い切った、潔い映画です。
新しい価値観を得ることができました。
ボストンから車で1時間のマンチェスター
マンチェスター バイ ザ シーがアメリカの地名とはつゆ知らず、最初は戸惑った。しかも海の色がイギリスっぽかった(笑)。
ベン・アフェレックの少ないセリフから伝わる苦悩が良く伝わった。パトリックのパニック発作のシーンで泣けた。しっかりしているようで、まだ子供なので少し安心もしたが。
それにしてもリーは防火意識に欠けるぞ!
過去を背負って生きる人達のための映画
家族や大事な存在を、突然不本意な形で亡くした時、人は、今日と同じように明日が来ること、未来が当り前に続くことが、信じられなくなる。生の呆気ない幕切れを目撃した人は、より良い未来を信じることなんてできずに、刹那的にしか生きていけない状態になるのだ(たとえば、数年前の私がそうだったように)。
それでも大抵は、時間が解決してくれる。
だが、この映画の主人公リー(ケイシー・アフレック)は違う。何年もそんな状態から抜け出せずに、空虚に毎日を生きている。
ボストンで便利屋をしているリーは、腕が良いのに、無愛想な態度のせいで客からの苦情が多く、上司を悩ませている。
ある雪の日、リーの元に病気を患っていた兄ジョーが亡くなったと知らせが入り、彼は車を走らせ、故郷のマンチェスター・バイ・ザ・シーへと戻る。
ある悲しい事件をきっかけに故郷を離れたリーにとって、そこは居心地のよい場所ではなかった。亡くなった兄の後始末をさっさと行おうとするリーだったが、ジョーが遺言で一人息子のパトリックの後見人に自分を指名していたと初めて知り、愕然となる。
甥の後見人になるということは、自ら離れた故郷に戻り、そこで甥が成人するまで彼と暮らすことを意味する。だが、この場所には、リーにとってはあまりにも辛すぎる記憶が残っている。
葬儀の準備や、パトリックの面倒をみながら、今後どうすべきかリーは混乱しながら模索する。
久しぶりの故郷で過ごすうち、リーの前にかつての故郷での記憶が時折フラッシュバックし始める。かつてのリーは、妻と子供に恵まれ、故郷で幸せに暮らしていた。常に暗く陰鬱な今の彼とは真逆の明るい性格で、友人達にも恵まれていた。
では、一体なにが彼を変えたのか。
そんな観客の疑問に答えるかのように、画面はリーの現在と、過去の記憶を織り交ぜて映しだす。故郷に戻って兄の後始末をする現在の彼と、幸せだった過去とかつて悲劇……現在と過去を対比するかのように、映画はリーという男の半生を語る。
多くの映画では、回想シーンと現在のシーンとの違いが観客に明確に伝わるように、過去の回想シーンの色調や照明のキーを変えたり、回想シーン部分にフィルターをかけたり、現在のシーンと過去のシーンの繋ぎに明確な区切りをつけたりする。
だがこの映画では回想シーンと現在のシーンの間にそのような分かりやすい区別をつけず、リーの脳内に突如浮かんだ記憶をそのまま映し出すが如く、過去が蘇る。
過去の記憶は、現在の出来事と同じ撮り方で描写される。それはまるで、リーにとっての過去が現在と同じ時間軸にあり、まだ彼にとってそれは「過去」になっていない事を示すかのような、記憶の生々しさを伝えてくる。
そして実際、彼は未だ過去の世界に生きている。
社会との繋りを放棄して生きている中年のリーとは対照的に、遺された甥のパトリックは、友人や(二人の)恋人に恵まれ、クラブやバンド活動に精を出し、16歳という年齢を謳歌して生きている。彼は父ジョーの死に対しても混乱せず、死後直後でも友人や恋人を家に呼ぶなど、落ち着いている様子だ。
パトリックのガールフレンドの親と30分の世間話も続かない中年のリーと、社交的な少年パトリックとでは、一見パトリックの方が冷静で、大人びているようにさえ見える。
そんなパトリック相手に、後見人になったリーは遠慮なく自分勝手に行動し、故郷を離れたくないというパトリックの思いを無視してボストンで暮らすことを決め、勝手にジョーの遺した物達の後始末をしようとする。
だが、ある些細な事をきっかけに、突然パトリックはパニック発作に襲われる。そしてその時はじめて、リーはまだパトリックが大人に守られるべき子供であることを実感する。
そこから、リーはパトリックに対して、彼の為に自分ができる最善の事を考え、行動し始める。
一方で、頑なにボストンで暮らすことを譲らないリーに対して、パトリックは反抗する。リーの方が故郷に戻ってくるべきだと主張し、何年も行方知らずだった母と連絡を取り、会うことを決める。
だが、母とリーという、本来は頼るべき大人も、一人の弱い人間でしか無いことを、パトリックは知ることになる。
ある時、パトリックはリーの過去の写真を見つけたことをきっかけに、リーの心の傷がまだ癒えていないこと、故郷のこの場所で暮らすことが、リーにとって苦痛でしかないことを察する。
そして、反発しあっていたリーとパトリックは、だんだん互いを理解し、相手のどうしても譲れないものを尊重する決意をする。
映画の終盤、リーの元妻ランディ(ミシェル・ウィリアムズ)は、同じ悲劇を経験した者として、リーに対する過去の行いを謝る。赦しのはずのその言葉は、しかしリーにとっては救いにはならなかった。
彼女の言葉によって、リーは頑なに蓋をしていた悲劇の記憶を、再び甦らせてしまう。
「乗り越えられない」というリーの呟きは、あまりにも重く、私に響いた。
辛い過去からの再生を描いた物語は、世の中に多くある。けれど、実際はリーのように、逃れられない過去を背負い、失った誰かの不在を心に抱えながら、生きている人達もいる。
「乗り越えられない」という彼の言葉は、絶望の告白のはずなのに、何故か私には希望に聞こえた。
逃れられない過去を引き摺って、それでも生きていかねばならない人がいる。皆がみな、強く生きられる人間ばかりじゃない。それは、残酷な事実のようで、私のような弱い人間にとっては、救いでもある。
「マンチェスター・バイ・ザ・シー」は、まさしく『わたしの映画』と呼びたくなる一本になった。
乗り越えられない
とても人間らしい作品で胸がいっぱいになりました。
最後に甥っ子と距離が縮まったにも関わらず、なぜ街には残ってくれないのか、という問いかけに対して、乗り越えられない、と答えた部分がとてもリアルだと思いました。
映画ってハッピーエンドに作りたがるけど、きっと本来人の人生って、乗り越えられないものを抱えていて至極自然なのかと
クールな映像と主人公、しかし非常にエモーショナル
まず、ポスターが美しい。それだけで鑑賞を決めてしまったほどだ。薄い水色の基調に、黄色が派手すぎず、綺麗に映えている。蛇足だが、ララランドのポスターもかなり良かったのだが、日本版でダメになった。
さて、本編だが、気になったことは映像が一貫して非常にクールな印象を受けるということである。クールというよりは、アンニュイといった方が良いだろうか。終始マンチェスターの街は曇り空で、その空を映す海もグレーがかった色になり、街並みも派手な配色になっていない(白やグレーが多かったように思える)ため、全体として冷たい印象を受けるのだ。
それが、ケイシー・アフレック演じる主人公の暗く、まさにアンニュイな性格と重なるのである。これが驚異的にハマリ役なのである。納得のオスカー。
しかし、ストーリーを追っていて映像ほど冷たい感じがしないのは、脚本の熱さゆえであろう。暗くて、人付き合いもうまくできない主人公、彼が抱える過去、現在、そして未来の問題・苦悩は、本編のセリフ通り、理解を越えたものである。それを彼なりに、不器用ながらも、1つずつ向き合っていく。抱えきれなくなって、爆発。それでも良いじゃないか。彼自身で悩み、苦しんだ、彼なりの愛情がクールな映像とコントラストとなって伝わってくる。時折笑いを誘うシーンもあり、なんとも憎めないキャラクター。
人生を立ち止まってみたくなる
アメリカの田舎町は街並みが綺麗ですね。 綺麗な風景の中で乗り越え難...
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