打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?のレビュー・感想・評価
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現実VS願いが叶う非現実の物語
オリジナルに衝撃を受けた世代として本作を傑作と呼ぶことはできないが、不当に貶されて過小評価されている感はある。リメイクを観ると決めた以上、オリジナルをスタート地点にしながら、どんな新しい作品になっているのかを楽しむべきではなかろうか。
結論として、オリジナルとはまったくの別物に仕上がっていた。新たに加えられた「何度でも繰り返せる」設定は、はっきりと「現実とは別の世界」だと明示されている。典道は摩訶不思議なことが起こっていると気づいた上で、幻想であっても「今日だけは一緒にいよう」と奮闘するのだ。
物議を呼ぶラストも、典道がただ欠席しただけなのか、まだ「一緒にいられる今日」を繰り返しているのかの判断が観客に委ねられる。これはこれでオリジナルとは別種の切なさを持った新解釈であり、決して悪い作品ではない。
(とはいえ終盤の「もし東京に行ったら」の陳腐さなど、耐えられない箇所があったことは否定しませんが)
原作は小学校6年。その5年後の話。 気が付く事は相変わらずク◯ガキ...
原作は小学校6年。その5年後の話。
気が付く事は相変わらずク◯ガキは小学校6年から変わらない。つまり、◯ソガキは第2成長期後に成長するのは体だけ。スラムダ◯クがワンピ◯スになるだけ。
この辺はスケボー出来る様な坂は無いと思うが。(原作と同じ場所ならば)
『東◯町県民◯森』辺りだと思うが、そこはかなり海から離れている。
千葉県のこの辺りは東京から物凄く遠い。車でも100㌔位の道のり。電車で行っても成田市、千葉市経由で3時間かかる。しかも、成田から先は一時間に一本。成田の接続も物凄く悪い。つまり、ど田舎。(我が亡父の実家)
『もしも駅』には銚◯電鉄の車両が走っているようだが、電化されていない。アニメとして手を抜いている。また、モデルにするならば、犬吠◯灯台をモデルにしてもらえば、赤字の鉄道に貢献出来ると思うが。
2次元アニメ丸だしのアニメ。丸か平べったいかではない。
球か平べったいかだと思うけどね。
追記
あの事を考えると、この海はそんなメルヘンな場所じゃないんだけどね。
原作は面白い?
ラノベ原作を読まずに見ました。
ほのかに恋心を抱く可愛い女の子を客体として、男の子の視点から描いた?
タイムループをやり直すストーリーは、かつての青春をやり残した男たちには響く映画か?
良かった点
・ビー玉みたいなのがキレイだった。
・女の子の歌う時の声優の声が印象的。
以上です。
艶やかで美しい映像表現の迷宮
本作は、夏の花火大会の日にフォーカスした多感な中学生のSF恋愛ファンタジーである。時空を超えた、現実と空想を巧みに織り込んだ、映像表現主体の作品なので、杓子定規にストーリーを追っていくと混乱してしまう。意味不明な作品になってしまう。映像表現から我々観客が想像するしかない、感性で観るべき作品である。
本作の主人公は、中学生の典道(菅田将暉)と、彼の同級生であるクラスのマドンナ的存在のなずな(広瀬すず)。典道はなずなに惹かれながら、想いを告げずにいた。ある夏の日、典道、典道同様になずなに思いを寄せる友人の祐介(宮野真守)、なずなは、プールで50m競争をして、典道に勝った祐介がなずなから花火大会に誘われる。しかし、典道は、ある方法で、過去にタイムスリップし、なずなと花火大会に行くことになる。その後も典道は、現実世界で、なずなとの関係で後悔することがあると、過去へのタイムスリップを繰り返し・・・。
本作は、典道の過去へのタイムスリップ回数が多くなるほど、ラブストーリーが核心に迫っていくほど、典道となずなの心理描写は少なくなる。現実感が弱まり、ファンタジー色が強くなる。幻想的で美しい映像表現が主になる。映像は艶やかさを増していき、二人の想いが強まるのが画面から伝わってくる。
人生は、真っ直ぐな一本道ではない。分岐点がある。そして、あの時、あの勝負に勝っていたら、あの時、あの人と別れていなかったら、等々、分岐点での後悔はキリがない。本作は、そんな分岐点での後悔を過去へのタイムスリップという方法で払拭してくれる。もう一つの選択肢を見せてくれる。
ラスト。何事も無かったように、夏休み明け後?の学校生活(点呼)の一コマが描写され、何のナレーションもないまま終わってしまう。結局、その後、二人はどうなったのか? 作品テーマは、ラブストーリー? 人生の分岐点? 映像美? 等々、肝心な所は、作り手側からは提示されない。不親切ともいえるが、答えを押し付けず、観客の感性に委ねたラストであると感じた。
そういうラストだったので、観終わって、スッキリ感はなかったが、幻惑されてしまったという感覚に襲われた。私の感性では捉えきれない不思議な魅力を持った作品だった。
何が起きたかわからない
バケモノの子を観ようと思い席を立ったら家族にこの映画に変えられて事故で視聴してしまいました。
生理的に無理なセクハラが序盤から入り何にも受け入れられない状態で映画が進んで行きました。
見え隠れする売春表現も厳しかった。
現実から向き合えず、逃げることしかしない少年にもなんの感情移入も出来なかったです。
久しぶりにこのレベルの映画を観てしまいました。
if
もしもということは誰でも考えてしまうことです
そのもしもあの時というパラレルワールド描いてます
最後のガラスみたいな破片で自分たちが願ってる未来見えるのがとても印象的でした
また途中歌ってるシーンや 最後の歌もよかったです
腑には落ちない
映像は綺麗でした。
楽曲も素敵。
主演俳優も好き。ただし実写なら。
大人びたヒロインに広瀬すずは、序盤違和感あったものの、ただん馴染んで行き、まぁこれはこれでアリかなと思えました。(まんま広瀬すずだから)
菅田将暉に中学生は無理でした。
こういう話題作りのためだけのキャスティングって大っ嫌い。
玉の正体はよくわからず、まぁ結局彼らが世界を選択したところで尺玉モードの謎玉が打ち上げられて起動して… ということなんでしょうが、何か物足りない。
玉のギミックからすれば、「そういうことだったのか!」と終盤気付かされる伏線回収や驚きが欲しかった。
中学生による甘酸っぱい一夏のストーリーにキスはいらない。
米津玄師の無駄遣い
エンディング曲の米津玄師作詞作曲の歌が割と好きだったので観たことなかった本編を録りためていた金曜ロードショーで観た。
感想を一言で言えば酷い。
主人公の男が終始ポンコツでイライラしかしない。
気概も根性も優しさも、好きな女を大切にする心も友情も大切に出来ないダメ男が、何度も失敗したのを都合良いアイテムでリセットするだけの話。
そもそも、ヒロインの女のコは親友のユウスケが好きなんじゃないのか?
石を投げる前の描写が現実な訳で、やり直した世界では「花火に行こう」とは言っても主人公に「好きだから」とは言ってない。
あの描写で、実はヒロインはやっぱり主人公が好きだったと描きたいなら脚本家のセンスがないにも程がある。
つまりは何も出来ないダメ男が石によって自分の都合の良い世界を作る話。
某22世紀のネコ型ロボットに出てくる男の子はまだ小学生だから許せるし、の○太は話の中で成長する。
なのでクライマックスでどれだけドンデン返しで感動させてくれるのかと思って惰性で観ていたら何も起きずに終わった。酷い。
今まで米津玄師の曲を聞いていて、「この曲がベストなタイミングで流れたら涙を誘われるな」と思っていたが、映画の最後に流れた時の感想は
「は?」
だった。
この曲、出来れば他の映画で使って欲しかった。
時間を無駄にした。
岩井さん。怒っていいですよ。
まあ、正直言いたい事も分かるし、やりたい事も分かるけど、あまりにも原作のイメージを壊しすぎている。
岩井俊二が怒っていいレベルだと思う。
1番思ったのは、これは恋愛の話しではなく、本来は友情の話しであるということ。
最後キスをしていたが、いい加減にしてほしかった。
初めて見たがおもろい
いくつかレビューで原作と比較したコメントがあり、アニメとしてのリメイク版?が原作より良くないという意見があるが、私は今作で初めてこの作品を見たがとても面白いと感じた。
作中に出てくる校舎の形、ヒロインのスタイルの良さ、放課後のプールでのシチュエーションなど現実では考えられず現実味がないが、こんな学校に通いたかった、こんな学生生活送ってみたかったという夢物語のようなものを体現しておりそれこそが、アニメの良さであるためこういった作品は個人的に好きである。
最後の終わらせ方も人によっては雑だと感じるかもしれないが、あえて曖昧な終わらせ方によってその後を見てる人に想像させるという楽しみや余韻を与えるという意味合いを持たせることができるため面白い。
もったいない 最高のスタッフが・・・
最高のスタッフ、制作会社、シャフト が集まって
世にも奇妙な物語 の流れをくむ if もしも の名作をリバイブした雰囲気映画。
絵はさすがシャフト、崩壊することなくとても綺麗に見せてる、
主題歌はあの米津玄師、琴線に触れてくるメロディライン
絵と音楽がばっちりの世界観。
君の名はの成功を見て、
過去の名作探してきて、
君の名は、シュタゲ、千と千尋、時をかける少女、化物語、まどかマギカ 等々の
いい場面をつぎはぎして、
実績ある縁起ができる声優陣、
若者に大人気の菅田将暉くんと、広瀬すずちゃん!
さらに今をときめく米津玄師さんと、名作を生み出すシャフトさんを絡めれば、
絶対名作できますよ!!!!
・・・できませんでしたー 笑。
菅田君は悪くないと思う、キャスティングしたひとが悪いw。
すずちゃんは頑張ってた。今後も期待できるかなと。
最初1時間は全く話が進まない、
残り1時間はだんだんいりくんできたなってとこで、
とんでも展開w。
最後も投げっぱなしジャーマンで、映画好きの友達もどういうことだったの?って
聞いてきたくらい 笑。
シャフト、広瀬すず、米津玄師ファンならMVとしていいかもしれない。
ただ、
広瀬すずちゃんかわいかった、瑠璃色の地球も最高だった。
ドニー・ダーコか、まどマギか、
映画公開時は、また古い映画のアニメ化かあ、と思って、多少の興味は持ちつつも結局今回の地上波放映まで見ずじまいでした。
まず内容はともかく絵がね、上手いところと下手なところの差が大きくて気になりました。
1/4くらいは海外発注なんでしょうが、クオリティの高い映像に、突然の作画崩壊気味な映像が入り込み、さらに不自然なCGの挿入で、なんだか海外のアニメ会社が日本のアニメを必死に真似て作ったような映像になっていました。
あと、菅田将暉は声優で主役を務めるにはもうちょっとだったかな。
ところどころ美しい映像が入るだけに、クオリティの安定しない映像面のアラがかえって目立ってしまい、アニメオタクではない私でも、日本の劇場版アニメってこんなだったっけ?と何度も思いながら観てしまいました。
ストーリー自体は、主人公たちが中学生ということで、年頃の観客にはグっと来るかもしれませんし、大人が見れば中学生の浅はかな本気の、どこまでが真実でどこからが虚構なのか分からないような作りの内容に、観終わったあと色々考察したくなる作りで悪くなかったと思います。
特にラストの出欠のシーンに関する考察が多くなされているようで、制作側はこのシーンに「インセプション」のラストのコブのコマのような意味合いを込めたのでしょう。
そこで、主人公とヒロインはどうなったのか?という考察が多くなされているようですが、この映画、ラストより重要なシーンが映画冒頭に出てきます。
映画冒頭は、誰かが溺れているようなシーンから始まり、夜のプールのようなところで玉が光ります。さらに溺れる手が映りまた玉が光ります。
そして主人公が溺れるシーンに「もしあの時」というセリフが続き玉が光ります。
次に主人公が溺れヒロインが助けようとし「もしあの時俺が」というセリフが続き、今度はヒロインが溺れ主人公が助けようとし「あのときなずなが」というセリフが続き、物語終盤に出てくるもしものかけらの中のような映像で、セリフのみ同じで劇中には出てこない映像が流れ、玉が光りクラゲの花火や右回りだったり左回りだったりの風力発電機などの映像が出てきます。
これはすなわち、劇中の世界がすでに主人公がヒロインと結ばれるために何度も何度も「もしも」の世界を繰り返してきた、何度目かの世界であるということなのでしょう。
冒頭の主人公のセリフに続き、先生の「今日はもしも神社のお祭りと花火大会です・・・」というセリフや、何度も現れる「茂下(もしも)」やifという文字が、この世界自体が「もしも」の世界であることを表しているのでしょう。
観ている者は、劇中の世界が「もしも」でないニュートラルな世界だと思って観進めますが、その世界でも主人公が不自然に玉の存在に気づいたり、ヒロインを好きだと言っていた友人が突然否定して主人公に譲ったり、花火が平べったいという花火師が現れたり、主人公が初めて玉を投げるシーンではそれまで右回りだった風車が左回りになり、すでに使い方を知っているように「もしも・・・」と叫びながら玉を投げ、風車がまた右回りになるなどなど、ところどころ現れる不自然な場面が、観客にこの世界が本来の世界であるとミスリードさせていることを暗示しています。
そしてラストのシーンは、主人公が別の「もしも」の世界へ行ってしまったが、観客は元の「もしも」の世界を見せられている、または取り残されている、ということなのでしょう。
このロジックはタイムスリップもののロジックとしてはかなりよくできていると思いますし、結末をはっきりさせない終わり方も面白いと思います。
ですが、こういうタイムスリップものは、最後にタネあかしがあってこそ、「そういうことだったのか!」というどんでん返しが生まれ、カタルシスとともに観客の印象に深く残るものですが、タネあかしをせず、謎を残す終わり方をしただけでは、劇中の内容に相当強烈な魅力がなければ観客はそこまでの関心を持ってくれないのではないかと思います。
「ビューティフル・ドリーマー」や「まどマギ」ではタネあかしを終盤の山場にすえ、一気にラストに持っていくことで観る者に強い印象を与えてくれました。
また、ラストに謎が残る作品と言えば、「インセプション」はラストに行きつく前に難解な内容ですが、圧倒的な映像と世界観によってラストまで引き込まれますし、「シン・ゴジラ」は非常によくできた映像とストーリーの最後の最後にゴジラの尻尾を映すことで、さらなる深い世界観へと誘ってくれました。
「魔女の宅急便」ではジジの声が聞こえなくなったシーン抜きでも十分ストーリーが成り立っていました。
しかし本作は、ラストの出欠のシーンまでなんだかよくわからないまどろっこしい変テコな展開が続くわけです。さらに声優や映像のクオリティの高低差によって、「ナンジャコリャ?」感が付きまとうわけです。
せめて冒頭のシーンを再び最後に持ってきてわかりやすくタネあかしをしてくれていれば、もどかしい劇中の内容が一気に払拭されるカタルシスを得られたのかもしれませんが、おそらく本作は「ドニー・ダーコ」のように何度も何度も見てやっと理解できる難解映画のようなものを目指したのでしょう。
ただそのような作品にアニメで挑戦するのはなかなか難しいことだと思いますし、作品のクオリティがそこまでこの作品に箔をつけるまでには至らなかったのではないかと思います。
ファンタジーやSFを観る者は、物語を観進めながらその世界に流れるパラダイムを読み取ろうとするわけです。そしてその世界がどのような世界観でどのような道理が流れ、どうなったらバッドエンドでどうなったらハッピーエンドなのか、物語の行き着く目的地を探し、それが理解できたところで登場人物たちと同じ方向を見ながら物語を観進めることができるわけです。
しかしこの作品は、前知識がなければ物語中盤までSFであることも気づかずに観てしまい、制作側が意図的にちりばめたサインに気づくこともできず、突然現れた世界観に追いつく前にこの作品にある程度の評価を下してしまっているわけです。
「途中ずっとダルかったけど、最後まで見たら面白かった!」なんてなるのはよほどの映画好きだけで、たいていの観客は途中で飽きて、駄作の烙印を押してしまいます。
せっかくのアニメーション作品なので演出面でもう少しわかりやすい演出にしていれば、本作の評価はもっと高くなったと思います。
が、この作品が見せたかったロジックにたどり着く前に、単純にアニメとしてのクオリティのせいで評価が低くなってしまっている残念な作品だと思います。
すなおにドニー・ダーコじゃなくてまどマギを目指せばよかったのに・・・。
※)追記
後で知りましたが、「魔法少女まどか☆マギカ」って本作を手掛けたシャフトの作品なんですね。
もう一段高度なSF作品を目指したのものの、観客が追いつけなかったんでしょうねえ。
読みが甘かったんじゃないかと・・・。
足りないもの
色んな人のレビューと、自分の思った事を照らし合わせて、この作品に足りないものが解りました。
それは独白(モノローグ)です。
つまり、心の声。
主人公が あ、うぇ?とか
うわわわぁ!とかなってる時も心の中では(どうしよう?どうしよう?)とか思ってるはずですね。
またあのガラス玉の仕組み等についても、主人公が解ってる事を心の声として描写していれば、見る人にも伝わるし、作品世界の中でも不自然にならない
(周りにはもちろん聞こえてないから独り言みたいにならない)
という描写に出来たのです。
なので起こった事や主人公の行動の理由がもっとちゃんと説明できた。
……が!!この作品にはそれが全く無いため、視聴していても、ただ間延びしたり、またそれか、とか、
え、で、結局何が言いたかった?となる事がたくさんありました。
最後のシーンは公式コミックによると
なずなを追いかけて行ってる(どこに行ったのか探しに行った)ので学校に行ってない
という結末らしいのですが、それすらも
異世界の水を泳ぎ上がるなずなを見つめていた→そのまま学校(新学期)
となっているので非常に判りづらくなっています。
また主人公がそういう気持ちに至ったのも、ガラス玉が打ち上げられた時に様々な可能性の欠片を見て、未来は自分で掴む
と決心したからなのですが、どちらのシーンにもそのような心の声が入っていない為、映画を一度見ただけでは意味不明な描写となっているのです。
そしてここまで書いて思ったのは製作側はそういう解らないシーンを知る為に繰り返し見る人が現れるのを期待していたのかな?と感じます。
ですがほとんどの人は一回見て
「歌とか絵は良かったけど話は意味不明だったなー」
で終わるので意味が無いです。
つまり製作側が視聴者の気持ちに対する想像力が全く無いですね。
作り手は常に視聴者の目線で無ければならないはずなのに、そんな事も出来ない人が映画を作っちゃった。脚本書いちゃった。だからこうなった。
と、言う訳で自分は星1.5です。
製作者のオナニーが酷すぎました。残念。
暴力が過ぎる。
今日、金曜ロードショーで初めて見たが、最初から暴力が過ぎる。一番酷いと思ったのは、なずなが母親に暴力を振るうシーン。こんなの虐待行為だ!なずなが痛い!離して!と言っているのに強制的に腕を持ち家に帰宅される所が本当にウザい。マジなずなの母親死ねや。なずなが可哀想。こんな暴力的なドラマをもう再放送するな!だんだんと良くなっていくが、暴力的な行為が多いところでもう見る気失せた。だけど初めて見るからまだ見ている。もう見たくない。
レビューが低すぎる
巷では必要以上に酷評されているけれど、いい映画だったと思います。
花火などの映像は美しく、特にラストのもしもの世界が崩れていく場面は非常に良かったです。歪んだ花火など、アニメならではの演出で印象に残りました。
広瀬すずと菅田将暉も自然に聞ける位には声の演技はできています。
そしてこの映画のミソとなるのは、「やるせなさ」だと思います。
中学生という、子供とは言い切りたくないが確実に大人ではない年齢の二人。再婚相手が気に入らなくても、転校したくなくても、なずなはそれを受け入れることしかできないし、典道もそれを見ていることしかできません。
また、何度繰り返しても二人には必ず終わりがやってきます。典道の強い「もしも」の願いによって時間を戻せても、結局捕まってしまう上に不自然な世界へと辿り着いてしまいます。打ち上げ花火をどこから見ても形が同じように、なずなとの別れは必然なのです。
そして、最後には二人は「もしも」の世界ではなく、現実に戻っていきます。あたりには沢山の「もしも」が浮かんでいました。それらは全てあったかもしれない世界で、でも自分たちが選ぶことはなかった世界です。既に選んでしまったものは変えようがない。でも、それを知ることができればこれからは後悔しないように選択肢を選んでいけるようになる。ラストの典道がいない教室は、そういったことを表しているのではないでしょうか。彼がなずなを追いかけたのか、サボっているだけなのかはわかりませんが。
拙い文になってしまいましたが、この映画のレビューとしてはこのような感じです。
最後になりましたが、主題歌の打上花火はとても素晴らしいです。ぜひ映画を見たあとに、良い環境で聴いてみてください。
・・・ひとつだけ言うとすれば、途中の瑠璃色の地球は間違いなくいらないシーンでした…
タイトル通り「どの角度から見るか?」な作品。(長文考察です。)
感想というよりほぼ考察になります。
観賞後にネットの考察記事などで補完しようとしたところ、僕と同じ意見のレビューを見つけられなかった為残します。
まず結論として「典道は生存、なずなは死亡」していると思います。
これはあくまで個人的な考察です。
以下長文になりますが、これらはあくまでアニメ劇場版のみから読み取った情報を整理しただけなので原作やメディアミックスで語られる事実は無視します。
本編を二度観ただけなので見落としなどあればご容赦ください。
●もしも玉
まず時系列上もしも玉が最初に現れたのは『なずなの父親の手の中』です。
事故死なのか自殺なのか不明ですが、なずなの父親は一年前に死亡しその死体は海辺に打ち上げられます。この時死体が握っているのがもしも玉です。
恐らくなずな父は死の直前に「もしも」という願望を抱いたんでしょう。
そう願ったものに託されるアイテムなのか、はたまたそう願った父が生み出したアイテムなのかは不明です。
そしてもしも玉は時を経てなずなの手に渡ります。
彼女もまた「もしも」を願う人間だからです。
やがて玉は「もしもあの時水泳で勝っていれば」と願った典道の手に渡ります。
「もしも玉」は現実逃避を助けるアイテムとして望むものの手に渡るのです。
もしも玉には発動条件があります。
回転させることで物理的にエネルギーが生まれ発動していることがわかります。つけ加えると「もしも」と願う精神的エネルギーも必要なのかもしれません。
こうした条件が揃って初めて"典道"がもしも玉を発動させるに至ります。
一度目は偶然に、二度目は必然的に発動します。
劇中でもしも玉は発動したことが"ハッキリ"と描かれます。
十分な飛距離から生まれるエネルギー、発動したことが分かる輝き、静止する世界、そして巻き戻し、別世界線へ。
しかしもしも玉は三度典道の手から放たれます。さて三度目はどうだったでしょうか。
●物語の構造
典道が水泳で負けた最初の世界を①
2人で列車に乗れなかった世界を②
裕介に灯台から突き落とされた世界を③
2人で海に潜りキスした世界を④
とします。
ここで重要なのは③→④の時。観客は既にもしも玉というスーパーアイテムによって
「どんな悲劇が起きても回避できるだろう」「どんな不可思議が起きてもおかしくないだろう」と納得する姿勢になっている、ということです。
これがこの作品の巧みな点であり、多くの誤解を招いている点でもあるかと思います。
ここが実は受け取り方の分岐点になっていて「ひとつの事象をどの角度から見るか」に繋がります。
つまりこの③→④→ラストシーンの受け取り方で「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」というタイトルを現しているのです。これについてはまた後述します。
しかしながらこの作品、結局のところどう捉えるかは観るものに委ねられていてどの角度から観ても正解であるとも思えます。
純粋な目で物語を観た人の多くはラストシーンにおいてこう捉えるでしょう。
「花火大会の日に気持ちを確かめ合ったなずな と典道。そして新学期、なずなは転校して遠くへ行った。なずなに告白するつもりだった裕介は不服そうに頬杖をつく。そして典道は学校をサボりなずなのことをどこかで想っているのだった。広い空の下、もしもいつかまた会えるなら。」
一方で僕はこう捉えました。
「花火大会の日、灯台からの落下事故によって死亡したなずな、死の淵から戻った典道。そして新学期、裕介が犯人であることを典道以外は知らず落下は事故として処理された。典道を心配した友人2人は典道を登校させることができず遅刻するのだった。そして典道は事故現場の灯台に訪れなずなを弔う。ナズナの花が風に揺れていた。」
では僕がなぜこの様な見方に至ったか。
●三度目のもしも玉は発動しなかった。
そもそも④の世界などないのです。
以下前述した説明を踏まえて答え合わせします。
③→④の時、灯台から落下する典道が投げたもしも玉は発動条件を満たせずに着水し沈んでいきます。
あれ程ハッキリお約束として二度描かれた発動シーンがないのです。
そしてブラックアウトして突然次のシーンでは列車に戻ります。
ここから描かれるのが
❹水中で溺れたなずなと典道が臨死状態で一緒に見ている夢の世界
です。走馬灯の様なものでありつつ2人で共有している夢の様なものかと思います。
では何故多くの観客がこれに気付けなかったのかと言うと「もしも玉で悲劇を回避できた」と思っているからです。「もしも玉は現実逃避を助ける為に望むものの手に渡る」のです。
典道が発動させられなかったもしも玉を観客自身が発動させることで、④の世界に行けたと誤認させられているのです。
さて列車で目覚めた時点で肝心なもしも玉はどこか。
これまで別世界線へジャンプした際、もしも玉は「戻った時点の」「あるべき場所」にありました。
④への移動が成功しているとすれば「列車に乗っている」「典道」が持っているはずです。
しかしもしも玉は❹では終盤海辺に現れ、通りかかった花火師の手に渡ります。
海から現れた玉は、③で「玉が水没した世界の続き」つまり「2人が落下した世界の延長線上」であることが示唆されているのです。
そしてこれはもう一つ物語っています。
●死の間際で見る願望
劇中で海辺に打ち上げられていたものがもう一つあります。「なずなの父の死体」です。
つまりこの「海辺のもしも玉」は、観客が何となく見た「死のイメージ」を掘り起こさせるのです。
一見すると「青春恋愛もの」という「願望の象徴」である今作ですが、「死」という「現実の象徴」はしっかりとこの作品に備わっていたのです。
これこそ前述した「打ち上げ花火(娯楽の象徴)」をどの角度から見るかということなのだと思います。
願望に従いもしも玉を自身で発動させた観客、現実的に色眼鏡で見た僕の様な観客、どちらもいて良い作品なのです。
話が前後しましたがここからは❹が並行現実世界ではなく夢想世界であることについて綴ります。
この物語において「水」と「鏡面」は死と願望を表すメタファーとなっています。
実際にも死のイメージとして「三途の川を渡る」「彼岸へ渡る」など言います。
また鏡はあの世と繋がっているとも言われますし、そこに写る自分を美化して見せる効果もあります。これらは死と願望の例えになります。
そして物語において直接的に紐づけられるモノと言えば、水の持つ「死」のイメージについてはなずなの父です。
そして鏡面の持つ「願望」のイメージを表すのは、③で列車の窓に写ったなずなが歌い踊るシーンです。
❹はこの両方から成っています。
❹は波紋で覆われたドームの内側になっています。
これは水の波紋であり、2人がまだ水中にいることを教えてくれます。
また途中海の上を走る列車もまるで「向こう側の世界」に向かって進んでいる様です。
ここはつまり、水という「死」の間際で、水面という「鏡面」が写し出す願望、その内側で見る夢なのです。
「じゃあこれは典道君が作った世界なんだね」
「そうなんだけど、俺がもしもって望んだ通りになったけど、なんかおかしいんだよな」
と、これまでの世界と違う事を語っています。
●水中(死と夢想)から水上(生と現実)へ
海の中で見る夢は、夢の中で海へと辿り着くことで終わりへ近づきます。
なずなは恐らく列車の窓から見た母親が泣く姿を見た時点で、現実と向き合わなくてはいけないと感じ始めています。
一方で典道は懲りずに「元の世界でなずなとずっと一緒にいられたら」と、もしも玉があったら叶えたい願望を語ります。
しかし玉は手元にはなく、「海で泳ごう」と言うなずなに遮られます。
なずなはこれが覚めなければいけない夢である事を悟っていたのかもしれません。
そしてもしも玉が花火師によって打ち上げられ、発動し、砕け、その破片は見たものの願望を写し出します。ですがこれらも全て典道の願望によって描かれたものだと思います。
「好きな人に対して正直になれる友達」や「都合よく流れ着いたもしも玉」と「それを発動させる人物」、すべて典道の願望を叶える為に補完された「材料」なんだと思います。
玉は本来の力を発揮せずとも、破片は典道の望んだ未来をビジョンとして写して見せます。
そこに写るのはなずなとのキスです。
そしてそれを見た典道はやっと気付きます。
願望は今この瞬間に行動ひとつで叶えられると。
これこそが今作のメッセージです。
2人は海の中へと深く潜りキスします。
(一連のシーンはやたらと非現実的に感じますが、やはり夢想世界だからでしょう。)
そしてなずなは典道と気持ちを確かめ合うと満足気に、しかし悲しく名残惜しそうに彼の元を離れ浮上していきます。
「次会えるのどんな世界かな、楽しみだね」
転校するなずなの言葉というよりかは
来世について語る言葉としての方が受け取りやすいです。
そして水中で作られた❹夢の世界は、③現実世界の水面に到達することで完結します。
水面に雫が滴るシーンで締めくくられますが、これは典道が気付いた瞬間でしょう。
「なずなは先に夢から覚めていた」という生存の可能性もあるのかもしれません。
ですが、やはり水中からなずなが1人で浮上するシーンは、僕にとってはあまりにも決定的な別れのシーンでした。そして後述に「死亡した」と感じる決め手となったくだりが存在します。
●ラストシーンの意味と解釈
ここで改めて僕の解釈を。
「花火大会の日、灯台からの落下事故によって死亡したなずな、死の淵から戻った典道。そして新学期、裕介が犯人であることを典道以外は知らず落下は事故として処理された。典道を心配した友人2人は典道を登校させることができず遅刻するのだった。そして典道は事故現場の灯台に訪れなずなを弔う。ナズナの花が風に揺れていた。」
ラストシーンに典道の姿はありません。
しかし恐らくは事故現場となった灯台を訪れ、自分の過ちを後悔しています。
その心の声こそが冒頭のナレーションです。実はこのモノローグがエピローグでした。
この映画の冒頭はこうでした。
水着姿で水中深く沈んでいくなずな、そしてその手を掴み損ねて溺れる典道。
そして繰り返される典道の「もしも」というセリフ。
「もしもあの時俺が…(手を掴めていたら)」「もしもあの時なずなが…(意識さえあれば)」「もしも…(最初から玉なんて使っていなければ)」という事です。
そして存在しないはずの「私も泳ごうかな」と、なずなが微笑む記憶。生きていて欲しかった願望です。この男、この後に及んで願望です。
この冒頭の語り「やっと両思いになった女の子が遠くへ転校してしまった」という事であれば大袈裟で意味深すぎます。
ひとつ引っかかるとすれば実際落下した時は私服でしたが冒頭のシーンでは水着です。
深く捉えなければこれは印象を薄める為のミスリードです。
斜めから捉えると「もしもあの時(水着で泳ぎやすければ)」と典道が語っているブラックユーモアのビジョン。
深く捉えると「なずなはもっと前に溺れて死んでいた」「典道は登校日8/1に戻ってきていた」「玉を手に入れる前だからその記憶が薄れて起床時に虚ろな顔をしていた」「なずなの命を救えたのに願望の積み重ねで結局死なせてしまう」など大きくループしてる可能性も残します。
しかしここまでくると深読みですね。
長くなりましたがまとめますと
この物語が教えてくれるのは「願わずに動け!」という事です。
もしも玉が作り出した世界は正しかったか?そうでも無いと思います。
そもそも典道は自己肯定と責任転嫁で「もしも玉」への願いが全部ずれてました。
思春期の少年が幼さ故に見過ごした事のやり直し、歪んでいった世界です。
人はみんな願望を持ちながらも現実と向き合い行動して向上していきます。
「好きな子を取られた」けど「二学期に告る」と決めた裕介の様に。
僕は打ち上げ花火、こう見ました。
感想
ちょっと心残りがある作品でした。あのガラス玉の力は凄すぎる!時間を巻き戻し いいですね。親や友達から逃げてって二人っきりの所はめちゃくちゃ興奮しちゃいました。夏休みが終わって 女の子が転校したのは分かるけど 一緒にいた男の子が学校に来ていないまま終わったのであのどうなったのかめちゃくちゃ心残りしました
公開のタイミングが悪かったのかな
公開当時に友人から「そんなに面白くなかった」という酷評を聞かされたので、興味はありましたが劇場では観ていませんでした。
本日Amazonビデオで観ましたが、感想としては「普通に面白かった」です。正直、ネットでここまで酷評される意味が分かりません。
この映画がここまで批判される理由としては、間違いなく前年に公開された「君の名は。」の影響がデカいと思います。ストーリーが分かりやすい・徹底的に磨き上げられた作画の美しいアニメーション・マスコミによる連日の報道などで歴史的興業収入を叩き出した「君の名は。」の影響で、それまでアニメ映画を観なかった客層の人達もアニメ映画に興味を持つようになりました。その影響か、酷評レビューを見ると「アニメ的な演出が鼻についたのかな?」というレビューが目立ちます。
制作会社のシャフトは「物語シリーズ」や「魔法少女まどか☆マギカ」などのアニメーションを作成した有名なアニメ会社です。独特な演出で有名な制作会社なので、普段アニメを全く観ない人達には合わないのかもしれません。
しかしながらアニメーションに関する私の感想は「流石シャフトは力の入れる場所を理解しているな」です。普段はテレビアニメーションを制作している会社なのでおそらく今回の劇場アニメは限られた予算と人員で作っていたんだろうなと推測されます。なので最初から最後まで、全てのシーンに力を入れることはできません。そのためこの作品は日常のちょっとした風景である主人公が自転車に乗るシーンはCGで表現し、ストーリーで重要なプールでの水泳シーンは作画にメチャクチャ力を入れており、驚くほど滑らかに動きます。限られた中で最高のパフォーマンスをしているように感じました。
万人受けする作品では無いと思いますが、ここまでボロクソに批判されていると擁護してあげたくなるくらい、私は気に入った作品です。観たこと無い方には試しに観てみてほしいです。
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