「中学生の未熟さとそれに伴う魅力を表現した作品」打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? saicacoolaさんの映画レビュー(感想・評価)
中学生の未熟さとそれに伴う魅力を表現した作品
なずなは透明な硝子の様な少女。複雑な家庭環境のため今にも砕けてしまいそうな印象である。
事実、あのまま誰も何もしなければ粉々に壊れてしまっていただろう。だからこそ典道に助けを求め家を出たのである。
実の父親の死、間をおかずに母親が再婚相手を連れてきたことで生じた母親の父親に対する愛への疑念、再婚相手への不信、そこから生じる家庭内での疎外感、父と暮らした土地からの移住への抵抗。透明な少女の痛みは想像に難くない。
また無力な子どもである自分と、自分が正しいと認める道を進みたいという芽生えたばかりの自我の間に苦しんでいる。
典道もまた同じ年ごろの少年なのである。だがこの無力で無知なる少年はその純朴さゆえ、なずなを助けようと奮闘する。
あの玉の中に映された、あったかもしれない過去や未来の夢を少年はみたのであろう。それはとても神秘的なことである。
しかし、それにもましてこの作品で特に描かれたものがある。
少年の純粋な気持ちから来る懸命さ、無知ゆえにその行いの意味すら知らない不器用さ、それにふれた時、少女は嬉しそうに笑うのである。
少女の目、口、髪、声、表情、その言葉に少年は目を奪われ、魅せられる。あたりまえのことがあたりまえではなくなり心を打つ。
そして今日この一日の間、共にいることを願うのである。今、ただ二人あることを願うのである。
この平凡が平凡でなくなる奇跡を表現する意図がこの作品にはあるのだと思う。
現在、他の作品において中高生の登場人物が妙に大人びていて気の利いたクールで綺麗な言葉を口にする。うわべだけ綺麗に取り繕われた恰好の良い恋愛をする。そのような作品が人気を集めることは人々が表面的に綺麗な恋愛を恋愛だと思っていることと関係がある。あるいはそのような作品を見てそう思うのかもしれない。
また日常とは異なる事件によって人々の関心をひこうとする作品も多く人気を集める。だが人は人が死んだり、世界が滅んだりする事件によってでしか興味を魅かれないのであろうか。
「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」において二人は中学生だ。
だから、彼は無力で無知である。しかしそれゆえ純朴さを失わずにもち、不器用で懸命なのだ。
彼女もそうであるように無力で無知である。薄く壊れやすい心で強く自分を生きようとする。
二人はお互いがお互いであることの奇跡を純粋に思い、心から感動する。
多くの人にとって日常の中に奇跡は埋没してしまっているが、彼らは未熟ゆえ奇跡を奇跡のまま感じることができたのである。
最後に、2人はどうなったのであろうか。
時間はもとに戻り、もう起きてしまったことは戻らない。
それでも典道は今できることをやったのだと思う。
なずなを救い、2人は共にあるのだと思う。