「酷評します。(未鑑賞の人は読まないでください)」打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? 茶色の小瓶さんの映画レビュー(感想・評価)
酷評します。(未鑑賞の人は読まないでください)
ここ3年くらい劇場で見た物やレンタルした百数十本の中でトップクラスに悪い。何が悪いか是非自身の目でジャッジしてもらいたい。(この作品が良作に感じられるようなら今後何を見ても楽しいでしょう。)
・原作ドラマは未鑑賞。
・よく問題になる声優に俳優、女優起用は私は問題ない。典道が棒読みでも、中学生にしては声が低いというのも気にならない。
・制作会社シャフトらしさというのもあまり私はなじみがありませんでしたので問題ない。
・オチがわかりづらいというのはそのとおりなんだけど、仮にオチを描き切ったとしても本質的な問題はそこではないと思う。
・作画崩壊も1か所はっきりと違和感あったけど問題ない。(ちなみにもしも玉がどんどん大きくなっていくのは投げる度に大きくなる裏設定があるんだと思う。)
○問題は各所に描かれる無駄なやりとりや背景(ノイズ)下世話なセリフところどころ言わせてなんなの?何を目指しているの?
○ヒロインなずなの描き方が諸悪の根源
○ヒロインなずなの動機の不在、性格設定の不安定さ、ミステリアスなのか小悪魔なのか、等身大の少女なのか、どれも目指そうとしてどれにもなれない破綻した視聴者媚びの中途半端な人物になっている。感情移入を拒むだけならまだしも話の腰を折るレベル。
○なずなの駆け落ち理由と母の再婚に対する嫌悪感、また、家出(駆け落ち)しようとしていたのになぜたまたまいた男子のどちらか一人(どっちでもいい)を花火に誘おうとしていたのか。いきあたりばったり感がどうしようもない。なずなの自宅が裕福すぎ。なんなのあれ。持ち家?父親が死別とはいえ、あれで母子家庭なの?そんな家から再婚して引っ越しするってどうするの?典道の家と比較してみなよ。
○酔っ払いの花火師が完全に邪魔。不愉快。仕事にうしろ向きな上に、最後にもしも玉を打ち上げる場所になぜいるのか。なぜ打ち上げ装置を携帯しているのか。本来の仕事場(打ち上げ場所)にもしも玉があったのか。始めに酒飲んでいたところから、電車でずっと行ったところまではるばる歩いてきたのか。それとも電車が海を走っているうちに進路がUターンしているのか。もしも玉を投げる度に不思議な世界に入っていくので不思議な世界だから花火師がたまたまいても問題ないのか。
○灯台に足場組まれて見づらいのもそうだが、2回目の灯台は灯台内部から階段上っちゃって足場わざわざ組んだ意味あったの?
○原作未鑑賞だから、原作通り忠実に作ったらうまく表現できなかったんだろなと鑑賞中は好意的に解釈して我慢してみてたけど、冷静に考えるとそんなはずはないよね。誰も違和感感じないの?私だけの問題?
○映画から心理描写と意志の交錯と話しのダイナミズムと必然性とテーマとメッセージ性と方向性を取り除いて代わりにノイズと妥協で埋めてみた感じ。何を評価すればいいのか。
絶賛派です。
「家出(駆け落ち)しようとしていたのになぜたまたまいた男子のどちらか一人(どっちでもいい)を花火に誘おうとしていたのか。」について、私の解釈ですが。。
なずなはプールで寝ていたときは、まだ家出しようとは思っていなかったんじゃないかと思います。プールで自分を賭けて勝負してそうな二人を見て駆け落ちを思い付いたんじゃないでしょうか。まだ負けた方が泳いでいる間に「二人で花火に行こ」と誘うアイデアです。駆け落ちは母親と父親のなれそめを聞いて憧れがあったんでしょう。で、いきなり駆け落ちしよ、とは誘えないので花火に誘うことにした。
そしてなずなは典道の方が泳ぎが速いことを知っていて、典道が勝つことを前提していた。
だけど祐介が勝ってしまった。なので、祐介を花火に誘うときは、あまり乗り気じゃない顔をしています。勝った方しか誘えないからしょうがないなぁという感じ。大して好きじゃ無いから「好きだから」というセリフが出てくる。
対して二回目の典道が勝ったときは満面の笑みで、教室に入ってからも絶対だよ、と視線で訴える。。
という感じで解釈してます。いきあたりばったりなのは仰る通りかと思いますが、それこそ中学一年生ですからね。
大体同じ感想を持ちました。
自分も原作未鑑賞なのですが、どうやら原作だと設定が小学生らしいのです。
そう考えると、ヒロイン達の未熟さやウンコウンコうるさいのも納得が行きます。
広瀬すず、菅田将暉を起用するビジネス臭ぷんぷんな事からも中学生の方が売れそうという安直な理由で変更した設定が実は根幹をなしていたというのが今回の一番の問題なのではないかと自分は考えています。
小学生の設定で、キャラデザももっとデフォルメして幼ければまだマシだったかもしれませんね。