「夢とイメージの世界での成長」打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? kkmxさんの映画レビュー(感想・評価)
夢とイメージの世界での成長
映画の出来としては雑な印象を受けましたが、主人公であるなずなの心象風景が割と描かれているためか、結構楽しめました。
後半の現実感を喪失した背景から、Ifを繰り返して混沌としていく世界はどこか夢っぽい。典道の視点で物語が進み、劇中でなずなの「これは典道君の世界なのね」的なセリフがあったため、本作品は典道の主観的な世界として描かれています。
しかし個人的には、この話はなずなの内なるイメージの世界・夢の世界を描いているように思えました。
この見方は設定と矛盾するし、製作陣は誰もそんなことは狙っていないと思いますが、そう見えてしまった。劇中で内面が語られたのは典道ではなくなずなだから、という理由からです。
夏が終わったら、なずなは見知らぬ街でビッチな母と中学生を殴るようなヤカラな継父と暮らさねばならない。そんな逃れられない過酷な運命と対峙し受け入れるには、精一杯異世界の中で生き、あがき、そしてその中で新しい世界で戦っていけるタフな自分を作り上げて現世に戻る必要があったのかな、と感じました。
また、中学生という微妙な年齢から、子ども時代に別れを告げるためのワークだったのかもしれません。子どものままでは過酷であろう新しい世界で生きて行けないからでしょう。
都合のいいIfの世界にあっても、なずなは夢から醒めることを常に意識しています。結末はわかっていながらも典道と逃避行を続け、過去と願望を語り、歌を歌う(歌のシーンは白眉)。自分をさらけ出し、今まで生きてきた爪痕を残そうとしている印象を受けます。
2人で電車に乗った辺りから、世界は現実との境界を失い、現実的な理論も溶かしてどんどん疾走していく。当初は大人になるために装っていた服も脱ぎ捨てられ、海の中で愛する人と結ばれる。
この時は、幻想的な花火の映像も相まって強烈でカオスなドライブ感を覚え、「おお!」と胸に迫ってくるモノがありました。そして「なずなはやり遂げたぞ」と直観。何故そう感じたのかは自分でもわかりません。でも、これでなずなは変わった、と確信を得ました。
最後にIfの玉が花火となって爆裂し、幾多のあったかもしれない思い出を残して夢から醒める。きっとなずなは力強く旅立ったのだろうと思わせる一方、典道がいない、というはっきり言って意味不明なオチが待っていて、それも含めて実に夢のような怪作だったなぁとの感想です。
原始的なエネルギーに満ちていてなかなか面白かったけど、典道の声の問題や下ネタ、ドット絵ゲームなど時代設定のあやふやさ(中坊で観月ありさ好きって相当な熟女マニアだ)、何より整合性が感じられないラストなど、全体的に詰めが甘く、正直弱点が多い映画です。
もっともマズいのは、典道の成長をはっきりと描けていなかったこと。典道の不在の理由がなずなを追いかけたことであれば、なおさら成長ではない。衝動に動かされているだけである。おかげで、製作陣が望んだ内容とはおそらく別の物語として、こちらは受け取らせていただいた。
おまけにこのカオスな作風。明らかに人を選ぶ作品なので、爆死は宜なるかな。ミニシアターでひっそり上映されていたら、バランスはめちゃくちゃだがパワーのあるカルト作品として語られたかもしれません。