「面白かったです。感動しました。まどマギっぽく原作の続編とも取れる内容。」打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? ヘルスポーンさんの映画レビュー(感想・評価)
面白かったです。感動しました。まどマギっぽく原作の続編とも取れる内容。
原作の「もしも〜だったら?」という一見妄想のような映画的編集のような展開に、世界をどんどん作り変えていくというまどマギのまどかが行った世界の改変のような展開に置き換えており面白かった。
時間が戻るたびにちょっとずつ世界が変わっていき、どんどん2人だけの病的なまでの世界になっていくそれを絵的に時に、ファンタジックに見せていく展開はやはり新房監督・シャフトだなーと思いました。
後は原作の続編ともとれるのが面白い。
なずなの父親(2番目でなずなの母と駆け落ちをして街に来た男)が、この不思議な玉の最初の所有者であるという点だ。
この男となずなの母はもしかしたら原作のなずなと典道なのかもしれない。
原作では果たすことのできなかった2人の駆け落ちを時を巡って因果のようにその子供に継がれていく。
こういった円環構造は新房監督・シャフトの得意分野ではないでしょうか。
最後に玉が砕けたときに2人はようやくその呪縛から解き放たれた。そこには様々な「もしも?」が溢れていた。
なずなと駆け落ちが成功し東京で結ばれる典道となずな。
祐介と花火大会に行くなずな。
「もしも?」とは可能性のことである。可能性が開かれた状態とは”青春”である。
不思議な玉が砕けることとは、彼らの青春の終わりを意味している。(原作の「forever friends」をこのタイミングで流すとは!!私はこのシーンで号泣した。)花火とも絡めており本当に良く出来たシーン。
2人がいないラストは当然です。あの街に囚われていた2人は解き放たれた。きっとどこかの知らない街で出会うのだろう。私はそう想像したい。
「君の名は。」のようにわかりやすいエンタメ作品ではないので予告を見た多くの方が失望していると思うが、原作を見て、まどマギを見てからこの作品を見直せばきっと見方が変わるかもしれない。
擁護するまでもなく本物の傑作アニメです。
*ただ一部のCGがチープなのと、背景とキャラクターが合っていなかったのは予算の都合かケチったのかわかりませんがそこだけ少し残念だった(笑)
konnoyさん
コメントありがとうございます。
小学生から中学生に設定を変えたことにより、恋愛要素が多くなり、それにより嫉妬や駆け引きのような描写が足されていると思います。祐介がトイレに行くのは原作でも有名な典道となずなのあのシーンをつくるためと、偶然2人っきりになった。ということを表現したかったのだと思います。(祐介はなずなが先にプールにいることは知らなかったはず)
なずなは全ての男を狂わせてると思いますよ(笑)
どうも今作の(現実世界での)祐介は、原作と違って典道となずなをくっつけようとしている気がします。実は原作ドラマとけっこうセリフが違うんですよね。プールでトイレに行くのもやっぱり気を利かせているのでは?
そうすると家に典道を行かせたのも納得できます。
一方でifの世界ではどの世界線でも祐介は普通になずなを好きになっているのですが、どうもifの世界は全てなずなの願望で満たされているようなので、なずなのモテたい願望が祐介を狂わせているのでは。。
という見方はいかがでしょう?
なるほど原作だとそうなのですね。
ドラマの方は見ていないので参考になります。
もしかしたら、何か気づいたかもです!
違う可能性高いですけど
確かめる為にもう1回見に行こうかな〜
貴昭さん
祐介は原作だと素朴な少年なのですが、アニメ化の都合上イケメン化したんでしょうね。伝言を頼むのは原作の小学生という設定ならまだかわいいなぁで済みますが、イケメン祐介にそれをさせるのはバランス悪かったですね。
90分の尺の中でなずなの衣装チェンジは何回も行われます。(制服、スク水、浴衣、ワンピース、ドレス)ここに時間と労力をかけすぎましたね(笑)
なので着替えシーンを見せたいというのは十分考えられます。
祐介は相当チキンなのでしょうね。
かなり同意です。
チキンレベルが現実的でないのと
見た目がイケメン風に描かれてるのと、
言う事がコロコロ変わるのでちぐはぐに見えました。
言う事は変わるのは、思春期の男子という事なんでしょうけど、
見た目についてじゃギャップを見せたかったのかもしれませんが、
90分という事を考えると
せめて内面と外見は一致させた方がよかったかもしれません。
余裕ある系、男子に見えるので。
あと、俺だったら、好きな子が家で待ってる時に、
同じ子を好きな男子に伝言頼めません(笑
ワンピースに着替えるのは
おっしゃる通り大人っぽく見せるためだと思います。
それなのに、浴衣を着てきたのは、かけおちを決めたタイミングなんですかね。
制作陣が着替えシーン描きたかっただけじゃないかと勘ぐってしまいます(笑
貴昭さん
コメントありがとうございます。とても楽しく読ませていただいております。
祐介は男の前では強がってオレはなずなが好きだと平気で言いますが、女の前だとチキンになる可愛い奴だと思っています(笑)
典道の家に来たのも恐らくなずなが訪ねてくるのが怖かったのでしょう。
典道となずなが一緒に消えたことで怒るのも半分典道に先を越されてプライドが傷付いたんだと思います。
(ちなみになずなと祐介が一緒に祭りに行く「もしも〜」は、なずなが家出をしない可能性だと思っています。)
典道のときにすぐに駆け落ちしようと提案するのは何故かはわかりませんねぇ。その時の気分で決めて男がどう行動するのか観察してるのかもしれません。祐介がやっぱり花火大会いくと言った時に典道に「どうするの?」と典道がどう行動するのか観察するような描写がありました。典道が原作より男らしくなっていてちょっと嬉しいシーンでした(笑)
ワンピースに着替えるのは16歳に見えるようにするためのカムフラージュ(化粧もするので)だと思います。
浴衣は花火大会に行くためのものだと思いますが、母親がすぐに追いかけてくるのは原作のシーンでもあり、スーツケースを持っていたからバレたと考えるのが自然でしょうね。母親があんなにキレたのは直前に何か口論でもしたんでしょうかね。
再婚相手は本作オリジナルですが、それにしてはこの人の説明(ご指摘の疑念の部分も含み)少な過ぎるので本当に出す意味があったキャラクターなのか少し疑問があります。
1時半という尺の中では難しかったのかもしれませんが、ここは残念でした。
連投&長文すみません。
祐介との関係については疑問に思っている事があります。
祐介とのifのカケラでは
花火大会に一緒に行っているシーンが描かれていました。
一方、典道とのストーリーでは
なずなは、花火大会行く素ぶりをは全くみせず、
最初から駆け落ちをしようとしています。
これは、なずなの祐介と典道への想いの違いからなのでしょうか。
祐介が勝った時
なずなは浴衣にスーツケースという姿で現れます。
スーツケースを持っているという事は
祐介の時でも家出を考えていたと思われます。
なのに、現れたカケラは一緒に花火大会に行ったものです。
花火大会が終わった後に、一人で家出するつもりだったのでしょうか。
それとも現れたカケラは、全く違う、家出をしない時のifなのでしょうか。
典道の時も同じ姿で現れますが
駅ですぐにワンピース姿に着替えます。
浴衣は動きづらいので合理的ですが、
最初からワンピースで来ないのはなぜでしょうか。
親をカムフラージュするため浴衣を着た?
最初は花火大会の後に家出をしようと思ったが
典道の自転車の後ろに乗ったことで、
すぐにかけおちをしようと決断した?
疑問が残ります。
あと、母親が家出に気づくのが早すぎるのも気になります。
浴衣で大会に行く娘をそんなにすぐに追いかけてくるでしょうか?
スーツケースがなくなっていた事に気づいたのかもしれませんが
説得力が薄い気がしました。
再婚相手にはなずなも納得している様な説明をしていましたが
なずなに疑念を持っていたのでしょうか。
であれば、それを匂わせる様な表現は欲しかったです。
再婚相手にはそどうやって説明して一緒に来てもらったのでしょうか。
おっしゃる通り、祐介の行動は一番理解が難しいですねぇ。
最初は典道になずなを譲るつもりで、
プールの時いなくなったりしてたのかと思ってたくらいです。
好きだけど、面と向かえない。
男子特有の素直になれない気持ちを表現したのだと思いますが
行き過ぎていて、行動が一貫していない印象を持ってしまいます。
好きだといいつつ、逃げまくっていて、
でも電車を走って追いかけて、典道を灯台から突き落とすほどの激情も持っているw
自分からは告白はしないだろうけど、
女子から好きだと言われれば、
しゃーねーなーくらいな反応はしそうな気がするのですがw
ただ、プールで勝った時に、なずながかけおちを提案したのだとしたら
逃げる理由もわかるし、逃げなかった典道との対比もできたと感じるので
祐介が勝った時のなずなとのやり取りは
ノベルと同じく、表現しなかった方が良かったのではないかと思います。
他の友人達も惜しいですよね。
人数多すぎたと思います。
正直映画だけでは誰が誰だか覚えれないうちに終わってしまいました。
貴昭さん
グッズのホログラムは知りませんでした!そうなっているんですね。
祐介がいなければ典道はなずなと駆け落ちすることはなかったですからね、いい対比になっていたと思います。確かに祐介もそうですが他のキャラの掘り下げも一切なかったのですものね。(祐介くらいはもっと掘り下げても良かったんじゃないかと思いますね。)祐介目線で見るとすごく切ない話になりますね。
necomanmaさんコメントありがとうございます
私は全く考えていなかった説ですので刺激になりました。
もしも球が砕けた所は
ご都合主義の終焉と私は捉えました。
間違ったらやり直しきく(世界を歪に改変しながらも)世界は終わり
自分の行動に責任を持たなければいけない現実に戻ったわけです。
その際に溢れ出した光景は、
他にありえた可能性の光景。
おそらく映画制作陣は祐介をifのもう一人の主人公にしたかったのだと感じました。
それは祐介が勝ったシーンでなずなが好きと
祐介の時だけ言うこと。
祐介と花火大会に行くシーンが可能性の中にあったこと。
これはどちらも映画版以外には出てこないシーンです。
さらに販売しているグッズで、
なずなを中心に典道と祐介が左右にいて
ホログラムで、典道と祐介のどちらかだけ見える様になっているものがあるためです。
その割に祐介へのスポットの当て方が中途半端で
その辺がイケテナイと思う理由のひとつなのですが。
貴昭さん
コメントありがとうございます!とても参考になりました。
物語中に直接説明されているわけではないのでもちろん大部分が私の個人的な推測です。
見終わった後に「こうじゃないか?」「ああじゃないか?」と想像が膨らむような作品が好きで、本作は原作からかなり飛躍した展開になったのでそういった想像が止まりませんでした。もちろん上映中は飽きずに楽しめたので面白い映画(傑作)だと思っています。傑作評価はそのためです。
玉が砕かれることによって可能性が開かれた状態が終わってしまった=青春が終わってしまう(大人になる。)と私は思っており、感動しました。感情的には「切ない!」とか「悲しい!」ですかね(笑)
飛躍しすぎということもおっしゃる通りで大人になるにはまだ彼らは少し幼いと思いますし、あの街に囚われているというのもおっしゃる通り円環構造という私の推測が前提です。しかしまどマギを作った新房監督ならあり得るだろうと思っているので私はああいったように本作を考えています。(もちろん私個人の感想ですので、間違った解釈や語弊はあります。)
なずなの両親が原作のなずなと典道を象徴しているのではないかという説は
面白いと感じました。
あくまで象徴として考えるのは面白いですが、
真面目にそういう設定として考えるのは無理がありすぎますが。
もしもは可能性で、球が砕けることがそれを象徴してるとするのも面白いと感じました。
ただそれを、青春は終わりを意味するとするのは行き過ぎな気がします。
砕けたのは、複数の可能性が並立することと
なずなと典道の駆け落ちの成功の可能性くらいでしょう。
号泣するシーンというのは、残念ながら共感できませんでした。
青春が終わってしまったことへの悲しみからでしょうか。
それとも、閉じられた世界から解き放たれた事への喜びからでしょうか。
あの街に囚われていたというのも唐突な気がしました。
2人が街を飛び出たいと感じているということや、
囚われているという描写は物語中になかったと思います。
原作の両親からの円環構造からの推察だとは思いますが
飛躍が大きいと感じます。
転校してしまったなずなを追いかけて
知らない街でなずなと典道が出会うという想像はいいですね。
2学期の初日に典道が返事がないという事でそれを表すのは
うまい手法とは感じませんが。
評価が想像の部分に土台を置いているため
傑作評価ありきでレビューを書いている様に感じました。