「個人的にとてもよかったです。ついでに劇中の最後のシーンを考察してみました。」打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? シズキさんの映画レビュー(感想・評価)
個人的にとてもよかったです。ついでに劇中の最後のシーンを考察してみました。
※めちゃくちゃネタバレしてます。
この作品の最後になぜ典道となづながいなくなったか考察してみました。
僕が目を付けたのはガラスの玉です。あの玉は作品を見た限りでは玉の所有者の願いをかなえるためのものです。
玉の力は玉の所有者が納得いく世界を作るまで何度もやり直しもしくは現実世界の平行線上にパラレルワールドを作ります。この作品ではパラレルワールド説の方が有効と思われます。そしてやり直しのセーブ地点はうまくいかなくなった時の直前だと考えられます。リゼロの死に戻りに近いものです。しかし玉の所有者が納得した世界を作ったとき玉は力を失います。そして現実世界から玉の所有者と玉の所有者に大きく関わった人or玉の所有者が救いたかった人物を肉体と魂ごとそのパラレルワールドに持っていき現実世界から消します。現実世界でいなかったことにはなりません。なぜ現実世界から消すかは分かりません。ほかにも大きく関わった人はたくさんいますが今回は助けたかった方(玉の所有者にとって大きい存在)が優先されたと想われます。ちなみにほかの人たちはパラレルワールドにも現実世界にもいます。ただ二人だけが納得いった世界のパラレルワールドにいるということになります。つまりそこは彼らにとっての新しい現実世界になったということになります。だから劇中の最後に二人はいなくなった。今回の物語のキーは茂下の灯台とガラスの玉ってことです。
これが僕の考察です。これがほんとかは分かりませんが少しでも参考になればいいです。
僕はあなたのパラレルワールド説は違うと思います。
もしも玉のシステムやパラレルワールドの概念は、推測するには情報が少なすぎるので置いておきます。正直、この物語にとってそれほど重要な設定ではなさそうなので、制作側も曖昧にしているのではないでしょうか?
まず、物語に描かれているのは登校日。ということは、ラストに描かれているのは夏休み明けの二学期となります。
根拠は、出欠確認で読み上げられている名前の中に「及川なずな」の名前が無い事です。なずなは夏休み明けには既に転校しているのですから。
登校日から夏休み明けまでの日数があれば、中学生男女が行方不明になったニュースは、確実に学校側にも届きます。「島田典道」の名前を読み上げた三浦先生が、意外そうに驚いている事から、学校側にそのような知らせがないことは明らかです。
以下は根拠の無い推測ですが、
「もしもの世界」が本物だろうと偽物だろうと、もしも玉の効果があったのは典道だけで、海岸で酔っ払った花火師のおっさんがもしも玉を打ち上げ、玉が弾けた時点で、その魔法のようなものは解けた。キスした後、なずなが去っていくシーンは、典道がもしもの世界からはなれていく過程。最後のシーンで典道がいなかったのは、なずなに想いを伝えに行くために学校をサボったか、想いを伝えた結果何らかの事情で出席できなかったから。