ムーンライトのレビュー・感想・評価
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間と色彩美を贅沢に使った重く美しい作品
マイアミの貧困地区で暮らす孤独な少年、シャロンの半生を描いた作品。
青を基調とした切ない風景の色遣い、言葉少なに間を多く取る演出をベースに、幼少期、ティーンエイジャー、青年期の3つの時代のシャロンを描いた今作。
黒人文化、LGBT、貧困問題に麻薬問題と現代に通ずる重く難しい題材を全て盛り込み、成長していくシャロンを描いた今作は第89回アカデミー賞において作品賞を始め、3部門に輝いた。
今作幼少期からティーンエイジャーにかけて重く悲しい展開の連続がシャロンの身に降りかかり心が折れそうになるが、その中で唯一の希望とも言えるのがファンとテレサ夫妻である。
海で泳ぎを教えながら人生は自分の力で乗り越えなければならないと強さを教えてくれるファン、温かいご飯と優しい言葉で安らぎを与えてくれるテレサの2人の存在がシャロンにとって大きな支えであり、特にファン演じるマハーシャラアリのムキムキの体つきから予想だにしない、優しい眼差しでシャロンを見守る姿のギャップが素晴らしかった。
幼少期のトラウマから自身を偽って成長したシャロンが、ファンと同じように麻薬の売人として日々を送る中でようやく向き合うことのできた母ポーラとの和解とかつて友人以上の思いを寄せていた親友ケヴィンとの再会を通して、ありのままの自分を取り戻せたと感じさせる、青年期のラストに目頭が熱くなった。
【2019年秋、今にして改めて考える、今作がアカデミー賞作品賞を受賞した理由。】
ー切ないが心に沁みる作品である。ー
・幼年期から青年期のシャロンを演じる3人の役者
1)幼少期:アレックス・ヒバート、”リトル”という綽名で苛められる内気な男の子
2)高校生:アシュトン・サンダース、苛めに加え母親ポーラ(ナオミ・ハリス)は麻薬に溺れている。
3)青年期:トレヴァンテ・ローズ、体格も大きくなり、筋骨隆々の精悍な姿
に魅入られる。男の子の成長過程を見事に役者で表現している。
・この幼少期のシャロンを支える麻薬のディーラー、フアン(マハーシャラ・アリ)と恋人のテレサ(ジャネール・モネイ)の存在。
・フアンがシャロンを海に誘い、泳ぎ方を教えている際に彼に告げる
”自分の道は自分で決めろよ・・。”という言葉。
テレサが掛ける”愛と自信を持つ事。”という言葉。
・彼らが何故に縁もゆかりもないシャロンを暖かく受け入れた理由は映画をきちんと見ていれば良く分かる。
・ここまでで、特にマハーシャラ・アリの魅力に魅入られる。(途中で、亡くなっていることが分かるが詳細は語られない・・・。)
・高校生時のシャロンとケヴィンとの関係も、美しい月明かりの中、仄かに描かれる。
月光が降り注ぐ中、紫色にも見える彼らの肌の色の美しさといったら・・。
・青年期のシャロン(トレヴァンテ・ローズ)は今までのか細い面影はなく、鍛えれらた体とグリルの金歯を装着し、フアンと同じ麻薬ディーラーになっている。
変貌の背景は詳しくは語られないが、類推は容易だ。
・一方、大人になったケヴィン(アンドレ・ホーランド)はしがない、ダイナーの料理人になっている。
・幼少期、思い合っていた二人が青年期に出合い、関係性の変化に戸惑いつつも、且つての関係を思い出す場面や、シャロンが施設に入っている母親と再会するシーンの切なさ。
<白すぎるオスカーに対する世論は確かにあっただろうが、あの月光降り注ぐ中のシャロンとケヴィンの紫色に輝く姿を観てしまった者には、”「ラ・ラ・ランド」と今作2作作品賞受賞でも良かったのではないかなあ” と思った作品。>
「プランB」製作。バリー・ジェンキンス監督作品。
バリー・ジェンキンス監督の主張は、この後に制作した作品「ビール・ストリートの恋人たち」でも一切ブレていない。
彼は、映画を武器にして、戦う漢であると思う。
<2017年5月13日 劇場にて鑑賞>
あまり長く感じない。
言葉や映像のセンスで最後まで観れてしまう。
純粋に初恋話として観たい作品。
ケヴィンに母性をみてるとしたらケヴィンの育ち方が気になる。あんな男の子はそういないと思う。
たしかに黒人の肌って青く光るなぁと。美しい。
早く観ればよかった
黒人社会はつらいよ。
映像も魂も美しい
月夜に輝く物語
色々なテーマが折り重なった作品
初め観る時に、どんな作品なんだろう?と、少々不安気に鑑賞。
薬中の母親と暮らす 内向的な少年の成長物語…とは言え、その中身は 薬物問題や、セクシャル・マイノリティ、生き方など、様々なテーマを掲げていた様に思う。
私自身、10代の頃からゲイの友達がいて、一緒にご飯を食べに行ったり、飲みに行ったり、泊まりに行ったり、至極普通に遊んでた(笑)
今は昔よりも情報量も多く、セクシャル・マイノリティについても かなり理解を得ていると思う。
だから、稀有な目で観る人も少ないだろうし、内気なシャロンを「頑張れ!」と応援したくなる。
序盤しか出ていないものの、フアン役のマハーシャラ・アリが良かったのと、そのフアンの妻テレサ役のジャネール・モネイがすごく可愛くて、ずっと観ていたかった(笑)
月は、自らは光を放たない。何処からかの光を受けてほのかに明るく月は夜空に浮かぶ。
オスカーを獲得して、ズラリTSUTAYAに並んだレンタルDVDだったのだが・・・
30本はありそうなDVDもここまで不人気・売れ残りの新作もなかったろう。
いつ見ても借り出されているのは1本か2本という異常さ。
僕もそんな棚を見てしまえばついぞ手が伸びず、ようやくレンタルしたのが2年後の正月だったのだ。
やっぱり"黒人だけの映画"と聞けば日本人は苦手なんだろうな。
他の人種と混ざっておればね、コメディでもサスペンスでも、あるいは戦争ものでもラブストーリーでもぜんぜんOKなのだが、黒人のみの出演でドラッグ、暴力、LGBT、ネグレクトなどと筋書きを伝聞すると、うーん、イメージが暗くなっちゃってダメみたい。
パッケージもひどく陰鬱だもの。
でもこの感覚って、黒人は=ストーリーに味の変化を付けるためだけの"いろどり"、"添え物"にして"永遠の助演者"=と、僕が思い込んでしまっていたからだろう。
"全員黒人でやってみた!"
黒人でなくても別に支障がないそのストーリーに、敢えて偏った配役を試みたその冒険が、映画製作者による投票のアカデミー賞授与を得た理由なのかもしれない。
パウエルが統合参謀長官になり、
ライスが国務長官になり、
オバマが大統領になり、
映画の世界でも何かが動いていると想像出来る。
「ムーンライト」は、今この時期におけるエポックメーキングな出来事だったのだ。
で、今年の正月休み、
TSUTAYAの棚の「ムーンライト」の在庫はわずか5本にまで減っていたが、同じことを考えていた人たちがいるものだな、ほぼ全巻が借り出されている。
僕を含めて、意を決しての視聴ということだろう。
・・・・・・・・・・・・
物語は
月の光を浴びて弱く写し出されるリトルの、人生の満ち欠けの話だった。
いろいろあってのエンディング。成人したリトルがケビンを訪れ、大切な友達を見つめるその目、その表情がとても美しくてこうごうしくて、心をぎゅっと掴まれる。
ここで初めてリトルの顔から光が放たれるようになったのだ。
それまでの永い年月、売人のファンも、幼なじみのケビンも、夜の間の月のように静かにリトルに光を与え続けた。
それを受けて出口の見えない新月の夜を過ごしたリトルに、ようやくの明るい満月の晩がやって来てくれたようだ。
ただ光を受けるばかりであったリトルが、初めて他者に光を与える時がやってきたのだ
-母親に、そしてケビンに。
月の光だけで発芽をする種子というものはあるのだろうか?
しみじみとリトルはそれだったのだと、思った。
時代を映す
時代の変化を写した作品。
昔からの映画などの印象から、黒人の人はパワフルで力強く活力に溢れているというイメージがありました。しかし、時代は変化し、国家の教会が低くなってきたことに伴って、人種差別などをテーマにした題材も増えてきた。しかし、その時代も通り越し、今は人間皆共通する部分、愛や絆をあえて描く作品が増えている。
この作品もそう。黒人だからと言って皆が皆パワフルな人ばかりではなく、ときには悲しみのあまり海岸んで涙を流すこともあれば、途方もなくただ夜道をドライブすることもある。でもそこには愛がある。愛に頼ればおのずと道は明るくなるし月はとびきり輝いて見える。
時代を映すという意味でとても革命的な作品であることは間違いない。見る人によって感じるものの幅はかなり大きく異なるでしょう。
実際のところ、私にははまらなかった、明らかに普通の映画の作りとは違う。一般的なThree Actの構成はとっておらず、この作品を詩的だと捉える人も多い様でした。
私にはどうしても、主人公のキャラクターが見えてきませんでした。子供の頃は恐れながらも愛のある方向に歩んでいき、時々見える純粋な心がとても愛おしく思え、ジュールズやテレサの気持ちを感じることができました。しかし、その後主人公が成長していくに連れて、何を求めて歩んでいくのかと探りながら観ていたのですが、キャラクターアークの幅がそこまで大きくなく、映画として物足りなく感じてしまいました。強い感情というのが喧嘩をした時の一瞬だった気がして、自分の波長に合わなかったイメージでした。
それほどか?
レビュー
黒人映画が黒人映画で無くなる瞬間
今日の今頃鑑賞?第2弾になってしまったのはアカデミー賞作品賞を一昨年受賞した「ムーンライト」。
その頃惜しくも逃した「ラ・ラ・ランド」押しでもあった為、観る気がなかった。
黒人でゲイもので麻薬もので、、、ある程度事前情報は流れて来ていた為、「黒人の差別映画として評価されたのでは?」と自分でも一線は引いていた事もある。
いざ観てみると、違う感覚に陥った。
暴力や差別の社会的背景、生きたい様に生きる個人的主張等、今までの「黒人映画:ブラックムービー」とまで定義されていた映像表現が少ないのだ。
物静かな映画だ。面食らう。
アート的路線に走っているかの様な感じでもある。
主人公シャロンもバカで暴力的な人間では無い。
物静かなゲイ。周りの生活に麻薬や暴力的環境があったとしても自分を変えたりせず、まるで一途に1人の恋人を愛する人間の様に純粋。
カメラ映像も綺麗。物静かをアメリカ的にうまく表現している。
今までの黒人映画にてこの様な映像、脚本、演出の映画を観た事が無い。
あと観終わった方で私の様にふと思った人はいないだろうか?
「これ黒人映画で無くても良くね?」と。
白人でもアジア人でもキューバ人でもメキシコ人でも。
人種を差し替えても観れる映画になっている。
人種の一線を取り払ったかの様。
映画界に一線を引き、その他の映画に交わろうとしなかった今までの黒人映画の歴史。
世界的に人種差別を無くそうと訴えても、中々変われない世界。そりゃそうだ、人間はまず見た目にて人を判断するからだ。それは未来永劫続く話。
映画界でも厳しいと思う話である。
それを黒人から歩み寄ったかの様な映画だった。
ベルリンの壁をいきなり壊すかの様に。
あまり交わるべきじゃ無かった色が他の色に交わる様に。
上記に書いた通り黒人映画が映画界にて自ら歩み寄り、人種の一線を取り払ったという点(黒人映画の概念を取り払ってくれた点)でも評価され、内容的にもアカデミー賞作品賞を受賞したのならば納得出来る。
あの受賞式は黒人映画が黒人映画で無くなる瞬間だったのか?そうであれば素直に喜べず、拍手してやれなかった当時の自分が不憫である。
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