ムーンライトのレビュー・感想・評価
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馬鹿野郎そういう映画かよ
ホモシーンにはちょっと耐えられない。 r-指定みたいにホモシーンがある映画は事前に警告してほしい。400円無駄に使っちまったよ返せや。
久しぶりに超純愛映画を観た
何だか切ないよねー。
自分で選択することが重要と分かりつつも、どうにもできない環境の影響下を出る事ができない。
全ての人が、親の影響を良い意味でも悪い意味でも受け、そこに縛られ続ける。
それでも生きていくのだと。
そんな暮らしの中、一瞬生まれた純愛も儚く潰えていく。
その純粋な想いは時を経て‥
久しぶりに、純愛映画を観てしまいました。
全く派手な描写はないけれど、全編がじわーっと心に染みる。良い映画でした。
抑えた表現に疼く興奮
たったこれだけの内容で
ミニマルな作り
そして力技
幼少期、少年期、青年期の
3人のキャストが素晴らしい
よく揃ったと思う…
瞳、肌、身体
海、砂、月
どれも美しい
あたしは無知で何も知らないのだけど
ゲイの成り立ちがわかったような気がする
それにしても
台詞(言葉)が少ない
彼らは持ってる言葉が少ないのかな
暴力を振るうのは自分を表現する言葉を持たないからだ
A24はいい作品が多い
『この映画こそが我々が映画を観る理由なのだ。』
というニューヨーク・タイムアウト誌のコメントが全てを物語るように、この映画は観ることに意味がある。
世界は広く、さまざまな社会問題が蔓延しているが、そこに隠れたテーマに、美しい比喩表現が加わった見事なコントラストを描き出している。パッケージの通り、この映画もまた月の光に照らされているのだ。
五感を使えば、当時の映画の記憶は鮮明に覚えている。成人になったシャロンと共に車の中に旧友を送り届ける最中に、食べていたキャラメルポップコーンの味わいを。
みんな違ってそれでいい
この映画がアメリカで公開されたのが2016年。わたしは昨日、2020年に、録画したものを観た。
この映画が公開されてから4年。世の中はどのくらい偏見に対して変わっているだろうか。
相変わらず肌の色や性嗜好に対しての先入観は根深い。
この映画では、誰が正義で誰が悪か、なんて教えてくれない。何も語らなかった。
主人公の生き方、彼を取り巻く人たちの生き方、彼らの生き方はアメリカでは日常の一部と化しているのだろうか。
アート色が強く観るものに判断を委ねる映画だったと思うが、彼らを特別視するのではなく、彼らが生きやすい世の中になるにはどうしたら良いのか。特に主人公の母親には救いの手を差し伸べたくなった。
枠にはまらない
さすがA24、その一言に尽きる作品だと思う。正直、自分には刺さらなかったけど、価値のある作品であることは伝わった。
黒人映画とか、ゲイの映画とか言われてるけど、黒人映画っていうのはそれこそ「グリーンブック」のような黒人が白人社会で苦労して生きるのを描くもので、LGBTQの映画もそうである。
これは、そのどこにも焦点は当てていない。あくまで、それらの特徴を持った少年の成長期である。様々な困難を乗り越えて、ありのままの自分を受け入れてくれる、愛する人を見つけるまでの旅の話。誰でも経験すること。その「普通」を美しく描いてることこそに、この映画の本質はあるのでは?
救いがない
Littile(いじめのあだ名), Chiron(本名), Black(本当の自分ではない自分)の三期で語られるストーリー
原作のタイトル
"In Moonlight Black Boys Look Blue"
から、大人になってからのBlack期は、子供の頃 Blueに見えていた「本当の自分ではない自分」
薬で壊れた親より、代わりに優しく接した売人の方が正当化され、自分も売人になってしまうという
救いがない話に感じた
心に残る台詞
Can’t let nobody make that decision for you
自分の意思でBlackになったけれど
ラストで友人に告白したのは
Chiron だった時からの本当の気持ち
Chironは穏やかな気持ちで終わるが
観ている方はもやもやが残る
Blackの中にも色々な違いがあること、ステレオタイプ的に認識しがちなBlackではない中間色があることに気づかされた
そうするしかないどうにもできない辛さ
努力すれば変われるなどという単純な問題ではない、根深い、黒人差別と貧困層の地域的な問題が人々の人生に世襲されてしまっている。
マイアミの黒人ばかりのダウンタウン。父親が元々いない家庭の少年シャロンは小さいからリトルと呼ばれ虐められている。母親は父親不在な中食べていかないといけないからドラッグとは繋がりやすい売春業、ろくに仕事もないからこそ、ドラッグ依存でネグレクト。
家庭により様々だがそういうコミュニティだからこそ子供達もいじめに走りやすいのだろうか?そこはわからないが、シャロンは口数もほぼなく、弱々しい歩き方で絶好の対象にされている。
シャロンと知り合い、温かく接してくれた同じ地域に住む成人男性フアンは、金銭的に困っておらず精神的に余裕がある理由はドラッグの売人だから。シャロンにとっては救世主だったけれど、シャロンの母親にもドラッグを売っているのがこの地域の問題の根深さを表している。
心の居場所がフアンとその彼女が住む家にしかなかったシャロンは、そのまま高校生に成長するが、子供の頃唯一気にかけてくれた友達に男同士だがほっとする恋愛感情を抱く。友達は彼女もいるしおそらくバイ。
フアンに泳ぎを教わった思い出の海に、フアン亡き後の思春期にも虐められ悲しい気持ちで訪れたシャロン。そこでたまたま友達に出くわすが、友達は、シャロンの家庭環境など身動きの取れない悲しい状況を知っている。2人の海沿いでのキスシーンは、あまりにも重苦しいシャロンを人間として最大限慰めたい癒したいと思った気持ちが性別を超えただけのように見える。
しかし、その友達も悪い同級生に逆えずシャロンを殴り裏切る。幼い頃からシャロンの心はどれだけ背負い耐えて来たのか、映像だけでもはたから見ていてもかなり辛い。そしてそれが誰のせいでもなく、怒りに変えたとしても行き場がないことが余計に辛い。
母親はもう少し努力できたと思うが、思春期には完全にドラッグに溺れ依存症人生の母親。責めたからと言って今更どうにもならない。
それに気付き、強い人格に変わる事を始めたシャロン。第3章ブラック。虐められて怪我した顔を氷水で冷やして新生シャロンが”ブラック”として覚醒。まずはいじめ首謀者を椅子で殴り少年院へ。
10年後。かつてのフアンと同じ、金の歯カバーでかつてのフアンの車を乗り回し防御万全のシャロン。仕事もフアンと同じ、ドラッグ売人。普通の売人からのしあがり、フアンのような売人のトップに昇り詰めたということだが、かつて母親のドラッグ依存に苦しめられた張本人のシャロンがまさかドラッグを売るなんて。でも、シャロンにとって唯一の人生のお手本兼親がわりがフアンだったのであり、そうするしか生きられない社会の構図。
友達も院に送られ、そこで覚えた料理がきっかけで料理人としてバツイチでレストランのコックになっていた。
大人になってからの2人の再会。友達から裏切りの謝罪をされ、友達の店で友達が作った料理を食べ、音楽を聴く。そして互いのこれまでを労わりあうかのように、シャロンは再び前回ぶりの同性愛へ。
とてつもない哀しみ寂しさ辛さを押し殺し、しかもそれが普通の毎日として繰り返され積み上げられていくシャロンの人生を通して、「同性でも歳上でも家族でなくても、人間が人間を頼ったり、愛情で包むことはできる。もし受け入れてもらえて甘えられる環境があるのなら、それが家族でなくても同性でも、死ぬより全然良い。困っているならこっちにおいで。」そう叫びたくなる作品。フアンの妻テレサのような、心が張り詰めただれかが逃げ込めるシェルターのような存在になりたい。
孤独な魂の止まり木
鳥肌が立った。
素人が撮ったのかと思うような映像で始まる。
『シティ・オブ・ゴッド』のUSA版かとも見まがうが、
次第に、その繊細な映像・語り口に惹きこまれていく。
暴力的な、先のない社会の中に隠された繊細な想い。
お互いの想いを確かめながら、踏み込めぬ、そして近づいていく関係。
「月明かりの中で~」あぶりだされる想い。
息をひそめて見守りたくなる。
リトル。
高校生のシャロン。
ブラック。
風貌も何もかも似ていないのに、そこに、”シャロン”がいる。
その風貌・物腰の変わりように、環境から受けるものの大きさにやりきれなさを感じつつ、
「自分が何者であるかを他人に決めさせるな(思い出し引用)」の言葉の重さをかみしめる。
それぞれの役者をキャスティングした監督の才覚に喝采。
心を閉じつつも、ファンやテレサ、ケビンを縋りつくように、疑うように見つめるリトル。
諦めきっているけれど、心を殺さずにいろいろな思いを抱える高校生のシャロン。
ファンと同じ格好で、ファンと同じ王冠を車に乗せて、日々の暮らしを行うブラック。
だが、ケビンと相対するときの、その時々の表情が愛おしい。
そんなシャロンを追っているだけなのに、心の奥底が打ち震えてくる。
売人でありながらの苦悩、わが子への愛にも似た愛情をこれも繊細に表現したアリ氏。
『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ』『ベンジャミン・バトン』でも温かい父を演じておられた。
でも、私は、ハリスさんにも賞を献呈したい。
そんな役者の妙技を彩る、色彩の映像。ある場面はくっきりと、ある場面はしっとりと。ある場面はまがまがしく。
そして、ここにこの音楽を合わせるかというセンス。
ファンとの楽しい水泳教室には、不協和音にも似たバイオリンの音色。
母との苦しい再会の後の『ククルククパロマ』
他にも、他にも。
カーウァイ監督の『ブエノスアイレス』にオマージュを捧げたと聞く。
でも、私は、間の取り方とか、なぜか『BIUTIFUL ビューティフル』を思い出す。
『ブエノスアイレス』のように、激しい激情に翻弄された二人の関係性に心がキリキリするというよりも、
『BIUTIHUL』のように、静かに静かに、地下の水脈のように激情が心の奥底にたぎっていくような味わい。
そして、当たり前のことにも気づかされる。
白人にも、ポーランド系とか、スコットランド系とか、ラテン系とかいるように、
黄色人種にも、日本人もいれば、チャイニーズとかコリアンとかいるように、
黒人も、ルーツはアフリカでも、アフリカ系もいれば、キューバ系もいる。
派手な映画ではない。一見わかりやすそうで、人物のささいな表情を読み取っていかないと、何の面白みもない。
だけど、
こんな詩的で繊細で、地味でありながら、映画でしか表現できぬ余韻を味わえる映画が評価されるなんて、USAのアカデミー賞も捨てたもんじゃない。
人生の生き方
この映画は1人の主人公シャロンの人生を描いた映画であるが、小さい時から多くの問題に苦しみ生きていく。
いじめに関しては日本でも起こりうることで起こってはいけないことだと感じた。
LGBTに関して関心が深まっているこの頃ではあるが、やはり全ての人が心を開いているかと言うとそうではないきがする。シャロンはきっと孤独というものをずっと味わってきたと思う。
世界は広い。この地球に2億もの人が住んでいる。
決して自分だけ違う。自分だけ変。だなんて思わないでほしい。絶対に同じ考えを持った人は存在すると思うから。
切なさに胸を突かれる名作
観終えた直後、息苦しいほどの切なさを感じて、じっと考え込んでしまいました。
主軸となるのは一途なラブストーリーですが、それだけでは言い表せない深みをもった映画です。
主人公の幼少期から大人になるまでの半生を3つの章に分けて追いながら、主人公と周りの人々との関係を、印象的なシーンを繋ぎ合わせて描写しています。
前半はやや出来事と出来事の間の繋がりが見えにくいため、もどかしく感じるかもしれませんが、後半では前半の出来事が主人公の内面にどのような影響を及ぼしたのかが描かれ、手堅く伏線を回収しています。ハイライトとなるシーンはやはりラスト。息をのみました。
初めて観る方は、ぜひ、この映画の映像での「青」の使い方に着目して鑑賞してみてください。この映画にこめられたメッセージを受け取ることができると思います。
人生における忘れがたい一瞬一瞬を、繊細で美しい映像で切り取った名作でした。
しみじみと良かった
VODで観たので、映画館で観たらもっと映像が美しかったんだろうなぁと思うけど、ストーリーもとても良かった。1人の人間の人生を追っていく話で、派手な映画では無いけど、しみじみととても良かった。大人になって、料理人になったケビンと会うシーンは胸キュン過ぎて、ちょっと観ては止め、ちょっと観ては止め、ゆっくり観た。最後はどうなったんだろう。それから先はどうなるんだろう。貧困やジェンダーの問題が背景にあるけど、それよりも主人公の人生にそっと寄り添うような映画で、ぼんやりとした儚さ優しさ。画面にはなんとなく不穏な気配もあって、何か悪いことが起きるんじゃないかとハラハラしてしまった。特に何があるわけでもないのに、日常の中で何か悪いことが起きるんじゃないかと考えてしまうことはあって、そういう感じがした。シャロンには実際にわりと辛いことも起こっていたけど。
自分自身を取り戻す
本当の自分に気付き、認めるまでを
臨場感あるカメラアングルで描いています。
ファンが言った「自分の人生は自分で決めろ。他人に決して決めさせるな」という言葉が、胸に刺さりました。
また、母の言った
自分を愛しなさいって言葉も、この映画の大切な要素だと思います。
間と色彩美を贅沢に使った重く美しい作品
マイアミの貧困地区で暮らす孤独な少年、シャロンの半生を描いた作品。
青を基調とした切ない風景の色遣い、言葉少なに間を多く取る演出をベースに、幼少期、ティーンエイジャー、青年期の3つの時代のシャロンを描いた今作。
黒人文化、LGBT、貧困問題に麻薬問題と現代に通ずる重く難しい題材を全て盛り込み、成長していくシャロンを描いた今作は第89回アカデミー賞において作品賞を始め、3部門に輝いた。
今作幼少期からティーンエイジャーにかけて重く悲しい展開の連続がシャロンの身に降りかかり心が折れそうになるが、その中で唯一の希望とも言えるのがファンとテレサ夫妻である。
海で泳ぎを教えながら人生は自分の力で乗り越えなければならないと強さを教えてくれるファン、温かいご飯と優しい言葉で安らぎを与えてくれるテレサの2人の存在がシャロンにとって大きな支えであり、特にファン演じるマハーシャラアリのムキムキの体つきから予想だにしない、優しい眼差しでシャロンを見守る姿のギャップが素晴らしかった。
幼少期のトラウマから自身を偽って成長したシャロンが、ファンと同じように麻薬の売人として日々を送る中でようやく向き合うことのできた母ポーラとの和解とかつて友人以上の思いを寄せていた親友ケヴィンとの再会を通して、ありのままの自分を取り戻せたと感じさせる、青年期のラストに目頭が熱くなった。
【2019年秋、今にして改めて考える、今作がアカデミー賞作品賞を受賞した理由。】
ー切ないが心に沁みる作品である。ー
・幼年期から青年期のシャロンを演じる3人の役者
1)幼少期:アレックス・ヒバート、”リトル”という綽名で苛められる内気な男の子
2)高校生:アシュトン・サンダース、苛めに加え母親ポーラ(ナオミ・ハリス)は麻薬に溺れている。
3)青年期:トレヴァンテ・ローズ、体格も大きくなり、筋骨隆々の精悍な姿
に魅入られる。男の子の成長過程を見事に役者で表現している。
・この幼少期のシャロンを支える麻薬のディーラー、フアン(マハーシャラ・アリ)と恋人のテレサ(ジャネール・モネイ)の存在。
・フアンがシャロンを海に誘い、泳ぎ方を教えている際に彼に告げる
”自分の道は自分で決めろよ・・。”という言葉。
テレサが掛ける”愛と自信を持つ事。”という言葉。
・彼らが何故に縁もゆかりもないシャロンを暖かく受け入れた理由は映画をきちんと見ていれば良く分かる。
・ここまでで、特にマハーシャラ・アリの魅力に魅入られる。(途中で、亡くなっていることが分かるが詳細は語られない・・・。)
・高校生時のシャロンとケヴィンとの関係も、美しい月明かりの中、仄かに描かれる。
月光が降り注ぐ中、紫色にも見える彼らの肌の色の美しさといったら・・。
・青年期のシャロン(トレヴァンテ・ローズ)は今までのか細い面影はなく、鍛えれらた体とグリルの金歯を装着し、フアンと同じ麻薬ディーラーになっている。
変貌の背景は詳しくは語られないが、類推は容易だ。
・一方、大人になったケヴィン(アンドレ・ホーランド)はしがない、ダイナーの料理人になっている。
・幼少期、思い合っていた二人が青年期に出合い、関係性の変化に戸惑いつつも、且つての関係を思い出す場面や、シャロンが施設に入っている母親と再会するシーンの切なさ。
<白すぎるオスカーに対する世論は確かにあっただろうが、あの月光降り注ぐ中のシャロンとケヴィンの紫色に輝く姿を観てしまった者には、”「ラ・ラ・ランド」と今作2作作品賞受賞でも良かったのではないかなあ” と思った作品。>
「プランB」製作。バリー・ジェンキンス監督作品。
バリー・ジェンキンス監督の主張は、この後に制作した作品「ビール・ストリートの恋人たち」でも一切ブレていない。
彼は、映画を武器にして、戦う漢であると思う。
<2017年5月13日 劇場にて鑑賞>
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