ムーンライトのレビュー・感想・評価
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月の光
いじめられっこの顛末
毒親といじめ差別の中で性的マイノリティの一人間が人と触れ合い成長する
薬中のシングルマザーを持つ繊細だが気高い精神性を持った男の話。
作品全体からなにかを伝えようとする力を強く感じる作品だった。
母親やいじめっ子からストレスを溜め込んでいくシャロンがいつ爆発するか緊張感を感じながら見ていた。しかし彼には少ない理解者がおり、その人たちのの触れ合いや思い出を得て彼は彼の父親のような存在だったフアンと同じ薬の売人として生きることとなる。黒人が多数派の社会を映像で見たことが無かったため、そこは新鮮だった。
美しいフライヤー 月に照らされるその3つの時代の顔
1人の黒人少年の成長を3つの時代にわけ、彼の目線から覗く人間社会。
○注意○ネタバレです
⚫︎少年期 リトル
母親はリトルに対し抑圧的で愛情にはムラがある。
生活のためだけではなく薬にも手を染め身を売ることも厭わない。親としてその身勝手さはこどもの自信を育てるはずもない。安らぎがない暮らしの中、常におどおどしているリトルは学校でからかわれ執拗なないじめを受けているのだ。
しかし、はけ口を見出すこともできない性格と年齢と環境ではただただ耐えることに慣れるしかない。
現実の嫌なことをかきけすのはバスタブにためる水の音。
母が男と居る2階をみあげる切ない姿がかわいそうで仕方ない。
ストレスと孤独感は本人も知らないうちに、その小さな身体を埋めつくそうとしている。
救えるのは愛だとしても、そこにそれはない。
しかしリトルの母の行動も社会問題である人種差別や貧困などの悪循環が生み出したもののかけら。
断ち切れなければ、代々、子の世代に影響していくという悲しい現実と手立ての難しさを世界はとうに知っている。
そんなリトルとある日偶然に出会い、助けたのがフアンとテレサ。ふたりは真心をもってリトルに接してくれる唯一の大人となるのだ。家に居場所のない思いをするとき自然とリトルは彼らを頼るようになる。
そして同級生ケビン。
彼はリトルが自分らしく話しができる唯一の友だち。いじめられてるときもさりげなくフォローしてくれる存在だ。
彼ら3人がいなければ、リトルはどうなっていただろうと思う。
そう、人生は誰といつ関わるかだ。
2.青年期 シャロン
相変わらずの母、いじめがエスカレートする学校生活。
彼の性格や身体的特徴、家庭環境、母への噂、母への不信など、思春期に重なるほど悩みは募っていたはずだ。
父のように励ましてくれたフアンの死後も母のようにテレサは見守ってくれて、シャロンの心の安まる相手だ。
ネグレクト的な母だが、リトルがシャロンになつくことには嫉妬心も湧き感情的にシャロンにあたりちらす。テレサにもらった小遣いさえ巻き上げるあきれた母だがどうにもできない。
やるせなさと悲哀でいっぱいのシャロンの心はフアンに言われたあのことばのおかげでぎりぎりの均衡を保っていたのではないか。
「自分の人生を他人に決めさせるな。」
母に閉ざされたリトルのドア。
それを自分でこじあけれるように、生き方を教えたフアン。人を信用せず口数すくなくおびえた上目使いの幼いリトルに自身のかつての姿を重ね、息子のように心配していたのだ。
鬱屈したリトルの成長期にその出会いと存在の重みははかり知れない。
ある晩の浜辺。
シャロンと並び語り合うケビン。
ふと2人が秘めてた感情が月に照らされ露呈される時がきた。しかし束の間の幸せは、ケビンがいじめっ子の権力に負けシャロンを裏切り、傷ついたシャロンが暴れ補導され離ればなれになる運命だった。
3.成人期 ブラック
時は過ぎる。
シャロンがこの間、どう生きていたかは観るものの想像で繋いでいく。
線の細い気弱そうな青年は
恩人フアンとおなじく薬の売人になってあらわれる。
彼がシャロン?と思うほど、すっかりイメージを変えた彼はブラックと呼ばれ、派手な車に乗り、いかにもないでたちに金歯を光らせている。鍛えたあげた身体はひ弱な少年期青年期の彼を捨て去ったのか。生きるために纏う鎧でかためあげた姿は、あの頃の味方、フアンの風貌とそっくりだ。
ブラックに、ひさしぶりに会いたいと母から留守電が入る。とれる電話をとらないブラック。母を許せないブラックのわだかまり度がわかる。そんな折、夜明けにケビンからも電話がありブラックは動揺しつつ故郷に行く気になる。
久々の母はブラックに
「愛が必要なとき、与えなかったから。」と謝る。
母はわかっていた。わかっていてもできなかったということを訣別の状態で聞かされブラックの頬に涙が落ちる。怒りもあったはずが、罪を認めてもらえたことは嬉しかったのだろう。震える母の煙草に火をつけてやり「もういい。」と抱き寄せる。
少年リトルの頃からのやさしさがまだそこにあった。
そのあと、道中の彼は少し肩の荷をおろしたようにみえた。夕暮れの海で黒人のこどもたちが楽しそうにはしゃぐ映像が象徴的に重なる。
ブラックはケビンに会う為、仕事場の飲食店に向かっている。シャツを着替え、髪をとかすブラックのしぐさにケビンに対する配慮を感じる。一方、変わり果てた風貌のブラックをみてケビンは驚きを隠さず、しかも薬の売人をしていると知りショックを受けている。だが話をしてみれば心の中に変わりはない。ケビンはジュークボックスで恋人の帰りを喜ぶ唄を流す。あの日以来、一途にケビンを思っていたブラックと結婚後子供をもうけたがすでに家族とは別れて暮らしているケビンのブラックへの気持ちがまたここで交わった。
ケビンはあの浜辺の近くに住んでいた。
繰り返すさざなみの音は記憶はよみがえらせただろう。ようやく安堵に包まれ寄り添えた2人。
ラストシーン、
月灯に照らされる波打ち際、振り返るリトル。
今、素直に愛を求めるブラックは
どんなに強がろうがこのリトルと何ら変わらないことを傍のケビンが誰よりも知っている。
人の物差しに惑わされることなく、自分の心をみつめて。
愛をもってすべてに向き合って。
人種も貧困も薬もいじめも性的マイノリティも…
みんな、みんな
いいわるいを簡単に決めつけちゃいけないよ。
ぼくは知っているよ。
決めつけられるものなんてなにもないんだ。
無言のリトルのおだやかな笑み。
語りかけてくるのはそんなことだろうか。
2019年の映画だからこそ
友情と愛情とエクスタシーと
とにかく映像が美しい。曲が素晴らしい。演出がよい。総合的にかなりハイレベルの映画作品です。
黒人問題、貧困、母子家庭、ドラッグ、いじめ、暴力、同性愛など、てんこ盛りの内容なのですが、
物語構造としては、かなりシンプルな、ラブストーリーなんですね。
貧しい家庭に生まれ、周囲からいじめられていた主人公が、幼馴染との友情を育み、
成長と共に愛情へと変化し、一夜の甘い思い出と、離別する理由となった苦い思いを胸に
長く離れ離れになっていた、その恋人と再会する・・
ね、なんて素敵なラブストーリーでしょう。
ただ、舞台が黒人社会であり、取り扱いが同性愛ですので、表面的に、従来の価値観からは、なかなか受容れ難い作品なのですが、
これが、登場人物が日本人や白人で、幼馴染が女の子なのだとしたら、
まったくありきたりな、よくある恋愛映画なのですね。
そこがこの映画が高く評価され、価値観のカウンター文化の角地に立っている、現代的なテーマを浮かび上がらせてくれます。
(20年前なら「なんか黒人の同性愛の気持ち悪い映画」で切り捨てられていたことでしょう)
LGBTQ、フェミニズム、ポリコレなど従来の弱者への配慮が昨今の映画作品に過度に組み込まれ、
「もういいよ」「作品を壊すな」という感想が漏れ聞こえるご時世ですが、
この時代の波がもう少し、社会全体に浸透し、人類の価値観の変換がじゅうぶんに成されるまでは、
このカウンターが続くことは、時代の必然として、受け容れてゆく必要があるのでしょう。
賛否ある、その議論とモヤモヤ自体が、必要なプロセスとして、取り扱われ、描かれることが大切で、
自覚なき強者から、自覚なき弱者への理解と寛容が社会へ根付くには、もう少し掛かる気がしますね。
どうですか、この映画を見て、甘美なラブストーリーと捉えることができますでしょうか。
浜辺でのラブシーンで、あまりの官能と、甘酸っぱい性の目覚めに、ドキドキしませんか?
恋人に殴られる絶望と、痛みが、どこかエクスタシーに繋がる感覚が、しませんか?(性癖には個人差あります)
その甘く苦い思い出を胸に、何年も相手を想い続ける純愛に、とても素敵な純粋なものを感じませんか?
とても美しい映画だと思います。
この映画を美しいと感じられるように成長した、自分のなかの審美眼を信じたいですね。
(いずれまたこの価値観も変わってゆくことでしょうが、それはまた、別のお話・・)
2016年制作の時代に即したUp-to-dateな被差別者主体の映画だが、今見るとありきたりとも思える
バリー・ジェンキンス監督による2016年製作のアメリカ映画。
原題:Moonlight、配給:ファントム・フィルム。
筋肉もりもりの黒人男性トレバンテ・ローズが、あの弱そうなリトルの大人になった姿であることを理解するのに少々時間を要した。そのマッチョな彼が、ずっと一途に学生時代の友
人に想いを抱いている純情さのギャップが、なかなかのインパクト有り。
ゲイでいじめられっ子の黒人学生が、いじめっ子に意を決して教室で椅子を振り上げて暴力を振うシーンに、一瞬カタルシスを覚えた。しかし、その結果として犯罪人となり、その後麻薬売人になってしまうというのが、マイアミ黒人社会の救いの無さを示している様で悲しかった。
自伝的要素も強いらしいが、原作者タレル・アルビン・マクレイニーは1980年生まれのマイアミ出身の黒人で、名門イェール大学卒で、劇作家として活躍により2013年にマッカーサー基金「天才賞」奨学金受給とか。仕事的には、この事実に近いとこで物語にして欲しかった気もした。
2016年製作ということを考えると、時代に即したUp-to-dateな被差別者主体の映画であったということは理解出来きるし、結果的にアカデミー作品賞までゲットした製作総指揮ブラッド・ピットらの目の付け所に感心させられた。ただ、今の時点で見ると、インテリ受けを狙ったありきたりの映画の様に自分は感じてしまった。
とは言え、麻薬に溺れた母ナオミ・ハリスの愛情を知らずに育った主人公、彼の少年時代を演じたアレックス・ヒバートの全ての人間に不信感を持った様な目つき、その彼と息子の様に接する麻薬売人マハーシャラ・ハリの大らかさ・優しさを見せる演技は、かなり心に突き刺さった。
製作アデル・ロマンスキー 、デデ・ガードナー 、ジェレミー・クライナー。製作総指揮ブラッド・ピット、サラ・エスバーグ、タレル・アルビン・マクレイニー。
原案タレル・アルビン・マクレイニー 未発表脚本「In Moonlight Black Boys Look Blue」、脚本バリー・ジェンキンス。
撮影ジェームズ・ラクストン、美術ハンナ・ビークラー、衣装キャロライン・エスリン=シェイファー、編集ナット・サンダース、ジョイ・マクミロン、音楽ニコラス・ブリテル。
出演トレバンテ・ローズ(シャロン(ブラック))、アンドレ・ホランド(ケヴィン)、
ジャネール・モネ(イテレサ)、アシュトン・サンダース(10代のシャロン)、
ジャレル・ジェローム(10代のケヴィン)、アレックス・ヒバート(シャロン(リトル))、マハーシャラ・アリ(フアン)、ナオミ・ハリス(ポーラ、007 スカイフォール等)。
アカデミー賞とか傑作とかにつられ視聴
観て後悔はないけど、傑作ってこんな感じ?!
少年期、青年期、成人期と話がすすみ
さあどうなるの?!と思ったら話が終わりました。モヤモヤするほどの答えを求める作品でもないので、へぇ〜って感じ。なんとなく注視して鑑賞できるところがさすがアカデミー賞受賞作。
いい映画だけど
タレル・アルヴィン・マクレイニーの自叙伝だったんだ?!
フロリダの、リバティー・シティーの黒人が多い共同体の中で、シャーロンが大人に成長するまでの過渡期を表している。 そこで、最も心に響くのは麻薬ディーラーのフアン夫妻の存在だ。シャーロンはこのふたりに少しずつ心を開いていく。本当に少しずつ。それも、三部作の第二、シャーロンの章で彼は質問ができるようになる。シャーロンは元々内気なのか、家庭環境や学校でいじめられたりホモ扱いされることにより、何も言わなくなったのかわからない。多分両方だろう。家庭環境は母親、ポーラ(初めは看護師のようだ)の都合により、自分の家が娼館になっているようで、シャーロンは家にもいられない。母親は麻薬に溺れている。その母親も、血の繋がりが唯一の武器で、それを盾に、息子、シャーロンをとどめておきたいように思える。学校では、Faggotだと言われ肉体的にいじめに遭うが、家庭では精神的にいじめ抜かれている。これだけのDVを受けて、人間が機能するとは思えない!?
母親は麻薬ディーラーのフアン夫妻と付き合うことを嫌う。それは、面倒が見られなくても『自分の血をわけた子』という発想で、息子を自分の物として考えているから、シャーロンの感情なんてどうでもいい。人格否定している。 これは愛とは言えないと私は思う。ご都合主義である。
学校では、ケヴィンを除いて誰一人とも口を聞かない。周りの生徒はいつ自分が標的になるかしれないと思い、シャーロンに対するいじめを放任しているようだ。高校時代はケヴィンまでがいじめの大将の言うことを聞いている。ケヴィンに殴られても何度も起き上がるシャーロンを『起き上がるな!』と言って叩きのめす。ケヴィンは自分がいじめの標的になるのを恐れてるから、シャーロンのために立ち上がれない。シャーロンは殴られて倒れていればいいものを何度も立ち上がって、まるでケヴィンへ忠誠を誓うようだ。
シャーロンはファンにはやっと打ち解けてきて(それでも、多くを語らないから、心を読むことが難しかった)、泳ぎを教えてもらったり、「入口に背を向けて座るな、全部見通せるところに座れ」と銃、麻薬社会に住む知恵を教わる。ファンははっきりしないが、シャーロンと同じような環境に育ったようで、麻薬ディーラーであっても心の中は父親になってあげているようだ。「Faggotってなに? 麻薬を売っているの」という質問にもファンは嘘を言わなく、考えながらゆっくり正直に答える。いいねえ。シャーロンの母親も間接的には自分の売った麻薬を使っているのに、母親に説教しにいく。そして、ファンは『ムーンライトの中で、黒い少年はブルーに見える』という話をシャーロンに伝える。私個人の解釈は「シャーロンの考えるステレオ・タイプの黒人だけでなく、それ以外の黒人もいる」という意味かな? 自分は自分でいいよという意味だと思った。しかし、タレル・アルヴィン・マクレイニーの "In Moonlight Black Boys Look Blue" からきているフレーズなんだが、修辞的で理解しにくいフレーズだね。実はわからない。 麻薬ディーラーのフアン夫妻のおかげで、シャーロンは生き方を学んだし、家庭になかった暖かさも味わえたと思うが、育っている時から授かっていない愛情をどう受け止めていってるのかシャーロンの気持ちが理解しにくかった。 でも、ベットメーキングを教えてもらった時、『いつでもきていいよ』と言われた時など、どこか身を寄せられるところが存在したのだ。
三部作の第三、そして、車のフロントには王様の冠、歯には金のブレイスを入れ、肉体を鍛え、金のネックレス、ブレイスレットと金があり、シャーロンはパワーもあるところを見せようとしている。内面の弱さを外見でカバーして強く見せようとしている。心の中はトラウマで母親が夢にまで出る。でも、アトランタに引っ越ししたシャーロンがわざわざマイアミまで、母親に会いに来て母親を許すところには、驚いた。許せるのには驚いた。シャーロンは許すことにより、トラウマがなくなったに違いないと思う。許すことはパワフルだからね。
ケヴィンは電話で謝るが、このシーンでシャーロンがケヴィンのことをずうっと思っていたことがよくわかる。ケヴィンとの再会のシーンは圧巻で、ケヴィンの饒舌さ、それに比べて、シャーロンの寡黙さ。子供の頃の二人に戻ったようだ。またケヴィンのアパートも高校生の頃、二人が心を合わせた海辺が見えるように映し出されている。ケヴィンは自分の過去の行為を、自分の思うように行動できず、価値がなかったと。 I was not never really myself(?)と。でも、シャーロンは今はどうなのと聞く。切ない気持ち。だって、ケヴィンは新しい世界を家族と共に、歩んでいるんだよ。子供もいるし.......でも、シャーロンが返す言葉は、You are the only man that's ever touch me!! 参った!
You are the only one!!と。一途に思う気持ちに泣けたよ。終わり方がいいねえ。ただ、わかるのはシャーロンの答えにケヴィンが微笑んだだけ。
私は勝手にバリー・ジェンキンスの自叙伝だと思った。出身地も同じで、母親がドラッグ漬けだったと読んだことがあったから。でも、これはタレルの個人的な経験だとわかった。
『俺に触れたのは1人お前だけだった...』心も身体も...
内容は、アメリカの南部ジョージア州辺りの暴力と麻薬の黒人系社会において主人公が幼少期から青年期にかけての成長物語。好きな言葉は『食べろ!』何しろ食事シーンが多い長い間飢餓に苦しんだ黒人社会を感じれた『選べ!』は両手の中にあるお金を手品の様に当たった風に見せる所の優しさが好きだ。出会いの場面で友達の頬にある傷を眺めるシーンはエロかった。局面では人生がガラリと変わる夜の浜辺のシーンが儚く美しく見ていて辛い。全体的に緑と青が巧みに使われて幼少期の水面ギリギリのシーンは美しかった。性に目覚める胸元見つめるシーンや久しぶりに会う友達が自分子供を見て子供時代を思い出す所も静かな中で楽しく見れた。人種のサラダボールのアメリカで終始黒人しか出てこない作品なのでゼノファーブ『外国人嫌い』ジレンマに苛まれていて辛かった。矜持が執着に代わってしまう構図がわかりやすい。『麻薬』は何一つ悪く無いし『飲酒運転』危険なのになぁと感じた。そして最後にはカタルシスの解放に繋がったので気持ち良かった。
最低な人生をぬるま湯のような温度で流れる映画
極私的自分探しの旅に付合う観客は肩透かし
本作のテーマをひと言で言えば、極私的自分探し。つまり個人史から自分のあるべき姿を探るということである。具体的には、次のようなことを描いている。
「少年時代に面倒をみてくれた夫婦は、ひ弱な自分をあれこれ面倒をみてくれて、まるで太陽と月のような存在であった。自分は道を踏み外し、非行少年たちの中で肉体を鍛えた挙句、犯罪者の顔役となったが、かつて愛した少年が成長して料理人となった姿と再会して、今の自分は偽りであることを知った。自分はひ弱な存在であり、弱いからこそ他者の弱さに寄り添って生きていける。かつて面倒を見てくれた夫婦のように、自分もそのように寄り添って生きていこう」
そんなこと、どの場面で描いているかって? 本作のプロットと、ギリシャ神話に由来する主人公の名前や、原作者の個人的体験に基づくタイトル名(In the Moonlight,Blacks look blue)を踏まえて解釈し直すと、上の要約になるということである。
自分探しの旅だから、スラム、ドラッグ、売人組織等々の、一見社会問題らしきものは、過ぎ去っていく旅の折々の景色に過ぎない。話題になった黒人ゲイの要素は、原作者や監督の生の根源の一部ではあるが、それがメインテーマというわけではない。
さて、それが分かってみて、本作の価値が増すかというと、どうも疑問である。
自分探しの旅にしても、道程が書割り的表面的に過ぎるし、さきに挙げた社会問題やゲイの話題も、単なるトピックスの一つに止まるから、すべて散漫な印象しか残らないのである。
見終わって、何だか当て外れ、肩透かしのような感じを受けたが、考えてみると、それが真っ当な評価ではなかろうか。
2015、2016年のアカデミー賞は、演技部門にノミネートされた俳優が白人で占められ、2016年の同賞司会者クリス・ロックが「アカデミー賞は白人賞だ」と皮肉ったのは有名である。
2017年のアカデミーがどうなるか注目される中、今度はこの作品が8部門でノミネートされ、作品賞、助演男優賞、撮影賞を制したのだった。political correctness は映画賞にもあると感じたのは小生だけではないだろう。
全370件中、21~40件目を表示