ムーンライトのレビュー・感想・評価
全375件中、301~320件目を表示
こいつ、かわいいかも。
正直、作品賞を与える作品なのかは理解の足りなさを感じた。黒人の同性愛は日本においては共感することが難しい。個人的には黒人でなくともかもしれない。が、間違いなくシャロンの気持ちは感じ取れたし、終盤の表情に惚れた。
3人の役者が同一人物の3年代を演じ分ける上で、表情や仕草のシンクロが素晴らしかった。ブラックのところで、こんなに厳つい体になって…と思いながら観てると彼と再会してからというもの、表情がまるで幼くなった。ここはとても驚いた。
小品然とした純愛ものをこのカタチで見せるのかと圧倒される。
賞レース後のこの時期にこうした作品に対して「バイアス抜きで観るための心構え」を要されることにはいつも残念な気持ちになるが、観終わった後にそうしたネガティブな気持ちは一切なく、ただラストのせつなくも美しい余韻を感じながら「良作である」としみじみ考えていた。
まず本作の映像はただならぬこだわりようで、基本的に全てのキャストがアフリカ系であるためその彼らをいかにして映画的に見せるかについて考え抜かれている。これは何も被写体がどうだという次元のものではなく、題材からも由来されるドキュメンタリー色を画面から排除したかったからだ。時代背景などもボカされた中で(これもフィクション性を高めているが実際はバジェットのことが大きいのでは)観客は一人の少年の成長を見続けるのだが、実際には「成長」というより「深まる孤独」を見続けている。主人公の生きる辛さをより多くの人に、時に詩的でもある映像の力で感じてもらおうとしているのだ。
シネコンなどではまず観られない作品のはずだが、まさに賞レースで勝ち抜いたおかげで大きな箱でもかかっている。ゆえに途中で離席する人もいるしそれが初老の女性だったりするのはわかりやすい構図だ。しかし想像力の欠けた彼らにはゲイやバイセクシャルについての配慮や理解など考えもしないだろうし、本作がそれらについてのみ語られているのかどうかも考えないのだろう。そのことについて批判はしないが。
ところで字幕では「シャロン」とされていた主人公の名前だが本来ならば「シャイロン」ではないかという指摘がある。実際スペルは「Chiron」であり、発音も後者だ。これはギリシャ神話に出てくる「ケイローン」というケンタウロス族の賢者と同じスペル。ケンタウロス族は半人半馬であるのでなにか示唆的ではある。
シャイロンは一度いじめられる側から抜け出すための勇気を得たようにも見えたが第2幕では状況が変わっていなかった。そこで抱えているものの深さを感じるのだが、フアンの不在と関係はあるだろう。閉じこもった彼を開かせてくれたのはケヴィンであり、その後のことは失望というよりもただそう仕向けたテレルに対しての怒りが大きかった。だからシャイロンはケヴィンとの再会を心から喜んだのだし、まだはっきりと示されてはいないがようやくにして居場所を得ようとしているのだ。まずはそれだけでも良かったなと思えてじんわり泣けてしまう。
月明かりは太陽のそれよりも柔らかく、ゆえにコントラストも少ない。より平等な光。そうした光で物事を見れば今までと違って見えるだろう。
マイノリティに光を当てた映画
たった一人でも誰かがいれば〜
どなたかが書いていたようにこれはとても切ないラヴストーリー。
でもその前に、少年を助けてくれたフアン(薬の売人)は
悪人なのか?救世主なのか?
数い難い状況の少年にとって例え薬の売人であろうと、
話を聞いてくれて気にかけてくれる人がいると言うのは
どんなに心強い事だろう。
フアン自体がおそらく過酷な少年時代を過ごして来ているのだろうから
少年の心の中がきっと痛い程分かってるんだろう〜
だから無理にシャロンに踏み込もうとせず
淡々と見守っている感じが、
少年にはとても頼もしかったんでしょうね。
この映画に限った事でなく、日本の一般社会にも全く当てはまる話。
たった一人でも本音を話せる人がいれば人はなんとか生きていける。
誰にも心を開けず、自殺してしまうのと、
例え悪人でも心を開いて生きて行くのとどっちがいい事なんだろう?
難しい事だと思う。
大人になったシャロンが、少年期、ティーンエイジャー期を
演じた二人とはパッと見、ぜんぜん印象が違って、
これミスキャスト!?とまで一瞬思ったけど、
懐かしい友と話すうちに、どんどんナイーヴな
昔のシャロンの面影に戻って行く!
大人のシャロン役トレバンテ・ローズは凄いな〜〜
派手な作品では無いので
正直アカデミー作品賞的なお祭り感は足りないから、
お祭りとしてのアカデミー賞はやっぱり
「ラ・ラ・ランド」で良かったんじゃないかと思ったりします。
が、アカデミーに絡まなければ
埋もれてしまったかもしれない作品なのでそこは、ちょっと複雑。
全く本筋には関係ないんだけど
ダメダメな実のお母さんがテレビの後ろの壁に飾っていた
鯉の滝登りの様な絵柄の掛け軸だったり、
フアンの家に飾られていた北斎の波と富士山の版画の写しだったり
この監督さん、結構日本びいきなのかな?なんてい思ったりした。
何がいいのか分からない
これは恋愛映画
救いに関する一考察
見て納得
芥川賞作品?
ヒューマンドラマ
私には難しすぎた。
だけどとにかく優しい雰囲気が漂っていて、美しい目をした登場人物ばっかりだった。
本当のお母さんがヤク中で育児放棄をしていて、最後は施設にはいっており、そこでシャロンに謝り続けていたのには。
はっきり言って私はグッと来ない。私からするとフザケルナと。
シャロンは許す必要はない。だから会いに行く必要もない。
(こんな私は冷たいのかな…)
1番気になったのは幼少期の頃よくしてくれた男の人が何故亡くなったのか。
ストーリー的に何故亡くす設定にしなければならなかったのか。
ヒューマンドラマで人が死ぬのは本当にキツイ。
見た目は変わっても瞳は同じ
「月の光の下だと黒人の男の子は青く光って見える」
この映画の映像加工の技術を物語っているようなセリフだ。黒人の肌、海、木漏れ日が際立っている。この技術、カッコいいからみんなポスターとかで真似するんだろうな。
さて。
登場人物が少々典型化されているのが気になるが、作り手の訴えとメッセージがダイレクトに伝わり、アカデミー受賞の意味は大きいと思う。
「自分が何か、自分は何になるのかは自分で決めるんだ。絶対に他の誰かに決めさせるな」
自分で決めたいのに、生まれた環境によって決められてしまう社会システムにNO!
「泣きすぎて、自分が水滴になりそうだ」
砕けた心をかき集めるようにしながら、必死で生きる人々を無視しないで、彼らの真実を伝えたい!
「オカマはゲイの人を不愉快にさせる言葉」
差別はダメ!いじめはダメ!
「あの夜のことを今でもずっと覚えてる」
ブラックの乙女心にキュンとする。初恋の彼に寄り添う姿は、LGBTもみな同じ!
フアンの恋人の手料理と、コックの彼が作る料理を食べるときの、主人公の無防備で充足感にあふれた表情がいい。
誰かが作ってくれるごはんと、子どもの頃に親から水泳を教わるって、本当に大切なこと!
決して遠いお話ではないところがミソ。
ヒューマンドラマ、味付けビター
ダブルミーニングだと勘ぐるのはやめてね(苦笑)
この映画も町山推薦枠だが、やはり有名になったのはアカデミー賞授与式でのドタバタ劇。まぁあれだけ世間に騒がれたら関心は持たれるだろうなぁと、これもステルスなんちゃら?ってゲスの勘ぐり?w
と、穿った見方を抱きながらの鑑賞だが、ストーリーの組み立て方、構成は流石ハリウッドと頷ける見本みたいな流れである。時間も過不足無く、もたつきも感じられず、丁度良い所に落とし込む技術は映画国の白眉と言ったところか。
では、ストーリー内容なのだが、こればかりは好き嫌いがはっきりしてしまうのではないだろうか。ゲイ作品となると、どうしても抵抗感が拭えないのは、未鑑賞だが、『ブロークバックマウンテン』等、その描写の生々しさにフィルターをかけてしまいがちになる。だが、そこまでの絡みのシーンがレベルダウンしているので(代わりのヘルプ行為は中々センセーショナルだが・・・)、逆にそこに行くのかもと内心ドキドキ感を持ったままのラストカットへの流れは、正直安堵したというのが正直な気持ちだ。ホラー映画のそれとは違って、良い展開で不安が消されるという経験は、この手の内容ならではだろう。それ位、このストーリーの3分割中の“シャロン”と“ブラック”の別人じゃないかと驚いた位の主人公の、日本人がおよそ想像する怖いアフリカ系アメリカ人の容貌が男の肩に甘えるシーンはジョークを通り越して、驚愕すら感じる。あんなスタイルでも、頑張って自分を変化させても、やはりアンデンティティは変えることが出来ないというメッセージが静かに訴える作品だ。
映像だが、相当『ライトアップ』について、VFXを使って作り込んでいるとのこと。確かに、光りの多用さは確認できる。例えば、車の中を撮している時の、外の太陽光の鮮やかさと車内の暗さのコントラスト等に美しさを感じ取ることが出来た。月明かりでの彼らの黒い肌がまるでカナブンのような青い玉虫色に光る様は、人間美としての完成型を感じた程だ。
『黒』ではなく『青』、そこに自我を肯定する想いをしたためた監督の自伝的映画なのだということをしみじみと感じた作品である。
生きることの厳しさと、詩的な愛の眼差し。
題材はとてもエッジィで挑戦的な内容だけれども、今この時に観る意味のある映画だと感じた。社会的なマイノリティである黒人の少年が、いかにして自分自身を見つめ、そして彼らはこの世の中をどうやって生きていかなければならないのか。そうして生きていくしかないのか。そんなことを問いかけながら、しかし同時に根底に流れる熱い愛のまなざしが映画を優しく包み込む。厳しさと共に深い愛を描いたとても崇高な作品で、社会的なドラマでありつつも、とても情感的なラブストーリーであり、映画全体が一編の詩のようだった(正確には3篇からなる連作詩か)。
特に、主人公シャイロンと親友ケヴィンが交わすセリフのやりとりは、まるでセリフがそのまま詩のように美しく情緒豊かでうっとりとする。少年時代の友情の育み、思春期の性の育み、そしてすれ違いと、青年期になって解け合う二つの心の灯が、その都度とても詩的に語られ、観る者の心に波を立てる。シャイロンの中に蠢く今にも溢れてこぼれそうな情感を、しかし決してそれを溢して溺れてしまわないように丁寧に綴り、と同時に、シャイロンの心から静かにあふれ出た情感の雫は絶対に見逃さない。そんな繊細さがこの映画には常に存在していて、わずかの刺激で今にも崩れてしまいそうなシャイロンの心をここまでありありと掬い取ることによくぞ成功したものだと、本当に唸った。
そしてこの物語はやはり、黒人の少年が主人公であったということにも大きな意義があり、シャイロンという一人の少年が送る「青春」の奥底に蔓延る、黒人として生きることの厳しさと、彼の性的な嗜好が現代社会と黒人社会において何を意味し、少年の生き方をどこへ向かわせてしまうのか、と言ったことをしっかりと考察し、我々に直視させる。
この映画が描いていることって、特にアメリカにおいては当たり前にある物語で、人々のすぐ隣で起こっていることのはず。だけどなぜか今まであまり映画では描かれてこなかった。しかし語られる意義のある物語であるし、語り継ぐ意味のある映画であると思うし、だからこそのオスカーなのだと思う。
いつか、この映画のような物語が、自然と語られなくなる日が来ればいいと思う。人種も宗派もセクシャリティも・・・誰しも同じでないということがもっともっと当たり前に理解されて、それによる偏見や迫害がなくなり、この映画の内容が「大昔の出来事」としていっそ忘れられてしまうくらいの社会になれば、本当は一番いいのかもしれないのにと思う。
ああ、ほっこり。
何を感じるか
シャロン3部作。
言葉少ないシャロンの内面を前面に出し、美しい映像、響く音楽、役者の演技力により詩的な雰囲気の映画になっています。
同性同士の恋愛を主軸に置いてはいますが、薬中毒の母親、父親替わりのフアン、その奥さん、また唯一心を許せたケビンなど…シャロンの心の揺れを通し、観客である自分の感情のどこかに触れるものがあるのではないでしょうか。
ある人にとっては容易いことかも知れないが、その実現が難しい立場の人もいる…
前半にしか登場しないアリの存在は、映画の主旋律ともなるシンプルなメッセージを観る者に送ってきます。
物語は静かに進み、月の光の下に佇む子供時代の自分…
振り向いたその子の目は真っ直ぐにこちらを向いていた。
この映画に2017年のアカデミー賞を与え、観る人の間口を広げたことはよかったと思います。
全375件中、301~320件目を表示














