ムーンライト : 映画評論・批評
2017年3月21日更新
2017年3月31日よりTOHOシネマズシャンテほかにてロードショー
少年の成長譚から、甘酸っぱく狂おしいメロドラマへ。映画は見事な大変身を遂げる
苦く、そして美しい。アカデミー賞授賞式のまさかの発表間違い騒動でとたんに有名になった感はあるが、作品賞に相応しい内容とクオリティを備えている。が、ちょっとだけ事前にお伝えしたいのは、おそらく、多くの人が思い浮かべる「アカデミー賞受賞の名作!」とはちょっと違う、ということだ。
本作は、マイアミの貧しい地区で暮らす少年シャロンの姿を、少年期、高校時代、そして成人してからの3つの時代を通して描いている(外見の違う3人の役者が同じ“眼”を持って見えるのが素晴らしい)。マイアミ=陽光輝く享楽的な街という従来のイメージは通用せず、世間から忘れられ、時間すらも止まったような気だるい郊外の姿が切り取られていく。
冒頭に登場するのは、麻薬ディーラーのフアン(マハーシャラ・アリがアカデミー賞助演男優賞に輝いた)。町の顔役を気取ったチンピラだが、情に厚く、いじめっ子に追いかけられているシャロンに救いの手を差し伸べる。
普通なら、フアンとシャロンの疑似親子的な交流だけで一本の映画が仕上がってしまうだろう。実際、最初のパートは警戒心に包まれたシャロンと、その心を解きほぐすフアン、ドラッグ中毒でフアンに敵意を抱くシャロンの母親を中心に展開していく。
ところが、だ。ストリートで生きる薄幸な少年の成長譚というわかりやすい構図は続く第二章で簡単に覆される。「ムーンライト」は「こんな映画ですよね」という余談を一切許さず、暴力的なまでの強引さで時代をすっ飛ばし、観客を次の章に放り込む。われわれはシャロンたちの語られない空白を想像で埋めながら、提示された新しい局面を見つめ続けるしかない。
やがて物語は、ストリートの現実から同性愛の葛藤と言うテーマにシフトしていく。いや、シフトしていくというのはおかしい。どんなに繊細でも凄まなければ生きていけないストリートの掟が、シャロンの中で明確になっていく同性愛という自意識を抑圧し続ける。2つの要素は密接に絡み合っているのだ。
そして第3章を終える頃には、映画は冒頭とはまったく別のナニカに衣替えを果たしている。筆者が抱いた印象では、これはケイト・ブランシェット&ルーニー・マーラの「キャロル」を彷彿とさせるメロドラマであり、ウォン・カーウァイ作品のような耽美でセンチメンタルなラブストーリーだ。映っているのが黒人のオッサンでも、甘酸っぱくて狂おしい。蛹から蝶が孵化するかのごときみごとな大変身だと思う。
(村山章)