散歩する侵略者のレビュー・感想・評価
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隠れた名作
SF要素たっぷりのサスペンス
タイトルがそそる
舞台作品の映画化
その元になった芝居の方が観たことがない
舞台表現と映画表現は全く違うので別物と観るべきだろう
日本テレビが制作に関わっているし長澤まさみ松田龍平長谷川博己などという豪華な面々なので明らかにメジャー系だがこの作品の存在を知ったのはつい最近
誰かは忘れたが映画comで関連作品を調べたらこれが目についてチェックしたらオールタイムベストという金色の称号を得ていた
いわばこの作品に出会えたのは映画comのおかげで感謝している
削除主義には辟易しているが利用価値はかなり高い
冒頭は血まみれの女子高生役恒松だが主役ではない
今回も演技力が光る
全体的に『寄生獣』と似たような雰囲気はあるがグロさはかなり低い
だから予算はあれに比べたら高くはない
車に轢かれる瞬間に一瞬明らかに人形だったのはあまりにも残念で唯一の難点だがそこには予算をかけてほしかった
松田兄弟は弟のほうが圧倒的に好きだし演技力もあっちが上だが龍平独特の飄々としたい佇まいが宇宙人役にぴったりとハマっていた
今回の高杉くんは宇宙人役だが今まで観たなかで1番存在感があった
ハマっていた
主演ではないが彼の代表作かもしれない
宇宙人が侵略する話は古今東西多数あり枚挙に暇がない
今回の侵略者は人差し指一本で人の「概念」を奪っていく設定
侵略者の数は知らないがこの方法で地球そのものを奪いとるのは気が遠くなるような年月が必要だろう
3分とか3日とか豪語していたが無理無理
なんか呑気な話だが宇宙人そのものに高い能力があるのなら武力で制圧するよりコスパが良いことは間違いない
ウルトラマンシリーズにはこのパターンの宇宙人は記憶にない
侵略のやり方がまどろっこいのは仮面ライダーや戦隊モノの悪役に近いがあれほどせこくはない
通信機で援軍を呼ぶのか
まずは下見か
なるほど慎重だな
引きこもり気味の男から概念を奪うと活動家になるのも面白い
愛は惜しみなく奪えなかった
愛はうまくイメージできない
深い
神父役が東出昌大ってのが面白い
松田龍平とか東出昌大のような役者も必要だな
でも妻からは奪えた
全ての景色がまるで違って見えるなんて初体験を済ませた安田一平みたいだ
愛の力は偉大だった
愛を奪われた妻はもぬけの殻なった
どんなオチかと期待してワクワクしたがそれがちょっと弱いかな
言葉がなくても通じるってはいい
無駄な独り言が多いおじいちゃんは知的とは言い難い
人類全体としてはハッピーエンド
星5は流石に厳しいが星1とか2はあり得ない
もしあるとすれば映画を評価するうえで余計な概念があるからだろう
この広い宇宙で地球以外に知的生命体が存在する星はたくさんあるだろうがワープでもしない限りここに辿り着くことは不可能
理屈からいってワープは無理
よってどこまでいっても空想に過ぎないから本当に宇宙人が侵略してきたらどうしようと心配するなんてきっと杞憂に終わる
自我のアンインストール
やっぱ監督のマスターベーションかなぁ
人になりすまして暮らし、人から「概念」を奪う侵略者、というネタは面白い。
また俳優陣の演技も素晴らしい。
長澤まさみはどんな役にも違和感なく自然にハマる、本当に凄い実力を持った人だと舌を巻くし、徐々に宇宙人側に肩入れしていく長谷川博己も良かった。理由はわからんけど(笑)
宇宙人側の松田龍平は言わずもながだが、若い2人もたいしたものだと思う。
だからシナリオがなぁ…。
結局武力行使するんなら「概念を奪う」必要性って?とか、論理的整合性が皆無なので、SFとしては楽しめない。
まあSFを創ったつもりもないのだろうけど。
最終的に彼らが侵略をやめた理由も明示されず、「彼らが『愛』を知ったから」という分かったような分からんような納得をするしかないとは…。
その「愛」の持ち主である人類も侵略をするんだが?
鳴海のラストの「症状」とは?
そもそも鳴海は真治に「愛」を奪われても何も変わらないと言っていたのだが?
そのあたりは投げっぱなしか…。
難解であれば高尚、という安直な価値観で創ってないか?
この手の「侵略者が人間社会に紛れ込んでいる」というネタは珍しいものではなく、「ボディ・スナッチャー」などの先駆者が存在する。(個人的には「ゼイ・リブ」が好き(^-^*))
それらと比べると、やはりどうにも焦点がボケている感は否めない。
鳴海と真治の夫婦だけの話なら、あるいは天野とあきら、桜井だけに話を絞れば、こんなボヤケた印象の映画にはならなかったと思うのだが…?
それでもなおかつ、ラストの「侵略開始」のシーンは納得がいかないが。
CG予算の無駄遣い(笑)
そしてこの映画の感想を一言で言うなら、長澤まさみの才能の無駄遣い(笑)
わかりにくい巨匠度
体を乗っ取られて、または擬態によって、宇宙人が人間の姿をしている設定は、ひんぱんにSF映画に使われます。
そのばあい、人間の姿をしていながら、宇宙人を表現しなければなりません。態度が重要になると思います。
アンダー・ザ・スキン(2013)では、スカーレットヨハンソンが、捕食にまどろっこしい手続きをとる宇宙人でした。
オランダ、ベルギー、デンマークの合資映画、ボーグマン(2013)は、宇宙人なのか終いまでわかりませんでしたが、人でない人に魅力がありました。
人間型宇宙人の利点は予算がかからないことです。へたに宇宙人を創出しないことでリアリティにも貢献します。
黒人の宇宙人をアイロニカルに描いた、ジョンセイルズのブラザーフロムアナザープラネット(1984)がお手本です。
ヒドゥン(1988)も良作でした。
ジョンカーペンターのゼイリブ(1988)には、陰謀論者が好む未来像があり、枠外のカルト映画になっています。
ナターシャヘンストリッジの裸しか思い出せませんがスピーシーズのシリーズも擬態でした。人間型宇宙人には、エロにも落とせるメリットがあります。MIBやスリザーなどコメディでも使えます。
それらの過去に演じられた宇宙人を思えば、散歩する侵略者の宇宙人はあまりにも普通の人です。そこに軽さを感じるのは、宇宙人には、地球の概念がないはずだからです。
地球の概念がないはずの宇宙人が、地球の日本にありがちな、類型的キャラクターになっているのです。
タチバナ君はよくあるタイプのクールな男の子、アマノさんはよくあるタイプの粗暴な女の子、しんちゃんに至っては、いつもの松田龍平です。なぜ、わざわざ類型に嵌めたのかが解りません。
話が、短絡とご都合主義で進みます。
ナルミ(長澤まさみ)としんちゃん(松田龍平)が逃走中、子供達が賛美歌を歌っているミッション系幼稚園へまぎれこみます。
そこへおもむろに東出昌大ふんする牧師があらわれ「愛」について説明をします。この説明が、愛は寛容であり、愛は親切です……のコリント人への手紙がまんまセリフになっています。しかし真剣に演じています。おそらく笑いを提供している場面ではないと思いますが、その確証がありません。
是枝裕和、李相日、などリアリティ系の監督が台頭するこんにちでは、黒沢清の短絡が軽さに見えてしまいます。軽さというか、何でしょうか。手法なのか手抜かりなのかがわかりません。端折る感じが、大胆なのです。率直に言ってしまうと、才能なのか、才能じゃないのかが解りません。
死んだ目の魅力というものがあると思います。
岸部一徳、新井浩文、白竜なんかが得意としています。
死んだ目のまま、荒々しいことをすると凄みが感じられ、北野映画をはじめ現代的な暴力映画ではけっこう使われます。
ところが、死んだ目の演出が増え、さまざまな俳優が死んだ目を演じるようになり、そうなってみると、慣れがやってきました。「死んだ目疲れ」とも言えます。
死んだ目のまま、荒々しいことをしても凄みが感じられなくなってしまったのです。
こわもてには、怖い面という意味と、相手がこわがって優待するといったモテ方、の意味があります。
岸部一徳はまさにこわもてでした。その男凶暴につきの頃から、邪悪な役回りの定番役者になり、一時は悪役の代名詞のようでした。
それが今では、女言葉で麻雀をぶつ陽気なあきらさんのほうが板についています。むしろかわいいと言えるキャラクターに変貌しています。
死んだ目の元祖たるヒーローは松田優作だったと思います。長男の松田龍平も死んだ目で売ってきた俳優でした。無表情な得体のしれない感じ、覇気のなさが魅力です。それが「死んだ目疲れ」の潮流で、お茶の間に入り込めるキャラクターになった感があります。
もはや死んだ目では、かつてほどの凄みを演出することができません。
散歩する侵略者のしんちゃんは、宇宙人なのですが松田龍平が演じているゆえに、宇宙人の不可思議が感じにくくなっています。
これはいつもの松田龍平だ、ちっとも変わっていないじゃないか、の印象が占拠してしまいます。かつ「死んだ目疲れ」の影響もあり、眼鏡にしたら坂元裕二や野木亜紀子のドラマのようです。
もともと宇宙人的キャラクターの松田龍平に宇宙人を期待したキャスティングが安直なのです。
愛は大きすぎるテーマだった気がします。
しんちゃんがナルミから愛を奪ったときの感想が「うわーなんだこれ」でした。
すなわち愛のスゴさを知ったことで宇宙人は地球征服をとりやめるのですが「うわーなんだこれ」は、未知の愛を体感してしまった驚嘆というよりは、まるでグループ名の紹介でドーナツにホールをつけてしまった別府君のようでした。
しかもそれが完全な真剣度でした。その確証がありませんが、おそらく笑いを提供している場面ではなかったと思うのです。
黒沢清のSFサスペンス
初レビューです
一ヶ月ほど前、「Fukushima 50」を誰もいない映画館で見て、命をかけた9年前のひりひりするほどのあの静謐な感触がまったく伝わってこないのは、役者たちが馬鹿に力入れすぎだったからか、演出の間違いか。コロナの感染爆発を人類にとって第三次世界大戦なんだなどと外国の大統領やら首相やらが大騒ぎする中で、自宅待機する小さなパソコンの画面であまり事前の下調べもなくこの「散歩する侵略者」を見て、少し感動した。死者数だけで見るなら毎年インフルエンザで死ぬ人数より、圧倒的に少ないコロナウィルスの目に見えない恐怖を彷彿とさせる映画で、パンデミックの映画と大げさに言ってない分、リアルさを感じる近未来映画だった。見る時期ってあるんだなあ。コロナの意味は 太陽大気の最外層ってことで、宇宙人の侵略よろしくコロナウィルスは地球上を散歩しまくってますね。
長澤まさみは怒ってるほどかわいい
宇宙人の中に愛や友情が自発的に芽生えているかのように見える。だけど松田龍平が長澤まさみから愛を奪うとやはり彼女も人格を失ってしまう。
これは相手に愛や友情があると受け取っているのはあくまでも自分自身であり、世の中には平気でそれを装っている人がいるよね、愛なんて受け手の思い込みよねという喩えなのだろうか。
この監督の映画にテーマなんて期待しようとは端から思ってはいないのだけど、怒りっぽいヒロインである長澤まさみを往年メロドラマ風のカメラワークで捉える時に、どうしても愛ってあるよねということを観客としては信じたくなってしまう。同時にそれを勝手に観ているのはあくまでお前自身だと映画に言われているような感覚もある。まるで禅問答のような。
こんな風に書くとすごく深みのある映画のような気もするが、やはり基本的には出鱈目でナンセンスな映画なのだとは思う。概念を一つ奪われたからといって人があんな風に廃人になる意味が分からない笑
愛は地球を救う?
監督が原作の舞台が好きで映画化という事で仕方ないが、作風との相性があまり良くない。
例えば、監督の作風だと特撮のチープさがより際立ってしまうなどだ。コメディ部分も不得意なのかイマイチで、コメディが得意な長澤まさみでこれはいただけない。
個人的に気になったのは松田龍平には悪い男のイメージが無いのに、宇宙人が乗り移る前の人物像をあまり描いていない所で、元の悪い男がイメージしにくいため、長澤の感情変化が伝わりにくく、結果的に面白さも愛が地球を救う感動も伝わりにくくなってしまったように思う。
ネガティブな事ばかり書いてしまったが、出来が悪いわけではない。上に書いた欠点も複数回鑑賞する事でカバー出来るものが多いので、是非二回鑑賞してみてほしい。
お願いだから邦画の銃撃戦は禁止!
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