散歩する侵略者のレビュー・感想・評価
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自我のアンインストール
食う寝る喋る以外の、家族、仕事、自我(概念アプリ)をアンインストールされたら、な一本。
ならば隣人を殺すとした「CURE」の変奏曲。
前田敦子が黒沢清組に加わって嬉しい。
同年の重要作「メッセージ」との符合も。
原作は舞台だったらしく、非常に納得。同じキャストで舞台やったら面白...
原作は舞台だったらしく、非常に納得。同じキャストで舞台やったら面白そう。
同じテーマを扱う映画はごまんとありますが、このような取り上げられ方は見たことなくてとても斬新でした。
やっぱ監督のマスターベーションかなぁ
人になりすまして暮らし、人から「概念」を奪う侵略者、というネタは面白い。
また俳優陣の演技も素晴らしい。
長澤まさみはどんな役にも違和感なく自然にハマる、本当に凄い実力を持った人だと舌を巻くし、徐々に宇宙人側に肩入れしていく長谷川博己も良かった。理由はわからんけど(笑)
宇宙人側の松田龍平は言わずもながだが、若い2人もたいしたものだと思う。
だからシナリオがなぁ…。
結局武力行使するんなら「概念を奪う」必要性って?とか、論理的整合性が皆無なので、SFとしては楽しめない。
まあSFを創ったつもりもないのだろうけど。
最終的に彼らが侵略をやめた理由も明示されず、「彼らが『愛』を知ったから」という分かったような分からんような納得をするしかないとは…。
その「愛」の持ち主である人類も侵略をするんだが?
鳴海のラストの「症状」とは?
そもそも鳴海は真治に「愛」を奪われても何も変わらないと言っていたのだが?
そのあたりは投げっぱなしか…。
難解であれば高尚、という安直な価値観で創ってないか?
この手の「侵略者が人間社会に紛れ込んでいる」というネタは珍しいものではなく、「ボディ・スナッチャー」などの先駆者が存在する。(個人的には「ゼイ・リブ」が好き(^-^*))
それらと比べると、やはりどうにも焦点がボケている感は否めない。
鳴海と真治の夫婦だけの話なら、あるいは天野とあきら、桜井だけに話を絞れば、こんなボヤケた印象の映画にはならなかったと思うのだが…?
それでもなおかつ、ラストの「侵略開始」のシーンは納得がいかないが。
CG予算の無駄遣い(笑)
そしてこの映画の感想を一言で言うなら、長澤まさみの才能の無駄遣い(笑)
わかりにくい巨匠度
体を乗っ取られて、または擬態によって、宇宙人が人間の姿をしている設定は、ひんぱんにSF映画に使われます。
そのばあい、人間の姿をしていながら、宇宙人を表現しなければなりません。態度が重要になると思います。
アンダー・ザ・スキン(2013)では、スカーレットヨハンソンが、捕食にまどろっこしい手続きをとる宇宙人でした。
オランダ、ベルギー、デンマークの合資映画、ボーグマン(2013)は、宇宙人なのか終いまでわかりませんでしたが、人でない人に魅力がありました。
人間型宇宙人の利点は予算がかからないことです。へたに宇宙人を創出しないことでリアリティにも貢献します。
黒人の宇宙人をアイロニカルに描いた、ジョンセイルズのブラザーフロムアナザープラネット(1984)がお手本です。
ヒドゥン(1988)も良作でした。
ジョンカーペンターのゼイリブ(1988)には、陰謀論者が好む未来像があり、枠外のカルト映画になっています。
ナターシャヘンストリッジの裸しか思い出せませんがスピーシーズのシリーズも擬態でした。人間型宇宙人には、エロにも落とせるメリットがあります。MIBやスリザーなどコメディでも使えます。
それらの過去に演じられた宇宙人を思えば、散歩する侵略者の宇宙人はあまりにも普通の人です。そこに軽さを感じるのは、宇宙人には、地球の概念がないはずだからです。
地球の概念がないはずの宇宙人が、地球の日本にありがちな、類型的キャラクターになっているのです。
タチバナ君はよくあるタイプのクールな男の子、アマノさんはよくあるタイプの粗暴な女の子、しんちゃんに至っては、いつもの松田龍平です。なぜ、わざわざ類型に嵌めたのかが解りません。
話が、短絡とご都合主義で進みます。
ナルミ(長澤まさみ)としんちゃん(松田龍平)が逃走中、子供達が賛美歌を歌っているミッション系幼稚園へまぎれこみます。
そこへおもむろに東出昌大ふんする牧師があらわれ「愛」について説明をします。この説明が、愛は寛容であり、愛は親切です……のコリント人への手紙がまんまセリフになっています。しかし真剣に演じています。おそらく笑いを提供している場面ではないと思いますが、その確証がありません。
是枝裕和、李相日、などリアリティ系の監督が台頭するこんにちでは、黒沢清の短絡が軽さに見えてしまいます。軽さというか、何でしょうか。手法なのか手抜かりなのかがわかりません。端折る感じが、大胆なのです。率直に言ってしまうと、才能なのか、才能じゃないのかが解りません。
死んだ目の魅力というものがあると思います。
岸部一徳、新井浩文、白竜なんかが得意としています。
死んだ目のまま、荒々しいことをすると凄みが感じられ、北野映画をはじめ現代的な暴力映画ではけっこう使われます。
ところが、死んだ目の演出が増え、さまざまな俳優が死んだ目を演じるようになり、そうなってみると、慣れがやってきました。「死んだ目疲れ」とも言えます。
死んだ目のまま、荒々しいことをしても凄みが感じられなくなってしまったのです。
こわもてには、怖い面という意味と、相手がこわがって優待するといったモテ方、の意味があります。
岸部一徳はまさにこわもてでした。その男凶暴につきの頃から、邪悪な役回りの定番役者になり、一時は悪役の代名詞のようでした。
それが今では、女言葉で麻雀をぶつ陽気なあきらさんのほうが板についています。むしろかわいいと言えるキャラクターに変貌しています。
死んだ目の元祖たるヒーローは松田優作だったと思います。長男の松田龍平も死んだ目で売ってきた俳優でした。無表情な得体のしれない感じ、覇気のなさが魅力です。それが「死んだ目疲れ」の潮流で、お茶の間に入り込めるキャラクターになった感があります。
もはや死んだ目では、かつてほどの凄みを演出することができません。
散歩する侵略者のしんちゃんは、宇宙人なのですが松田龍平が演じているゆえに、宇宙人の不可思議が感じにくくなっています。
これはいつもの松田龍平だ、ちっとも変わっていないじゃないか、の印象が占拠してしまいます。かつ「死んだ目疲れ」の影響もあり、眼鏡にしたら坂元裕二や野木亜紀子のドラマのようです。
もともと宇宙人的キャラクターの松田龍平に宇宙人を期待したキャスティングが安直なのです。
愛は大きすぎるテーマだった気がします。
しんちゃんがナルミから愛を奪ったときの感想が「うわーなんだこれ」でした。
すなわち愛のスゴさを知ったことで宇宙人は地球征服をとりやめるのですが「うわーなんだこれ」は、未知の愛を体感してしまった驚嘆というよりは、まるでグループ名の紹介でドーナツにホールをつけてしまった別府君のようでした。
しかもそれが完全な真剣度でした。その確証がありませんが、おそらく笑いを提供している場面ではなかったと思うのです。
いろんな登場人物から語れる
様々な登場人物でこの映画は語れると思います。単純でなく絡み合った切り口は素晴らしかったです。特に長澤まさみの感情を追っかけて見ていくことがすごく面白く心地いい揺らぎでした。
黒沢清のSFサスペンス
黒沢清はホラーだけでなく多方面の作品にチャレンジしているし、ある程度にはまとめてはくる監督だと思う。しかし豪華キャストだ。盟友である役所広司を使わなくても長澤まさみと松田龍平というスペシャルなコンビと長谷川博己も加わる。あくまでも個人の見解だが自分は黒沢清作品で人に薦めたい作品は特にない。全て可も不可もない作品に寡占されている。この作品は元々舞台作品らしいがそれもしっくりこない。
長澤まさみ史上最ロングヘアー。
初レビューです
一ヶ月ほど前、「Fukushima 50」を誰もいない映画館で見て、命をかけた9年前のひりひりするほどのあの静謐な感触がまったく伝わってこないのは、役者たちが馬鹿に力入れすぎだったからか、演出の間違いか。コロナの感染爆発を人類にとって第三次世界大戦なんだなどと外国の大統領やら首相やらが大騒ぎする中で、自宅待機する小さなパソコンの画面であまり事前の下調べもなくこの「散歩する侵略者」を見て、少し感動した。死者数だけで見るなら毎年インフルエンザで死ぬ人数より、圧倒的に少ないコロナウィルスの目に見えない恐怖を彷彿とさせる映画で、パンデミックの映画と大げさに言ってない分、リアルさを感じる近未来映画だった。見る時期ってあるんだなあ。コロナの意味は 太陽大気の最外層ってことで、宇宙人の侵略よろしくコロナウィルスは地球上を散歩しまくってますね。
長澤まさみは怒ってるほどかわいい
宇宙人の中に愛や友情が自発的に芽生えているかのように見える。だけど松田龍平が長澤まさみから愛を奪うとやはり彼女も人格を失ってしまう。
これは相手に愛や友情があると受け取っているのはあくまでも自分自身であり、世の中には平気でそれを装っている人がいるよね、愛なんて受け手の思い込みよねという喩えなのだろうか。
この監督の映画にテーマなんて期待しようとは端から思ってはいないのだけど、怒りっぽいヒロインである長澤まさみを往年メロドラマ風のカメラワークで捉える時に、どうしても愛ってあるよねということを観客としては信じたくなってしまう。同時にそれを勝手に観ているのはあくまでお前自身だと映画に言われているような感覚もある。まるで禅問答のような。
こんな風に書くとすごく深みのある映画のような気もするが、やはり基本的には出鱈目でナンセンスな映画なのだとは思う。概念を一つ奪われたからといって人があんな風に廃人になる意味が分からない笑
愛は地球を救う?
監督が原作の舞台が好きで映画化という事で仕方ないが、作風との相性があまり良くない。
例えば、監督の作風だと特撮のチープさがより際立ってしまうなどだ。コメディ部分も不得意なのかイマイチで、コメディが得意な長澤まさみでこれはいただけない。
個人的に気になったのは松田龍平には悪い男のイメージが無いのに、宇宙人が乗り移る前の人物像をあまり描いていない所で、元の悪い男がイメージしにくいため、長澤の感情変化が伝わりにくく、結果的に面白さも愛が地球を救う感動も伝わりにくくなってしまったように思う。
ネガティブな事ばかり書いてしまったが、出来が悪いわけではない。上に書いた欠点も複数回鑑賞する事でカバー出来るものが多いので、是非二回鑑賞してみてほしい。
お願いだから邦画の銃撃戦は禁止!
個人評価:3.5
SFサスペンスとしては原作はきっと面白いのだろう。
邦画特有のクオリティなので、よくあるA級キャストを使ったB級映画に仕上がっている。
黒沢清らしかぬ演出である。
銃撃戦や爆破など、最初からちゃんと作れないシーンは脚本からカットすべきだろう。世界観やリアリティはその瞬間に崩壊し、冷めた目線となる。
SF仕立てで、人間同士の交流や、夫婦の再構築をテーマに描いているが、人間描写も希薄で、センスの無い会話劇の為、ただのテーマの無いB級SF映画に仕上がっている。
ただ長谷川博己と宇宙人役の男の子の演技は良かった。
空気感は悪くないが、意味不明。
『散歩する侵略者』
*主演*
長澤まさみ
松田龍平
*感想*
気になったので鑑賞。ん~不気味な映画だったな~
宇宙人の侵略…ね。。
概念を奪ったり、愛について意味を知ったり、よく分からないけど、キャストが演じる「宇宙人」の見た目がノーマルな人間なのが逆に不気味で言動も気持ち悪い。しかし、ホラーとサスペンス要素も含んでて、リングや呪怨のような重くてどんよりとした空気感が良かったけど、全体的にストーリーが意味不明。
あと、キャストが何気に豪華で、個人的に光石研さんが好きです。(笑)
侵略するんならもっと派手なアクションが欲しかったな、、ウィルスとか正直よく分からなかったし、ガイドの役割もイマイチだった。
以上ですw
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