「吉高由里子がすべて」ユリゴコロ flying frogさんの映画レビュー(感想・評価)
吉高由里子がすべて
レンタルで映画を見て、吉高由里子があまりに良かったので原作を読んだ。
沼田まほかるはドロドロで陰々滅々した作品が多いのであまり好まないのだが、これは良かった。
で、改めて映画を見ると…、やはり原作の出来損ないにしか見えない。
殊に映画初見時に、良いと感じたシーンは「ユリゴコロ」の中身、つまり原作に非常に忠実に創られていた部分で、批判的に感じたシーンはすべて原作からの改変箇所、というのはどういうことだ(笑)
ちなみにこれは、いわゆる「原作至上主義」とは少し違う。なんせ初見時には原作は未読だったのだから。
改変は原作から亮介の弟の亮平、美紗子の家族など登場人物を何人かカットしたことによる辻褄合わせが主なのだが、あまり上手く処理できてるとは思えない。
例えば美紗子を一度は殺す決断をしたが、最終的にはもう夫や子供には会わないという条件を付けて生かすシークエンス。
これは原作者は、一度でもこの決断を洋介にさせるわけにはいかない、と思ったからわざわざ登場させる必然性に乏しい美紗子の家族(2人が出会った時は美紗子は完全に家族と没交渉だった)を引っ張り出して、美紗子の父親にその役割を振ったのではないか?
やはり洋介自身がこの役割を持ってしまうと、少なくとも原作のあの美しいラストシーンには繋がらない、と思う。
原作のラストシーンの美しさが際立っていただけに、映画でそれをあっさり捨てられたのは寂しい。
「ユリゴコロ」の真相を知ったときの亮介の反応も原作と映画ではずいぶん違うのだが、それは原作どおりの反応では観客を納得させるのは難しいと考えたからか。
それとも監督自身が納得できなかったからか。
だとすると、あの原作のラストシーンも納得できなかったんだろうな…。
でもそれならなぜ、「ユリゴコロ」の内容にも改変を加えなかったのだろう?
それと大きな減点ポイントは、亮介が序盤から時折見せる妙な攻撃性。
あれはなんだ、「殺人鬼の血を引いている」という伏線のつもりか?
遺伝子で人間性が決定される、とでも言いたいのか?
だが、それでも美紗子の殺人嗜好は亮介が見せる「単純な攻撃性」とはまったく違う。
何にしても、安っぽくて無意味な演出。
それと千絵の旦那に関するシークエンスは、ありゃなんだ。
事務所に詰めた複数のヤクザを全滅させるとは、確かに木村多江はこのくらいやってのけそうな雰囲気を醸し出したりもするが(笑)、あれはやりすぎだし無意味だろう。
監督は美紗子を何だと思ってるんだ?
特殊訓練を受けた工作員でないと絶対無理。
というわけで、映画としてはあまり評価したくはない出来映えなのだけど、それでも吉高由里子の演技は良かった。
松山ケンイチも安定の演技をしていたのだけど、吉高由里子の前では完全に霞んでいた。もっとも、話の筋からしてそれが正解なのだけど。