「自意識にのたうち回る少女、あるあると感じてしまうのはそんな時期を経験して今があるから。」スウィート17モンスター トッポギさんの映画レビュー(感想・評価)
自意識にのたうち回る少女、あるあると感じてしまうのはそんな時期を経験して今があるから。
主人公のメイリーンは常に1人で悩み、のたうちまわり、神頼みをしている。周りの同級生なんて私と気が合わないと防御線を張り、自分の領域を侵されまいと必死だ。自意識が空回りしているのである。唯一の理解者だった父の死、親友が大嫌いな兄貴とファック、母は出会い系サイトで出会ったわけのわからない歯医者と一悶着。どこにも居場所はなかった。1人を望んでいた。にも関わらず寂しがり屋。気難しい思春期の娘をもつ全国のお父さんには同情の念しかない。
全編に渡って、メイリーンの「訳のわからなさ」に我々は振り回される訳だが、独特な間と言葉でメイリーンをたしなめるウディ・ハレルソン演じるブルーナー先生や、ヘイリー・ルー・リチャードソン演じる宇宙規模の懐の広さを持つ親友クリスタらの存在により、彼らに同情しつつメイリーンが愛らしく思えてしまうから不思議である。17歳という時期は一番モンスターになりやすい時期であり、特に女の子は精神的な面で一番多感な時期なんだと思う。筆者は共学だったため、思春期の女子がどういう生態だったかくらいは少しは分かる。一喜一憂しやすく、強がるくせに寂しくて誰かに相手をしてもらいたい。なんでこんな同情してしまうのだろうかと思ってしまうのは、我々にもそんな時期があったからなのである。snsでその時の熱量のまま文章を書いて、ちゃんと読んでみると自分気持ち悪!何書いてんだ自分!なんて感覚も極めて現代的で、中高生がこのシーンを見たときはドキっとしてしまうに違いない。物語のラスト、一歩踏み出して今まで築いていた壁を取っ払い、新たな友達と話しをしているネイリーンの顔は心なしか、ぐちぐち同級生に文句を言っていた時よりも垢抜けて楽しそうに見える。総じてネイディーン演じるヘイリー・スタインフェルドの役作りによる等身大のティーン感が素晴らしかったと言っても過言ではない。
モンスターになって今がある。自意識にのたうちまわり、いくら周りに迷惑をかけても、そんな時期もあったなと、メイリーンも何年か経てば思っているに違いない。自分で働いたお金で、アイスを食べながら。