午後8時の訪問者のレビュー・感想・評価
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異色のハードボイルド。
シロウト探偵物というジャンルがあるが、まさかダルデンヌ兄弟がジャンル物にここまで接近してくるとは思いもよらなかった。もちろんダルデンヌらしい現実の社会問題への告発や警鐘は込められているのだが、まず医者であるヒロインが、患者の脈拍の変化から「何か知ってるわね!」と切り込んでいく捜査の仕方が新鮮で面白い。
もうひとつ感じたのは『チャイナタウン』でも『ロンググッドバイ』でも何を引き合いに出してもいいが、これが正統派のハードボイルドミステリーであるということ。
推理にはさほど重きを置かず、あくまでも主人公があっちにフラフラこっちにフラフラと動き回るうちに、怪しい人物が次々と現れ、やがて真相にたどり着く硬質な迷宮めぐり。孤独な暮らしをしているらしいこと以外背景がわからないヒロイン像も、ゴツゴツとしたハードボイルドの触感にぴったりだった。
一介の市民の目線で紡ぐダルテンヌ流サスペンス
人生は“もしもこうしていたなら”という後悔で満ちている。本作のヒロインである女医のジェニーも「あの時、ドアを開けなかったこと」にとらわれ続け、遺体となって発見された少女の名前を知ろうと、事件の渦中へと飛び込んで行くことに。名匠ダルテンヌ兄弟の手にかかると、かくも警察などの捜査関係者とは全く違う一人の女性の視点で事件の追究が展開され、また彼女が出会う人々の証言からは、その地に根ざした貧困や移民、犯罪、医療、または親子や家族間の関係性といった様々な様相が垣間見えてくる。その誰もがそれぞれのレベルの「あの時こうしていたら」という思いを抱えて生きていることも印象深い。初めは事件に首をつっこむヒロインの行動が衝動的なもののように思えるのだが、それは106分を通じて「なぜ彼女はこの診療所に居続けるのか」といった命題への答えにも成り得る。本作は周囲を解き明かすことでやがて自分自身の使命感や胸の内にたどり着く映画とも言えるのだろう。
まじめなキャラクター
海外の報道でPortrait de la jeune fille en feu(2019)が絶賛されている。英語タイトルがPortrait of a Lady on Fireとなっている。rottentomatoesが98%、imdbが8.2。いちばん見たい映画だが、順当にこっちへ来てくれるか解らない。
フランスのアカデミー賞=セザール賞に部門ノミネートがあがったが、ポランスキーの「J'accuse」が作品賞を受賞したことに腹を立てたアデルエネルおよび監督のCéline Sciammaらが式から退席したと報道されていた。
報道にあることしか知らないが、ポランスキーは過去の未成年者への性的暴行罪で起訴され、その後にも告発によって、幾つかの被害立件の渦中にあるという。
そんな彼の映画が作品賞に選ばれたことに反発し、自身も性被害のサバイバーで、フランスのミートゥー運動を牽引するアデルエネルが「ブラボー!ペドフィリア!」と叫んで会場から去った──とのことである。
ポランスキーの作品賞受賞はフランス市民の反感を買いデモにまで発展した。これらは、つい先月(2020/02)の話だそうだ。
アデルエネルはいまのフランスの代表的な女優だが、日本のわたしには馴染みがうすい。見た作品もすくない。これがもっとも印象的だったが、ほかはあまり記憶がない。
ただyoutubeに遍在している彼女のインタビュー動画を見たことがある。
演技上にない素のアデルエネルは、見たこともないほど天然な感じの人である。
対談や会見の最中、彼女は、絶え間なくキョロつく。
眼球と頭がつねに動いて、意識が散漫にほかへ移る。まるで動画にでてくる赤ん坊のように、たえずどこか/なにかを触り、忙しなく好奇心の方向が変わる。
その一方で熱く語ったりもする。
その、素のファンキーな感じがクリステンスチュワート以上なのであって、とうぜん、そんな人はおらず、まして女優ならなおさらである。
ゆえに、もしアデルエネルがこの天然のまま映画に収まったら──と思うほど魅力的な「素」だが、ただし、あまりに動きが止まらないので、トゥレットとか多動性とかの障害を思わせもする。
しかし、障害ととらえてしまうなら、午後8時の訪問者の彼女はどう説明するのか。
ジェニーは、小さな診療所で熱心にはたらく医師。
落ち着きがあり、どこまでもまじめな人である。
ダルデンヌ兄弟のほかの作品に出てくる人物像と共有するものがあるが、にんげん、ふつうだったら、どこかで妥協して、流れに任せるのだが、ジェニーはぜったいにあきらめない。まじめに、信念をつらぬく。
ただし、信念をつらぬく──とはいえ、どこかの新聞記者とちがって勘違いやポーズをしない。つねに相手を思い遣り、みずからの範囲において最善を尽くそうとする。
いったいどこの映画人がまじめに生きる市井の人を描くだろう?まじめな人を描くなら、誰だってエンタメに寄せて感動に祭る。サンドラ(の週末)やジェニーのように、一途に貫いて、とりわけ大きな成果もない事象を映画にしようとは思わない。が、だからこそ、ダルデンヌ兄弟には無類の価値がある。
Portrait de la jeune fille en feuは同性愛が描かれているらしい。かつアデルエネルは監督のCéline Sciammaとその関係にあるそうだ。
天然とゲイとアデルのキーワードがアブデラティフケシシュの映画につながってしまうのだが、午後8時を見返しながら、炎の貴婦人がなんとかぶじに輸入されてほしいと思った。
やっぱり苦手かなぁぁ……
フランス映画って基本苦手なんだけど、作品としては良かったです。
ドアベルを無視したことで少女が死んでしまったんだと自責の念に駆られた女医が、無縁仏にならない様に 少女の痕跡を辿りながら少女の名前を知ると同時に 事件にも迫って行く。
そして、少女を救えなかっただけではなく、自分の言動によって医師を諦めると言い始めた研修医のことも、なんとか救いたいと彼女なりに一所懸命彼にアプローチして行く姿も良かった。
ただ、やっぱり雰囲気が…雰囲気が苦手で、観終わった後…疲れた(笑)。
スッキリしない部分もあるし、少々消化不良気味なのは否めない。
BGMもなく、基本台詞も少なく、無表情で向き合うシーンが多かったり…。
あの「間」が疲れた(笑)。
「下級労働者」の群像劇
この映画のテーマはやはり「下級労働者」だ。だが、この作品がダルデンヌ兄弟の作品のうちで異色なものになっている。理由は二点だ。まず、一人ではなく複数の「下級労働者」に焦点を当てる点。次に、カメラが下級労働者の側ではない、非当事者である点だ。つまり、これらは今までのダルデンヌ兄弟の作品とはまったく真逆の構成になっている。
たしかに、探偵物チックになっている。しかし、あくまで見させるためであって、重要ではない。
ダルデンヌ兄弟は、自身のテーマを今までの作品でより深く考えてきた。そして、「それがより普遍的なことである」と伝えるために、群像劇という普遍性のある視野の広い映画にしたのではないか。病弱、移民、介護、そして彼らはみな下級労働者だ。問題はより複雑だし、多面的だと再認識させられる。
ミステリーだけど、深い人間ドラマ
非常にリアルな日中を淡々と描く映画、やや退屈だったけど、この静かさこそ今作の魅力だと思う。事件を調べていく過程で、いろいろと苦労をし、オチの真実を知っても終わらぬ苦しい心中もエンディングの静かさに反映されてると思う。
過敏な罪悪感と良心を持つ若い女医
社会問題(舞台はフランス?)、特に移民問題を内包したミステリーというか。
劇伴もなく盛り上げ演出や凝ったカメラワークもないのでなかなか退屈。
無愛想というか顔に表情が出ないせいで人を苛立たせてしまう真面目な女医さん。
些末な事に囚われ過ぎというか損な性格というかクソ真面目というか。
友達もいなさそう。煙草が友達。
飛び出したジュリアンが引っ掛けて誤って殺してしまったんだと思ったらアララ…な事に。親父の性欲見ちゃうと息子も胃荒れるわな。
直訳原題:未知の少女
後にも先にも、判断は一瞬に。
午後8時。診療所の受付時間は1時間もすぎているのにドアのベルが一度鳴いた。彼女が応じなかったそのベルは翌日遺体で発見された身元不明の少女の助けを求めたときのものだった。
とても静か。だからこそ、些細な生活音や静寂を断ち切るベルの音が印象に残る。
前半はの淡々とした感じに飲まれて少しうとうとしてしまいました…悔しい。ただ、後半は物語に飲まれてあっという間でした。
誰も性根から悪だくみをしている人がいないから胸が締め付けられることもあり、正直に生きても嘘をついてもどちらにしても辛い面を持ち合わせている。
窓を開けて煙草を吸うシーンの温かなオレンジがとても目に焼きつく一作でした。
救いを求めるとか罪を償うでもなく
ミステリーやサスペンス作品を観ているというより、多忙な医者の日常を追っているモキュメンタリを観ているような気分。
ジェニーがしたかった事は探偵の真似事をして死の真相を暴く事等ではなく、名前も身元も全く不明のまま市営墓地に埋葬された女の子のただ『名前を知る事』。
なのであれやこれや調べて真相に迫っていくという展開ではないのに、糸を手繰り寄せるように真実に近づいていく過程に緊張する。
患者の脈拍数から「何か知ってるわね?」と迫るのはカッコよかった。
相手の心を動かし、罪悪感を刺激し意図的でないにしろぽろぽろと情報を零させる手法が新鮮。
ジェニーの日常に寄り添い、静かに進んでいく物語だけど退屈さは感じなかった。
というか、医者ってこんなに忙しいのか とか、研修医こんな生意気なのかよ とか、フランスの男って女を威嚇しようとしすぎじゃね?ダサくね?とかふむふむ思いながら観ててそれが今思うと面白かった。
コーヒー飲む?サンドイッチ食べる?みたいな誘いを全部イエスで答えるジェニーが可愛くて。無愛想なのにw
フランス人ってああいうとき、イエス派なのかな。ハリウッド映画って大抵No,thankyouだよねw
電話が鳴る。 ベルが鳴る あれ?この人は確か?…や。 ドアを開けて...
電話が鳴る。
ベルが鳴る
あれ?この人は確か?…や。
ドアを開けても大丈夫なのか?…と。
また、終盤で彼女が窓を開け煙草を吸う。
窓越しには駐車している車。
ひょっとすると、車から誰かが出て来て何か起こるのではないか?等。
そんな不安感や緊張感が、画面から沸き起こって来る様だ、
特に今回はカメラが主人公である彼女の絶えず横に位置している。
前から撮り、彼女の顏のクローズアップを主体にするでなし。
『息子のまなざし』の様に、常に背後から撮る訳でもない。
彼女の横に位置し、彼女の横顔を多く撮る事で、さも観客をその場に居合わせる感覚を与え、観客の想像力をかきたてる。その事により半端ない緊張感を生んでいると言えようか。
(2017年4月12日 ヒューマントラストシネマ有楽町/シアター1)
後悔先に立たず
この作品のキーワード「後悔」「タラれば」は私の嫌いな言葉です。この作品は主人公の女医が人命を救えなかった後悔から始まる内容ですが、話が淡々と進むため前半はウトウトzzz…、しかし後半は一転してどんどん引き込まれた。ラストカットもシンプルで良かったが全体的にボリュームが欲しい。この作品を通じて、後悔しない生き方をしたいと改めて感じた。
2017-66
もう少しジャンル映画に寄せてもよかったかも
いつものダルデンヌ作品に、ジャンル映画的要素がプラスされた訳だけど、それほど調和が上手くいってるようには思えないかも。その代わりに、「一人の死に、間接的に関わってしまった」人たちの告白は胸に迫る。
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