パターソンのレビュー・感想・評価
全167件中、1~20件目を表示
パターソン氏の「PERFECT DAYS」
日常生活が満ち足りている点では、ヴィム・ヴェンダース監督の
「PERFECT DAYS」と同じ匂いがします。
「パターソン」はジム・ジャームッシュ監督ののPERFECT DAYS」
ニュージャージー州のパターソンに住むパターソン氏は
バスの運転手。
詩を愛し、
美しい妻を愛し、
へちゃむくれの犬(ミニ•ブルドッグ)を飼い、
夜の散歩には黒人ウェーターのいるバーで、ビールを一杯、
犬のマーヴィンは、パターソン氏が妻とキスすると、
必ず吠えます。
夜明けに起きて、シリアルの朝食を摂り、
乗客会話に耳を傾けて、
(パターソン氏は地獄耳・・・な、訳あるか?)
パターソンの街には、双子の兄弟が多くて、
そこかしこに座っていたりします。
事件らしいことは殆ど起こらない。
大事件といえば、
妻がパターソン氏の「詩作」を世に出したがっていて、
コピーをとってね!!
なのにふちゃむくれのマーヴィンがムシャムシャ、
ノートを食べてしまうのです。
日本人のパターソン氏を励ます詩人に永瀬正敏。
「ミステリー・トレイン」から28年の月日が経ちました。
役所広司の満たされた日々も、
パターソン氏の満たされた日々も、
美しいから儚い。
儚いから美しい。
ジャームッシュが奏でる音楽
この手の、淡々としている、何も起こらない、最終的になんだかよくわからない、まったり系の作品は好みではないと自分では思ってるけど、本作はなかなか良かった。
主人公はパターソンに住むパターソン、韻を踏んだ存在。
ただ繰り返される日常。些細な変化があったりなかったり、普通の人の普通な毎日と同じように、目を凝らして見なければ変化していないのと変わらない毎日。
街で出会った幾人かの詩人。主人公パターソンも詩を書いている。
韻を踏んだ詩とはその内容よりも生み出されるリズムの方が大事だと思う。文字で表現された音のならないメロディ。
それは言わば音楽と同じだと思う。
本作「パターソン」が詩を表現した映画であるなら、それは映像を使った音楽と同じだ。
音楽を聴いて「面白い」と言う人は少ないだろう。大雑把に言って「良い」か「悪い」かだ。
それと同じで本作は、面白いとか面白くないではなく良かったか悪かったかという感覚的な答えしかない。
「パターソン」について面白いか?と問われれば「面白くない」と言うしかない。
しかし、「良かった」という感覚が強く残る。
色々とあって、特にはなくて
すき
心の拠り所と愛する人がいれば十分
生活から詩が立ち現れる
同じような1日でも「昨日とは違う今日」を生きている
パターソンが「詩人」であるということが、この映画の重要なところ。
バスの運転手であり、淡々と日々の仕事をこなすパターソンは、傍目からは単調な毎日の繰り返しに見えます。
しかし、彼にとっては毎日目に映るもの全てが詩作のヒントとなっていて、自己表現することに大きな喜びを感じているところが、とても素敵です。
同じように通勤し、仕事をしても、決して同じ毎日ではない。
そう感じられることは、本当に幸せなことです。
妻ローラはアーティスト肌(センス微妙)(料理下手)ですが、美しく、優しく、愛情にあふれていて、二人のやりとりもほのぼのとしています。
奥さん最高じゃないの、詩のノートも大切だけど、こんな奥さんがいるならオールオッケーだよパターソン… と言いたくなりました。
彼のような「詩人の視点」があれば、新しい詩はまた生まれるだろうという、希望の芽を感じるラスト。本当に素敵な映画でした。
大きな川の流れのような、カットの組み合わせ
何気ない日常がゆっくり流れていく。時折、突拍子もないことがおきたり、哀しいことが起きたり、うれしいことが起きたりする。それも日常の流れの中に埋もれていく。大きな川の流れのようにすすんでいく。まるで詩のようにじんわりくる。
カット割り、カットとカットの間、挟まる静止画。特に何か特別な出来事、大げさなセリフがなくても映画は成り立つもの。脚本にしてしまえば、静かなプロットだけにみえるが、それを映像として組み合わせていくと、すごく深い印象に残るという実例を示した映画。映画だからこそ、揺さぶられるという意味では映像でつたえるということのお手本のような映画。
最後辺りのシーンで、永瀬正敏が出演しているが、欧米人のカットの流れの中に突如出てくる日本人ってそこに居るだけで存在感ある。英語の音が違う。インパクトあるんだぁって、監督も敢えて日本人を使った演出をした理由がなんとなくわかる気もした。
たまらなく好きな作品
インスピレーションとイマジネーション
共演の女性の可愛らしさにつきる
こんなこと言ってる自分の感性が偏屈なのは承知の上で…
ジム・ジャームッシュ監督の作品を見るのはたぶん初めて。
今公開中の『ちょっと思い出しただけ』をきっかけに見ることになりました。
冴えない自宅でのDVD鑑賞だったため、少しだけ、没入し切れなさが残りましたが、それでも作品の磁力が凄くて参りました。
詩心があろうがなかろうが、「そうか、人生って詩なんだ」
ということをごく自然に悟らされるように、不思議なくらい素直に導かれてしまう。
妻が夢で見た双子の話を聞いてからは、街の至るところに双子がいる。人間の感性そのものがファンタジーなのだよ、という象徴のように。
UFOや幽霊、などというとトンデモ話のように受け取られてしまいそうですが、それらも含めて、ご先祖さまやタタリというものへの信仰も、それを信じる人にとっては、科学的検証が可能な存在として実在するかどうか、はあまり意味がありません。脳科学や心理学的要因で説明できる事象だとしても、目撃した本人や信仰を待つ人にとっては、実態のある現実なのです。神話や古典の世界もその当時の人にとってはほとんどリアルな現実として受け止められていたはずです(でなければ、平将門の首塚も道真を祀った北野天満宮もなかった!)。
話があらぬ方向にいってしまいましたが、今の現実社会では、絆とか繋がりとかを大事にしよう‼️と多くのメディアが言ってる一方で、特に若者に対しては、偏差値やTOEICによる個々人への格付競争で生き残ることを社会的に(つまり大人たちが)要請しています。経済環境に恵まれなければ、競争の機会すら与えられません。
この映画の雰囲気からすると、そんな俗っぽくて安直な社会批判的テーマを訴えているとは思えませんが、この夫婦の生き方、スタイルからは、世の中の見え方や世の中との付き合い方について、一度〝自分の感性〟に軸足を置いてみたらどう?
と優しく語っているように見えました。
などと書いてしまいましたが、そんな理屈っぽく訳の分からない解釈をするより、フワッとした感じのまま、詩ってそういう感じで生まれるものなのか、と穏やかに受け止めるほうが気持ちいいと思います。
ミスタールーティーン
繰り返しの日常だからこそ、見える景色がある
パターソン市で生まれその町で過ごしているパターソンという名の男のとりとめもない1週間のおはなし。
朝妻にキスをして起き、仕事であるバスを運転する。そして帰りに詩を書き、夜ご飯をたべたあと、愛犬と散歩をし、一杯だけ飲んで帰ってくる。
パターソンには、何気ないもの一つ一つが美しく見えているか。詩を書く人は世界をどう見えているのか。
きっと決まりきった繰り返しの日常だからこそ、よく観察し、変化があれば敏感になる。変化に気づくことができるんだろう。それを詩にしてるのかな。
おだやかに流れる日常なんだけども、ところどころ不気味な要素も感じてしまった。まず妻の存在。ほんとにこの男にこの妻なのか?詩では書いているけどこの妻のことを本当に愛しているのか。趣味もセンスも対極で、一緒にいてどこかそんそわしてるパターソンを見ると、この妻がパターソンにとってどういう存在なのか分からなくなってくる。
次に犬。何か家の中で不穏な空気が流れると必ず犬目線になる。この犬はなにかすべてを知っている把握しているかのような佇まいだ。ノートを破いたのもなにか意味があるんじゃないかと疑いたくなってしまった。
最後に双子の存在。最初に妻の夢で双子こ話が出て以降、随所に双子が現れる。バスの乗客。バーの客。それは話を聞いてしまったからつい目につくようになってしまったのか。それとも何か呪い的な?まさかね。
一見するとある男の何気ない日常を描いている作品だが、日常を愛でる男の感性とそれを取り巻く不思議な周囲の環境を丁寧にかつ斬新に描き出したものだなと。
若い頃の竹中直人激似のアドリブに、アダム・ドライバーがマジ笑い
ありふれた日常の幸せ?
変わらない日々の愛おしさ?
はて。この映画そんなこと言ってるだろうか?
みんな色々と悩み苦しみ、それでもなんとかトータルで見ればまぁトントンくらい。人生うまくいかないけど、まぁギリ何とかなったりするよね。我慢我慢。
そう受け止めたのは、私の陰気がすぎるのかしら?
主人公の悩みは主に家庭にある。
美人だし好きなんだけど、働かないし、家は変な色に塗るし、カップケーキでビジネスとか、ギター練習してカントリー歌手とか、wannabeなことばっかり言ってる妻(日本で言うところの、いい歳こいてバンドマン的キャラ)。晩御飯のパイも美味しくないし、映画の趣味も合わないし。
特に、主人公が描いてる詩を「もっとみんなに見せるべき」とか余計なこと言ってくるデリカシーのなさ、無理にねだってきたギターを「あなたからのプレゼント」と言う厚かましさ(しかも手始めに聞かせられるのが、線路で毎日働く人の歌!人の金で買ったギターで!働いてない嫁が!無自覚に!)。このあたり、主人公がかなりストレスを感じている表現がなされていたけど、どの批評もあんまり触れてないですよね。謎。
主人公が露骨に落ち込んでる時に「私、出て行った方がいい?」だって。そんなこと言われたら、「いいよ、ちょっと散歩行ってくる」と主人公は言うしかないですよね。その辺りの主人公の性格踏まえてナチュラルにかましてますよね。あの嫁。
会話に女の影が少しでもちらついたら「女?」と顔をしかめるメンヘラ成分もしっかり配合。まぁ主人公が好きならいいですけど、あの嫁、かなり痛いですし、映画上でもそう表現されてます。
直しても直しても倒れる郵便受けみたいに、主人公にとって家は基本我慢の場所。対して主人公の平穏は家の外にある。
仕事の愚痴も趣味の話も、相手をしてくれるのはバーのマスター(バーで過ごしている時の主人公の笑顔の、なんと伸びやかなこと!)。仕事場の同僚は、何だか自分より家庭とか色々大変そうだし、話を聞いてると自分はまだマシかな、と思えてくる。
仕事中も客の会話に耳を立てれば、アナーキストを気取ってる厨二の大学生とか、モテマウントを取り合ってる童貞男子とか。「どいつもこいつもしょうもないなー。アホやなー」と耳をそばたてて笑う主人公。詩人少女(わかってる感を醸す嫁と詩の話をするより全然楽しい)とかランドリーラッパーとか、犬絡みヤンキーとか、まぁ外を歩いてると珍妙な出会いもあるしね。嫁は弁当に美味しくないカップケーキ入れてくるけど。
しっかしバスの故障と作詞ノート損失のダブルパンチは流石に凹む。嫁を我慢する気力もないので、外に出たら、初対面で意気投合した珍妙な日本人が新しい作詞ノートをくれるという、結構大きめのアゲ。これでまた何とか生きていけるわ。よかたよかた。
どの論評も「平穏な日常、変わらない日々」的な話をしていますが、私の目には何も起きないどころか、日常の悲喜劇をピックアップ+ディフォルメした、結構しっかりめのコメディに見えました。イライラしたり、笑えたり、リアクション取りやすい映画ですよ、これ。
昔に比べると随分わかりやすい表現をしているにもかかわらず、「何も起きない、平凡な日常」とか言われるジム・ジャームッシュの不憫さ。なんかジム・ジャームッシュに、ベタな「ジム・ジャームッシュっぽさ」を押し付けてません?
というわけで、結構面白かったです。映画館以外の鑑賞のレビューは書かないのですが、色々見てたら、どの論評も随分な的外れに見えたので思わず書いてしまいました。
でもまぁいろんな論評を見れば見るほど、私の勘違いなんでしょうね。この映画は多分、ありふれた日々の幸せや変わらない日常の愛おしさ、を詩的に描いているのでしょう。きっと。
愛犬のブルちゃんが可愛い。
何気ない日常を描いた作品。主人公の静かな佇まいに癒される。明るい妻とは合うのかなと思った。けど 月が夜太陽によって輝ける様に彼にとっては彼女は居なくてはならない存在。
彼の頭の中はいつも詩をつくることで一杯。唯一くつろげる所が食事の後にブルちゃんと散歩しながらバーに立ち寄って仲間との会話。
ふたりがキスすると必ず吠える。ヤキモチ どっち 詩のノートまで破るし多分♀なのかも。
ノートを破られた時は相当なショックだったと思う。毎日新しい日がやって来ると言われ新しいノートをもらって。また新たな月曜日がきて新たな詩を書き始める。
何気ない日常の大切さ幸せな事に気づかされる作品。
毎回ポストを倒していたのはブルちゃんだったのね。
それでいいじゃないか、売れなくても人の生き様なのだから。
JIM JARMUSCH Retrospective 2021 毎...
特別変わることのない日常
2016年11月22劇場鑑賞
朝起きて仕事に出て、帰りにいつもの店で一杯やって、特別変わることのない日常を淡々と描いた作品。
そんな日常の中でも美しさを見つけ、それを詩に紡ぐ。そんな小さな優しさがあります。
そもそもアダム・ドライバーがバスドライバーってのも、何ともジャームッシュならではのキャスティングですね。
しかも詩人、とてもユニークです。
また、この突飛とも言えるキャラクターに、アダム・ドライバーがすごいハマってます。
ユニークといえば、詩の制作に入ると風景や音楽が変わる演出が面白い。
一歩間違えるとただの笑いになってしまいそうですが、そうならないのがうまい。
そして「ミステリートレイン」以来ですよね?永瀬正敏がまさかの出演。
何でもジャームッシュから直接出演依頼が来たらしいですね、これは嬉しかったろうなぁ。
しかもこれが中々良い役所で味があります。
繰り返す変わらない毎日にも小さな変化があって、それは実は幸せの積み重ねで、そんな事を気付かせてくれました。
全167件中、1~20件目を表示