「毎日は「似ていること」の連続」パターソン みうらさんの映画レビュー(感想・評価)
毎日は「似ていること」の連続
ジム・ジャームッシュ監督の作品は恥ずかしながらこれまで一度も見たことがなく、本作が初ジャームッシュでした。
何気ない日常を幸せに暮らすのに、ワクワクやドキドキは必要ないのかもしれない。と考えさせられる作品でした。
普段、私は毎日同じように過ぎて行く毎日どこか物足りなさを感じつつも、行動を起こすこともせずダラダラと過ごしています。
そして、おそらくそんな人が世の中の大半だと思います。
そんな毎日に嫌気がさして、つい刺激的なことを求めて旅行に出かけたり、簡単なことでは映画を観たりしてその退屈さを紛らわしているはずです。
しかし、本作では本当に何も起こらない。ただ、パターソンの1週間を切り取っただけ。本来であれば退屈でつまらない作品となるであろうはずですが、なぜか心地よく、また来週のパターソンを観ていたいと思わせる作品でした。
それは、特に多忙な現代社会の人々にとっては忘れかけていた、しかし、誰しも心に憧れるまったりとした生活を、パターソンを通してきっちりと描き出していたからでしょう。
毎日のルーチンの中に、本人は何気なくても、はたからみると、たくさんの幸せが転がっているのだと思います。
朝6時過ぎに目が覚め、綺麗な奥さんにキスをし、猫背でシリアルを食べ、陽が当たる道を出社し、バスの中で詩を書き、同僚と話し、仕事をこなし、昼は滝を見ながらサンドウィッチを食べ、夕方帰宅すると奥さんと談笑をして、マーヴィンの散歩をして、ビールを飲み帰宅する。
全てが幸せに見えます。それはきっと、アダム・ドライバーの笑顔のせいかもしれないし、詩という多くの人にとって馴染みが薄いであろう芸術を媒介することで、自分たちの生活とは違う幸福感を感じさせるようになっているのかもしれない。
しかし、そんな幸せは誰もが持っていて、みんな「似ている」のだとこの作品は伝えているのではないでしょうか。
毎日のルーチンはもちろん似たことの繰り返し。似ている双子や、詩の韻を踏むとは似ている言葉を繰り返すこと、パターソンと奥さんもどこかで似通っており、少女の詩で出てくる「落ちる水」とパターソンが眺める滝の関係。ウィリアムズを好きなパターソンに似たような日本人。
この作品には似ているものが、同じようなものがたくさん出てきます。
日々の暮らしは誰しも似たようなことの繰り返し。しかし、そこには自分では気づけない幸せが転がっているのかもしれません。
マーヴィンのポストの件や、夕食のパイを食べた後ゴクゴク水を飲むパターソンなど、微笑ましい日常がきちんと描かれていて、多幸感に包まれた一作だと思いました。
評価が星3なのは、結局私はこんなものよりドンパチを観たいという、あてにならない評価なので、小さな幸せを愛でることができる人であれば誰しも楽しめる一作だと思います。