わたしは、ダニエル・ブレイクのレビュー・感想・評価
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高校3年生の僕だから思うこと
言葉を失うという表現がここまで当てはまる状況がこの世に存在するのだろうか。 僕は映画を観終わって即座にそう考えた。 現在、高校3年生の僕にはあまりにもメッセージ性の強いそして刺激的な作品だったように思える。 僕は映画評論家でも映画監督でもないがここまで現代社会への風刺の利いた作品は久方ぶりに観た。 劇中、何度も目を背けたくなる、心を締め付けられるシーンがあった。 その度に僕は「今の自分は一体何のために生きているのか」「何が僕の原動力なのか」と言った素朴な疑問について考えさせられた。 この映画を観て少しそれに対する答えが見出せたような気がした。 これから大学受験まで1年もないが、今辛い時に僕は何の為に生きているのか、何が僕の原動力なのかという素朴な疑問について考える時間があったことが大変意義のあるものだったと思う。 長ったらしく文意がおかしい部分もあったと思うが、ただ今高校3年生の本気で思ったことを書いたつもりだ。 どうか優しい目でこの文を読んでもらいたい。 そして出来ればたくさんの人にこの映画を観てもらいたい。
名作
人生で観るべき作品リストに追加したい名作。 人物の描き方がすばらしい。ベーステーマが社会問題だと人物描写は二の次になりがちだったりするが、社会問題を背景にしつつも、一人ひとりの人物の描写が丁寧。役付け、配役、役まわり、セリフ、演出などが、主役だけでなく、ほんの脇役に対してもとても丁寧で、お見事。 演出は自然で、まるでドキュメントをみているようだ。良い意味で。まるで役者が演技をしていないようにみえる。 私のような日本人がイギリスの社会問題にどうこう言う立場ではない。だからその社会論点については言及しようがない。 が、社会派映画によくある「押しつけがましさ」みたいなものが抑えられていて、「優しさ」があふれているので、画面やセリフにいやらしさがなく、私のような部外者もその優しさに触れることで、論点を静かに受け止めることができる。 2017年のキネマ旬報ベスト1にふさわしい名作。映画館で見逃した自分を恥じている。
血のつながりがなくても
病気で働けなくなったおじいちゃん。 行政とバトルしながらのシングルマザーとその子どもたちとふれあいや、隣に住む男の子たちとの交流‥。 若者にできないことは年配が 年配なできないことは若者が。 助けたり助けられたり‥。 シングルマザーと子どもたちを助けたのは実母でも子どもたちの父親でもなかった。 血のつながりがなくても家族になれる、深く関わって行ける、助け合える。 本当の意味で人の力になるってどうゆうことか考えさせられました。 そして不平等、不公平な世の中が改善されて欲しいと強く願いました。
ドキュメンタリーか映画か
よかった。
映画業界の何かのアワードで一番を取る映画ではないのかもしれないが、訴えるものがあった。
観ているうちにドキュメンタリーを観てるのか映画を観てるのかどっちだったか、と錯覚する。それだけ自然〜に撮れているということ。
皆さんほぼ無名だけどそれがいい。ロビンウィリアムスとか出てたら、まさに「映画」になってしまう。
ほぼ音楽がない?のも影響していると思う。
ダニエルのような愛すべき命や人生が世界中沢山あるが、人知れず日々なくなっている事を痛感した。
映画の中の彼らが、今も元気でやってるかとても気になる。つまり、良い映画!
社会派と言われるケンローチ監督の良さが伝わった。
高評価に納得の作品!!
1人じゃ立てない。支えあいながらも生きていく登場人物たちの絆を強く感じる作品でした。 ダニエルは不条理な制度に振り回されながらも、似た境遇のケイティ家族を優しく気遣います。 冷たく官僚的な態度で接する役人側⇆隣人を気遣い助け、支えあう市民・フードバンクなど含めた民間側との対比が色濃くなされた作品です。 「アンフェアに立ち向かう!」 これは私の人生の行動理念ですが、作品のメッセージに共感できる部分が多々あります。暗転での場面切り替えや全体的に淡々としてはいるものの心に響く素晴らしい映画でした。
これは、今日の私たちの話
不都合なことは、分かりにくく誤魔化され隠される。弱い者が過大な自己責任を負わされる。 当たり前に生きることが、実はこの世で最も難しい。 これは、今日の私たちの物語。他人ごとでも何でもない。 身に覚えのある苛立ちと痛みの中、それでも助け合う人の真の豊かさを忘れない。 小さな弱き真実を埋没させてはいけない。
1人の市民だ。それ以上でも以下でもない。
映画「わたしは、ダニエル・ブレイク」(ケン・ローチ監督)から。
2016年6月24日、EU離脱が国民投票によって正式決定した、
イギリスの市民感情が知りたくて、この作品を観たくなった。
2016年・第69回カンヌ国際映画祭で最高賞を受賞したのも、
偶然とは思えず、ますます興味関心が膨らんた。
冒頭からメモは増えたが、やはり主人公が最後に
(朗読するはずたった)「申立書」の全文が、全てを表現している。
「私は依頼人でも、顧客でも、ユーザーでもない。
怠け者でも、たかり屋でも、物乞いでも泥棒でもない。
国民保険番号でもなく、エラー音でもない。
きちんと税金を払ってきた、それを誇りに思ってる
地位の高い者には媚びないが、隣人には手を貸す。施しは要らない。
私は、ダニエル・ブレイク。人間だ、犬ではない。
当たり前の権利を要求する、敬意ある態度というものを。
私は、ダニエル・ブレイク。1人の市民だ。
それ以上でも以下でもない。ありがとう。」
真面目に生活している人たちの、心の底からの叫びは、
単なるクレイマーの大声とは大きく違う。
作品の中で、主人公、ダニエル・プレイクは、
壁にこう落書きし、市民の多くから喝采をあびる。
「飢える前に申し立て日を決めろ。電話のクソなBGMを変えろ」
これが、今のイギリスの実体なのだろうか。
国民にとって「EU離脱」が何かを変えるのだろうか?
福祉社会はとっくに崩壊している
オックスフォード大学を出てBBCに入社したエリートなのに、一貫して労働者階級の視点に立って社会批判をしてきたケン ローチ監督。イタリアリアリズム手法で、素晴らしい映画ばかりを作って来た名匠も、81歳になって、もう引退宣言をしたはずだけれど、政府の福祉政策が機能していない現状に怒り狂って、この映画を製作した。監督の憤怒の結晶だ。
テーマは、彼が50年前(1966年)に製作した映画「CATHY CANE HOME」(キャシー故郷に帰る)と全く同じ。福祉とは誰のために、何のためにあるのかを鋭く問いかけている。この映画では、キャシーが幸せな結婚をして、新築の素敵なアパートに入居するが、子供禁止で子持ちは入居できないアパートだったので仕方なく引っ越しするが、夫が運悪く大怪我をして収入を絶たれ、赤ちゃんを抱えて夫婦はホームレスとなった末、子供をソーシャルサービスに奪われてしまう。そんな不条理な社会に翻弄される若い夫婦を描いた作品。
あれから50年経ったが、社会福祉政策は一向に良くならないで、悪くなるばかり。福祉制度そのものが形骸化しており、人間味のないものとなり、救われなければならない人々が、年齢や性別の関係なく取り残されている。一部の富裕層ばかりが肥え太り、大多数の真面目に働いて、社会を支えてきた善意の人々が報われない社会になっている。
ケン ローチは言う。政府の福祉関係者は、「人を人として扱わない。人を辱め、罰することを平気でやる。真面目に働く人々の人生を翻弄し、人を飢えさせることを武器のように使う政府の冷酷なやりかたに憤る。」と、政府の援助を受けるための複雑で官僚的なシステムと、それに関わる職員達を激しく批判している。
ストーリーは
英国、ニューカッスル。
59歳の大工、ダニエル ブレイクは職場で心臓発作を起こして倒れ、医師に仕事を続けることを止められたため失業する。病気が良くなるまで政府の福祉を受けなければならなくなって、失業手当を申請するため福祉事務所に行ってヘルスケアプロフェッショナルの審査を受ける。審査官に医師の診断書を渡してあるのに、50メートル歩けるか、電話のダイヤルが回せるか、自力で排便することができるか、などという馬鹿げた52問の質問に答えさせられた挙句の末に、ダニエルには失業手当が出ないと言い渡される。
納得のいかないダニエルは、審議不服申し立てをするために福祉事務所に電話するが、1時間48分間も待たされた後で、不服申し立てと、新たな手当受給申請をするには、すべてがオンラインサービスなので、オンラインで申請するように指示される。パソコンを使えないダニエルには手も足も出ない。
職安の待合室で職員の説明を聞くために列に並んでいたダニエルは、子連れのケイティという女性が、約束の時間に遅れたという理由で、係員との面接を拒否されて、言い争いをしている現場に立ち会う。遅刻しただけなのに聞く耳を持たない係員は、警備員を呼んで彼女を排除しようとする。その横暴さにに怒ったダニエルも、ケイテイと一緒に役所から排除、追い出されてしまった。
彼女は、ロンドンの低所得者向けの住宅に住んでいたが、役所の命令で300マイルも離れたニューカッスルの公営アパートに強制移住させられたばかりだった。慣れない土地で係官との約束時間に遅れただけで、話を聞いてもらおうとしたケイテイに対して面接官は警備員を呼んで建物から追い出した。ケイテイの落胆と怒りに、ダニエルは心から同情する。他人ごとではない。公営アパートは古く不備なままで、あちこち修繕しなければ住めない状態だった。電気代を払えないケイテイに、ダニエルは自分が軍隊に居たときに得た知識でロウソクで部屋を暖める方法を教え、壊れた水洗便所を修理し、子供たちのために木工オブジェを作ってやったり、力になってやる。ケイテイは掃除夫として雇ってもらうために職探しに奔走し、ダニエルもまた失業年金を得るためには仕事を探しているという証明が必要なため、職探しに足を棒にしていた。そんなときに、やっと役所から届いたメッセージは、「申請却下」の知らせだった。就職するための努力をしていないから失業手当が出ない。心臓病で働けないのに仕事を探している証明が必要だという矛盾に、ダニエルは怒りで一杯だ。
ダニエルは食べて行くために家財道具や家具の一切を売り払った。そんな折、ケイテイはスーパーで万引きをして注意勧告を受けた後、親切(?)な警備員からエスコート職を勧められ遂に売春宿で働く。それだけはやめてくれとダニエルは懇願するが、政府から援助を受けられないでいる二人にとって現状を打開する方法はない。
ダニエルは役所の壁に「私、ダニエルブレイクが飢え死にする前に不服申し立てを受け入れろ」とスプレーで書いて、警察に逮捕される。釈放後すっかり落ち込んでいるダニエルの、申し立て審査の日、ケイテイはダニエルに同行する。ダニエルは審査官の前でアピールする原稿を準備していた。しかしその直前に役所の洗面所でダニエルは、力尽き心臓発作を起こして倒れ、死ぬ。役所が準備した公営葬儀場で葬儀が行われ、ケイテイはダニエルが準備していた供述書を読み上げる。「わたしは今まで真面目に働き、一日として遅れることなく税金を払い、社会の一員として、市民として誇りをもって生きて来た。しかし政府は私を犬のように扱った。私は人間なのだ。」 それは人としての尊厳を踏みにじった政府と福祉関係者に対する強烈な抗議だった。
というお話。
映画の中でケイテイが子供に食べさせるために自分は極度の飢餓を我慢してきたため、フードサービスで缶詰めをもらった時、思わずその場で缶を開けて手掴みで中の豆を食べてしまい、職員に責められ泣き崩れるシーンがある。すかさずダニエルが、「大丈夫、君が悪いんじゃない。気にするな。」と言い聞かせる。哀しいシーンだ。
売春宿に入って来たダニエルが、ケイテイに大泣きしながら「こんなこと止めてくれ、止めてくれ。」と叫ぶシーンも悲しい。
ケン ローチの作品にはいつも体に障害を持った人々が出てくる。盲目のサッカーチームが、目を塞いだ健常者チームとゲームに興じる。ダニエルのアパートの隣の住人が盲目で、彼と一同居しているのはアフリカ系イギリス人だ。ケイテイの5歳くらいの息子も自閉症と思われる。一部の富裕層ではない、普通の市井の人々は、障害者とともに生きている。ケン ローチの「普通の人々」への温かい眼差しにはいつも好感を覚える。
それにしても福祉制度に携わる職員の横暴さはどうだ。政府の援助を必要としている人々のプライバシーを平気で晒しものにして、審査と称して自分が神にでもなったように、あなたには手当を出しましょう、あなたのは却下です、と自分たちの物差しで配分する。
援助を必要とする人にとって何が辛いかというと、年や福祉の申請審査官の顔が見えないことだ。相手は姿を現さない。名前のない、顔を見せない審査官という目の前に立ちふさがる大きな壁は、傷ついた年寄りを見る目も聴く耳を持たない。コンピューターで、申請した後、いつまで待たされるのかわからない。誰が審査して、それがどこまで進んでいるのか、ただ膨大な書類の束が埃を被っているだけなのか、何もわからない。そんな暗礁に乗り上げて、審査官の結果をただただ待たなければならない。待つ間がどれほど長いのか、誰にもわからない。そのあいだ、どうやって食べどこに住めば良いのか。
ひとりで戦ったダニエル ブレイクは、やっと障害年金が出る直前に、力尽きて心臓発作を起こして死んだ。ダニエル ブレイクの怒りは私たちの怒りだ。資本主義社会で、福祉制度そのものが機能しない。飾りなのだ。真面目に体が動けなくなるまで働いて、税金を払い続けている労働者の蓄積を、ほんの一部の富裕層がかっさらっていく。
これほど貧富の差が広がった爛熟期にある資本主義社会で、福祉とは欺瞞以外の何物でもない。それがよくわかる映画。人は誰でも年を取る。年を取れば働けなくなる。その立場になった時、何が私たちを待ちかまえているのだろうか。
この映画、見る価値がある。
こんなにひどいのか?
かつて、揺りかごから墓場までと教えられたのは、イギリスの社会保障制度だったと思うが、現状は、弱者切り捨てのシステム?一番、救済が必要な層が救われないのは何故だろう。パソコンが使えないと、申請もできないなんて! できれば、ダニエルには、木片を使った、モビールでひと旗上げて欲しかったな。
よかった。
全く予備知識なくみたが、いい映画。 セリフじゃなくて、表情とか仕草とか、そういうので表現される部分が多く、映画ならでは。 何かこう、バリバリしたサラリーマンとかキラキラした女の人とかが出てくる映画が多いんだけど、皆がそうじゃないもんね。 それがよく分かった。
淡々と進みます。
過度な演出なし、派手な音楽も使われないし、おまけに美男美女も出てきません。 全員がその辺りにいそうな普通の人達で、舞台は英国ニューキャッスルですが、日本でも同じことがありそうだなぁと思わせてくれるような作りになっておりました。 全体的に映画としてどうなんだ?というのはあるかもしれませんが、ケン・ローチ監督の怒りはとても良く表現されてましたし、様々な人種が出てきてそれぞれ助け合いながら生きてる様が描かれていたのには勇気付けらる部分もありました。
なんて悲しいんでしょうか
ここまで融通の利かない労働組合と、仕事だからこそこなす人と、ダニエルもケイティも子供達もみんな出会えてよかったですね。
子供のために風俗で働く追い詰められたケイティの選択も、それを悔しがるダニエルも、みんな頑張って生きてるのに、最後の最後にはラストチャンスで心臓発作。
すごく悲しいけど心にグッとくる作品でした。
私はすごく好きでした。
ダニエルが死んでしまったことが本当に悲しいです。
本当に世の中にある話題なわけで、この生活に自分がならない保証もなくて、この生活の人たちの声を代弁してくれているような映画でした。
ケン・ローチは怒っている。
変な話ケン・ローチ作品はイギリスの貧困層を少しドラマチックに、だけど現実を突きつけて来るのだけど、観ると自分がテンション高い時は落ち込み、落ち込んでる時に見ると、まだドン底ではないなと闇に光を照らしてくれるような気分になる。 で、今作はと言うと何なん?何でなん?国は貧しい人、弱ってる人を殺そうとしてるのか?と苛立ちと上手くいかないもどかしさを覚えた。 ダニエル・ブレイクと言う怒りっぽいけど真面目で筋が通ってて人に愛されてるキャラがしっかり描かれてるから、この制度の意地の悪さが際立って何とかならんのか?ととても引き込まれた。 ケン・ローチは映画を通して国の制度と戦っている。そして怒っている。 誰がダニエル・ブレイクを殺したのか?悔しさでいっぱい。
私も、誰もが、ダニエル・ブレイク
イギリスの名匠ケン・ローチが、2度目となるカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した社会派ドラマ。
労働者階級の主人公を通じて、失業、貧困、理不尽な社会制度の実態を描いてるが、あくまでイギリスの話。日本人には…そんな事は全くなかった!
国籍云々と言うより、自分の身に置き換えて、もし自分だったら…?
求職難や生活苦を経験した人なら誰にも通じる。痛烈なほどに。
大工40年の初老の男、ダニエル・ブレイク。
心臓病を患い、医者から仕事を止められる。
国から援助を受けようとするが、役所の判定は就労可。
ここでまずイラッと。ドクター・ストップなのに、何で仕事出来るって判定?
要は援助を貰えない。
納得いけないダニエルは何とか援助して貰えるようとするが、それには申し立て、申請、電話待ち、申し立て、申請、電話待ち、申し立て、申請、電話待ち…。
何でこんなに複雑?
援助受ける為には色々あって、その中の一つで失笑モノだったのは、履歴書講座。履歴書なんて中学生でも書けるっつーの。しかも、この講座受けないと処罰の対象になるとか。信じられん…。
このダニエルさん、かなりの頑固者で、皮肉屋。言いたい事もすぐ言ってしまう。
だから、お偉いお役所様の印象は悪い。
癇癪持ちの頑固親父は手に負えないけど、でもダニエルは言われた事は一応はちゃんとやる。何度も何度も申し立てや申請の為に役所に赴き、パソコンも習ってみたり(大工40年なのでパソコンなど触った事も無い)、アホらしい講座にもちゃんと顔を出す。ま、不服そうにではあるけど。
意外と実直で素直。
自分だったら、うんざりして途中から放り出すなぁ…。その昔、就職に苦労してた時、職安の何かの講座か説明会を受ける事になって仕方なく行った事あるけど、何でこんな事しなきゃいけないんだろう、と終始思ってた。
いつだったか市役所行った時も、あまりにも融通が利かない対応にカッとなってクレーマーした事もあった。
これでも(自分で言うのもなんだけど)穏やかな性格とよく人に言われている。
さすがに我慢の限界も。何だか見てて、色々思い出してしまった。
脱線してしまったので、話を戻すと…
ある日ダニエルは役所で、ロンドンから越してきたばかりで生活困窮のシングルマザー、ケイティと知り合う。
市役所職員との話によると…
何かの審査の為に時間厳守で来なくては行けなかったのだけれど、ロンドンから越してきたばかりで道も分からずバスも間違い、遅刻。それだけで違反。
職員と言い合ってると、黙ってられないダニエルが助け船を出し、それが縁で仲良くなる。
ケイティの境遇も不遇だ。
仕事も無い。金も無い。子供は二人。食べる物は必然と子供優先に。
ある配給所で、我慢出来ずに缶詰めを開けて食べる惨めな自分に泣くシーンが切なかった。
ある時つい万引きをしてしまう。同情したのか憐れに思ったのか、店員が仕事を紹介する。
その仕事とは…。若い女性が手っ取り早く稼げる仕事と言ったら…。
それを察知したダニエルは…。
この一件でちょっと仲違いもあったが、生活苦同士、友情を育む。
ダニエルはこのシングルマザー一家の生活を助けようとする。
しかし、そんなダニエルの生活も苦しくなる一方。
求職活動しないと手当てを受けられないとの事であちこち職を探し、一ヶ所気に入られるが、そもそも心臓病で働けないし、お役所様の命令でやむなくした手当ての為の求職活動なので、相手先の怒りを買う。ここも見てて切なかった。
これまでちょいちょいプチギレてきたダニエルの我慢の限界も頂点に。
遂には軽犯罪に当たる事をしてしまうが、同じ境遇の者は拍手喝采。
下層階級者の代弁。
ラストはまさかの悲劇。
心臓が悪いのに、色々とストレスを与え続けた役所が悪い。
これは前に何かの作品のレビューでも書いたが、社会はいつだって恵まれてる者の味方。本当に救いの手を求めてる者には冷淡。
私たちも、この国の一人だ。社会の一員だ。
こんな不平等ってあるか!
ダニエル・ブレイクを通じて人の尊厳を…なんて、大層な事は言わない。
人一人を、どうか見て欲しい。
カンヌ・パルムドール作品は合う合わないの差が激しいが、本作は大当たりだった。
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