「性の目覚めと人生の肯定」僕と世界の方程式 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
性の目覚めと人生の肯定
人間の精神面の発達障害については、いまだ解明途上である。発達障害のさまざまな特長に関する呼称は沢山ある。しかしなぜ障害が起きるのか、どのような過程で起きるのかなどは、よくわかっていない。そもそも生きている人間の脳内の話である。解明が困難であることだけはよくわかる。
自閉症の中にはコミュニケーション能力等の発達障害と同時に、特定の優れた能力を得る場合があるのは誰もが知っているところだ。サヴァン症候群などがその典型だろう。
本作は数学に抜きんでた才能を持つ自閉症の子供ネイサンの話であるが、テーマは数学でも数学オリンピックでもない。テーマを読み解くキーワードはいくつかの台詞として現われている。
一つ目は、子供の頃、落書きのように描いている図形や数式について尋ねた母親に向って「頭が悪いから理解できない」と言う。それはつまり、子供ながらに自分の数学の才能を自覚しているということだ。そして数学の才能があることだけが自分のレーゾンデートルであることも理解している。
二つ目のキーワードは数学オリンピックの合宿に向かう飛行機の中で同行の女の子に言われた、数学について地元でどれだけ優れていても、ここではただの人だという言葉。自分の唯一の取柄であった筈の数学の才能が、レベルの高い世界では決して抜きんでたものではないと認識させられる。その結果、生きていることが不安になる。
三つ目のキーワードはチャン・メイと交わす会話だ。こだわりをチャン・メイにいとも簡単に相対化され、シュリンプ・ボールと綽名までつけられる。
四つ目のキーワードは、合宿の引率者が帰国間近にネイサンに言う、きみの数学はとても美しいという言葉だ。哲学では真善美という概念がある。真は善であり美であるという考え方だ。ネイサンの数学が美しいのなら、ネイサンの数学は真実であり善である。引率者の言葉は、ネイサンの数学の将来は決して暗いものではないことを示している。
そして五つ目のキーワードが、チャン・メイといると心も体も変な感じになると、母に告白するネイサンの台詞である。性欲を感じ、恋をしたことで、母親に自分のことを伝えられるコミュニケーション能力を獲得したことがわかる。ネイサンは少し大人になったのだ。
救われるのはネイサンだけではない。夫を亡くした不幸な母親にも、数学の才能に恵まれながら世を僻んで不自由な生き方をしている足の悪い教師にも、それぞれの救いを与える。
つまりこの映画のテーマは、ネイサンが思春期の初恋をきっかけに人とのかかわりに喜びを見いだしていく話を軸にした、人生の全面的な肯定なのだ。
数学の難解な問題もところどころで登場する。20枚のカードを裏表にするゲームが必ず偶数回で終了することを証明する課題がある。指名されたネイサンは、二進法の論理を用いて見事に証明してみせる。実に胸のすく場面である。