劇場公開日 2018年7月7日

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「不寛容の時代に生きる」菊とギロチン 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0不寛容の時代に生きる

2018年7月23日
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鑑賞方法:映画館

悲しい

 日本の戦後民主主義はポツダム宣言の土台の上に成り立っている。ポツダム宣言は、第二次世界大戦という悲惨な戦争を体験した世界の指導者が、もう戦争は嫌だ、国家ではなく個人の幸福を追求しなければならないという大前提のもとに造り上げられた。日本国憲法のもとになっていることは言うまでもない。日本国憲法は決して、どこかの小国の首相が言う「みっともない憲法」ではないのである。二度と戦争をしないために世界の英知が結集した、世界最高峰の憲法なのだ。

 この作品は、日本国憲法ができるより四半世紀前の話である。世界中が悲惨な戦争に向かって坂を滑り降りている真っ最中だ。国家の繁栄が個人の幸せだという牽強付会が大手を振って罷り通っていた時代である。天皇陛下万歳という価値観に誰もが疑問を抱きながら、そのパラダイムに逆らえない不自由な時代でもあった。
 そんな時代に異を唱えることがどれほど大変な勇気の要る行為であったことか、いまでは想像すら出来ない。しかし例えばネット右翼の族や、ワールドカップの試合で渋谷に集まる人々を見ると、この国はひとつの価値観を共有している風を装うことで盛り上がろうとする短絡的な人間が非常に多いことがわかる。国家主義者たちにとってはなんと御しやすい民衆であろうか。
 大正デモクラシーの頃の人々がどのようであったかは不明だが、この作品では権力に阿るのは在郷軍人会と下っ端の警察官で、その他の人々は必ずしも天皇陛下万歳のパラダイムに支配されてはいないように見える。実在の無政府主義者たちは、自由闊達な精神を維持していたのだ。彼らが逮捕され処刑されたことは、日本から自由な精神が失われて、国家主義の陥穽に嵌ってしまったことの象徴である。女相撲も同様に、女が土俵に上がるということで、タブーを真っ向から打ち破る自由の象徴のように描かれる。この二つの自由が映画の両輪となって、3時間の長丁場をぐいぐいと引っ張っていく。
 俺たちは、私たちは自由だ!と叫んでいるかのような作品で、当時と同じように国家主義の陥穽に転がり落ちつつある現代に警鐘を鳴らす。現代が将来、平成のファシズムと銘打たれる時代になるなら、平成デモクラシー映画群の作品のひとつとなるだろう。

耶馬英彦