残像 : 映画評論・批評
2017年6月6日更新
2017年6月10日より岩波ホールほかにてロードショー
「祖国への報われぬ愛」に殉じた不屈の精神そのものを見事に謳い上げた巨匠の遺作
ポーランド映画を代表する巨匠アンジェイ・ワイダは生涯を賭して、ただひとつの歌を歌い続けた。それはレジスタンスという神話にほかならない。初期の〈抵抗三部作〉、わけても「灰とダイヤモンド」(58)はワイダの、ひいてはポーランド映画の名声を一挙に世界的なものにした。この映画で、テロリストである主人公マチェックが、恋人に「なぜいつもサングラスをしているの?」と問われ、「祖国への報われぬ愛の記念さ」と答える名場面は永く語り継がれている。
ワイダの遺作となった「残像」は、第二次世界大戦後、ソヴィエト連邦の影響下にあったポーランドにおいて当局が主導する社会主義リアリズムを拒否し、自らの信念を貫いた前衛画家ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキの晩年を描いている。
冒頭近く、アトリエで左手と右足のない松葉杖の画家が絵を描こうとするとキャンバスが真っ赤に染まる不気味なシーンがある。スターリンの肖像が描かれた巨大な垂れ幕が窓をおおい尽したのだ。激怒した画家は松葉杖で幕を切り裂くが、当局は強引に警察に連行する。以後、当局の迫害は熾烈を極める。画家は教授職を解かれ、作品を破棄され、食料配給も受けられず、画材すら入手できなくなる。困窮の果てに彼は裸体のマネキンが居並ぶショウウインドーの中で倒れ込み、非業の死を遂げる。この壮絶な死にざまは、ごみ溜めの中で身悶えながら死んでいった「灰とダイヤモンド」のサングラスのテロリストを思わせる。
ワイダは、「大理石の男」(77)、「鉄の男」(81)でスターリンの独裁体制に反抗した一人の男を現代の視点から検証し、「カティンの森」(07)では第二次大戦下、一万数千人のポーランド将校がソ連軍に虐殺された歴史的な悲劇を荘重なタッチで描き出した。
ワイダはロマン・ポランスキーやイエジー・スコリモフスキのように亡命し、コスモポリタンとして華々しく活躍できたはずなのに、終始、社会主義体制に翻弄される祖国ポーランドの数奇な運命に寄り添い続けた。画家志望だった青春時代の生々しい記憶が刻まれた、この遺作においても、ワイダは「祖国への報われぬ愛」に殉じた不屈の精神そのものを見事に謳い上げているのだ。
(高崎俊夫)