わたしたちのレビュー・感想・評価
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子供たちの自然の演技に圧倒される
不安で所在なさげな表情の主人公のクローズアップの最初のカットからいきなり引き込まれる。なんてことのないカットなのだが、その表情がまるで造りモノに見えない。これほど自然な佇まいを引き出す監督の手腕に脱帽する。
本作はいじめを小学校のいじめを題材にしているが、いじめの起きる構造を見事にわかりやすく提示している。人間がたくさん集まれば自然と発生するヒエラルキー、嫉妬や蔑みといった感情が細やかに表現され、小学校の教室に、社会の縮図を描いて見せる。
夏休み直前に転入してきた女の子と夏休み中だけは友だちでいられる主人公。しかし、主人公がいじめられっ子だと判明すると、手のひらを返す。転入してきた女の子も前の学校でいじめられたから、教室内の力関係には人一倍敏感になっている。
素直な好き嫌いで人と付き合っていきたいのに、それを許さない社会。素直に生きることはなんと大変なことだろう。本当は友だちに戻りたい2人の切ない表情が痛切に心に染みる。
【”友だちが居なかった主人公の小学4年の少女の初めての友情への期待と戸惑い、そして落胆と関係性の修復を望む気持ち。今作は、彼女とその初めての友及び苛めっ子の心の機微を繊細に描いた作品である。】
ー イキナリで恐縮であるが、私は小学校4-6年の間及び中学生時代、学級委員長や生徒会の役員をやらされて居た。
今でも覚えているのだが、一番憂鬱だったのは週に一回ある学級会であった。
学級委員長は男子と女子と2名いるのだが、学級会のテーマはほぼ女の子同士の諍いの解決を検討する場であった。
女子の学級委員長は”派閥”に属しているので、特に発言せず、最後は大袈裟ではなく女子の派閥同士の、言い争いから最後は涙の攻撃になるのであった。
私は困惑し、先生の方を見ても、シランプリであった。
で、男子生徒は唯々、女子生徒達の言い争いを傍観しているだけであった。
故に、今作を映画館で初めて観た際に、当時の記憶が強烈に蘇ったモノである。
女性の方が、男性よりも人間としての成熟度のスピードが違うのである。
で、最近思う事。
【それは終生、変わらないんじゃないの!】
■小学校に通う10歳の少女・ソンはいつも独りぼっち。
終業式の日、1人教室に残っていたソンは転校生のジアと出会い、友情を築いてゆく。
だが、ジアは新学期になると、ソンを仲間外れにするボラと親しくなり、ソンに冷たく当たるようになる。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・ソンを演じた少女を含め、ジアや苛めっ子のボラを演じた少女の心の機微が現れた表情の絶妙な変化が凄い。
ー 韓国映画の凄さを再認識する。邦画ではこの作品の様なテーマは高校生からだと思うのだが・・。-
・ジアが最初はソンと仲良くし、初めての友人が出来たと思ったソンの嬉し気な表情と、新学期が始まってからジアがボラに近づき、自分を毛嫌いする姿に落胆する表情。
ー そこには、経済的格差も描かれている。-
■ソンの弟、ユンが乱暴な友人(画には出ない。)に怪我を何度もさせられるも、仲良く遊ぶ姿と、ソンたち女の子たちとの微妙な感性性の描き方も巧い。男の子の幼き時の関係性と女の子の幼き時の関係性の対比。
・ソンはジアとの関係性を修復しようと努力するが、上手く行かない。だが、ジアの母親と”若い男”の関係を見てしまったソン。
ー ジアは、勉強は出来るが親の事で心を痛めていたのである。-
・クラスで常に一番であったボラがジアに一位を取られた時の表情。彼女は悔しさを隠しつつ、ジアと同じ塾に入塾する事になったソンに、偶々悔し涙を流す姿を見られてしまう。
ー そして、ジアはボラたちから苛めを受けるようになる。-
■苛められていたジアを想い、ソンが勇気を奮ってボラに対して言った言葉・・。
<今作は、小学生の女の子達が人生で初めて経験する友情、裏切り、嫉妬、全ての感情に戸惑い葛藤する彼女達の姿を鮮烈に映し出している。
ユン・ガウン監督によるドラマティックな展開に引き込まれる作品でもあるが、今作で描かれている事は、私達大人の世界でも陰ながら起こっているよな、と思った映画でもある。>
<2017年後半に「京都シネマ」で鑑賞>
<2023年9月12日 別媒体にて久方ぶりに再鑑賞>
巧みな映画
丁寧な描写の重なりの巧みさに圧倒された。。。
小学校高学年女子の仲良さ・扱いにくさ・意味わからなさ・複雑な心の機微をこんなに巧く表現するなんて。。。映画として技術力の高さがすごい。。。
なんかうまく感想を言語化できない…すごい…映画として巧い。。。
物語の前半部分、ソンとジアの出会いから一緒に遊ぶ仲になるまでのところ、いちばん好きかもしれない。3人で一緒にチャーハン食べるところがベストシーンだったな。人と人が仲良いことは、この世の何よりも良いことだなあ!仲良さの演出が、この後のストーリーに落差をつけるためのフラグだとわかっていても、ほんとに心がホクホクした。仲良い子とブランコに乗ったり、トランポリンで飛び跳ねたりするだけで幸せなんだよなあ。
なかいい友達が取られる感じ。いじめまではいかないけど、リーダー感だしてる子に気に入られていない雰囲気。誰しも経験したことがあるのではと思うけど、再現度が高かった。目線や距離の取り方が絶妙だった。
この齢は自分の世界が「学校」「家族」くらいしかないし、ストレス解消手段も限られてるから、どっちかでトラブルがあると本当に辛いのだ。なのに、泣いたりぐずったり八つ当たりしないイ・ソンの芯の強さには感心した。
「何かあった?言わないとわからないよ」ってこの年齢の子達には必ず言ってしまうワードだと思うけど、たとえ言ったところで心配させちゃうし、大事にされるのもやだし、言語化するのも面倒くさいくらい複雑だったりするし、、、お互いに歩み寄るのって大変なのよね。忙しい親のこと考えての態度だから、
女同士の揉め事は、はっきり言って意味がわからない。自分でもそこまで気にすることなのか、何に傷ついているのかわからなかったりする。弟のユンはそれが怪我として表面化しているので、「友達ともう遊ぶな」と忠告したり、相手をやっつけたり、相手の親と話し合って共有しながら、護る行為に繋げられる。だから怪我のように表面化できない問題は自分がどうにかして対応していかなければいけないという課題になる。
そんな状況をソンが突破するためのヒントとしてユンが言っていた言葉が印象的だ。「彼が叩いて、僕も叩いたら、いつ遊ぶの?僕は遊びたい」
これをきっかけに、ソンがジアに働きかけていたところで終わったのがよかった。
凄まじかった
・とにかく観ていて痛々しい感情がリアルな描き方で凄まじかった。鑑賞した作品を振り替えるといじめっこのグループの役割が決まっているのを観て、あぁ世界共通の物、人間らしさなのかぁって思えて来て、苦しくなる。それが子供だと感情に素直に生きているように見えてきて、いじめをする事はそういうものなんだと強く感じられてきて余計にしんどい。
・主人公は10歳の女の子で自分とは縁遠い存在だけど、何だか同じような痛みを感じてきて凄いなぁと思った。年齢的には父親に近いけど、何故か主人公の年頃の記憶に自分が戻って、もどかしくなる感情になるシーンの連なりが凄い。ボラと仲良くしてほしくないシーンやジアとソンに溝ができているけど親やおばあちゃんには仲良しの二人としているズレとか見ていて苦しかった。
・ソンは皆と仲良くなりたいけど受け入れられない理由がわからない感じが痛々しくなる。仲良くならなくとも普通に接してほしいというあの感じ。自分と重ねて観続けていると見るのをやめたくなるけどやめるのも怖くなる。夏休み明け前がとにかく怖かった。結果、ボラと仲良くしてソンとの関係はなかったことにしようとしているジアの感じ、とてもつらくなった。
・ボラは典型的なマウントを取ってくる嫌な奴でどうにか地の底に落ちないかなぁと思えてたまらなくなった。冒頭の別の住所教えたりして。途中、成績の結果か何かで泣いていてソンが渡したハンカチのお返しのマニキュアは何だったんだろうと思った。弱っている状態だったからだろうか、それにしては借りたものだから返すよって言って無責任で凄く嫌な奴だと思った。やっぱり地獄に落ちてほしくなってくる。
・いじめられっこのソンがとても良い子だけど痛々しさも合わせて持っていて、気の弱さがじれったくてたまらない。映画とは思えない、ドキュメントのような感覚になってきて凄かった。
・最後に、ジアと取っ組み合いになったのが苦しかった。ボラたちに一発殴ってやりたかったけど、実際にはああいうのはそうならないだろう。そして、いじめられっこ同士がもめるのが切ない。とにかく怖くて寂しい感情が蘇ってくるすさまじい映画だった。
人それぞれ自分の昔を思い出す映画
内容は韓国の幼い子供達の距離感と友情と葛藤を描く物語。好きな言葉は弟の『喧嘩ばかりしてたら一緒に遊べないよ』で人は1人でも生きていけるが誰にも必要とされない寂しさには耐えられないという事は、この映画の伝えたかった事の様に思えた。境遇や立場では言葉だけでなく態度と空気感で伝える事が上手いなあと感じる。場面や構成では丁度物語として中盤を起点として折り返した様な映画の内容には計算された感動を感じ最後のカタルシスの解放による静かな終わりには心象の描写が自分自身の記憶に迫る勢いで観客それぞれが楽しめる映画だ。
本当に大事な事は自我に目覚める事
要は人に染まらないって事が大事だと思う。この後の第二成長期はもっと大変。自我が完全に形成され、性が芽生えると、問題は更に複雑になると思う。所謂、中2病。そこを上手にそして早く脱出しよう。(助けてくれる人もいるが、最後は自分の力。また、駄目なら、大人の保護に早く逃げ込む。一人で悩んでいては駄目。友達でも良いが、出来れば、親や先生、または医者)
老人の私が俯瞰した意見を言えば『友達なんて本当は必要ないかもしれない』といつかは理解しなければ駄目だと言う事。この映画はそこを少し暗示していると僕は感じた。自分だけのネイル色に目覚めるべきだ。
友だちになりたい
淡々と描かれる子ども社会
三人の主な人物を通して色々と考えさせられる
仲間はずれを描いているのだけど
仲良くしたいのに話したいのに仲間に入れない
そんな時。転校生が現れて……
味つけがとてもシンプルだけど心の描写が上手い
特にソンがどんな気持ちになるのか
目の表情が素晴らしくて惹きつけられる
どんな行動をとるのか目が離せない
静かな闘志と疑問と成長する姿
とても良かった(静かな感動)
心に響くものがある
丹念な心象
少女がいじめを被る過程が克明につづられていて、つらかった。
みごとな描写だった。
大人になって、個人主義をまとってみると、なんでもなくなるが、幼いころは、人のそっけなさに、圧倒されることがあった。
幼かったころ、そっけなさは強さとイコールだった。やがて、そうでもないことは分かるが、子供の時分、あまり寄ってこなかったり、寄らせなかったりする子は、ある種の羨望であった──と記憶している。
そんな、かれ/かのじょに取り入ろうとするばあい、どうするかというと、たいてい謙譲する。
ようするに尻尾をふる。
卑屈というほど──でもないが、じぶんを下に見せて、もの(貢ぎ物)をあげたり、なにかを手つだってやったり、する。
学校のような単位にいる人間は、疎外を気にする。
それは職場にいる大人さえ、おなじことだ。
集団のなかでは、いじめに至らずとも、なんらかの疎外感がともなうことを、わたしたちは、たぶん知っている。
大人は、人と相容れないならば、あきらめて放っておくこともできるが、若い頃は、なんとか繋がりを持とうとするゆえに、気分が深刻に疲弊する──ことがある。
幼少期において、いちばん衝撃的なことは、そっけない──と思っていたかれ/かのじょが、たんにわたしにだけそっけないのであって、ほかの皆とは、たのしそうにふるまっている──というシチュエーション、ではないだろうか。少なからず誰もが心当たりのあること、だと思う。
その感情の動きを丹念に描いていた。
おなじく韓国映画の、はちどりや飛べない鳥と優しいキツネにも感じた、際立った心象表現の豊かさがあった。
子供の頃、他人とまみえて以来、わたしたちは、自分という人間がどんなふうに見えるのか、どんな動きをするのか、どんなにおいを持っているのか──などについて、いやになるほど、考察をかさねる、ようになる。
と、同時に他人の、なにが嫌なのか、はっきりと自覚できる、ようにもなる。
やがて、じぶんもある種の「そっけなさ」を身につける。
金閣寺にこんな一節があるのを思い出す。
『滑稽な外形を持った男は、まちがって自分が悲劇的に見えることを賢明に避ける術を知っている。もし悲劇的に見えたら、人はもはや自分に対して安心して接することがなくなることを知っているからだ。自分をみじめに見せないことは、何より他人の魂のために重要だ。(三島由紀夫作「金閣寺」より)』
誰もがいじめられっこであり、同時にいじめっこでもあった。と思う。知ってのとおり、子供のころは両極を使い分けるひつようがあった。
子供を主人公にした優れた映画、前述した映画やエイスグレイドを見たときも、それを思ったが、子供の対処方法のほうが、大人より道理がある。ような気がする。大人はもはや人様の感情へ介入することはない。
女性の監督だと知って同国の底知れない水準を感じた。同国の映画には、基本を学んでいる──と感じることが多い。逆にわが国の映画には、個性を尊重している──と感じることが多い。
もし、わたしが映画学校の理事だったら「ぜったいにあなたの個性を尊重しません」──という校訓を掲げたい。
子どもの世界は残酷…
子どもの世界は大人の世界より残酷で感情をストレートに伝える。
どこの国でも、いつの時代でも同じことがあるのかと。
彼らにとって友だちとの世界は世界のすべて。生きていくのが苦しいのは、大人も子どもも同じ。いや、子どもたちの方が大変かもしれない。
作品全体の丁寧な心理描写と、圧倒的な彼ら演技力。
ところで、あのふたりは、その後どうなったのか。ふたりがまた手をつなぐ姿を想像して…。
子どもたちの表情がいい。大人と子どもの世界の交錯と違いが描かれてる...
子どもたちの表情がいい。大人と子どもの世界の交錯と違いが描かれてるのがいい。二人の微妙な関係が描かれているのも。
二本立て一本目。 苦しい。冒頭からもう胸が締め付けられる。小学生女...
二本立て一本目。
苦しい。冒頭からもう胸が締め付けられる。小学生女子の人間模様。ったく、女子って面倒くせーなー。いやいやすいません、とりあえず謝っておきます、怖いので(笑)
・ボラをしばきたくなります。
・幼い弟が金言を放つのがいい。
・終わり方もいろいろな想像を掻き立てられます。
うまく言えませんが見ておくべき素晴らしい作品です。さすが韓国映画、賛辞を送ります、〇〇ので(笑)
まさに、わたしたちがそこにいた。
「わたしたち」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「最初で最後のキス」の、三本を立て続けに見まして、全部良くて、奇跡的なチョイスと、京都での公開時期の一致に感謝した。
志乃ちゃん〜と最後で〜は、高校生モノですが、「わたしたち」は小学生モノです。
役者は若いのに自然かつ繊細に表現していて、素晴らしかった。
5歳の自分も20歳の自分もマトリーショカのように自分の中にいるって誰かが言っていたけど(多分、花よりも花の如くでの誰かのセリフ)、まさにそういう気持ちになった。
10歳のわたしがソンやジア、ボラから見えた。
基本は主人公ソンと、裕福な転校生ジアと、前からソンに軽く意地悪をしているボラが中心に話は進む。
そこに5歳くらいなのに人生の達人みたいなことを言うかわいいソンの弟が良い味を醸し出す。
ソンの学校での状況はすごくわたし自身の過去を思い出させる感じでリアルだった。
はっきりといじめられているわけじゃないけれど、境界線に立たされていて、いじめられっ子ではない側に必死でしがみつこうとする感じを思い出した。
ドッヂボールでのラインを踏んだ踏まないのいざこざ。
あれは、あんたは劣っているということを暗にいわれているわけで、つらい。
ひそひそ話をする目立つ女子から誕生会に招待される代償に掃除を押し付けられ、お金がないからブレスレットを手作りして持って行ったのに、騙されてたっていうね。
泣ける。
そんなことされてるのに、ちょっと優しくされるとうれしくって仲良くしたくなる。人気者に好かれたい。仲良くしたい。
今ではそんなこと思わないけどあの頃は私もそうだったって思った。
ソンは共働きでそう裕福ではない(でも貧しくはない)家庭で育ち、お小遣いはあまりないけどお母さんの愛情を浴びて暮らしている。
ジアはとっても裕福だけど、両親は離婚しており、多分父方のおばあちゃんと暮らしている。前の小学校でいじめられていたみたい。つく必要のない嘘をついてしまうタイプ。
この嘘つきって部分。10歳くらいまでの私に顕著だった特徴で、わっ恥ずかしい、バレたって思った。
ジアと同じかはわからないけど、友達の輪の中で、羨望の注目をされたくて、愛されたくて、作り話を語ってしまう癖があった。
お母さんがイギリスにいて住んでいたこともあるってゆう誰も傷つかないしょうもない嘘を知り、ジアを抱きしめたくなった。
抱きしめたところでジアはちょっとひねくれて意地悪なままでしょうがね。
ボラはあまり書かれなかったけど、優等生でいろってゆう家族からのプレッシャーが強いのかな。猜疑心が強くて、人を信じていないので先に裏切って傷つけて喜んでいる。
褒められた性質じゃないけどいたなぁって思う。
小学生女子は性格が悪い。実体験としてわたしはそう思う。
傷つけ、傷つけられてちょっとづつ人付き合いを学ぶんだけど、今はちょっとづつが難しくって取り返しのつかないことになりやすい気がする。
無視したりされたり、嘘ついたりつかれたり、秘密をバラされたり、嘘の噂を流されたり。
全部やったことがあるし、やられた。
褒められたことではないけど。
彼女たちはこれから。
映画の最後に立っているここからどうなるか。
自分の醜さを認め、自分にない人の美点や環境を妬まず、自分を好きになる。醜さも含めて。
がんばれ。
うずらのゆで卵
是枝監督の推薦文を見て鑑賞。確かに主人公の女の子ソンから目が離せない。ドッチボールのチーム分けで、いつまでも選ばれず、不安と失望を押し殺している表情。ソンのつるんとした小さい顔が、ゆで卵、しかもうずらのゆで卵に見えてくる。
映画が描くのは小学四年生の夏休み前後で、庶民的なお総菜屋を営む両親を持つおとなしくて友達の少ないソンと、夏休み中に転校してきた両親は外国にいるというお金持ちのジア。夏休みの間は手作りのブレスレットもして弟とも遊んで家でご飯も食べたほど仲良しだったのに、新学期が始まったらジアの態度が違う。
昨日まで仲良しだった友達が、翌朝登校したら急によそよそしくなって、何かあったっけ?何か悪いことしたっけ?直接聞くべき?聞く方が変?と、他のことが手につかなくなるほど気に病んだことが、私にも何度かあった気がする。子供の頃、いや少なくとも中学生くらいまで、友達関係には神経をすり減らせていた。ソンには気の毒だが、まだ小学4年生、これからもこんな人間関係の悩みはしばらく続く。でも今回乗り切ったように、彼女は少しずつ成長できる。
まだ10歳なのに、能天気な弟と対照的に家族を気にする姿にも涙。
2017年度ベストムービー!
今年は韓国映画に面白い作品がたくさんあった。この映画が良いのは、変に能天気にならず、また変に殺伐としないところ。ストーリは、小学生の女の子の友情物語で、心理描写とか表情が本当に上手く捉えられていて素晴らしい。ここに出て来る子供たちは皆、主演賞ものだ。
じわりとハートを揺さぶる秀作
観ていて子どものころを何度も思い出した。
ぼくにも友達が離れていったことや、仲間外れにされたことがあるからか、主人公のソンに強く感情移入しながら観ていた。
大人からするとこどもの世界のことを単純に見えるかもしれない。
でも、こどもだって、真剣に生きているし、
真剣に悩み、傷ついて、一生懸命に生きている。
懸命に、気丈に、必死に。。。
その姿が甘酸っぱくて、眩しくて、
美しくて胸を打つ。
同じ24時間を繰り返している日常が当たり前になり、生きることの豊かさや瑞々しさをつい忘れてしまう毎日になってはいまいか。。。
自分の『生きる』という営みについてどれほど真剣にやれているだろうか。。。
大好きな友達に裏切られ、傷つき、苦しみながらも懸命に自分にとっての大切ななにかを探そうとする主人公のソンの姿、光宿る眼差しがソフトに、しかし深く心の奥に突き刺さる。
派手さもなく、揺さぶられるような大きな感動もない。
でもぼくの記憶に残る作品となった。
ソンもジアもボラも、みんな抱きしめてやりたい。
ソンもジアもそしてボラも、もうみんな抱きしめてやりたい。そんな気持ちになった。
小学生の頃を思い出す時、ついつい楽しくて無邪気だった頃のことばかり思い出してしまうけれど、そういえば子供であるが故に今よりもずっと傷つきやすくて同じくらい残酷だったっけ、とこの映画を見て思った。小学校の教室で繰り広げられていた友情は、確かにこんなに不安定で頼りなくてか弱かった。自分がソンだったこともあった。ジアだったこともあった。ボラだったこともあった。3人ともかつての私だった。そして、ソンの時も、ジアの時も、ボラの時も、それぞれに苦しくて切なかった記憶がある。だからこそ、もう見ていて胸が痛くて痛くて、切なくてたまらなくなった。
冒頭のドッジボールのチーム分けのシーンからして胸が痛い。あんな残酷なことが、確かに毎日行われていた。あのシーンのソンの表情がまた切ない。演技とは思えないほどリアルで胸が痛い。そしてそこからの物語も、胸が痛くて切なくて、でもなんだかどこか身に覚えがあるような、そして思い出の痛いところを鋭く突きさされたような思いの連続だった。だれが悪いとか、そういうことじゃないんだよね。ボラが特に意地悪な女の子に見えるけど、そうじゃない。ジアが裏切り者に見えるかもしれないけどそれも違う。小学校と塾と家という狭い世界の中で生きる小学生たちにとって、仲良しグループという存在がいかに重要で、そこでいかにうまく渡り歩くかは、あの頃本当に深刻な問題だった。そんな世界で、やりきれない小学生たちの友情のすれ違いを、ここまで写実的に映像化した映画を初めて見た。私情を挟むでもなく、批判を打つでもなく、ただただ写実的に子どもたちの「社会」を描いて見せた。かつての現実を直視させられて、あまりに辛くて胸が痛むが、それでも素晴らしい映画だったと言わざるを得ないと思う。
赤く染めた爪と、その上から塗った水色のマニキュア。時がたってそのどちらもが剥がれ落ちてしまった。そして最後にわずかに残った赤い爪に、ほのかな希望を託す。やっぱり胸が痛いラストシーンだけれど、これ以上ないエンディングだったと思う。
愛おしい子供たち
子供にも嫉妬、あります。
子供にも嘘、たくさんあります。
子供も周りに流されます。
子供もしっかりと裏切ります。
子供も忍耐、いっぱいしてます。
子供も気遣い、結構してます。
子供にもちゃんと自分というものがあります。
だから子供は、意外に泣きません。
そんな子供が愛おしくなる映画です。
現代社会の問題をリアルに再現されていました。
小学生の小さいようで難しい社会を描いた物語。
社会の縮図とまでいわれる学生の人間関係をあれほどリアルに、そして少ない言葉の中でも、
ソンの目から色んな感情を読み取ることができました。
ソンちゃんの演技はとても引き込まれていきます。
私も学生時代に似たような経験もあり、
すごくどこにでもあるようないじめでしたが、
とても共感できるほどリアルに映画になっていたのですごいと思います。
女の子にしかわかり得ない感情もあるかとは思いますが、是非見てほしいです。
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