羊の木 : インタビュー
錦戸亮×吉田大八監督、現場で築き上げた信頼関係
目の前にいる人を疑うか、信じるか。人間が肌で感じる拒絶や許容を、繊細な心理描写で描き出した「羊の木」が、2月3日に公開される。6人の元殺人犯という強烈なキャラクターを相手に、“受け”の芝居を貫いた主演の錦戸亮と、そんな錦戸の感情の機微を引き出しスクリーンに焼き付けた吉田大八監督が、互いへの思いを語った。
映画は、第18回文化庁メディア芸術祭優秀賞を受賞した山上たつひこ原作・いがらしみきお作画による同名漫画を原作に、大胆なアレンジを施したもの。港町・魚深で市役所職員として働く月末一(錦戸)は、過疎問題解決のため仮釈放中の受刑者を移住させる国家の極秘プロジェクトでやってきた元殺人犯の男女6人の受け入れを担当する。元受刑者たちは町に溶け込んで生活を始め、月末が高校時代に思いを寄せていた石田文(木村文乃)とも関わりを持ち始める。そんななか港で身元不明の変死体が発見され、静かな町に波紋が広がっていく。
開口一番、「僕、三男なんです」と切り出した錦戸。今作で求められた、いわゆる“受け”の芝居は、幼少期から培われたものだという。「お兄ちゃんたちが何したら怒られるかをずっと見ていました。いろんな人を見ているじゃないですけど、今この人イライラしてるとか怒ってるとか、結構ビクビクしながら生きているかもしれない(笑)」
しかし、“受け”の芝居は錦戸にとっては特別なものではないといい、「先攻か後攻なだけで、結局受けた分は返さないといけないと思いますし、投げた人も俺が返したらそれをまた返さなあかん」と持論を展開。これには吉田監督も大きくうなずく。
元受刑者を駅や空港から移住先への送迎する月末は、それぞれに「いいところですよ。人もいいし、魚もうまいです」と笑顔で魚深を紹介するものの、噛み合わない会話に徐々に表情を暗くしていく。しかし、最後に迎え入れた宮腰一郎(松田龍平)に「いいところですね。魚とかうまいんでしょうね」と話しかけられた月末は、初めて“普通”の会話が成立したことで安心したように目を輝かせる。派手な演出がないにも関わらず、月末の感情が見ている側に手に取るように伝わる場面だ。
実際の撮影でも、出迎えのシーンが錦戸とほかの共演者たちとの初共演シーンであったことが多く、吉田監督は「本当に嬉しかったのかもしれないね」と振り返る。「半分ドキュメンタリーというか。月末と受刑者のということもあるし、錦戸くんがそれぞれの俳優と最初に合わせながら探りつつという。その雰囲気をちゃんと演技に反映できる感度が、錦戸くんにも相手にもあったから、そういう撮り方が良い結果を生んだんだと思います」
吉田監督は、今作を「“他者”と向き合う月末の顔を見つめる映画」と話す。序盤では文と6人への接し方を分けていた月末だが、文と元受刑者が交流を持ちはじめたことで葛藤する。「その表情の変化はすごく魅力的で、撮影しているときもそうだけど、編集しながらその積み重ね方が絶妙だと改めて思いました」と錦戸の力量を絶賛し、「繊細な強弱の具合が、すごく色っぽい」とストレートな言葉を口にした。
脚本の捉え方についても、2人が事前に話し合うことはなかった。“必要なかった”というのが正しい。吉田監督は、「現場に入って、彼と僕のイメージがそんなに大きく違うことは、映画を通してあまりなかったんです」と撮影時を振り返る。聞こえはあっさりとしているが、この関係性は互いへの信頼に裏付けられたものだ。
吉田監督いわく、錦戸の俳優としての魅力は「撮影現場ですごく信頼してくれてる感じが伝わってくるところ」だという。
「彼は、僕が何かしゃべったことに対して、9割以上ひと言で『オッケーです』って返す。本当に!? と思うときもあるんだけど(笑)、それでちゃんと自分が伝えたかったことを、表情だったり、空気だったり、タイミングだったり、全部捕まえてくれる。僕の判断や要求に対して、理由があると信頼してもらえている感じ。それは演出する側にとってはありがたいこと」
この話からも、錦戸が俳優として“作品は監督のもの”というスタンスを貫いていることがうかがえる。
「吉田監督が作る映画のなかの、ひとつのピースとしてがっちりおれればいいって思うんです。そのときどきで思い描いたピースの形になれるように、僕はおれればいいやって。だから信じていました。完全に」
「関ジャニ∞」のメンバーとしても活躍する錦戸は、「僕から知ってくれて、グループのことも知ってもらえたらもちろん嬉しいです」と前置きしつつも、「(俳優業を行う上で)ジャニーズなんでっていう逃げは絶対に使いたくないし、歌手なんでって逃げるのも嫌です」と率直に語る。吉田監督も、「彼がミュージシャンだったり、ジャニーズだということは撮影中まったく意識しなかった」と言い切り、錦戸の“俳優”としての更なる飛躍に期待を込めた。
「どういう風に何が作用するかなんてわからないでやっているけれど、無駄になっていることはひとつもない。どっち側にも。そんな気がします」(吉田監督)