「この映画で一番伝えたいこと」君の膵臓をたべたい(2017) yuki.01042706さんの映画レビュー(感想・評価)
この映画で一番伝えたいこと
観終わるとまた観たくなりついに5回目を観終えました。
高評価をしている意見で多くみられるのは、
原作を再校正し本編がさらに良い形になっていると述べています。
「彼女」が逃れられない死を迎えたにもかかわらず12年という月日を経て天国に行くことができたという点や、
「僕」が遺書を見つけたことで自分の殻に閉じこもっていた状態から一歩前に進むことができるようになった点などです。
一方で、もっとこう演じたらいいのに、とか役や設備など内容の設定に違和感があるとか、病人らしくない振る舞いだ、とか改良すべき点を細かく指摘するとたくさんあるのもわかります。
しかし私はこの映画で製作者側が一番伝えたい主旨は、間近に迫る「死」をどう受け入れるか、「死」を迎える側の立場と「死」を見送る側の立場のそれぞれの葛藤を描いている点だと思います。
「死」を迎える側はキューブラー ロスの死の受容でいうと否認、怒り、取引、抑うつを経て死を受容できるようになると考えられています。「彼女」は「僕」と接するようになった時点ですでに「死」を受容できていたことが伺えます。しかしながら時おり見せる暗い表情などからもわかるように、完全には受け入れきれず自己が消失するという虚無感と葛藤しています。
どのようにして虚無感を克服すればよいか、「彼女」なりの答えを出しています。「彼女」の「身体」は間もなく寿命をむかえてしまうが、「彼女」の「心」は親しい人に伝えていくことができる、親しい人の「心」の中で「彼女」の「心」も生きていけるかもしれないというようにデカルトの心身二元論に代表される、
「身体」と「心」が別であるという考えを漠然とながら自ら導き出しています。
「僕」のほうは突然亡くなってしまったこともあり「死」の受け入れができていませんでした。1ヶ月経って受け入れができるようになりましたね。その間の描写がないため受容までの詳細な経過はわかりません。
本編で製作者が私たち視聴者に伝えたいことは「いつか訪れるであろう自らあるいは親しい人の死をどう考えますか。」という問いかけをし、そして「 私たちならこういうケースに対し、こう考えこう対応します。」というように1回答例を提示しているように思います。
原作者がいうように私たち人間はいつ死ぬかわからないし、突然厳しい病状を宣告される可能性を持っていると思います。自分が同じ立場になってしまったらどう考えますか、というテーマを考える機会をつくってくれたのだと思いました。そういう意味では映画の完成度は別にして、とても価値の高い作品だと思います。十分に高評価を与えられると思います。