KING OF PRISM PRIDE the HEROのレビュー・感想・評価
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すさまじい、とにかくすさまじい。
「キンプリ」の応援上映なるものが盛り上がっている、という話はニュースなどを通じて知っていたはいたが、絵柄などを観る限り、中年のオッサンである自分には関係がない世界だと思っていた。とはいえ縁あって誘ってもらったので、一体どんな世界なのかと物見遊山気分で「キンプラ」の応援上映に行ってみたが、もう完全になにもかもが理解できなさ過ぎた。 斜に構えて笑ってるわけではない。イケメンがTRFの曲で歌い踊って宙を舞いライブ会場を破壊するようなストーリーは一切意味がわからなかったし、平日夜の会場を埋め尽くした客席のファンたちのテンションにもまったく追いつけない。ただ感じたのは、自分などにはわからないものがエンタメとして人の心をつかんでいる現実と、場内を埋め尽くす熱狂の痛快さ。狂気の空間にいる戸惑いも含め、得難い経験として楽しんだ。さらなる戸惑いを求めて前作も観てみようと思っている。
今一番フリーダムな映画
映画コムレビュー KING OF PRISM PRIDE the HERO 幸福感に溢れた稀有なイベント映画。 映画は自由な発想で作られていい。しかし、政治的正しさを求められるなど、多くのしがらみの中で作らなければいけない。そんな2017年にあって世界でも有数の自由を謳歌している作品ではないかという気がする。 その自由がまぶしい。プリズムのきらめきがまぶしい。 思えばなぜ映画が好きなんだろうと、自問自答してみる。きっとそれは小さい頃は、現実という檻から自由な世界に連れ出してくれるものだったからに違いないのだ。 ダンスバトルで競技場が破壊されても、逆に修復できても、地球が黄色くなってもいいんだ。常識が否定しても、一旦立ち止まって自分の心の奥底になぜそれがダメなのか問いかけてみてほしい。映画において、それらがダメな理由なんてない。 心が解放される、フリーダムな69分間だった。
みんなで楽しむためのお祭りみたいな作品
やっぱり応援上演で本領を発揮する映画。みんなで楽しむためのお祭りみたいな作品。一人で自宅で冷静に観るには辛いかもしれない。でも、応援上映だと周りもみんな楽しそうで、自由で煌めいて見えた。 しかし、新人のシンが新しい風を巻き起こす物語かと思ったら、先輩のヒロが真の王者に君臨する物語だったのか。シンとルイに物凄いバックボーンが有るのに、なんだか霞んでしまうほどだった。
言葉では表現できない
言葉では上手く表現できないのですが、 初見の時はとにかくツッコミどころ満載で大爆笑でした。 作品の知識が全く無くても それはそれで楽しめると思います。 そして後々キャラに愛着がわいてきたので 過去シリーズやネットでの考察を探り、ストーリーの深さを知る。 今では笑える作品から感動できる作品へと変わりました。 初見の時は「BL!?」「ポールダンス、エッチだ…」なんて思っていたのに、 今ではこのシーンで胸が苦しくなります。 また、応援上映は作品の中に入った気分になれて とても楽しいです。 映画を観にいくというより、 「キャラに会いたい」 「LIVEで盛り上がりたい」という感覚で 繰り返し足を運んでしまいます。 気になる謎も増えたり ショーを披露していないキャラもいるので、 今後も末永く続いて欲しい作品です。
普段、歌系・アイドル系は観ないけど
普段は全くタッチしないジャンルで、寧ろ好きじゃない方面で、失礼ながら時間潰しにレビューが高かったから、まあ、観てみようか。と思った程度でしたが、…………!!!面白かった……!!!不得手な部分を挙げると、3D作画で、動きがロボットみたいで不自然なダンス(歌)場面。キラキラアイドル歌手のキャラ。男の娘的なキャラ。キレイ系BL。学園ものNL。みたいな部分が、どうにも苦手な部類なのですが、それらを差し引いても面白かった。笑えた。ツッコミ所満載のコントアニメのようで、自然に笑えた。面白い。ただただ、もう、『面白い』純粋に楽しめる(笑える)映画でした。すごい。こんなジャンル(作品)もあるんですね~。
プリズムショーの煌めきを再び体感出来る!
こういうフリーダムな作品がちゃんと公開されている内は、この国もまだまだ創作に対して寛容であると思える(全くの自由だとは言え無いとしても) 一瞬デビルマン的な話になっちゃうのか?と心配したが、ちゃんと太陽系の平和は保たれたようで安心しましたw
時空を越えた映像体験
感想を書くにあたり、私には、この映画の素晴らしさを描写するだけの文章力が無いということを、最初にまず明言しておかねばならない。私の言葉では、この壮大すぎる映画の魅力を語り尽くせない。だが、こんな唯一無二の感覚を体験をさせてくれる作品の感想を語らずして、他の映画の感想を書くことなどできない。 この作品を、従来の映画の尺度で評価することは難しい。これは、映画という枠を大幅に逸脱した、新しく圧倒的な映像体験だ。そのため、私はこの新しい表現に対する語りを、まだ獲得できていないのだ。 公開から一週間を経て、私はすでに三回鑑賞したのだが、なかなか感想を書けなかったのは、その為である。先週末の公開初日に一回目を観終わった瞬間から、すぐ二回目が観たくなった。二回目を観れば、この映画を観ていない時間が苦痛になり、気が付けばもう一回……という風に、つい劇場に通ってしまう。このような中毒的な症状は現在も続いており、おそらく私は今後10回以上はこの映画を観に劇場に行くことになるだろう。 昨年1月に公開された前作『KING OF PRISM by PrettyRhythm』(通称キンプリ)が、「応援上映」という全く新しい鑑賞方法を確立したことは、日本の映画史、アニメ史に残る、ある種の革命であったように思う。去年、数多くの人々が一度の鑑賞に飽き足らず、何回、何十回と劇場へと足を運び、「キンプリ」は1年にも渡るロングラン公開を実現した。そして、私もそんな観客の一人であった。 前作キンプリは、公開当初わずか全国14館のみで上映され、興業的に苦戦し、続編制作の目途も立たなかった。しかし、Twitter等のSNSによる口コミで徐々に興行収入を伸ばし、結果として当初予定されていた3000万円を大幅に超え、最終的に興行収入8億円を達成した。 多くのファンは、キンプリという新しいエンターテイメントの魔力に半ば中毒状態になり、何度も劇場に通った。と同時に、ファン達は一回でも多く自分が映画を観ることで、興行収入を増やそうとし、それにより続編が制作されることを切に願った。 (因みにこういうキンプリ中毒者は、尊敬をこめて、プリズムエリートと呼ばれている) そんなドラマティックな経緯を経て、今月、ファン達の願いは実を結び、この続編『KING OF PRISM -PRIDE the HERO-』(通称キンプラ)が公開されるに至ったのである。 そして、続編であるこの『KING OF PRISM -PRIDE the HERO-』は、前作を更に上回る猛烈な中毒性を持つ、エネルギーに満ちた傑作となっている。 (公開初日に観に行った際、応援上映ではない通常上映だったにも関わらず、上映終了後に客席から拍手が起こったのは、初めての経験で、涙が出そうになった) 演劇の世界では、ファンが公演中何度も同じ舞台に足を運ぶのに対し、通常映画ファンは、面白いと思った映画でも、あまり何回も同じ映画を劇場で観ようとはしない。しかし、キンプリ、キンプラのファンは何回、何十回も劇場に足を運ぶ。 知っての通り、映画は舞台と同じく時間と空間の芸術であるが、生の演劇の舞台とは明らかな違いがある。映画は基本的に二次元の壁に縛られており、観客は常に受け身の形で鑑賞をする。しかし、前作で「応援上映」という新たな鑑賞スタイルを確立した通り、キンプラは従来の映画が負っていた「二次元の制約」に縛られない。あらかじめ観客という存在を映画内に盛り込み、彼(彼女)らからの反応を予想して制作されたこれらの作品は、二次元でありながらも、限りなく三次元的なエンターテイメントになっている。 キンプラの魅力の一つは、アイドルライブとアイススケートを組み合わせたような、「プリズムショー」という競技にある。劇中で「プリズムショー」が披露される時、劇場の観客達は、劇中にいるプリズムショーの観客達として映画内に存在を許され、彼らと同一化する。そして、あたかも目の前でプリズムショーが現在繰り広げられているかのような感覚に陥り、本気でキャラクターに声援を送ろうとする。このようにして、キンプリ・キンプラは二次元と三次元の壁を疑似的に乗り越え、生身の観客と劇中のキャラクターとの距離を限りなく近づけるのである。 キンプラは、暴力的ともいえる圧倒的な映像の力、つまり画面から放たれる所謂「プリズムの煌めき」で、観客を映画の世界に引き摺りこむ。70分間の上映時間中、嵐に荒れ狂う大海原に放り出された小船の如く、観客はただひたすら映像世界に翻弄される。そして終了後、眩い酩酊感から目が覚めた時、観客である私は、鑑賞前にいた地球とは全く違う別次元の宇宙に飛ばされているのである。 キンプラを観る前、私が存在した地球という星は青かった筈だったのだが、上映後劇場から出た時には、地球の色が変わっていた(観てない人は、早く地球が本当は何色かを確かめに行ってほしい)。 しかも、上映時間は70分である筈なのに、体感的にはどう考えても5時間位は劇場にいた。一般相対性理論的に考えると、劇場内で重力の歪みが発生していたとしか思えない。プリズムショーのプリズムの煌めきは、時間と空間を超えた何かなのかもしれない。 (因みに冗談だと思われそうだが、割と本気で感想を書いている。観た人であればこれが真実だと分かってくれると思う。) 簡潔に言えば、キンプリ・キンプラとは「プリズムショー」を行うプリズムスタァを目指す、少年たちの物語である。キャラクター達は実際のアイドルライブのように、プリズムショーを行い、観客達にどれだけ多くの「プリズムの煌めき」により感動を与えられるかを競い合う。 前作キンプリでは、プリズムショーに魅せられた主人公、一条シンがプリズムスタァ養成学校であるエーデルローズに入学し、一人のアイドルとして成長していく様を描いた。そして今作キンプラでは、プリズムスタァの頂点を決める「プリズムキングカップ」に向けてキャラクター達が技を磨き、互いに頂点を目指す、少年漫画的な熱いドラマが展開される。 (詳細なストーリーについては、『KING OF PRISM』のwikipedia項目等で調べればいくらでも出てくる情報なので、今回説明は省く) 魅力的なキャラクター達や、友情やライバル関係をはじめとした人間ドラマ、応援上映という三次元的な映像体験などなど、キンプリシリーズの魅力を挙げればキリが無いが、観客をその世界に惹きつけ、何度も劇場に足を運ばせる最大の魅力は、やはり作中のプリズムショーにあると言っていいだろう。 上述の通り「プリズムショー」とは、アイドルライブとフィギュアスケートを合わせたようなショーであり、各キャラクターの持ち歌や、EZ DO DANCE等の小室哲哉作曲の有名曲に合わせ、CG化されたキャラクターがダンスやジャンプなどを繰り広げるものである。 プリズムショーには、一応競技として、ジャンプやスピンなどの技量を競う面がある。だが、最も重視されているのは、ダンスと歌を通して、各キャラクターがどれだけ「プリズムの煌めき」を放てるか、という所にある。 プリズムの煌めきは、一種の美のイデアのようなものだ。観客達は、舞台で踊るアイドルを通して、彼らの中にプリズムの煌めきを見出し、感情を揺さぶられる。一方で、アイドル達は、自らの肉体にプリズムの煌めきというイデアを体現し、結晶化し、より高みを目指して踊る。 現実世界でも、私たちは美を体験した時、感情を揺さぶられ、本来はそこに存在するはずのない心象風景を見たりする。しかし、それはあくまでも実体のない、自身の内的宇宙で起こる、外部からは不可視の現象にすぎない。 だが、キンプラではその化学反応を「そこに在るもの」として、大胆に描ききる。プリズムショーで表現される「プリズムの煌めき」は、時間・空間・重力といった物質世界の制約を軽々と乗り越え、本来目に見えるはずのない心象風景や、ときめきといった感情の渦を、その場に形をもって顕現させる。そしてそれはスクリーンと客席いう二次元と三次元の壁をすら越え、映画の観客をプリズムショーの世界に惹きこむのである。 時空を超えたプリズムの煌めきを浴びた映画の観客達は、魅了され、ただひたすらに翻弄され、恍惚感に満ちた快楽を味わう。 上映終了後も忘我の状態から抜け出せず、私のように中毒になり、プリズムの煌めきを浴びたいが為に、何回も劇場へと足を運ぶ人も多い。 (これが、キンプリ・キンプラが「電子ドラッグアニメ」と評される理由の一つである) と、ここまでプリズムショーについて、自分なりに言葉を尽くして書いたつもりだが、私の文章では、実際の作品の魅力の100億分の1も伝えることはできていない。どんな名文でも、キンプラ一回の鑑賞体験には遠く及ばない。キンプリ・キンプラを実際に観るまでと観た後では、世界が変わるので、見たことのない人にいくら説明をしても限界があるのである。 前作キンプリの公開時、私自身、オタクでありながら、いかにもキラキラしたアニメの絵柄に抵抗があり、実際劇場で映画を観たのは公開後二ヶ月を過ぎた頃だった。 「この絵柄のアニメにはいくらなんでもハマらないだろう」と高を括っていたにも関わらず、初めて味わう映像体験に魅了され、見事にハマってしまった。そして「この絵柄が苦手に思う人ほど、キンプリを観て欲しい」と周りの友人知人達に語った結果、友人達も見事にキンプリ中毒者になった。このようにして、前作キンプリは口コミでファン層を広げていったのである。 女子向けアイドルアニメと思い、侮ることなかれ。映画が好きなのにキンプリを観ないということは、たとえば、女子が書いた手慰みだと思って、ミステリー好きなのにアガサ・クリスティを読まなかったり、SF好きなのにジェイムズ・ティプトリーJr.を読まなかったりするくらい、損をしているのではないか……とすら思う。 ぜひ劇場に足を運んで、一人でも多くの人に、実際にプリズムの煌めきを体験してほしいと思う。 ■追記 この『KING OF PRISM -PRIDE the HERO-(キンプラ)』は前作『KING OF PRISM by PrettyRhythm(キンプリ)』の続編ということもあり、ストーリー的には前作を観ていた方が分かりやすい。だが、前作を観ないと……という義務感から、キンプラを観る心理的ハードルが上がってしまうのであれば、いきなり今作キンプラから観ても全く問題ない。 なぜならば、劇場でキンプラを観るという体験ができるのは今だけであり、プリズムショーの感動はストーリーを知らずとも味わうことができると思っているからだ。 (※私は前作キンプリを観てから、スピンオフ元である女児向けテレビアニメ『プリティーリズム・レインボーライブ(以下プリリズRL)』を観ているが、それでもキンプラを観て分からないものは分からなかったし、過去作品を辿ればキリがない。取り敢えずキンプラを観てから、もし気になったら前作キンプリ、プリリズRLを観れば良いと、思っている)
プリズムショーは最高
ただシナリオの方が正直期待外れだった印象です。 前半は少々退屈でした。後半は意外性が強いプリズムショーパートなのでおもしろかったです。 全ての作品を総括する演出は流石菱田監督だと思いました。 前作で新主人公としてシンを出したのに結局主人公はヒロでした。 色々とありましたが結局のところシンはエデロとシュワロの決着に何も関わっていないのです。あれだけ今後シンが活躍するような期待させておいてこの展開は興ざめでした。 前作でヒロが主人公のRLの続編を作っていればその辺の不満はなかったかなと思います。 キンプリシリーズから参加した新キャラは、シンとタイガとアレクとルヰ以外特に目立つこともなく前作でキャラクター増やした意味がありません。 高田馬場ジョージもCV杉田という話題性だけのために出てきた印象でした。 一応ストーリーとしてはこれで完結のような雰囲気ですが、抽象的な描写が多く語られなかったことも多いので人気が今後も続くようなら続編作るということでしょう。
前作を越える感動と興奮
「KING OF PRISM by Pretty Rythem」(通称キンプリ)は、 2016年1月に公開された。 低予算ながら綿密に作りこまれたストーリーと、 「応援上映」という新しい映画の鑑賞スタイルが話題となり、 公開から1年以上のロングランヒットとなった作品だ。 その続編となる「KING OF PRISM by Pretty Rythem」が 2017年6月10日に公開となった。 前作は面白かった。 意味が分からないのになぜか泣いてしまうような力強さがあった。 正直前作を超えるのは難しいだろうと思っていた。 訂正する。 今作は、前作を遥かに超える感動と興奮が詰まっている。 前作がドライブくらいの疾走感であれば今作はジェットコースターだ。 今作は、台本が前作の2倍となるほどのボリュームを、前作を10分だけ上回る69分におさめている。 70分のアニメとは到底思えない。 内容があまりにも蜜で、5時間の長編アニメーションを見た気持ちになる。 それは情報量が多いとも言える。 しかしストーリーの主軸がブレているわけではない。 ストーリーは複雑に絡み合うが、それぞれクライマックスに向けて帰結していく。 全てのカットが重要なもので、無駄なものが一つもない。 それが70分という短さでこれだけの纏まりを見せている要因だ。 キャラ立ちのよさもこの作品の魅力のひとつだ。 時には突き放し、時には悩み、 時には仲間と励ましあいながら成長していく。 支えあうというのは、それぞれの役割を果たすということでもある。 個性豊かなキャラクターは出来ることを一生懸命に行いながら、 「プリズムキングカップ」という大会に挑む。 その間のプリズムショーがまた圧巻だ。 プリズムショーは何でもアリの全く新しいジャンプだが、 その面白かっこよさに圧倒されてしまう。 そして最後は感動的なジャンプと、序盤からのキャラの成長を感じて、 辿り着いた強さに涙してしまうことだろう。 この映画は監督である菱田正和の集大成であるといえよう。 菱田監督は、昨年亡くなったアニメーション監督井内秀治が 総監督を勤めた「超魔神英雄伝ワタル」という作品に関わっていた。 それ以降も井内秀治とともにキンプリの前身である 「プリティーリズム」テレビシリーズの監督を手がけた。 監督が井内秀治から受けたものは多くあったに違いない。 今作は、ワタルや菱田監督が務めた監督作品の多くからオマージュを受けている。 昔からのファンであればニヤリとするエッセンスが盛り沢山だ。 かと言って知らない人が置いてけぼりにされるのではない。 いずれも物語の根幹に関わる重要なものではなく、 作品を知っていれば分かる、感動するようなエッセンスの入れ方だ。 それが知りたくて過去作品を見たくなってしまう、 視聴者の探究心を擽るようなエッセンスの入れ方が秀逸だ。 見れば見る程歯ごたえが出てくるような作品だ。 一度で全てを理解できる人はいないだろう。 2回、3回と見ていく度に新たな発見があり、 その発見の「意図」に気づき、監督の仕掛けた物語がようやく理解できる。 張り巡らされた物語を理解したとき、 この作品の真の奥深さに気づくことができるだろう。
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