「好き嫌いは確実に分かれる」オン・ザ・ミルキー・ロード 曽羅密さんの映画レビュー(感想・評価)
好き嫌いは確実に分かれる
エミール・クストリッツァ監督の作品を観るのは『パパは出張中!』『アンダーグラウンド』に続いて3作品目になる。
『パパは出張中!』は映画の内容は正直それほど覚えていないが、テレビ東京で放映されていた『山田孝之のカンヌ映画祭』のフジファブリックが歌う主題歌『カンヌ映画祭』で繰り返し出てくるフレーズの1つとしてタイトルだけは良く覚えている。
(『カンヌ映画祭』はカンヌ受賞作品のタイトルで歌詞が構成されている)
『アンダーグラウンド』は特典映像も含めて観たが、ユーゴスラビアの歴史をファンタジーに落とし込んだ作品だった記憶があり、観ている最中から好き嫌いは完全に分かれる作品だなと感じた。
この作品でセルビアの肩を持ったとしてクストリッツァは引退宣言まで出す羽目に陥ったらしいが、そもそも彼はセルビア人なのでセルビアの肩を持ったとしても当たり前ではないだろうか。
そもそもセルビアは民族もロシアと同じスラブ系、宗教もローマ・カトリックではなく東方正教会であるがゆえに苦難の歴史を歩んできた。
セルビア人は勇敢で戦争も強かったためにイスラム教徒のオスマン・トルコがセルビアを占領した際にわざと首都のコソボにイスラム教徒のアルバニア人を住まわせた。
また第二次大戦中はナチスの威を借りたゲルマン系のクロアチアに相当住民を虐殺されている。
戦後はティトーによって社会主義独裁体制のユーゴスラビアの一部に組み込まれ、やはりコソボへのイスラム教徒の移民を奨励する政策を取られてしまう。
ティトー死後にセルビア人は不法占拠中のアルバニア人退去の正当性と、クロアチア人の非道さを国際社会に訴えたのだが、クロアチアと同じローマ・カトリック諸国の憎悪を買い、いかにセルビアが残忍かを欧米各国で世論形成され、最終的にはNATOによってセルビアの首都ベオグラードを爆撃され民間人を多数虐殺されている。
なおイスラム勢力であるオスマン・トルコ軍のヨーロッパへの侵攻を食い止めるために見せしめとしてトルコ兵士2000人を生きたまま串刺しにしたブラド公は本来ならヨーロッパ世界では英雄なはずだが、やはりローマ・カトリックではないため後世に吸血鬼「ドラキュラ」にされた。
最近話題のミャンマーのロヒンギャ問題もいっしょである。
元々単一民族しかいなかったビルマをイギリスが植民地統治する際にビルマ人だけだと団結して反逆されるという理由から、華僑、インド人、イスラム教徒をわざと入植させたのだ。
しかも経済の実権は華僑とインド人に握らせるという悪どいことをやった。
ビルマはその後、平和的な方法で華僑とインド人をだいたい追い出したが、最後に残ったのがイスラム教徒のロヒンギャという話である。
人道的にミャンマーを責める前に、原因を作ったイギリス!まずお前がなんとかしろ!と言うのが本筋なはずだが、欧米中心の国際世論は相変わらずミャンマーを責めている。
おそらく自分たちの悪事がバレるのが嫌で隠そうとしているだけだろう。
欧米の傀儡だったアウン・サン・スーチーもさすがに自国の苦難の歴史を学び始めたせいか、今回の追い出しに反対することなく適当にお茶を濁している。
米英中心の西洋文明の掲げる正義なんてしょせんこの程度のものである。
それを無批判に垂れ流すだけの日本の多くのマスコミはさらに情けない。
さて本作の内容になるが、相変わらずこの監督らしく癖の強い映画である。
3つの実話を1つにまとめているらしいが、どこまでが真実なのか寓話として脚色しているのか観ている間はなかなか判別が難しかったが、スパイがある女性に夢中になって探し歩いた話も、牛乳好きの蛇に襲われたことで牛乳配達がただ1人生き延びた話も、地雷原で羊の群れを飼っていた話もどうやら本当の話らしい。
この監督の作品ではひょんと人が死んでいくが、紛争を見慣れた人の創る作品だなと改めて感じる。
また熊とキスしたり、羊の中に紛れ込んだり、蛇や隼とからむシーンもCGの使用はなく、以前から時間をかけて徐々に動物たちを慣らした上に撮影に3年の時間をかけたらしい。
あまりに寓話に寄せているのか笑ってしまうシーンもあるのだが、不思議な映画である。
すでに50代になるモニカ・ベルッチの相変わらずのお色気はさすがである。
『アレックス』の衝撃レイプシーンをはじめ、若い時から体を張って演技してきた彼女だが、今回は裸体を見せることはない。しかし極寒の中水に潜ったり、20メートルの高さから飛び降りたりとやはり違う意味で体を張った演技を披露してくれている。
日本ではモデル体型のスタイルの良い女優はたくさんいるが、グラマーなお色気女優は少なくなったと感じる。
昔はかたせ梨乃や石田えりなどの「肉体派女優」がいた。
単にグラビアアイドルを女優として起用しても下手くそで続かないだけなのか?
本作は監督であるクストリッツァ本人が主役を兼ねている。筆者の覚えている彼の顔は髭面だが、髭を剃るとなかなか面構えが良いなと感心した。
音楽は息子のストリボールが担当しているので、映像への合わせ方も心得たものである。
大掛かりな映画ではあるもののどこか牧歌的な印象を持つのはそういうところも関係しているかもしれない。
評価が難しい映画である。
できれば2度3度観返したい欲求にもかられる。
ただし好き嫌いは分かれる。
やはり難しい!