メッセージのレビュー・感想・評価
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言葉も時間も超越して僕らの心に届くもの
最近、『翻訳できない世界の言葉』(エラ・
フランシス・サンダース著、前田まゆみ訳)という
本、というか絵本を買ったのだが、この中で
紹介されているインドネシアの言葉に
「ピサンザプラ」というものがあった。
これ、「バナナ1本分を食べるのにかかる
時間」を指す言葉だそうな。
いやピンと来ないよ、
全然ピンと来ないよバナナ1本分て。
バナナを常食する習慣が無ければ通じがたい言葉が
あるよう、言語はその地域の文化・環境に
深く根付いているものだ。辞書だけでおおまかな
意味を知る事はできても、他国の人が話す
言葉の細かなニュアンスや感情までを知るのは
難しいし、逆に言えば、ひとつの言語を学び
続けると思想や価値観さえその言語に登場
する表現内に制限されてしまうとも言える。
思想家エミール・シオランはこう言ったそうな。
「人は国に住むのではない。
国語に住むのだ。国語こそが祖国なのだ」
バベルの塔の昔から、言語は
国と国、人と人とを隔てる分厚い壁。
...
『メッセージ』を鑑賞中に考えたのはそんなこと。
見た目もジェスチャーも言語もまるきり違う。
相手が何を考えているか理解できない。敵意が
あるかすら分からない。それは非常な恐怖だ。
地球外生命体”ヘプタポッド”が『武器を提供する』
と表明した瞬間から、彼らの言う『武器』が
文字通りの『武器』か、それとも『ツール』
という意味合いかの解釈を巡って人々は対立。
各国は“ヘプタポッド”への、そして調査に
参加している他国への不信感を露にしていく。
...
しかし実際の所、
“ヘプタポッド”が人類に提供しようとしていた
のは新たな言語という『ツール』だった。
しかもそれは、時の流れすらも読み解ける
ようになるという究極の共通言語だった。
それに深く触れた主人公は、現在・過去・未来
の概念が取り払われ、自身の人生の時系列を
流動するような状態となる
(ヴォネガット著『スローターハウス5』のよう)。
そこでようやく僕らは、主人公が”幼い娘を
亡くした主人公”ではなく、”幼い娘を亡くす
運命にある主人公”だったことに気付く。
...
言語の概念がなくなる事が世界に大きな影響を
与えることは理解できるが、時間の概念が
なくなるというのは感覚的に理解しにくい。
はて、人生において、時間の概念が
なくなるとはどんな感覚だろうか?
主人公のように大切な人々を失う運命が見える
のは、幸福と言うよりは不幸だと一見思える。
だが、時間の概念が一切無くなるということは
すなわち、“全てが過去の記憶となること”だ。
ならば、
娘に大好きと言われたことも、
大嫌いと言われたことも、
笑いながら遊ぶ手を握ったことも、
病の床で手を握ったことも、
一切合財を遠い遠い過去として眺めれば、それは
激しい怒りや悲しみより、穏やかな物悲しさと
愛おしさに満ちた記憶になるのではないか。
ちょうど僕らが、昔々に亡くした人との
想い出を振り返る時のように。
この感情は正にボーダーレス/タイムレスな存在だ。
映画で“ヘプタポッド”への敵意を露に
していた中国の将軍も、今際の際
(いまわのきわ)の妻が遺した言葉を
きっかけに、ルイーズの言葉に耳を傾けた。
何かを愛する喜び、
その愛した何かを喪う怒りや哀しみ。
それは人種も、言葉の壁も、時間をも超越して、
僕らの心臓のど真ん中に届くものだ。
あなたには無いだろうか?
異国の映画や100年前の小説に涙した経験は?
古い写真や手紙に強く心を突き動かされたことは?
人の根っこにあるこの感情は、この感情だけは、
どれだけ深く断裂された世界の人々にも
共通して存在するものではないのだろうか?
...
残念ながら究極の共通言語は
現実の僕らにはもたらされていない訳だが、
主人公が”ヘプタポッド”に対して行った事――
相手の感情を理解しようと必死に試みること――
それは僕らにも試してみる余地が残っている。
理解不能な存在として相手を頭ごなしに
拒絶するのではなく、共通するものは何かを
まずは考える。そこから始めるだけでも、
少しは世の中平和な方に繋がるんじゃないかと、
そんな気がする。
...
映画としての不満点が少しだけ。
最後の”ヘプタポッド”との会話は、それまでの
示唆的で曖昧なやりとりと比べてあまりに
直接的というか明快過ぎるというか。
人類を存続させるべく”言語”を与えた目的が
「3000年後に人類が我々を救ってくれるから」
というのも、彼等の神秘性を薄めてしまった
気がして残念だった。
しかしながら、詩的で美しいテンポと音楽、
絶え間なく頭を刺激されるテーマ性など、
非常に面白い映画でした。
5.0でもいいのだけど……まだ今年も半分
残ってるし、ちょっと出し惜しみしての4.5判定。.
<2017.05.19鑑賞>
なぜ地球外生命体の形はアレなのか?
これまでのドゥニ・ヴィルヌーヴ作品を観てきて、いくつも「なるほど!」と納得させられてきた。これからの「ブレードランナー2049」に繋がるSF作品として期待を持って鑑賞。
しかし、個人的にSF知識や許容範囲は狭いので、「なるほど!」の前に「またか…」がよぎる不穏な展開のオンパレード。そして淡々と語られる情景。盛り上がりに欠ける終盤。まぁ、そもそもそういうストーリーであって、演出の問題ではないのだろうが…作品としては残念でならない。
なぜ地球外生命体はみんなアレなのか、中国人民解放軍の上将の個人携帯に直電→直談判してヒューマニズムに訴える…とか、ツッコミどころは山のごとし。
「ブレードランナー2049」のハードルを少し下げるキッカケにしたいと思う。
ARRIVAL=到着、出生
これはSFではない。
ヒューマン・ドラマだ。
突然あらわれた12艘の宇宙船。
言語学者として、彼らの言語を理解し、コミュニケートしようとする。
フラッシュバックのように差し込まれる、彼らのいない生活のシーン。娘。
時間の輪がばらばらになったとき、
どんな風に生きるのか。
静謐な彼女の家、湖畔、宇宙船のある開けた野原のような場所。
軍の基地さえ、整然として
静かな全体のイメージもとても好きだ。
タイトルなし(ネタバレ)
作者の思い込みだけで出来上がっている作品の代表のようなものです
全く未知の生き物と出会ったとして、互いに相手の出方を探るでしょうが
そんな感じさえも伺えなかった、ただ一方的な(人間達)の考えだけを取り上げている、
駄作の代表です。
ばかうけ、日本にも現る。
宇宙船「ばかうけ」(監督公認)は日本にもちゃかっかり現れるのですが、場所が北海道という辺り、かなり空気も読める様子。
へぷたぽっどが使う円形の文字同様、ストーリーもループものとしてみることも出来るのが面白いです。
あとマックス・リヒターの挿入曲でガチ泣き。
出会いを描く物語
未来の出来事を、既に起こった過去の事のように描く。
中盤までそれに気づかず、
「なんかすごい未知の力を獲得し、
死んだ娘と再会するのかな?」
なんて呑気に見ていて、途中で
「未来のことか!」
と気づく驚きがある。
しかしそれは瑣末な問題で、
最重要なことは
「不幸な未来が決まっていても、
娘との出会いを選択する。」
という点。
娘を喪失する可能性が極めて高くても、
会わずにはいられない。
愛とエゴ、それらを微妙なバランスで表現した、
素晴らしい映画だと思う。
暗いけど。
概念
どこかで見た事がある作品は退屈だけど、全く見た事の無いものは理解できない。
映画を楽しむには、想定をぼんやりと乗り越える無責任な好奇心がいるのかな、と改めて思った。
宇宙人だろうが、異国の人間だろうが、世代だろうが、性別だろうが、自分とはまるで違うかもしれないけど、もしかしたら理解できるかもというちょっと衝動的な思いがあると、繋がれる事もある。
現実において、まるで見てる世界が違う人間との関わりは少なくない。
その道具立てとして言語学を用いた本作は、多様性の拡張への努力(欲求?)をする過程が面白かった。
各国バージョンのメッセージが見たい。
あなたの人生。
原作が短編小説で「あなたの人生の物語」そして今作は「メッセージ」
という邦題が鑑賞後ピッタリくるというのがミソ。よく考えたなぁ~。
とにかく冒頭からゆっくり観ていくと「ん?」と思う映像がいくつも
登場する。これが何を意味しているのか。普通に観ていく過程で誰も
がそうとは思わない仕掛けが後半で登場する。あーなるほど!と思う
瞬間にはそこはかとない感動が待つ…という異色かつ崇高なSF映画。
言語学者ルイーズが解読した異星人の言語がもたらすルイーズ自身に
深くかかわる運命は、女性だったらどうでしょうか?と聞きたくなる
ほど考えさせられるが、彼らが「武器」と表現したものがなんなのか
想像しつつ観ていくと納得する。あんな柿の種みたいな形の宇宙船で
侵略するはずないと思いながらも乗り込む際にはかなりドキドキする。
SFより家族愛
地球に飛来してきたエイリアンに、言語学者がコンタクトするお話。
墨汁で描かれたような円形の文字、7本足のエイリアン。いずれもピンとこなくて中盤までは結構退屈だった。
それでも後半の展開はなかなかいい。言語学者ならでは解決方法は納得。そして、ラストは切ない。切なすぎる。娘も同じ能力を持ってるってことだと思うが、自信はない。
映像が美しい
映像が美しかった。(ヘリで基地に近づいていく長回しは若干酔った)
多言語を学ぶとその言語に基づいた思想が理解できるというは確かにそうだなと思った。
主人公の最後の選択については、結末がわかっていてる映画をもう一度観たり、ゲームをしたりすることと同じだと思うので、(次元は違えど)特に違和感はなかった。
伏線にドキドキ…今年No.1
ばかうけ?柿ぴー?コクーンタワー?なUFOと
七本足のタコ型宇宙人とコミュニケーションをとる
SF映画…と、思いきや
なに?え?
それ伏線なの?まじで?
って、なります
まじで
最終的にハッピーエンドなんだけど
最後の最後が分かってしまうだけ辛い…
ハッピーエンドじゃない…の…か…?
それを踏まえても、めちゃくちゃおすすめ♡
LALALANDとならぶ、2017上半期の
ベスト映画であること間違いなし😎
エイリアンとの交信
地球にやってきたエイリアン。彼らの話す言葉を理解しないと、彼らが地球にやってきた目的がわからない。彼らは何もしてこないが、何もしてこないが故に逆に不気味…。なんとかして彼らの言葉を理解し、彼らが地球にやってきた目的を理解しなければ。そうでなければ、最悪の事態を想定して、武力で対処するしかない。しかし武力が効く確証もない…地球の平和は、彼らの言葉を解読する言語学者の手に委ねられた。
というのが、あらすじ。
しかし待て。どこからどうやって来たのかもわからないエイリアンの言葉をどうやって理解しようというのだ…。子供に言葉を教えるみたいに、順番に確かめていくしかない…。「私は人間です」うおーん「私はイアンです」うおーん「あなたは?」うおーん。(「トトロ!トトロって言うのね!」)どうやらこっちの言葉を理解しつつ、返事をしてくれているらしい。と言うことは、最後のうおーんは彼らの名前や!
と言う感じで話しは進むけど、このへんからうらすじが見え始める。いや待て、本当に彼らの最後のうおーんは彼らの名前なのか?単に「わけわからん」って言ってるだけじゃないのか?それをただ、こっちが名前を言ったから向こうも名前を言っていると思ってるだけじゃないのか(カンガルーの都市伝説)。たしかにその可能性もあるけど、疑っても仕方ない。とりあえず彼らとは上手いことやってる。だから大丈夫(として話は進む)。
ここでうらすじを読む観客は気づく。なるほど。そもそも相手の言葉を理解することと、相手そのものを理解することとは別なのだと。そして、言語学者はたぶんそのことを知っているのだと。対して、科学者や軍人、政治家は、相手の言葉を理解することと相手そのものを理解することとを混同しているのだろうと。
うらすじを読む観客は思う。この映画は、表向きには人間対エイリアンの映画だが、裏では言語学者(言語哲学に基盤を置く人文系も広く含む)対科学者の争いがある。科学も新たな言語を生み出す営みではある。だからこそ言語学者と科学者は結婚できる。しかし、二者には決定的な不和があるんだろう。二人が未来に別れてしまったように。(しかしそれはすでに決まっていた、到来すべき未来だった)。
その不和とは…。科学者は、未来が現在から予測できないということを認められない。だから、現在現在から想像できない子供の死を受け入れられない。彼は、未来は現在の因果のもとにあると信じていて今の延長でしか未来を考えられないのだ。対して、言語学者は、未来と現在とが因果関係で繋がってはいないことを知っている。しかし関係はしている。彼女は脳の片隅で「知っている」のだ。
裏対立がわかってきたあたりで、表では言語学者が普遍言語を手に入れる。言語は時空を超え民族を超える道具であり、あまりに力が強いために武器とまで言われるわけだけど、それがさらに普遍であるのだから、最強の武器である。実際に、それであらゆる問題が平和に解決する。
なぜなら、時間系列と因果を分けて考えられる彼女は、複線的な時間で考えることができるから。彼女は、同時に複数の時間が共存できることを知っているし、同じように、同時に複数の「歴史」や文化が共存できることを知っている。そういう彼女にこそ、世界を平和のうちに収める権利がある。
この映画は、単に未来が見える超能力者の神秘を描いたのではなく、世界そのものと言語を通した認知との原理的な違いを認識する言語学者(もっと言えば人文学者)の可能性を示したのだと、うらすじを読む観客は思うのだ。
たとえそれが閉じた輪だとしても
深い余韻が胸を満たした。
もう一度、ゆっくり見返したい映画。
辛い未来が待ち受けているとわかっていたら、果たして同じ選択をするだろうか?と自問する。
ヘプタポッドの言う通りだとしたら、人間が互いに争いをやめ、融和をしなければ彼らの未来が危ういということ。
しかし彼らの到着により、人間達は疑心暗鬼に陥りさらに分断する恐れもあった。
そういった危機すらも、ルイーズの存在により回避できるのだと彼らのなかでは折り込みずみだったのだろうか。
ルイーズが持つ「武器」は、彼女が元々持つ能力なのか、ヘプタポッドと (間接的に)触れあうことで引き出されたものなのか曖昧でもあるし、未来がみえるということは、全宇宙の運命は決められたものであるのだろうか?という疑念も湧く。
しかしそんな疑問は全てうっちゃって、ルイーズが我が子を失うとわかっていながら、それでも精一杯愛することを決意した場面に心を揺さぶられた。子供のこと、今目の前にある危機、全ては「今自分ができる最善のことを行う」というルイーズの行動に集約されていく。
宇宙は閉じた輪だとしても、その輪はヘプタポットの文字のように蠢き形を変えるのかもしれない。これからのルイーズや人類の選択によって、未来が変わっていくのかもしれない。 ルイーズがイアンに余計なことを言わず、二人がずっと一緒にいたら未来はどうなっていくだろう?
【インターステラー】でもキーワードだった愛。人類が情愛をもって最善の選択をしていけば、未来は明るい。この【メッセージ】がたとえ理想論だとしても、憎しみで社会が分断の方向に向かっている中、こんな風に希望を持たせてくれる話があってもいいと思った。
未来に期待したくなる
途中から最後の展開が分かってきてしまいました。
SFというよりも近未来。
それもそうなったらいいなという近未来。
先が見えない未来の方がいいという人もいますが。
私は発想が良かったと思います。
頭に残る映画でした。
今までのSFとは一線を画す作品
SF映画は観ていて面白いし、なによりも好奇心を刺激されます。
今作もそのカテゴリーからは外れることはないのですが、インターステラ―やゼロ・グラビティ、エイリアンとか猿の惑星とかもう色々。
そんな中でもかなり毛色の違う作品だと思います。
「ドカーン」とか「ゴゴゴゴゴ」とかそんな騒がしいアクションや効果音はあまり出てこずに、よくわからない姿もきちんと見えないエイリアンとのコミュニケーション・やりとりをあーでもない。こーでもない。と進めていくのです。
よくありがちな「さあ地球を侵略だ!」的なノリではなくゆったりとじっくりと時間をかけて1日にすこしずつコミュニケーションを始めていくのです。
その間の音響もなんともいえない反響音というか不思議な感じでした。
ゆっくりとじっくりと時間をかけてまで地球人とやりとりするエイリアンの目的は何なのか?
それは徐々に明らかになっていくのですが、それがまた「そーなの?」という内容。
しかしこれは良くも悪くも新しい切り口で面白かったと思います。
全てを理解する事ができれば素晴らしく面白く、感動さえ覚える作品ではあると思いますが宇宙人的思考や地球離れした発想を受け入れるまでは至りませんでしたw
しかしながら未来を受け入れる勇気を選ぶ力強さに感動を覚えました。
またいつか全てに納得が出来た時は満点になりうる作品でしょう。
固定観念を覆す
久しぶりのSF
個人的にはインデペンデンス・デイとかゼロ・グラビティを想定していたが・・・
全然違った!!
最初は・・・
子供を亡くしたのか、かわいそうに
父親は数学が得意、がちがちの理系か
なんて、主役のルイーズの回想シーンや夢の中に差し込まれるたびに
思っていた。
そして、「柿の種」のような「ばかうけ」のような、お菓子の形に似た宇宙船、
そして中にいる異星人とコンタクトをとり、地道なセッションを重ねながら、
異星人が地球にきた目的を探るのだが。。。
そして、展開が急転する。
「武器??」
そう、異星人は
「offer weapon(武器を提供する)」
と伝えてきた。
いよいよ、宇宙戦争か?
でも、異星人に敵意、戦う様子は見られない。
むしろ、爆弾を仕込まれてもルイーズ、イアンを助ける。
「武器」ってなに?これまた考えさせられる。
サピア=ウォーフの仮説という論文を読んだと、イアンが話し始める。
話す言語がその人の価値観を決めつけている、というもの。
新たな言語を身に着けることで、世界観や人生観が変わるんじゃないか、という説
言葉、言語が武器??
もう理解できない!!!
そんなときに、まさか時間の流れが??と気づいたのは、ルイーズの一言
「この子はいったい誰??」
これで謎の一部が解けた気がした。
時間って上から下、前から後ろに流れるもんじゃないのか。
まさか、その流れに逆らう、もしくはなくす、そんな概念?
頭カチコチの私には理解できたようで納得できない(笑)
ことごとく固定観念が覆された。
そう、あの娘の回想シーンは未来を見ていたのだ。
ま、結局はルイーズが予知能力に目覚めたというか、
未来を知ることができるようになったおかげで、
いろいろな謎を解き、宇宙戦争も回避できたわけだが。
その後の人生も見えていながら、すべてを受け入れていった、ルイーズ。
現代社会でも先が分かっているようで、何もできないことって、
あるよね。
映画を見終わっても、エンドロールが流れる中、頭の中がグルグル。。
最近のSFってすごいな。
あと、三回ぐらい見ないと、すっきりしないかも(笑)
タイトルなし(ネタバレ)
緊迫感のある映像 情緒をゆすぶる音楽 楽しめる作品でした。
個人的には植民地化のプロセスとして人類に言語を学習させることを目的として現れたエイリアンとコンタクティの出会いを描いたものとしてみました。恐らく中国の将軍?の奥さんも同様なコンタクティであり、死の間際に言語学者の女性から電話があることを予言していたのではないかと思います。「三千年後助けてもらう為」と言っても、奴隷化した人類にある意味助けてもらうということでしょうね。「助けてもらう」という言葉で女性を懐柔するとはなかなかです。この映画を見ている人も人エイリアン救済の糸口とでも見たのではないでしょうか?『言語帝国主義(げんごていこくしゅぎ)とは、ある地域で特定の外国語が、その政治・経済・文化・軍事力により圧倒的な影響力を持つこと。』(ウイキペディア)いずれタコの言語が人類のそれを凌駕するとき平和的な侵略が完結するそれが三千年後ですよ、という今までにない切り口。言語を侵略の武器として使うというのはSFとしては斬新。戦後沖縄でも島言葉を使うと大和人に罰せられたのだもの言葉は怖いのよ。ざっくばらんに言ってしまえば、第一助けてもらいたいと願うテクノロジーも人類のそれより進んでいると思わしきエイリアンが人類の言語をあらかじめ学習していないとはありえない、未来では人類の言語も理解しているはずで、わかっているのに使わない意図はやはり人類に対する優位性の誇示であって・・・・なんてね。
面白いからぜひ見ようね。
ニュータイプとは
見に行って良かった。
最後少し手前のルイーズとシャン上将が晩餐で会話するシーンで思わず涙が出てきた。本来泣くようなシーンではない様に思えたが、時を超えて人が分かり合える。そのシーンに未来を感じた。ガンダムでのアムロとララアがお互いに理解できたのもそういうことだったのか。ララアは、時が見えると言った。ニュータイプになるとは、きっとこういうのではないかと思えた。
難解な映画です。
素晴らしい映画だと思います。
しかし、わかりにくいところはあると思います。
もう少しわかりやすくはできたのではないかなと、、。
あまりの起伏のなさに、寝てしまってる人がいましたが、私はあっという間の2時間でした。
インターステラーとかとは、比べるべくもなく、良質な映画だと思います。
デートで行くような映画ではありません。
エイリアン、やっぱりこんな感じかーという感じでしたね。
全228件中、101~120件目を表示








