メッセージのレビュー・感想・評価
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アンチデジタル?
派手なCG、アクションが飽きられたのか昨今のSFの主流は瞑想的な作りに流れているのでしょうか。「インターステラ」は次元の歪と親子愛を見事に描いて新鮮な驚きを感じました。本作に派手なアクションは期待していませんでしたがアンチデジタルというか異質狙いというか、宇宙船はシンプルでまるで石塊、船内はいつも霧が立ち込め洞窟のよう。世界各地で未知との遭遇、一触即発かという大風呂敷の割には個人的回想で謎解きを進める構成は釣合として度をこしている気がします。時間のねじれも今一つ腑に落ちません。
似たような感想としてよく見るテレビの「モーガンフリーマン時空を超えて」があります。テーマは哲学的であったり科学的であったりして「時間は存在するのか?」等と問うのですが異端な学者の話をちりばめて「未だ謎である・・」で終わるのが定石で、判っていても欲求不満になります。それが知的エンターティンメントといえばそうなのでしょう。繰り返して観れば発見もあるのでしょうが子供が死ぬ映画は無理ですね。
巧みな構成
娘を難病で失った言語学者が宇宙人との接触を試み、彼らの地球に来た目的を探る…という話で始まったかと思いきや、物語が進むに連れ、話の辻褄が合わなくなって行き、後半に未来のことが見えていたということがわかる見事な構成。
鑑賞後に伏線っぽいシーンの意味をあれこれ推測できる楽しみもあるが、やや冗長で退屈感は否めなかった。丁寧な構成であり、宇宙人とのコンタクトも実際にありそうな感じだがもっとテンポ良くできたのではないだろうか。
共感できず…
・他者がルイーズの過去について触れる箇所が一度もない
・元夫が声すら登場無し
・ばかうけとの交信につれ娘との回顧シーンが出てくる、また、言語を会得し始めたルイーズに対してばかうけが「ルイーズ"には"武器がある」と発言
というところから、なんかねじ曲がった部分があるんだろうなーと思いながら観た。
SFとしては知的で、武力を無意味なものと見事に示している作品。
原作を読めばもっと色々しっくりくるかもしれないが、映画だけみるとわたしにはこのメッセージ性を享受できなかった。
ばかうけとの交信により彼らの言語(時?)を学べば未来を読み取る能力を得られるとの事で、ばかうけは3000年後に助けて欲しいから人類を今助けにきたわけで。助けというより、自分達を助ける為の助力になる力を授けにきた感じだよね。(未来を予知出来ればそれこそ敵無しなので確かに武器。)
でもこの予知能力ってそもそも、エピソードとして映像を見るものなのか?最後に中国のお偉いさんに電話をかけることになるシーンも、予知能力というよりファンタジックな予知夢であり、何か違う気がしてしまった。
『今を大切に生きる、たとえ未来に何が起ころうと』というのがメッセージだとは思うが、この映画の主人公に関しては綺麗事では?生まれてくる娘が難病で死ぬとわかっていてもめちゃくちゃ幸せにやっていこうと前向きに思えるのかが全く理解出来なかった。どこの世界にそんな聖マリアが存在するんだ…。
生まれてくる娘が難病になる事が予知出来、かつ病気がどんなものかも予知出来、現代医学に貢献し娘が病気になる頃には既に治療法を確立させる事が可能である というものなら分かるけど、ルイーズは最後に未来の夫イアンに対し、未来が見えるなら何か変えようと思う?と聞き、それに対して彼は気持ちを伝えるかなという回答しかしないので、多分そういう話じゃないんだよね。
そうきたか!
宇宙人との対応でこれほど対話に拘った作品はなかったので、アイデアの勝利と言えなくもない。
墨のような円を見て言葉の解読と疎通を試みるルイーズに驚きと知性を感じてしまった。
こうなると武力を主張する輩の単純な思考には全く同意出来なくなるから、今も世界中でこの手合いの論理が戦争を起こしているのか?と作品のラストにも不安を持ちながら鑑賞したが、何とあのような着地点に立つとは…。
未来を見られる事と未来を想像出来ることは違うと思うが、今の人間はどうなんだろう?
ルイーズの様な能力を持っている人は居ないと思うが不安定な世の中には話し合いが必要と思う。
宇宙人の殻を被ったファンタジー
突如として全世界に現れた12隻の謎の物体。地球外生命体とのコミュニケーションを図るため、解読者として選ばれた言語学者のバンクスは、物理学者アドリーと共に"殻"に近づきコンタクトを図る。
エイリアンとのファーストコンタクトはドキドキしたけど、からの中盤は進展がなくちょっとダレました。
宇宙人からのメッセージが理解出来たとき、話は急速に進む。
バンクスがみていたものは過去ではなくて、未来が垣間見えていたのだったという事。
決して幸せではないその未来に向かって、でもしっかり前を向いて進みはじめる。
パッケージだけだとSFものかなとも思ったけど、エイリアンの殻を被ったファンタジー映画でした。
原題 「Arrival」直訳:到着
時間の流れ
言語学者が異星人とのコミュニケーションの糸口を模索していくストーリー。研究者ならではの、1つずつ積み上げる、一回ごとを大切に相手を理解しようとする姿勢に色々考えさせられた。過去、未来のシーンからヒントを得ていくのも不思議な感覚。この先どんな事が起こるか分かっていても、その人生を選択する覚悟の先も見てみたい。
楽しく見ればよかった
宇宙人がタコ、ヒトデ、イカ(墨?)っぽいことに、早々くじけました。知的な作りなのに、やはり宇宙人と言えば未来も過去もイカ、タコなのかと。このレトロな既視感も意図だったり?… 原作は違うのでしょうね。エイリアンに期待し過ぎなければ、面白かったです。
最高に暖かくてロマンチックなSF映画
インターステラー以来だろうか、SF映画を見て暖かな気持ちになれたのは
最初映画館で見たときは、理解が追い付かなかったが、ネット配信で再度鑑賞して、改めてほっこりした気持ちになれた。
これは主人公である言語学者の女性が、異星人とコンタクトをとるために相手と相互理解をしていくことで話が進んでいく。
この映画を初めて見る人は、唐突に挿入される主人公の過去のシーンに戸惑うかもしれない。
しかしである。。。映画の終盤になって、異星人の言語を理解することで、主人公は時間という概念から解放されていくということが明らかになると、過去のシーンはただの回想ではなく、実は過去と未来が混然一体となった景色だということがはっきりと理解されるのだ。
映画の序盤では「言語が文明を作る」といったセリフが出てくるが、例えば英語などの外国語を勉強したことのある人ならば、その意味が実感できるはずだ。
単に英語で考えられるようになるだけでなく、英語的な考え方をするようになるのだ。これが言葉の力である。
私自身の経験から言えば、英語を学習する過程で、色々な物事を構造的に理解する習慣が身に着いた。
端的に言えば、この映画はこの構図を思い切り拡大して世界観を作り上げている。つまり異星人の言語に時間という概念がないならば、それを習得していく過程でその人自身も過去/現在/未来という区切りから解放された世界に入れるということだ。
またこのことによって、この映画は観客にとても大切な教訓を残している。
それは過去の悔恨にとらわれず、同時にないがしろにもせず、また未来を悲観せず、今この瞬間を大切に生きるということだ。最後に助演のジェレミーレナーが「もし未来が見えたら選択を変えるか」という問いに「もっと気持ちを伝えるようにする」と答えていることが、もしかしたら監督の最も伝えたかったことなのかもしれない。
一切の皮肉などない、願いや祈りといったものが込められている、見ている側を暖かな気持ちにさせてくれる、とても貴重なSF映画の1本であることは間違いない。
私たちの世界への、人生への、メッセージ
シリアスなドラマやサスペンスに手腕を奮うドゥニ・ヴィルヌーヴがSFに初挑戦。
公開迫る『ブレードランナー2049』を前に肩慣らし…なんかではない!
良質作続くこの絶好調監督にまた一つ秀作が、また一つ才を見せた。
突如、世界各国に飛来した地球外物体。
女性言語学者のルイーズは軍の要請で接触を試みる…。
ワクワクするくらい好奇心そそられる知的SF!
『未知との遭遇』『コンタクト』『インターステラー』…この類いのSFが好きならまず見て損は無い。
冒頭からすでに飛来。でも、まだ“それ”は見せない。
ルイーズが現場に着いて、初めて目の当たりにする。
広い平原の霧の中に浮かぶ、その偉容。幻想的でもある。
“殻”と呼ばれるその中へ。何も無いシンプルなデザインと暗い海底のような雰囲気ながら、そこでは重力など我々の常識は通用しない。
ガラスのような壁の向こうに、朧気に現れた“彼ら”。
これまで見たどの“エイリアン”とのビジュアルとも違う。
音響も秀逸。
難しいとの声が多いが、難しいのは専門的な用語なだけであって、確かに知的ではあるが、展開に難は無い。
自分たちの言語、彼らの発する言語、それらを少しずつ解明していき対話する様も丹念に描かれている。
彼らの発する言語がユニーク。
触手から墨のようなものを出し、それが何かの形になる。
幾ら何でもエイリアンの言語は分からない。
でも、人間の言語だって難しい。
それぞれの国にそれぞれの言葉や文字があって、同じ意味でもそれぞれの国によって違って。
彼らエイリアンからしてみれば、人間の言語の方こそ複雑。
だからこそ、一つ一つ、少しずつ少しずつ、分かり合っていく事が…。
時折挿入される、ルイーズの脳裏にフラッシュバックされる“記憶”。
ファーストシーンもそれで、我々は勝手にそういう悲しい“過去”を抱えた設定と思い込む。
が、それは先入観で、まるで彼らエイリアンが時間の概念など無に等しいのと同じ、意表を突く“記憶”だったとは!
SFではあるが、見返したくなるほど巧みに構築されたドラマ性。
それを支えたエイミー・アダムスもいつもながらさすがの名演。(『マダム・フローレンス!』のメリル・ストリープより、エイミーがノミネートされるべきだった!)
彼らの来訪の目的は…?
彼らが伝えようとしている“メッセージ”とは…?
ちょっと肩透かしのようにも感じたが(時を越えて義理堅い彼らだけど)、そういう事だけじゃない。
我々の理解出来ないもの、常識で計り知れないものは、脅威。
確かにそれは分からんでもない。
でも、先に手を出したら、そこで終わりだ。
まず、対話を。分かり合う事を。
その為に我々には、言葉がある。文字がある。知能や意思の疎通の術がある。
もう一つ。
時間を超越出来たら…?
未来を見る事が出来たら…?
幸福? 安全? 落胆? 絶望?
運命なんて言葉で片付けたくないが、それが悲しい未来であると分かってても、避けては通れないだろう。
例えどんなに不条理でも、それに後悔しないくらい、溢れんばかりの言葉で、想いを、語りたい。伝えたい。
ビジュアル面、SFセンス、巧みなストーリーテリング…。
ドゥニ・ヴィルヌーヴの“メッセージ”を確かに受け取った!
そしてこりゃ本当に『ブレードランナー2049』が楽しみになってきた!
SFのベールに包まれた哲学的ヒューマンドラマ
アカデミー作品・監督・脚色賞など多数ノミネートされ(結局、音響編集賞を獲得)公開前から宇宙船の形が「ばかうけ」に似ていると、何かと話題になっていた本作。宇宙人が地球を襲ってくるという、よくあるSFアクションではなく、人生の決断をテーマにしたヒューマンドラマでした。自分はどちらかというと前者の分かりやすい方が好物ですが、決してつまらなくはなく。むしろ、気づいたら世界観にどっぷりと浸かっていました。寝てしまった…という感想もよく目にするが、そうなり得る作品かもしれない。宇宙人の言葉の読解という非常に難しい作業を繰り返す話の中に、時に織り込まれる主人公の記憶の断片映像に、一体何のメッセージを伝えたいんだ、この映画は…と混乱さえしてくる難解な映画でした。おそらく「生」と「死」という万物が受け入れなければならない自然現象、とくに「死」とは突然やってくる恐ろしいもののように思える事で、それを宇宙船の到来に例えていて、そこに直面した時どう行動するかを問いてくる。観終わった直後は理解できなかったが、観た人と話したり評論を沢山読んだりして、やっとそういう事なんだと分かったように感じる時、この作品の凄さがARRIVAL(到来)します。圧倒的な映像美と神秘的な音楽、宇宙人が言葉を発する時の音なども斬新で、しばらく余韻が残る、そこは確かにSF的な今までに観たことのない大変 印象的な映画でした。
勇気ある行動
亡くすと分かっていても、愛する子供を産む。防護服を脱いで、ヘプタポッドとコミニケーションを取る。中国のシェン大尉に、核攻撃を思いとどまる様に電話をする。ルイーズの行動は、時には命と引き換えにするほどの勇気がいります。たったひとりの彼女の行動があったからこそ、人類はヘプタポッドとの争いを避けることができたのだと思います。
人類は未だに戦争を続けていますし、他民族(他者)に対して、なかなか寛容にはなれません。しかし、ルイーズは言語を通して対話し、ヘプタポッドという他者を理解しようします。また、ヘプタポッドは、私達人類にメッセージを渡しにきたのではないかと感じました。このままでは、破滅してしまうと。
「時間」の概念がなくなるストーリーでしたが、逆に与えられた「時間」は、有限なんだと感じました。「時間」という概念があるからこそ、人類はどう行動すべきなのか?有限の「時間」の中で、あなたはどう生きるのか?と言う哲学的な問いをビルヌーブ監督から投げかけられた気がします。
私はどう生きたいのか?この気持ちは、ずっとずっと忘れることができません。自分の生きる道しるべになる様な、素晴らしい作品です。
言葉も時間も超越して僕らの心に届くもの
最近、『翻訳できない世界の言葉』(エラ・
フランシス・サンダース著、前田まゆみ訳)という
本、というか絵本を買ったのだが、この中で
紹介されているインドネシアの言葉に
「ピサンザプラ」というものがあった。
これ、「バナナ1本分を食べるのにかかる
時間」を指す言葉だそうな。
いやピンと来ないよ、
全然ピンと来ないよバナナ1本分て。
バナナを常食する習慣が無ければ通じがたい言葉が
あるよう、言語はその地域の文化・環境に
深く根付いているものだ。辞書だけでおおまかな
意味を知る事はできても、他国の人が話す
言葉の細かなニュアンスや感情までを知るのは
難しいし、逆に言えば、ひとつの言語を学び
続けると思想や価値観さえその言語に登場
する表現内に制限されてしまうとも言える。
思想家エミール・シオランはこう言ったそうな。
「人は国に住むのではない。
国語に住むのだ。国語こそが祖国なのだ」
バベルの塔の昔から、言語は
国と国、人と人とを隔てる分厚い壁。
...
『メッセージ』を鑑賞中に考えたのはそんなこと。
見た目もジェスチャーも言語もまるきり違う。
相手が何を考えているか理解できない。敵意が
あるかすら分からない。それは非常な恐怖だ。
地球外生命体”ヘプタポッド”が『武器を提供する』
と表明した瞬間から、彼らの言う『武器』が
文字通りの『武器』か、それとも『ツール』
という意味合いかの解釈を巡って人々は対立。
各国は“ヘプタポッド”への、そして調査に
参加している他国への不信感を露にしていく。
...
しかし実際の所、
“ヘプタポッド”が人類に提供しようとしていた
のは新たな言語という『ツール』だった。
しかもそれは、時の流れすらも読み解ける
ようになるという究極の共通言語だった。
それに深く触れた主人公は、現在・過去・未来
の概念が取り払われ、自身の人生の時系列を
流動するような状態となる
(ヴォネガット著『スローターハウス5』のよう)。
そこでようやく僕らは、主人公が”幼い娘を
亡くした主人公”ではなく、”幼い娘を亡くす
運命にある主人公”だったことに気付く。
...
言語の概念がなくなる事が世界に大きな影響を
与えることは理解できるが、時間の概念が
なくなるというのは感覚的に理解しにくい。
はて、人生において、時間の概念が
なくなるとはどんな感覚だろうか?
主人公のように大切な人々を失う運命が見える
のは、幸福と言うよりは不幸だと一見思える。
だが、時間の概念が一切無くなるということは
すなわち、“全てが過去の記憶となること”だ。
ならば、
娘に大好きと言われたことも、
大嫌いと言われたことも、
笑いながら遊ぶ手を握ったことも、
病の床で手を握ったことも、
一切合財を遠い遠い過去として眺めれば、それは
激しい怒りや悲しみより、穏やかな物悲しさと
愛おしさに満ちた記憶になるのではないか。
ちょうど僕らが、昔々に亡くした人との
想い出を振り返る時のように。
この感情は正にボーダーレス/タイムレスな存在だ。
映画で“ヘプタポッド”への敵意を露に
していた中国の将軍も、今際の際
(いまわのきわ)の妻が遺した言葉を
きっかけに、ルイーズの言葉に耳を傾けた。
何かを愛する喜び、
その愛した何かを喪う怒りや哀しみ。
それは人種も、言葉の壁も、時間をも超越して、
僕らの心臓のど真ん中に届くものだ。
あなたには無いだろうか?
異国の映画や100年前の小説に涙した経験は?
古い写真や手紙に強く心を突き動かされたことは?
人の根っこにあるこの感情は、この感情だけは、
どれだけ深く断裂された世界の人々にも
共通して存在するものではないのだろうか?
...
残念ながら究極の共通言語は
現実の僕らにはもたらされていない訳だが、
主人公が”ヘプタポッド”に対して行った事――
相手の感情を理解しようと必死に試みること――
それは僕らにも試してみる余地が残っている。
理解不能な存在として相手を頭ごなしに
拒絶するのではなく、共通するものは何かを
まずは考える。そこから始めるだけでも、
少しは世の中平和な方に繋がるんじゃないかと、
そんな気がする。
...
映画としての不満点が少しだけ。
最後の”ヘプタポッド”との会話は、それまでの
示唆的で曖昧なやりとりと比べてあまりに
直接的というか明快過ぎるというか。
人類を存続させるべく”言語”を与えた目的が
「3000年後に人類が我々を救ってくれるから」
というのも、彼等の神秘性を薄めてしまった
気がして残念だった。
しかしながら、詩的で美しいテンポと音楽、
絶え間なく頭を刺激されるテーマ性など、
非常に面白い映画でした。
5.0でもいいのだけど……まだ今年も半分
残ってるし、ちょっと出し惜しみしての4.5判定。.
<2017.05.19鑑賞>
なぜ地球外生命体の形はアレなのか?
これまでのドゥニ・ヴィルヌーヴ作品を観てきて、いくつも「なるほど!」と納得させられてきた。これからの「ブレードランナー2049」に繋がるSF作品として期待を持って鑑賞。
しかし、個人的にSF知識や許容範囲は狭いので、「なるほど!」の前に「またか…」がよぎる不穏な展開のオンパレード。そして淡々と語られる情景。盛り上がりに欠ける終盤。まぁ、そもそもそういうストーリーであって、演出の問題ではないのだろうが…作品としては残念でならない。
なぜ地球外生命体はみんなアレなのか、中国人民解放軍の上将の個人携帯に直電→直談判してヒューマニズムに訴える…とか、ツッコミどころは山のごとし。
「ブレードランナー2049」のハードルを少し下げるキッカケにしたいと思う。
ARRIVAL=到着、出生
これはSFではない。
ヒューマン・ドラマだ。
突然あらわれた12艘の宇宙船。
言語学者として、彼らの言語を理解し、コミュニケートしようとする。
フラッシュバックのように差し込まれる、彼らのいない生活のシーン。娘。
時間の輪がばらばらになったとき、
どんな風に生きるのか。
静謐な彼女の家、湖畔、宇宙船のある開けた野原のような場所。
軍の基地さえ、整然として
静かな全体のイメージもとても好きだ。
作者の思い込みだけで出来上がっている作品の代表のようなものです 全...
作者の思い込みだけで出来上がっている作品の代表のようなものです
全く未知の生き物と出会ったとして、互いに相手の出方を探るでしょうが
そんな感じさえも伺えなかった、ただ一方的な(人間達)の考えだけを取り上げている、
駄作の代表です。
ばかうけ、日本にも現る。
宇宙船「ばかうけ」(監督公認)は日本にもちゃかっかり現れるのですが、場所が北海道という辺り、かなり空気も読める様子。
へぷたぽっどが使う円形の文字同様、ストーリーもループものとしてみることも出来るのが面白いです。
あとマックス・リヒターの挿入曲でガチ泣き。
出会いを描く物語
未来の出来事を、既に起こった過去の事のように描く。
中盤までそれに気づかず、
「なんかすごい未知の力を獲得し、
死んだ娘と再会するのかな?」
なんて呑気に見ていて、途中で
「未来のことか!」
と気づく驚きがある。
しかしそれは瑣末な問題で、
最重要なことは
「不幸な未来が決まっていても、
娘との出会いを選択する。」
という点。
娘を喪失する可能性が極めて高くても、
会わずにはいられない。
愛とエゴ、それらを微妙なバランスで表現した、
素晴らしい映画だと思う。
暗いけど。
概念
どこかで見た事がある作品は退屈だけど、全く見た事の無いものは理解できない。
映画を楽しむには、想定をぼんやりと乗り越える無責任な好奇心がいるのかな、と改めて思った。
宇宙人だろうが、異国の人間だろうが、世代だろうが、性別だろうが、自分とはまるで違うかもしれないけど、もしかしたら理解できるかもというちょっと衝動的な思いがあると、繋がれる事もある。
現実において、まるで見てる世界が違う人間との関わりは少なくない。
その道具立てとして言語学を用いた本作は、多様性の拡張への努力(欲求?)をする過程が面白かった。
各国バージョンのメッセージが見たい。
あなたの人生。
原作が短編小説で「あなたの人生の物語」そして今作は「メッセージ」
という邦題が鑑賞後ピッタリくるというのがミソ。よく考えたなぁ~。
とにかく冒頭からゆっくり観ていくと「ん?」と思う映像がいくつも
登場する。これが何を意味しているのか。普通に観ていく過程で誰も
がそうとは思わない仕掛けが後半で登場する。あーなるほど!と思う
瞬間にはそこはかとない感動が待つ…という異色かつ崇高なSF映画。
言語学者ルイーズが解読した異星人の言語がもたらすルイーズ自身に
深くかかわる運命は、女性だったらどうでしょうか?と聞きたくなる
ほど考えさせられるが、彼らが「武器」と表現したものがなんなのか
想像しつつ観ていくと納得する。あんな柿の種みたいな形の宇宙船で
侵略するはずないと思いながらも乗り込む際にはかなりドキドキする。
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