「言葉は肉となった」メッセージ チンプソンさんの映画レビュー(感想・評価)
言葉は肉となった
公開前から注目していた作品。評判通りでした。
異星人との接触と言うと、未知との遭遇なんかを思い浮かべるけど、この作品は未知との遭遇ではすんなりいってしまった「対話」に重きを置いている。
だから案外早い段階で異星人の姿が見せられる。見せたいのは“接触”ではなく“理解”であると、見ていてわかった。
宇宙人が攻めてくる映画なりなんなり数あれど、昨今の世界情勢を今現在体感している我々人類がこの映画を見て思うのは、絶対的悪がどれほど貴重なものであるかということ。
劇中、多数の国が突如現れた宇宙船に右往左往する。しかし宇宙船はなにもしない。ただそこに浮いてるだけ。
答えを出さず、ただひたすらに驚異の存在としてそこに居続ける。善か悪かはわからない。
そんな不可解な状況下で世界は混乱し、攻撃しようとまでする。
しかし宇宙船から発せられた曖昧な言葉(メッセージ)によって、世界は連鎖反応的に協調を断ち切る。つまり今そこに存在している人智を超えた不可解なものが悪を提示しなかったが故に、人類は欲望渦巻く開戦間近までに至ってしまったということ。
外部からやってきた存在が悪なら人類は結束するが、そうでなかった場合、人類は自滅の道を進み始める。
それを解決するのが“対話”。
言葉が違う者同士でも、対話しようと考えることこそが問題を解決する手段。
しかし違う言語であるがゆえに、そこには発したものではない受け手側の“解釈”の壁が立ち塞がる。
状況、心情でその解釈はその時その時で変わる。この立ち塞がる大きな壁を国全体が共有し超えることは相当に難しい。
主人公のルイーズ博士はそれを超えようとする代弁者。
彼女はまず言葉を理解し合う関係から始めようとする。それはまるで娘に言葉を教えるかのように。
異星人の言葉は非常に奇妙で、根本的に構造が人の言語を超越している。
高度なテクノロジーを持った異星人は、必要不要の進化の過程の末、時間の概念を無くした。
丸い輪のような異星人の言葉はその象徴。始まりも終わりもない。過去も未来も存在しない、いまここにいるという現状だけを表現する。
それが彼らの言葉であり、彼らが地球に時間を超えてやってきた原理。
すなわち時間という概念を持たなくなり、言葉での時間も無くなったということ。
言葉は時にその者すらも変える。それはなにも突拍子な話でもなく、日本語のニュアンスが海外では別のニュアンスで受け取られるように、個人を構成する思考すらも変えてしまうのが言語であるから。
2015年に発売されたゲーム「メタルギアソリッドV ファントムペイン」で、似たような話を悪役が話す。
「私は小さな村で生まれた。幼い頃、外国の兵隊達が私の村を奪った。
大人から引き離され、彼等の言葉を植え込まれた。
戦争が変わる度に支配者が代わり、その度に違う言葉を喋らされた。言葉とは奇妙だ。
言葉が変わると私も変わった。性格、ものの考え、善と悪。戦争にこの外見を植え込まれたよりも深く。
言葉は人を殺す」
その国の言葉を通じあっているからこそ自分が出来上がっている。映画メッセージも劇中で語られている。
異星人が使う時間が存在しない言葉をルイーズ博士が理解し、対話しようとした結果、彼女は変わり、見えた。
その見えた光景を知っても尚、彼女は諦めずに相手を見つけ、生んだ。そして“対話”が“攻撃”に勝つ。
非常に抽象的に描かれていて理解しきれない部分が多々あるが、
そうやって理解しようとする映画の構成自体も、解釈を模索する対話であると準えることも出来る。
SFとしてこんなのは見たことがない。良かった。