劇場公開日 2017年1月21日

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沈黙 サイレンスのレビュー・感想・評価

全418件中、221~240件目を表示

4.0凄い見応え

2017年2月8日
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鑑賞方法:映画館

3時間近い長丁場の間、一瞬足りとも退屈することなく鑑賞できた。テーマはよく分からなかったが、凄い見応えで見て良かった。

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uttiee56

3.5人間の業

2017年2月8日
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鑑賞方法:映画館

悲しい

怖い

いつものスコセッシ映画と違い、タイトルの様に静寂した作品でした。前半は正直やや退屈に感じましたが、後半の激しい迫害が始まってからは、人間の怒りや憎しみが力強く描かれグイグイと引き込まれました。

イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」の時もそうでしたが、近年では外国映画での日本人の描かれ方が非常に自然で、その文化も非常にに研究されている為、取り上げる題材も邦画以上に誠実で興味深い物になる事があります。今作もその一つと言えるでしょう。

現在も行われる宗教戦争、人間は神に救いを求め、神を裏切る。そうした人間の業に沈黙する神にその存在意義を問う。

無宗教を自負する私でさえ、神社仏閣の前では賽銭を投げ、首を垂れるのは何故なのかと考えてしまいました。

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Masaya

3.5信じる者は救われる?

2017年2月8日
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鑑賞方法:映画館

悲しい

怖い

難しい

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ポップコーン男

3.0よくもないし悪くもない

2017年2月7日
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深い内容なのは、原作の功績なんじゃないの?と思ってしまう。
多分この映画そのもののテーマってなんだろうって考えてみたら、宗教性と言うよりは状況変わればおんなじものでも評価や見え方、対応が変わるってすっごくシンプルな事の気がする。
なんかごっちゃりしてて見えづらい。

日本人達の演技も良く感じなかった。
キチジローはいいと思う。可愛く見える。

3時間近い映画だけれど、ダレなかったの凄いなー。
風景もだいぶん日本に近い感じだけど、ちょっと新鮮な感じだった。

メモ:ハエの羽音は何を意味しているんだろう?

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ちややん

3.5沼地のような国だという話の内容が描かれているようには思えなかったが、良く出来た作品だ

2017年2月7日
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知的

遠藤周作著「沈黙」の映画化作品だ。日本がキリスト教の根付かない沼地のような国だという話の内容が描かれているようには思えなかったが、それでも、小説の内容に沿った良く出来た作品だと思う。

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mango happy

5.0すばらしい!!元気な時に鑑賞を。

2017年2月7日
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tundoku

4.5憐れ

2017年2月6日
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鑑賞方法:映画館

悲しい

日本人も憐れ
宣教師も憐れ
キリスト教も憐れ
仏教徒も憐れ

この映画を観てると何故こうも人間は憐れなのかと思う。

人間は皆憐れ。

絶対的他者は理解不可能なのか。

スコセッシ監督の今作は人間の本質を浮き彫りにしたと思う。

見応えありました。

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heran

5.0日本人と一神教

2017年2月6日
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鑑賞方法:映画館

悲しい

怖い

知的

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FM横須賀

4.0サイレン沈黙

2017年2月6日
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鑑賞方法:映画館

悲しい

知的

難しい

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下町生まれの仁さん

5.0また見たい深い映画。

2017年2月5日
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鑑賞方法:映画館

泣ける

難しい

映画館に観に行く前に、本と篠田監督の映画を見ました。内容がヘビーなので誰も一緒に行ってくれなくボッチ鑑賞です。長丁場ながら全く長さを感じさせなく最後は心が暖かくさえなりました。もちろん拷問シーンは目を塞ぐ程でしたが。。私は見に行く前から、何故踏み絵を踏まないのか疑問でした。もし目の前にキリスト様がいたら踏みなさいと言うと思ったのです。神とはそう言う存在だと思うから。心の中にあるものだと。自分が信じていればそれでいいのではと。最後までその気持ちは変わりませんでした。自分が宗教を持たないからかもしれません。でも神はいると信じています。ロドリゴ役のアンドリュー·ガーフィールドの苦悩する姿にきゅんときてしまいました、罰当たりでごめんなさい(泣)また観に行くつもりです。

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まるこ

4.0私はプロテスタントのクリスチャン

2017年2月5日
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私はプロテスタントのクリスチャンです。
沈黙を見て日本という国は本当にキリスト教が広がるのが困難な国だと思いました。この時代のようにクリスチャンだからと言って殺される事はなくても、私自身クリスチャンとして生きていきにくい国だと物心ついたころから感じていました。でもこうして日本人としてクリスチャンとして日本に生まれたのは神様の計画の中だと強く感じました。神様が私を聖めて神様のご計画のためにご自由に使って頂きたいと思いました。人間の目で見てこの日本が救われるのは難しいとか、あの国は簡単だとか思ってしまいますが、神様にかかれば全てが可能なのだという事を忘れずにたくさんの日本の方にも神様の愛を知って頂きたいと強く思いました。

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Ai

3.0信仰を知らないと

2017年2月5日
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鑑賞方法:映画館

信仰をもたない自分には、なぜ利益にならない信仰をもつのかが分からなくて、なぜこんな風に見えないもののために自分をかけられるんだろうと思った。
自分が人生で行動してきた理由は、目に見える、自分や家族のための利益のためでしかないし、信仰というものが分からない。

キリスト教の教えでなければ、救われない人たちがいるなら、踏み絵なんて迷いなく踏んで、その教えを支えにしながら、日本のルールにうまくのってもいいのでは、と思った。
人生の意味は、よりよく生きることで。
頑なに信仰にこだわって神様に義理立てすることになんの意味があるのか分からない。

そう思いながら、同じようにホロコーストで死んでいった人たちの信仰が分からなかったことと同じなのかと思った。
なんのために生きるんだろう、信仰ってなんだろう?と何度も思わせられた。
クリスチャンの人にどう思うのか聞きたい。

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きこ

3.5寛容こそ美徳

2017年2月5日
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この映画でキチジローの在り方が正しいと思った 信仰のルールは心が神とともにあることだと思った。であれば、踏み絵や棄教証文もできるだろう。儀礼や十字架へのこだわりは日本的だと劇中にもあったけどそう思うと弾圧の歴史はなお、悲しい。 宗教の話だが、矜持や生き方を本質的に問われているようです怖い。前述のとおり、キチジローに感情移入できた自分への嫌悪と諦め感で、なかなか切ない映画でした。

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けつお

4.5潰された傍流。

2017年2月5日
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悲しい

怖い

知的

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だいず

5.0洋画で描かれる江戸初期の日本、違和感無し

2017年2月5日
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鑑賞方法:映画館

怖い

難しい

知的

台湾ロケらしい。島の上陸シーンと向こうに見える山はちょっと違うがセットはいい感じ。 日本人キャストを使ってくれて皆さんそれに応えていて良かった。

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公開しない

4.5深い。

2017年2月5日
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鑑賞方法:映画館

泣ける

知的

前半は泣きっぱなし、ラストに向かっていく時にも泣けた。
昔、長崎旅行のためにキリシタン弾圧について関連書籍を読んだり、少し勉強した。映像になると、迫るものがあってたまらなかった。でも目を反らしてはいけない。これほどの迫害を受けても密かに信仰を守り続け、信徒を発見した時は、そりゃ驚きますよね。
宗教の自由って現代だからの話で、当時の幕府の迫害する理由もわからなくもないし、棄教せざるを得なかった司祭の想いもわかる。絵を踏めなかった信徒の気持ちも、キチジローの行動も。描いてるものがとても深くて、切なくて、たまらなかった。
エンドロールの間、変な音楽を使わず波の音だけってのも、なんかよかった。

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okuy

3.5信仰が無いので

2017年2月5日
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信教の自由について考える機会に出来れば良いのかも知れないが、何も信仰のない自分にとっては、今一つ切実さが感じられなかったし、国防上、弾圧する側に回ってしまう役人たち悪役の立場も分からなくはないため、作り手とうまく意図のキャッチボールが出来なかった感がある。卑怯者とされているキチジローについても、ああするしか仕方なかったのだという同情しか湧かなかった。全編に渡り拷問・処刑シーンばかりなので、苦手な人は避けたほうが賢明。

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ふまさん

4.5共同体の権威と個人の信仰、そして不条理

2017年2月5日
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知的

難しい

誰もが学校の歴史の時間に習ったことを復習してみる。
原始時代、例えば大型の動物を捕獲するとき、ひとりで捕獲するよりも複数の人間が役割を分担して捕獲した方がより捕獲できる確率が高くなるし、かかる時間も短縮される。つまり効率的だ。または植物を栽培するときも、ひとりで全部の作業を行うよりも、複数の人間で協力して行なった方が効率的である。
狩猟、採集も、植物の栽培も、収獲または収穫は、日照や雨、風などの自然条件に左右される。自然条件がどうなるかを予見したり、有利になるように祈ったのがシャーマンで、シャーマンは原始共同体の指導的立場となった。
文明が発達した大河川の流域では、土地が肥沃で植物がよく生育する半面、川の氾濫で作物を喪失する危険性もあった。治水しようにも川は巨大で、ひとりではどうにもならない。しかし大勢の人間が協力して治水をすれば、安定した収穫を得ることができる。そこで原始共同体が誕生する。しかし大勢の共同作業となると、計画や指示命令系統の確立が必要だ。各個人が勝手に行動し、互いに指示命令しあって誰も服従しなければ、共同作業は成立しない。つまり共同体も成立しなくなる。そこで必要になるのが、人々を服従させるための権威だ。最初は、最も暴力的に優れている者が個人として権威を持つことになる。暴力によって苦痛を与えられるとわかれば、それを避けるために腕力の強い者に従うようになるからだ。しかしそれは長続きしない。個人の暴力は時間的空間的に限界がある。ひとりで毎日24時間闘いつづけることはできないし、遠くの敵とも闘えない。寝ているところを襲われたら終りだ。そこで、複数の人間を束ねて暴力装置とすることができる人間が権威を獲得することになる。組織し、命令系統を確立すれば、多くの人間を服従させることができる。24時間交代制の護衛を置けば、寝首を掻かれることもない。それが王のはじまりだ。
次の段階では、あちこちに成立した共同体同士の利害対立がはじまる。それは共同体を支配する権威同士の対立でもある。権威というものは暴力装置に担保された共同的な幻想であるから、他の権威に暴力的に打ち負かされると消失してしまう。日本や中国の戦国時代の歴史を見れば、弱小の共同体の権威が強大な共同体の権威によって消失、または服従することを繰り返している。共同体の支配者の権威はどこまでも相対的な価値観なのだ。
そこで共同体の支配者たちは絶対的な価値観によりどころを求めることになる。神話だ。神話に於ける権威と、共同体の権威を一致させることで、共同幻想の相対性を弱めることが目的だ。歴代の武将が天皇制を利用したのはこの構図である。

一方、共同体の内側では、支配する階級と支配される階級が世襲的に固定化された格差として存在するようになる。格差社会はいまに始まったことではなく、大昔の共同体の成立時から構造的に発生したものなのだ。支配される側には服従するだけの人生しかなく、何の救いもない。救いがなければ自殺や強盗が多発して共同体が崩壊することになる。そこで共同体内部にも神話を登場させ、絶対的な価値観を説いて現実の共同幻想を相対化しようとする。共同体のルールへの服従と勤勉を説くことで共同体の生産性が維持できるのだ。個人と共同体の対立構造よりも、個人と絶対神との関係、つまり信仰に重きを置くことで、人生に救いが生じる。イスラム教やキリスト教はこの類である。
仏教は成立したのがずっと前だけあって、宗教というよりは哲学に通じるものがあり、価値観の相対化と人間精神の構造を説く。現世は存在しているようで存在していない、存在していないものが実は存在するという、禅宗にも通じるような印象の教義が般若心経に書かれている。仏教は信仰ではなく悟りによってではあるが、やはり他の宗教と同様に、現世での不安と恐怖と苦痛から人々を解放しようとする。

次の段階では、国家や都市が成立し、その中で組織が細分化され、それぞれに権威が与えられる。被支配階級からも起業するものが現われて企業や暴力団を組織し、やはりそこに権威が生ずる。宗教の指導者の権威も徐々に強くなっていく。
現代日本の身近な生活を振り返っても、年長者、先輩、上司、会社、自治体や国の政治家、得意客など、頭を下げなければならない人間が山ほどいる。必ずしも相手を尊敬しているから頭を下げる訳ではない。相手に権威が与えられているから頭を下げるのだ。

つまり人間の生活は大小強弱さまざまな権威に支配されつづける生活なのだ。しかもすべての権威は相対的で、いつ失墜しても不思議ではない。絶対的と思っていた筈の信仰に於ける権威も、実は歴史の関係性の中で生み出された相対的なものなのだ。神という権威はどこまでも人間が生み出したひとつの観念である。

さて、そういった複雑極まりない価値観の変遷を踏まえた上でのこの映画である。絶対神を奉ずるキリスト教の価値観は、自力本願を旨とする武家の仏教と相容れない。日本の支配階級の役人たちは、キリスト教の権威が武家の権威を脅かすと考えたのだ。
登場する人々はどの立場にあっても不安と恐怖に苛まれている。弾圧する側もされる側も、例外なく権威という相対的な幻想に蹂躙されているのだ。
多くの人々は、そのことを理解している。にもかかわらず、子供を生み、同じく不安と恐怖と苦痛に塗れた人生を繰り返す。歴史は不条理であり、人間の存在も不条理だ。

これほど不条理を実感させる映画は滅多にない。最初から最後まで登場人物は全員不条理に曝されている。観客はその重苦しさに窒息しそうになるが、人々の不条理に抗う姿を見続けずにはいられない。殉教は必ずしも肯定されるべき行為ではなく、踏み絵を踏むのも必ずしも責められるべき行為ではない。それは禅の考え方に通じる、相対的な価値観である。
役者は皆、達者な演技をしている。しかしそれはこの映画に限っては、強ち特筆すべきことではない。人間は日常的に不条理の中で生きている。
役者たちに不条理に抗いながら生きている演技をさせた監督の演出は評価に値する。不条理を言葉でいうのは簡単だが、演技指導として不条理を前提にするのは困難極まる。ロバート・デ・ニーロにタクシードライバーを演じさせた監督の面目躍如である。
見終わっても重苦しさが消えないのは、映画が齎す不条理の量が圧倒的だからだ。それは歴史の一時点の不条理ではなく、時の流れに少しも衰えることなく、いまに至るまで人間を苦しめ続けている。映画を観終わると、あたかも断崖絶壁に立たされた人間が目隠しを解かれたように、自分がどうしようもない不条理の現実に生きていることに気づかされる。立ち竦まずにいられる人間は、ひとりもいない。

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耶馬英彦

4.0ちいさな宗教戦争

2017年2月5日
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鑑賞方法:映画館

自分は勉強不足なんでこの作品を観て色々と何故?が浮かび上がって改めて勉強しようかなぁと・・・
歴史背景、時代背景、宗教感が絡み合って答えの無い物を描いた作品。

宗教って必要無いのでは、とさえ思ってしまう。

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たか

2.0妥協が見える自己満

2017年2月5日
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鑑賞方法:映画館

内容ではなく、映画として。

日本の農民はキリスト教徒であれば
誰でも英語を話せるということ、
武士も役人は当然、
下々の牢番まで英語を話せること。
これでは浅野忠信の通訳は不必要。
異国の中でしっかり英語を話せる通訳だからこそ、
心を通じる(かは分からないけど)
という大事なポジションなのでは?
そしてそもそもはポルトガル語なのでは?
この言語の描写をスルーしてレビューすることは
この映画に関してはとてもできません。
違和感持たないですか?

結局、マーティンスコセッシはハリウッド目線の映画を作ったこと。
あそこまで日本の小説で日本を舞台にし、
宗教のそれを描くのであれば、
そこは妥協すべきではないところと思う。

浅野忠信もイッセー緒方も良くなかった。
窪塚洋介のくすんだ目と、
人間らしすぎる卑屈さは良かった。

「考えさせられる」
それはその言葉を発することで満足しているだけ。
原作を読もうと思う。

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son
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