沈黙 サイレンスのレビュー・感想・評価
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とても濃い時間を過ごしてきました
長い映画なのでどうかなと思っていましたが、なにか、とても濃い時間を過ごしてきました。
次々と突きつけられるものに心を揺さぶられました。
時間をかけてまとってきたものをどんどん剥ぎ取っていくようで、苦しく、どきどきしました。
ロドリゴがたどり着いたのは、静けさの中でしょうか、包まれているでしょうか。
テンポが良く、時間の長さが気になりませんでした。
俳優陣もとても良かった。苦しみ迷い続ける主人公を演じたアンドリュー・ガーフィールドの、優しい声が心に残りました。
あと、浅野忠信演じる通訳の豪胆な雰囲気が、井上様の食えない感じと良いコンビネーションでした。ああいうのが本当に恐い。
走り去るキチジローは百点満点!でした。
分からなくなる
ある程度の予備知識はある中で観に行ったので、どうしようもないシリアスさは覚悟して行きました。
ですが思ったより、気持ち悪くなったり自分が支配されてしまうまでの重さは無くて良かった。
音をもの凄く効果的に使っている事と、映像美、アンドリューガーフィールドのファニーフェイスのおかげかな。
分からなくなったのは、日本人が受け入れなかったのかキリスト教徒が受け入れなかったのか。明白に日本人だと思って前半は観ていたのに、なぜかキリスト教徒側が頑なに観えてしまった。仏だって同じだろ?のところに、どこか日本人側が受け入れてるような錯覚を覚えてしまった。完全に惑わされてますね。
生命という絶対的なものの前で、どうかこれ以上争いが起きませんように。
ゼウスのナレーションはアダムドライバーかな?踏み絵のシーンは圧巻でした。
考えさせられる
人間の業
いつものスコセッシ映画と違い、タイトルの様に静寂した作品でした。前半は正直やや退屈に感じましたが、後半の激しい迫害が始まってからは、人間の怒りや憎しみが力強く描かれグイグイと引き込まれました。
イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」の時もそうでしたが、近年では外国映画での日本人の描かれ方が非常に自然で、その文化も非常にに研究されている為、取り上げる題材も邦画以上に誠実で興味深い物になる事があります。今作もその一つと言えるでしょう。
現在も行われる宗教戦争、人間は神に救いを求め、神を裏切る。そうした人間の業に沈黙する神にその存在意義を問う。
無宗教を自負する私でさえ、神社仏閣の前では賽銭を投げ、首を垂れるのは何故なのかと考えてしまいました。
信じる者は救われる?
遠藤周作も読んだこと無いし、もちろん『沈黙』も知らない。
クリスチャンでもないし、カトリックでもない、仏教徒でもない無神論者です。
以前天草で『天草四郎メモリアル館(?)』に寄った時に有名な『島原・天草の乱』の話を聞いた。
キリシタンと呼ばれるカトリックの信徒の人たちを主とした一揆(実際には関係の無い人もいたらしい)が起きたその前後のお話。
ある程度は時代背景等を知ってはいるが、色々と難しい言葉もでてきた『転ぶ』って何?って感じw
当時の幕府や大名が外からやってきたキリスト教を危険な物と考えるのはわかるし、今まで信仰してきた宗教を否定されるのが辛いのも理解できる。
(ここから色々な宗教を信仰している人すいませんw)
しかしながら、宗教の為に命を捨てるのは理解に苦しむ。
確かに現代の様な色々な情報や娯楽、色々な楽しみや心の支え等が簡単にいともたやすく入手できる環境では宗教の必要性や考えは軽い物かもしれない。
それでも、ただのプレートを踏むだけをできない、マリア像に唾を吐きかけることが出来ないのは、「とてつもなくつらいことなんだな、、、」と思いながらもずっと??な感じでした。
だから宣教師の苦悩や葛藤を共感する事は難しかった。
結局棄教してしまうのも、「え?熱い信仰心はどこいったのよ?w」と突っ込んでしまった。
もちろん目を覆いたくなる様な拷問や信徒への弾圧があるのですが、それでは殉教していった人たちは一体?と感じました。
しかしながら、映画自体は非常に時代考証されているというか映像も美しく、拷問もかなり強烈ですがキャストの演技が非常に素晴らしく日本人側は特に秀逸です。英語も難しかったとは思いますがググッと引き込まれました。
本当に神はいるのか?もしかしたらいるかもしれないが、これほど信じて求めている人に『沈黙』を決め込むのはいかがなものかと思いますね。『信じる者は救われる』とはよく言いますがそれなら出てきて奇跡を起こしてみたらいいのに、あまりにもあなたを信じたために死んでいった人たちがかわいそうだなと思った作品だった。
よくもないし悪くもない
すばらしい!!元気な時に鑑賞を。
始めに、ネタバレから。
「信仰に対する揺らぎとその克服」がテーマの映画です。「沈黙」そのものがテーマでは無く、神の沈黙に直面しながら、それでも神が常に側にいることを発見することがテーマです。
豪華キャストが映画の世界に入っていくことを助けてくれます。例えば、井上筑後守は、小説でも特異な性格の人物であることは分かるのですが、明確なイメージを持つのは難しいと思います。しかし、映画ではイッセー尾形が、大胆に一つの人物像(屈折した面も含めて)を示してくれます。浅野忠信が、職務に忠実な武士のイメージを具現化してくれます。
さらに、日本の汎神論的土壌、武士社会の形式主義なども、サブテーマとして描写されていて、今日の日本を世界と比べて理解する助けになると思います。
『深い河』も合わせて読むことをおすすめします。「(自分が神を捨てても)、神は自分を見捨てない」という遠藤周作の信念がより理解できます。
一点だけ残念なのは、自然の美しさの描写が無かったことです。農民の日々の喜びも描かれていません。前半、農村が舞台の間、貧しさの中での信仰と迫害への抵抗が描かれている全てという感じ。原作に忠実ということかもしれませんが、映画なので、五島や平戸の自然の美しさなども盛り込めたのではと思います。
とはいえ、「神はいるのか」という疑問を持つことがある方には絶対おすすめの映画です。
「自分は信仰を持っていないから、理解不能の映画では?」と疑問を持つ向きもあるかもしれません。しかし、この時代のこの地域の農民が、イエズス会の宣教師達に触発され、改宗していった理由も理解できるように配慮されています。始めに信仰ありきの映画ではありません。貧しい農民が、半ば誤解したまま、キリスト教による救済を信じた背景が客観的に描かれています。終盤の仏教寺院のシーンなどは、庶民の生活から切り離された静寂の空間として描かれており、こんな世の中だったら、新しい宗教に救いを求めるかもしれないと理解できました。
3時間近い映画ですし、内容の重さを考えると、元気な時の鑑賞を。
憐れ
日本人と一神教
キリスト教をタテマエ上禁止するのではなく、癌を切除するかのように隠れキリシタンを排除した井上たちは「キリスト教は危険」と判断したからそうしました。
その残虐行為は、個人の信仰の自由を否定する非道な宗教弾圧に他なりません。
しかしキリスト教が他の一切の宗教を否定し、個人の信仰の自由を認めない宗教であると判断したならば、それは危険と言わざるを得ないでしょう。
私はキリスト教が危険というより、一神教というものが日本人にとって危険かもしれないと思います。
否、日本人のみならず一神教は危険かもしれませんが、ややもすると日本人は一丸となって一神教と心中したがるわけです。
日本人と宗教の関係を要所要所で男と女の関係になぞらえたこの作品は、まことに見事なものでございます。
とはいえ、仏教だけが日本人の唯一の宗教であるかのように描かれている雰囲気もあり、そこがちょっと気になります。
もちろん当事のことはわかりませんので、それで正しいのかもしれませんけれども……。
サイレン沈黙
長崎県天草が舞台なのかな、又見てはいませんけども異国のキリスト教を日本に広めて、徳川家に抹殺去れる話しかと推測します、昔魔界天性と言う角川映画が有りました。これ天草四郎が隠れキリスタンであり摩訶不思議な術使い輪廻天性で死んだ人達を行き返すと言う話しで、駆れ此れ40年前真田と沢田謙二や千葉慎一や成田三夫と名だたる大物俳優さんが出てました、緒形拳さん小次郎役もTVの再放映で見た思い出す、窪塚洋介がリメイク版魔界天生も有りましたけどもつまらない。さて、今回のサイレン沈黙は内容量と日本にキリスト教を必要性があるのか見て見たいです。
また見たい深い映画。
映画館に観に行く前に、本と篠田監督の映画を見ました。内容がヘビーなので誰も一緒に行ってくれなくボッチ鑑賞です。長丁場ながら全く長さを感じさせなく最後は心が暖かくさえなりました。もちろん拷問シーンは目を塞ぐ程でしたが。。私は見に行く前から、何故踏み絵を踏まないのか疑問でした。もし目の前にキリスト様がいたら踏みなさいと言うと思ったのです。神とはそう言う存在だと思うから。心の中にあるものだと。自分が信じていればそれでいいのではと。最後までその気持ちは変わりませんでした。自分が宗教を持たないからかもしれません。でも神はいると信じています。ロドリゴ役のアンドリュー·ガーフィールドの苦悩する姿にきゅんときてしまいました、罰当たりでごめんなさい(泣)また観に行くつもりです。
私はプロテスタントのクリスチャン
私はプロテスタントのクリスチャンです。
沈黙を見て日本という国は本当にキリスト教が広がるのが困難な国だと思いました。この時代のようにクリスチャンだからと言って殺される事はなくても、私自身クリスチャンとして生きていきにくい国だと物心ついたころから感じていました。でもこうして日本人としてクリスチャンとして日本に生まれたのは神様の計画の中だと強く感じました。神様が私を聖めて神様のご計画のためにご自由に使って頂きたいと思いました。人間の目で見てこの日本が救われるのは難しいとか、あの国は簡単だとか思ってしまいますが、神様にかかれば全てが可能なのだという事を忘れずにたくさんの日本の方にも神様の愛を知って頂きたいと強く思いました。
信仰を知らないと
信仰をもたない自分には、なぜ利益にならない信仰をもつのかが分からなくて、なぜこんな風に見えないもののために自分をかけられるんだろうと思った。
自分が人生で行動してきた理由は、目に見える、自分や家族のための利益のためでしかないし、信仰というものが分からない。
キリスト教の教えでなければ、救われない人たちがいるなら、踏み絵なんて迷いなく踏んで、その教えを支えにしながら、日本のルールにうまくのってもいいのでは、と思った。
人生の意味は、よりよく生きることで。
頑なに信仰にこだわって神様に義理立てすることになんの意味があるのか分からない。
そう思いながら、同じようにホロコーストで死んでいった人たちの信仰が分からなかったことと同じなのかと思った。
なんのために生きるんだろう、信仰ってなんだろう?と何度も思わせられた。
クリスチャンの人にどう思うのか聞きたい。
寛容こそ美徳
潰された傍流。
うれしい!たのしい!大好き!的要素は全くない、棄教しないと殺される状況での信仰についての映画である。
酷すぎるキリシタン迫害を見せ付けられ、やがて棄教を選んだロドリゴの苦悩が描かれた。
ロドリゴは棄教したが、その中で神を見出した。そして、その事を死ぬまで沈黙したという筋である。
私はクリスチャンではないが、キリシタンたちと司祭たちの苦しみに寄り添って見た。
同時に井上や通辞にも。
重層的で、とてもよかった。
日本人のキャストはうれしかっただろうな、ということも常に思っていた。
スコセッシの現場に行きたいと思うよね、よかったね、と思った。
片桐はいりが面白かった。AKIRAや伊佐山ひろ子はどこに出ていたかわからなかった。
加瀬亮にはっきりとしたせりふがなくて(青木氏と立ち話するのみ)、ちょっとさみしく思ったが、リアルな生首だった。
誰かの正義は、おおよそ誰かの悪だと思う。
キリスト教を未開の地に布教せんとするは、ヨーロッパの正義だが、侵食されんとする側にとっては、脅威でしかない場合もある。
政教一致であった時代、布教は侵略と等しい。
おのれが信じる正しさが、誰にとっても正しく、その道を解くことは、望まれるべき事だと考えるのは、傲慢だ。
『沈黙』を見ようが見まいが、この点は私の変えられない意見だ。
ロドリゴとガルペの矜持を、そんな風に思いながら、映画を見た。
キリシタンたちがパードレを欲していたことも、よく分かるし、迫害は酷く、ここまでしなくたっていいじゃないかと思った。
根絶やしにしなくても、表向きは禁止で、こっそり信仰させておく懐の深さはないんかいと。
迫害された結果、日本は独自文化を存続させられた。
大勢のキリシタンの死の上にある。
キリシタンに限らず、主流を揺るがしかねない傍流は、潰される。
そうしなくては主流が主流でなくなるから。
その思想には賛同しないけれど、その結果を生きているわたしに批判する権利はないように思う。
とはいえ潰された傍流の心の中から消えなかった信仰が、美しく崇高なものに見えた。
深い。
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