沈黙 サイレンスのレビュー・感想・評価
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宗教観が希薄な私には難しい内容でした。
宗教観が希薄な私のような日本人には、登場人物達に共感するのが難しいと感じました。
主人公は劇中で何度も棄教を迫られ、それを拒み周りの人に危害が及ぶ度に、神に祈ることの意味に疑問を持つ姿があります。
神はこのような悲惨な有様を見ながら、なぜ沈黙しているのかと。
そのような目に遭ってもなぜ棄教しないのかということを鑑賞中に何度も考えてしまいました。
私には主人公の苦しみは完全には理解出来ませんでしたが、この映画を観たことで宗教について考えさせられました。
鎖国時代の宣教師を追体験した気分
日本に来るまでの映像が美しい。
来てからも、自然は美しい。
運命と処刑の残虐さが引き立つ。
お約束?の日本的処刑のシーンは虚を疲れた。
CGが少なく、圧倒的な画面。
つまり、カメラ、凄いです。
背教神父となり、政府の言うがままに従い、結婚して、火葬されても、彼らは変わらなかったというメッセージを受け取った。原作とは少し違う印象。原作の絶望感から救われた。10代の頃の読み方が悪かったのかな。
きついけど希望がある事を教えてくれる映画。
長いけど、長さを感じさせない。
キリストコスプレ大集合
主人公が日本のキリシタン達を応援しに日本にやってくる。
主人公ともに日本に渡るのはスターウォーズ新新三部作のカイロ・レン君である。
そして、冒頭で日本政府に滅茶苦茶いじめられるスターウォーズ新三部作のクワイ・ガン・ジン。
そしてそして。だいたいのシーンを半裸で褌振り乱しながらはしる窪塚洋介。
想像して欲しい。
3人とも長髪がボッサボサで、
髭も伸び散らかってボッサボサで、
ものすごい汚れた着物がはだけてほとんどローマ人みたいな格好をしている。
そう。3人とも渾身のキリストコスプレなのだ。
そんななか、日本政府にやっぱり滅茶苦茶いじめられる主人公。
もうやだー!
主よー!
もうやだー!
ってなった主人公の前に、
パードレー!
告解してー!
告解してパードレー!!
と、元気一杯で走り寄ってくる窪塚洋介。
そんな窪塚洋介が一番キリストコスプレが板についてる。
そんな恐ろしい作品だったし、
拷問シーンに次ぐ拷問シーンという苦しい内容の割には結構みれたけど、
すきじゃなかったな。
あと長いし。
お前のせいで、奴らは苦しむのだ。
映画「沈黙 サイレンス」(マーティン・スコセッシ監督)から。
原作は、遠藤周作さんの小説「沈黙」。
若い頃、一度読んだが、覚えているのは「踏み絵」の場面など、
「信仰」するという、静かだけど力強い人間の心の動きであり、
それを映像で、どう表現するのか、とても興味があった。
しかし、58歳で鑑賞した映画作品は、原作にほぼ忠実だけれど、
私の引っかかった個所は、歴史としての「宗教弾圧」ではなく、
また「他人事」としての物語ではなかった。
心を大きく揺さぶられたのは、イッセー尾形さん演ずる
「井上筑後守」が「宣教師」に言い放った台詞
「お前のせいで、奴らは苦しむのだ」だった。
(「お前が転ばぬ限り、犠牲が出る」というフレーズも・・)
「自分の存在」が「周りの人達を苦しめている」という事実を、
目の前で見るにつけ、心が揺さぶられ、心が心を裏切りそうになる。
それは、私たちの仕事や、日常生活でも同じことが起きていると、
観賞後に、ふっと気付いたとき「自分事」に変わった。
「信じる道を貫く、目の前の命を救う、どちらを選べば良いのか」
たぶん、どちらが正しいと言うことではなく、
そのことに悩み苦しみながらも、常に自分の存在を意識することが
大切なのではないか、と考えてみたりもしている。
作品のラストに、こんなナレーションが入る。
「私は沈黙したのではない。おまえとともに苦しんでいたんだ。
沈黙の中で、私はあなたの声を聞いていた」
もう1度、原作を丁寧に読んでみようかな。
重く長かった
沼地で守る。
常にグレーゾーンを這い回ってると気高い行為が居た堪れなく感じる。
窪塚演じるキチジローの狡猾さ(弱いと見せて彼が一番強か)が生きる
術なのだとしたら、さあ皆も意を決して踏み越えてしまえ~!と何度
思ったことか。まるで本人を模した役柄の彼も素晴らしかったのだが
浅野やイッセー(まぁ堪能すぎて小憎らしくて)そして荒波に磔される
塚本の演技が心に刺さる。おかしな日本人が出てこないのはさすがだ。
冒頭で棄教したとされるフェレイラだが、あの弾圧を目にしてすぐに
信者たちの命を守るためなのだと直感する。強い信念があるからこそ
自身に課せられた業を見定められただろうと。彼を慕い日本へ渡った
ロドリゴもガルぺも同様に民を救おうと尽力する。信仰を保ったまま
生活も守りたい信者を当時の幕府は激しく拒絶し次々と抹殺していく。
何ともはや3時間弱辛い場面ばかりの本作なのだが、後半フェレイラ
が棄教の事実を告げたあたりからロドリゴの苦悩と葛藤が更に色濃く
描かれてゆき物語は佳境を迎える。彼らの終生まで描き切ったことで
何を云わんとしていたのかが(グレーながらも)如実に見えてくるのは
素晴らしい。強さを語る者ほど弱くて弱みを見せる者ほど強かなのだ。
(沼地とはピッタリな形容。泥土が生き恥を掬いながら根を太くする)
すごくよかった
イッセー尾形が高圧的でなく、話せば分かる人でけっこう譲歩してくれているところが余計に主人公を追い詰める感じがすごくいい。キリスト教に不理解でなく、理解したうえで提示していて、むしろ主人公のほうが頑なで、よくない感じがする。
窪塚洋介のしょぼい感じがすごくよかった。そんな彼と腐れ縁で死ぬまで付き合いがあることに感銘を受けた。人付き合いをしていると失望することがあるのだが、それでも付き合い続けることの尊さが胸に沁みた。
見る前は不安だったけど変な日本描写がまったくなかった。
信仰にはまるで興味がないのであるが、もし自分が信心深かったらもっといろいろと面白かったのかなと思った。
1回目はすごく眠くて眠気を我慢して見ていたら頭痛がしてその後寝込んだ。2回目は体調を万全に整えて見たのだが、それでもちょっとウトウトした。それでもすごくクオリティの高い作品であることは分かったし、かつ面白かった。
理想的な日米合作
江戸時代初期、キリスト教の布教を目的とし日本の長崎にて司祭として使命を果たしていたフェレイラ神父が棄教したとの報せを受けた2人の弟子がその真意を確かめようと日本に渡った様子を描いた歴史大作。
観る前に原作を読んでみたが非常に重い内容だった。
そしていざ観てみると割と忠実にそれが再現されていた。
字面から想像していた映像が実際に俳優の表情や演出をもってより生々しくリアルに描かれていた。
演出といってもBGMは静かな波音以外ほぼなし。それが余計に処罰の生々しさを引き立てて、穴吊や磔のシーンなんて眼を背けてしまうほどの表現だった。
表現はもちろん凄まじかったが眼を見張るのが配役。巨匠スコセッシの映画にしてこんなにも日本人俳優が。
主要キャストはさすがにハリウッド俳優だが準主役陣やチョイ役陣も日本人俳優が至る所に出演していた。
ハリウッド常連浅野忠信、いよいよ本格ハリウッドデビューか窪塚洋介、この作品の一つ前の出演作が僕明日だというとんでもないギャップの小松菜奈笑、そしてどこに出ていたEXILE AKIRAと全員が壮絶な演技を披露。
舞台が日本なだけに彼らの存在に違和感があるわけもなく、むしろあの風景に馴染んでたアンドリューガーフィールドやアダムドライバーの方が凄いわけだが日米合作としては稀に見る理想的なバランスで成り立っている。
去年の作品、スポットライトのときも思ったが自分は信仰がないため、絶対的な存在がない。ましてや姿形が見えないような存在のために命をかける、会ったことも見たこともない存在を描いた絵すら踏むことすら断固としてしない、人間の気持ちがわからない。
それをこの作品は描いている。容赦ない描写で。
教科書1ページで済まされてしまうような出来事を2時間半強に詰めリアルに描いた傑作。
タイミング的にも内容的にも監督本人的にもアカデミーを狙った会心の出来のはずが、撮影賞にしかノミネートされなかった。
アカデミーは癖があって相変わらず読めない。テーマが重すぎたのだろうか。残念。
大事なのは神か、人間か
使命
もしくは啓示。
まるで、そんなものでもあったのかと思うように鬼気迫るものがあった。
マーティンスコセッシが、この沈黙を撮ったのは必然なのではないだろうか?
正直、評論の外にあるようにも思う。
原作を読んではいないので、この作品が作者・遠藤周作の意図をどれほど反映してるのかは分からず…この映画の評論をするなら、まずそこから語らねばと思う程だ。
作者がキリスト教に心酔していたのか、それとも忌み嫌っていたのかでも作品意図は変わってくる。
「心の中は"主"にしか分からない」
この一文が、深く突き刺さる。
彼の亡骸と共に葬られた十字架…原作もその通りなのか確かめてみたいところだ。
作品のテーマは実に繊細で、そのおかげで戦争まで起こってしまう程の問題だ。
ただ、この原作をマーティンスコセッシが映像化するにあたり、監督は一つの明確な選択をしたかのように思う。
「人は惨めな生き物なのである。」
衣装も個性も、社会も。今も未来も。
人は、悩み、争い、貶め合い、殺しあう。
その連鎖から抜け出す唯一の方法として"宗教"が推奨されたりする。
だが人間はそれすらも争いの種にする、困った性質を持っている。
つまりはこの連鎖から抜け出す最善の方法は未だ発見されておらず、人類は全くもって救われないのである。
人は元来、産まれてから死ぬまで救済を常に必要とする愚かで惨めな生き物である。
そういう選択を映像化するにあたりしたように思う。
作品は、重厚な作りになってた。
文字である原作を出来る限り再現するというような熱意を感じた。
それにしても…日本の役者の存在感!
いや、存在の仕方とでもいうべきか…見事だ。勿論、そういう外観をメークなり衣装なりから与えられてはいるのだが、実に普通だった。まるで、その世界に生きていたかのようであった。
加瀬さんの気負いのなさ!
あれ普通の人だよ、全く他意なく生きてる人のそれだよ。
小松菜奈に妙な色気を出してる宣教師をぶっ飛ばそうかと思ったよ。
その中でも…片桐はいりさんの怪演たるや。
いや、怪演は失礼だな…きっと片桐さんはアレが通常運転なのだ。
俺は、笑ったのである。
あの作品の中で、唯一と言ってもいい。
明確に笑った。
アレを意図して採用したというのであれば、マーティンスコセッシの懐の深さに感動すら覚える。
確かナレーションが被ってたと思う。音のフォーカスもそこにはなかったし、台本に明記されてるような文脈でもなかった。本国では英語のテロップなんかは絶対つかないんじゃないかと思う。
つまりは、他にもあっただろう?と。
なぜアレを選んで残したのかと!
厳格な歴史の伝道者とも評価できる作品で!
…恐るべし、マーティンスコセッシ!!
また、あの現場でアレをぶち込んだ度胸の良さというか…信念というか…敬服する。
ブレない。
片桐さんの魂を見たような気がした。
そして、イッセー尾形さんのあの声。
どうにも真意が掴めない。
汲み取れない。
こいつはどっち側なんだ?
あの普段とは違う高い声…いや、そういう差も日本人なら感じるんだけど、そうじゃなくても腹から出してないと、そう印象付ける声。初めは違和感バリバリだったけど、物語への関わり方を追っていくうちに…いや、正直、観終わってコレを書いている最中に、あの声だったからこそ、あの明確でありながらアヤフヤな立ち位置でいられたのではないかと考えたりする。
なんと狡猾な…その役者としてのスタンスに戦慄する。この人の役作りは声にまで及ぶのかと…。
最早ここまでになると、役作りというよりは、観客へのアプローチとか、演出への挑戦とか…そんな域にまで踏み込んでるのかとさえ思う。何より、それを役者という足場から発信している事に戦慄する。
浅野さんは凄く英語が達者になってたなあ。
そして、この作品にはBGMの印象がない。
スタッフロールのバックには波の音が流れてた。
その波の…幾度となく繰り返す波の音に、この作品のテーマを感じたりもした。
観終わった後、下りのエスカレーターで「後世に残したい10本の映画の一本に入るな…」となんとなく考えてた。
そして、新宿ピカデリーのロビーでなんのキャンペーンかは知らないが「つっこみ如来」と名付けられてた像を見て、日本人の信仰はどこに向かったのかと笑いが込み上げてきた。
監督も突っ込まずにはおれんやろ…と。
スコセッジ監督にやられっぱなし
高校時代にスコッセッジ監督のタクシードライバーに感動してからのファンです。やはりその物語の再現性、ドラマティックな躍動感、タクシードライバーでは社会の矛盾に生きる人間の無力さを描き、この映画でも人間の自己矛盾の弱さ、それが故に神にすがる姿を見事に描ききった感動作です。
往々にしてこうした欧米の映画では、日本も含めたアジア人を滑稽に描きがちですが、この映画では当時の幕府の事情や、日本の仏教感についても好意的に描かれ好感が持てます。
それにしても殉教を尊いものとされる西洋の種々の宗教に対してどうにも共感できません。多くの宗教対立が現在もテロとなって世の中を脅かしていることをどう理解すれば良いのでしょうか?「善人尚もて往生をとぐいわんや悪人をや」の親鸞の教えの通り、自分も阿弥陀仏が掬い取ってくれることを望みます。
フェアな描写が生む説得力
疑問は解けないまま…
信仰は人が身勝手に持つのではなく神から与えられるもの
信仰を与えられた人々の沈黙する姿が示すように、人々には苦しみや悲しみの前で沈黙しているように思えるときも、神はいつも共にいてくださる。
そういえば初めて小説の「沈黙」を読んだのは中学生のころで、その頃はクリスチャンではなかったので今日の映画鑑賞後の感想とはまったく違うことを読後に考えていたのを思い出しました。当時、夏休みの読書感想文の宿題に提出したほどなのでインパクトは大きかったのでしょうが。
大人になった今この映画を観ることができて嬉しいです。
クリスチャン同士で分かり合ってるような映画
原作を読んでから映画鑑賞。
ちなみに自分は母親がクリスチャンだった(洗礼も受けたが後に棄教)ため、少年時代に教会には10年近く通ったが、現在は無神論者。
そういう立場での鑑賞。
このテーマ、原作者の遠藤周作がクリスチャンで監督のスコセッシも当然クリスチャンということで、何やらクリスチャン同士で分かり合ってるようなムードがある。
例えば、原作ではロドリゴはラストで「棄教はしたが自分の信仰は揺らいでいない」と独白するが、映画ではそれを視覚的に見せる、と言った具合。他にも原作ではなかったセリフなども多々あるが、ほぼ原作を補強するような内容になっている。
なので無神論者、特にキリスト教に一度は触れて、そこに欺瞞を感じた者の疑問に応えるようなものは見せてはくれず(応える義理もないのだろうが)、むしろ「欺瞞の核」を見た思い。
ロドリゴもキチジローも遠藤もスコセッシも、真摯で善良な人間であることは疑えないし、ロドリゴの辿り着いた境地を否定する気もない。
作中人物では井上に最も共感(というより同調)したが、井上も多分同じだったと思う。
うーん。
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