「沈黙を見て、トランプの現実主義は結構良いのではと、思った。」沈黙 サイレンス アッサミーさんの映画レビュー(感想・評価)
沈黙を見て、トランプの現実主義は結構良いのではと、思った。
昨日見てからずっとモヤモヤしている。
宣教師が来なければ平穏のまま暮らせたはずだと言う思い。救い、救われるという関係性は上下関係なのに、神のもとでの平等という教義の矛盾。
宣教師が、日本人は形あるものにこだわると揶揄するが最期に手に握っていたのは棄教したはずの十字架のキリスト像。
エロイエロイ ラマ サバクタニとイエスは十字架上で叫んだとされる。神というか父はなぜ私にこのような仕打ちをされるのですか?という実に人間臭い恨みつらみ言葉。私はこの解釈が好きだ。キチジローの裏切り、それに何度も試され、やがて棄教を選択したロドリゴ神父。
キリストへの愛ゆえに踏絵を踏み、棄教することによって他人を救う、という矛盾、と言うか現実主義。
正義を振りかざし、他国を巻き込んで、救ってやったと自己満足し、そこに国のアイデンティティを求めて来たアメリカは、正に日本に布教に来た宣教師だ。
アメリカの都合の良い国に仕立てて行くよりはトランプの現実主義の方が良いかも。昨日の朝日にはオリバーストーンのトランプの方がヒラリーよりはマシとのオピニオンと、天声人語に沈黙のコラムが同時に出ていたのは、この映画の同時代性を表していると思った。
長崎の平戸にある生月は映画の中にも出てくる地名だが、長崎県の平戸、根獅子町、そこの海岸線、切支丹資料館を昨年の3月に訪ねた。映画の舞台とオーバーラップする隠れキリシタンの里です。この海岸が血の海になったという絵が資料館にありました。
apostasy、betray、が何度も繰り返し登場した。その後の沈黙、静寂。うまく書けないけど、こうして書きたい、伝えたいと思わせる何かが詰まった作品でした。