「ただの歴史映画ではない」沈黙 サイレンス てんりゅうさんの映画レビュー(感想・評価)
ただの歴史映画ではない
◯よかったところ
日本の野蛮で閉鎖的なお国柄と残虐性ばかりを強調する欧米人目線の映画かと思ったが、そうではなかった。
イエズス会が正義ではなく、「イエスの教えこそが正しい」という一方的で傲慢な考えがあったことに触れていた。
日本の奉行もただ感情的に異文化を排除している悪ではなく、奉行なりの信念があることが描かれていてよかった。
「私はキリスト教を否定しているわけではない。日本には日本固有の信仰がある。歪んだ形で伝わったあなた方の信仰は毒でしかない」と。たしかに考えの押し付けは、現代でも紛争の種になっていると感じる。
だが、だからといって大量虐殺が許されるわけではない。
宗教・信仰の話というと多くの日本の人には他人事というか、オウム真理教などの不気味なイメージもあり、あまり興味を持てないと思うが、ほんの数百年前の日本が、自分がいいと思うことをいいと言えず、みんなと同じ考え方・思想を強要される国だったことが恐ろしい。
侍の文化はかっこいい日本の代名詞だが、さらし首や拷問などやっていることは現代のテロリストと変わらない残酷な行為だった。
「キリシタン迫害」は今まで歴史の教科書のなかのひとつの単語に過ぎなかったが、これはナチスのホロコーストやポルポト政権の大粛清と変わらない「政府による大量虐殺」であって、決して今の私たちと関係ない昔話ではないと思い知らされた。
◯いまいちなところ
映画では「この国は沼地。信仰は根付かない」と語られていた。だが、司教がいなくなったあとも250年もの間、信仰を守り抜いた「隠れキリシタン」のことにも触れてほしかった。
たしかにキリスト教が正しく理解されていたかはわからないが、司教たちの教えは根付いていたと言えるのではないか。
今でも長崎には東京よりもたくさん身近に教会があり、キリスト教徒の人も身近にたくさんいる。
最後のシーンは、主人公が何度棄教の誓いをさせられ神を捨てたと口では言っていても、心の中は誰にも犯されなかった、と希望を持たせたかったのだろうが、
それなら数百年後にまた宣教師が日本を訪れ、長崎でもう存在しないはずだった信徒を見つけるという「信徒発見」まで描いて、司教のように「生きること」が弾圧がない未来への希望として終わってほしかった。