「ドイツ人の夫がすごいんです。」光をくれた人 だいずさんの映画レビュー(感想・評価)
ドイツ人の夫がすごいんです。
申し訳ないが、イザベルに始終いらいらしました。
2度の死産、それはとても苦しいでしょう。それはわかります。
そら悲しいよ。私は妊娠したことも死産で子を失ったこともないからさ、
イザベルの気持ちを本当には分かっていないのでしょうけれどもさ。
でも、だからって人の子どもを勝手に自分の子にしていいわけないでしょ。
それを言っちゃあおしまいよ、なのかも知れませんが、
こどもは、というか人はいつか死ぬでしょ。生まれられないこどもも残念ながら
いるのよ。21世紀ならばともかく20世紀前半の離島じゃさ、多少仕方ないじゃない。
そのことは、誰かの大切な娘を自分の子にする言い訳にはならない。
ほんで、夫がさ良心の呵責に耐え切れず、ハナに娘の存在を知らせてしまったことを、いつまでも許せず、ぎゃくにトムを恨むってね、あなた。幼稚すぎやしませんかね。
という感じでイライラしていました。
トムの気持ちは、少し分かるんです。やむを得ず死産を乗り越えられない妻の願いを聞き入れてしまった。その上、ハナが夫と娘グレイスを探し続けていることを知ってしまった。
良心の呵責と、妻を思う気持ちとに引き裂かれるわけですね。
結局良心を選んだわけですが、イザベルは理解しない。まあそのことを責めるつもりもなく、自分だけの罪としようと決めていたところが、トムの美点かなーと思いました。
当然ハナは何も悪くない。グレイスがグレイスとして扱わせてくれない、私はルーシーだもん、おうちに帰りたいといい、家出してしまうあたりつらいな、ハナつらいなーって、胸が苦しくなりながら見ていました。
そうして、家出してしまった後、娘の幸せを願って、断腸の思いでイザベルにいうわけですよ。グレイスのためにはあなたのもとで暮らす方がいいのかもしれないと。
そのハナの決心のもとは、亡くなった夫に由来するとの描写があります。
その夫の考え方が一番素晴らしいな、美しいなと思いました。
第一次世界大戦後、オーストラリアにいながらドイツ人(移民なんでしょうから同胞じゃんよと思いますが)なので、敵国人として執拗に差別される。そんな中でハナと結婚するわけです。
ひどい扱いをされながら、朗らかにある夫に、その理由を聞くと、夫は「一度赦すだけでいいんだよ」といったわけです。
ハナは夫のように、赦そうと決意します。
そのことがイザベルをも動かすわけです。なので、ドイツ人の夫(名前忘れました)がね、すごいんです。
第二次世界大戦後、グレイス・ルーシーとして育った女性が、子供を連れて老いたトムに会いに来ます。育ててくれてありがとう、これからも会いに来ていい?と。
その時にはイザベルはもう死んでいたわけですが、ルーシーへの遺書を残していたのです。
まあ、そこが本来意図された泣きポイントなんでしょうが、私はイザベルの語る愛にはやはり心動かず、グレイス・ルーシーええ子やなー、こうやってトムとイザベルを恨むことなく育ったのは、トムとイザベルの悪口をハナやその親族が言わずに育てたからやわなー多分、と思いました。