アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男のレビュー・感想・評価
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アイヒマンよりも
アイヒマンの逮捕劇を通じて、当時のドイツに潜む闇を描いていた作品だったと思います。終始淡々と静かに、少し重くて薄暗い空気感。いいんです、この作品は個人の弱さや滑稽さ、そこに重きを置いたのだと思いますから。
クラウスナーの演技に魅了
クラウスナーの映画は何作か拝見させてもらった。今回のフリッツ・バウアーは、鬼気迫る演技であったと思われる。実際、バウアーがどんな人物であったかは判らない。しかし、クラウスナーがバウアーを演じることでどんな人物であるか何となく彼の芝居(仕草)でおおよそ察しがつく…かな。とにかく、葉巻と煙草の煙でむせかえるような作品であった。題名のとおり「アイヒマン」の逃亡先を追い続ける作品であるが、バウアーの周りには敵か味方か判らない人物近づいてくる。かなりストレスを抱えているバウアー自身が手にした情報を、自分で漏らしているようで少し残念な人物である。アンガーマンの靴下を自分で履いちゃう所がお茶目。誰が敵か味方がわからない所が、ハラハラさせられた。アイヒマンを追いながらもあまりにも虚しい幕引き。
日本との違い
ヒトラーのナチスと日本の大東亜共営圏はやはり違うのか。一人種の抹殺と侵略征服の欲望の種類の相違か。。。。ヒトラー関連の映画は何本目か見るたびに本当を知らされてこなかった我が身を憂い悲しくなる。逆にドイツの素晴しさ。そう感ずる還暦越えた親父である。
歴史が動いた瞬間。淡々とした中に秘められた、確固たる信念。
【賛否両論チェック】
賛:四面楚歌で困難な状況にあっても、自分が信じる正義を貫こうとした主人公を通して、その意義や厳しさを改めて感じさせられる。
否:描写はかなり地味で、主人公を取り巻く人間模様を中心に話が淡々と進むため、思わず眠くなってしまいそう。
戦後の混乱期において、心ない市民からは目の敵にされ、身内からも失脚を虎視眈々と狙われる四面楚歌の状況下にあっても、臆することなく自らが信じる正義のために戦い続けた主人公の姿が、淡々としたストーリーの中で輝きを放っているようです。同時に、正しいと思う行いをすることがいかに難しいか、その厳しさも痛感させられるようで、思わず考えさせられてしまう内容でもあります。
ただ展開そのものは、非常に静かな雰囲気で進んでいくので、思わず眠くなってしまうかも知れません(笑)。
何はともあれ、戦後のドイツの方向性を決めたといっても過言ではない、非常に興味深い人物にまつわる内容ですので、是非チェックしてみて下さい。
スッキリしない終わり方
終始しかめっ面の主人公。
スッキリできない終わり方ですが、私はそれがこの映画のエンディングに似つかわしいと思いました。
他の方がレビューで批判されている「嗜好」の問題が常に引っかかりながら物語が進んでいきます。
それを味わいと捉えるか、不必要な苦味と捉えるかは見る方それぞれの感性で違うと思います。
師弟愛に厚みを持たせるための演出なのかもしれませんが、私は必要ないかなと思いました。
まあ、それが事実なのだから仕方ないのかもしれませんが。
『アイヒマンショー』を見た上でこの映画を見ると、より面白みが増すと思います。
ユダヤ人虐殺の事実が、大戦後10数年もの間、世界中が知らずにいたという驚きを『アイヒマンショー』で知りました。
そのアイヒマンを捕らえるためにどのようなことがあったかという史実をこの『アイヒマンシを追え!』で知ることができます。
追跡
国家反逆罪のリスクを背負いながらアイヒマンを追い詰めた実話。
ホロコーストやアイヒマン裁判の話を題材にした映画は過去にもあったけれど、アイヒマンを如何にして見つけだしたかという作品は初めてみたし、この事実を初めて知った。
嗜好の話はどこまで事実かはわからないけれど、バウアー達がこの件でそれ程追い詰められた感じがなく中途半端で、無くても良かったかな。
微妙
微妙。
何が微妙かと言うと、伏線として同時進行していた刑法175条に関する話。
映画の中間あたり(モサドの名前が上がる辺り)は面白いと思っていた。
カールがコケットと言う店で会った女。
結婚をしていて近く父親になるというのにそれはまずいだろとかくだらないことを考えていると、最初に迫られた時はきっぱり断る。
そのことをバウアーに打ち明けるとこの一言…
「その男とはもう会うな」
やっぱりそうなのか…と。
ここで自分は物語の華僑がそこにあるような気がしてならず、アイヒマンは何処へやらであまり集中出来なかった。
自慰ってドイツ語でもオナニーて言うのなw
しかし、本題の方はなかなか面白かったと。
いかにしてアイヒマンを追い詰めたか、普段積極的にドンパチする映画ばかり見ている自分でもこれは良作だと思った。
バウアーの思惑を良しとしない人間も巧妙に邪魔をしようと策を労するところを見ているとなんだかんだでナチの息がかかってるんだなと…
『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』と『顔のないヒトラーたち』の3部作だね
「ユダヤ人問題の最終的解決」に関与したアドルフ・アイヒマンを追う、西ドイツ・ヘッセン州の検事総長フリッツ・バウアーを描いた作品。
アイヒマンを巡る作品としては、アイヒマン確保後の裁判を描いた『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』がありますが、それはこの作品後の世界を描いたものになりますね。『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』では、ナチスの残党が暗躍する中、どの様に安全に、そして、確実にアイヒマンを裁くのかと言う事が問題になっていましたが、その前段階の捜査の時点でも、ナチス残党の妨害に苦しんていたんですね。
ナチス残党の妨害と言えば、同じ頃のドイツを描いた『顔のないヒトラーたち』がありますが、こちらでもフリッツ・バウアーの姿を見ることが出来ます。こちらの作品でのバウアーは、メインの登場人物ではなく、ドイツの暗い過去と向き合う若手検事たちを鼓舞するカリスマとして描かれていますが、話はつながりますね。
これら作品を見て、同じ第2次世界大戦の暗い過去を持つ日本とドイツの、いまの時代に置ける近隣諸国との関係性の違いに思いを馳せてみました。戦後、ドイツは、ナチス残党の妨害に遭いながらも自らの手で過去の精算を図った事がよくわかりましたが、果たして日本はどうでしょうか?日本が自らの手で過去の精算を図ったとは、聞きません。極東国際軍事裁判はありましたが、あれは、連合国の手によるものですからね。このあたりに、いまだに過去を蒸し返される一因があるのかも。もっとも、国内事情から目を背けさせるために、近隣諸国が日本を利用しているという側面の方が強いのかもしれませんが。それでも、ドイツの精算と日本の精算の違いを学んでおいても悪いことはないと思います。
さて、不思議なのは、バウアーの公序良俗に関する品行が反対勢力に把握されていたにも関わらず、文春砲よろしく使われなかったのは何故なんですかね?使おうとしていたのに時期を逸したのか、あるいは、使えないほどにバウアー人気があったのか?ちょっと気になるところではありました。
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