アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男のレビュー・感想・評価
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人間味ある生活から 漏れる「秘密」
戦後のドイツの雰囲気が(再ナチ化!)よく判る
敗戦国(ドイツ、イタリア、日本)の 混乱の仕方が 各々違うのが、興味深い
復興優先になるのは 致し方ないが…
日本は、戦犯が区分けされ 処罰されたと思うのだが、ドイツでは ナチ残党が 各部門にあんなに 蔓延っていたなんて…
(そういえば「愛の嵐」も そんな映画だった)
国家を持たない、ユダヤ人が生き残りの為 知恵を絞ることが、また 世界で嫌われるという悪循環…
とはいえ、やり過ぎドイツは許されるものではない
ユダヤ人検事長が アイヒマン発見に尽力し、アウシュビッツ裁判を行い、ドイツという国を 白日のもとに晒したことは、将来のドイツの為にも重要であった
健康には留意しない人物であったが、頭と心の中は きちんと整理された知的な人物、であったことが 判る(モサドが 非協力的だったことは、意外!)
ドイツにも ゲイが居るんだな、と (当たり前のことを)思う… 悪法の被害者になり、気の毒である
娘が、アイヒマンの息子と付き合ってしまったら…
密告してしまう 亡命ユダヤ人の父は、仰天ものだったろう!
人間が 人間味ある生活を求める限り、秘密は漏れてしまうのだ
反対に 戦後のどさくさに紛れ、曖昧に済ませてきた日常や報道、政治、官僚機構の中に 魑魅魍魎が潜んで居たことに、やっと気が付き始めた日本だなぁ… とも思う
ほんとに、我々は 何を見てきたのだろうか
(やっぱり、12歳だったか ← これも ガセらしい…
別解釈だった… 腹立つ!)
バウアー検事官の実話
アイヒマンは、ほとんど出てこない。
フリッツ・バウアー検事官の実話に基づくヒューマン映画。
内容地味なんだけど、実話だと思えば真剣に観れる。
同性愛に対して実刑とか、知らなかった事実も知れて勉強になる。
楽しみながら観るというよりは、1960年頃のドイツ情勢やバウアー検事官について知る事のできる勉強になる映画かな。
フリッツバウアー検事長のお話
1950年代のドイツのお話。当時は車のサイズが小さいのね。
アイヒマンが主役ではなく、彼の事を描くパートも少ない。海外向けというより自国向け映画っぽい。
当時は公職者の中に元ナチスやシンパが多く存在していたという事が意外。
当時、モサドの組織力は然程大きくなくナチス狩りより対アラブ作戦に注力していたというのも意外。
ドイツでは同性愛は犯罪というのも意外。
主役の検事長は年寄りのユダヤ人で偏屈でゲイという何とも具合の悪いキャラ。
しかも右腕となるガタイのいい男性まで男色に走るとは。
最後がアッサリというか、アイヒマンは無理だったがアウシュビッツ裁判は遂行できたという偉業がテロップ1行で片付けられるのは如何なものか…気になったら自分で調べろということか。いや、当然知っていなければならない出来事ということか。
バウアーがアイヒマン逮捕に関与していた事が死後10年も秘匿されていた事が一番凄い事なのかも。
歴史認識と人間心理。
こういった作品を見ると日本はどうなんだろうとやはり思う。
戦時中のこととはいえ責任問題の認識相違は止みそうにない。
今作も風化されそうな戦犯の告発に執念を燃やす検事はじめ、
多くの協力者がいての逮捕劇になる。要職に就いた元ナチに
妨害され圧力をかけられ自国での裁判が叶わなかったことを
当時のドイツ人はどう思っていたんだろうか。国が罪を認め
向き合う勇気と、前へ進む力なくして正しい歴史認識なんて
子供達が学べるのかと思う。恥部暗部はどうしても隠したい、
葬り去りたい人間心理と暴いて謝罪させようとする今の問題
風刺を一度に見た思い。だけど犯罪は失態では済まされない。
静かな良作
フリッツ・バウアーなる人を初めて知った。
彼が私生活を犠牲にしてまで追わなければ、アイヒマンは野放しにされていたという恐ろしい事実。
偽名を使って平凡な毎日を送る大量虐殺指示者。
ホロコースト関連の作品をここのところ立て続けに観ているが…基本的にどの作品も、淡々と史実を大切に描いた作品ばかり。それ以外にないのだと思う。
作中出てくるインタビューの答え、罪悪感もなしに一体アイヒマンという男は何者なのか…
そしてこの作品で知ったフリッツ・バウアーという人物、益々この過去の過ちを掘り下げてみたくなった。
ただ、深淵を覗くときには、深淵に覗かれないようにしなければと思うが。
評価が分かれてしまうのは仕方ないが、私は静かな良作だと感じた。
脅威は 内なる敵!! は、いつの時代にもどの国にもあるものだろうと...
脅威は 内なる敵!!
は、いつの時代にもどの国にもあるものだろうと想像してたけど、
戦後 西ドイツが その極みとは知らなんだ
バウアーのターゲットは、
エスタブリッシュメントの中に入り込んだナチス残党群なのね
アイヒマンは入口にすぎず
アイヒマンを追え?
モサドによるアイヒマン拘束、裏で孤軍奮闘したユダヤ系ドイツ人検事のお話。
過度に盛った最近の邦題の付け方にどうのこうの言うことはあまりなかったけど、今作は「フリッツ・バウアー」より「アイヒマン」と付けなければ集客力に乏しそうだったのかな。
実際アイヒマンという人物のことを深堀することも無く、
バウアー博士の邪魔をする周りの人物達もそれほど邪魔してこない…。
ゲイの話で締めくくり…。
バウアー博士の信念が復讐心からだったのか、正義心からだったのか、結局よくわからなかった。
アイヒマンよりも
アイヒマンの逮捕劇を通じて、当時のドイツに潜む闇を描いていた作品だったと思います。終始淡々と静かに、少し重くて薄暗い空気感。いいんです、この作品は個人の弱さや滑稽さ、そこに重きを置いたのだと思いますから。
情念よりもその現実に打ちのめされそうに
現在、象徴である鉤十字や、制服については厳しい規制があるのに、この映画の舞台となった戦後に、SSだった残党がメルセデスや情報機関に重要な職を得ていたのは良いのかと思わず目を疑った。タブーとされる同性愛嗜好なんかより悪では無いのかと…。
イスラエルで作られた「ヒトラー最後の代理人」方が複雑な人間の感情が表れていて好み。
クラウスナーの演技に魅了
クラウスナーの映画は何作か拝見させてもらった。今回のフリッツ・バウアーは、鬼気迫る演技であったと思われる。実際、バウアーがどんな人物であったかは判らない。しかし、クラウスナーがバウアーを演じることでどんな人物であるか何となく彼の芝居(仕草)でおおよそ察しがつく…かな。とにかく、葉巻と煙草の煙でむせかえるような作品であった。題名のとおり「アイヒマン」の逃亡先を追い続ける作品であるが、バウアーの周りには敵か味方か判らない人物近づいてくる。かなりストレスを抱えているバウアー自身が手にした情報を、自分で漏らしているようで少し残念な人物である。アンガーマンの靴下を自分で履いちゃう所がお茶目。誰が敵か味方がわからない所が、ハラハラさせられた。アイヒマンを追いながらもあまりにも虚しい幕引き。
日本との違い
ヒトラーのナチスと日本の大東亜共営圏はやはり違うのか。一人種の抹殺と侵略征服の欲望の種類の相違か。。。。ヒトラー関連の映画は何本目か見るたびに本当を知らされてこなかった我が身を憂い悲しくなる。逆にドイツの素晴しさ。そう感ずる還暦越えた親父である。
歴史が動いた瞬間。淡々とした中に秘められた、確固たる信念。
【賛否両論チェック】
賛:四面楚歌で困難な状況にあっても、自分が信じる正義を貫こうとした主人公を通して、その意義や厳しさを改めて感じさせられる。
否:描写はかなり地味で、主人公を取り巻く人間模様を中心に話が淡々と進むため、思わず眠くなってしまいそう。
戦後の混乱期において、心ない市民からは目の敵にされ、身内からも失脚を虎視眈々と狙われる四面楚歌の状況下にあっても、臆することなく自らが信じる正義のために戦い続けた主人公の姿が、淡々としたストーリーの中で輝きを放っているようです。同時に、正しいと思う行いをすることがいかに難しいか、その厳しさも痛感させられるようで、思わず考えさせられてしまう内容でもあります。
ただ展開そのものは、非常に静かな雰囲気で進んでいくので、思わず眠くなってしまうかも知れません(笑)。
何はともあれ、戦後のドイツの方向性を決めたといっても過言ではない、非常に興味深い人物にまつわる内容ですので、是非チェックしてみて下さい。
スッキリしない終わり方
終始しかめっ面の主人公。
スッキリできない終わり方ですが、私はそれがこの映画のエンディングに似つかわしいと思いました。
他の方がレビューで批判されている「嗜好」の問題が常に引っかかりながら物語が進んでいきます。
それを味わいと捉えるか、不必要な苦味と捉えるかは見る方それぞれの感性で違うと思います。
師弟愛に厚みを持たせるための演出なのかもしれませんが、私は必要ないかなと思いました。
まあ、それが事実なのだから仕方ないのかもしれませんが。
『アイヒマンショー』を見た上でこの映画を見ると、より面白みが増すと思います。
ユダヤ人虐殺の事実が、大戦後10数年もの間、世界中が知らずにいたという驚きを『アイヒマンショー』で知りました。
そのアイヒマンを捕らえるためにどのようなことがあったかという史実をこの『アイヒマンシを追え!』で知ることができます。
「執念」の映画
大勢のユダヤ人をガス室に送り込んだアイヒマン、彼はナチス崩壊後にアルゼンチンに潜伏しており、逮捕するには難しい状況だったが、国家反逆罪に問われるリスクも犯しながら一人のユダヤ人検事があの手この手で網を張り、裁判にまで漕ぎ着けるー
なんといっても彼の演技が良い。ナチスの大罪を憎み、責任を追及することに、文字通り人生を掛けた検事の執念がリアルに伝わる。まるで目の前で当時の捜査を追っているようだった。
この映画の中でもう1つ印象に残った点が、彼と彼を慕う部下が同性愛者であったことが物語で大きく取り上げられていること。部下が弱味を握られる場面、二人が心を通わせる場面など、同性愛なくしてこの物語は構成し得ないのだと思うが、ユダヤ人削減という、いま考えるとあり得ない考え方と、いまも尚偏りのある同性愛への理解という2つが重なりあっているように感じられた。
追跡
国家反逆罪のリスクを背負いながらアイヒマンを追い詰めた実話。
ホロコーストやアイヒマン裁判の話を題材にした映画は過去にもあったけれど、アイヒマンを如何にして見つけだしたかという作品は初めてみたし、この事実を初めて知った。
嗜好の話はどこまで事実かはわからないけれど、バウアー達がこの件でそれ程追い詰められた感じがなく中途半端で、無くても良かったかな。
微妙
微妙。
何が微妙かと言うと、伏線として同時進行していた刑法175条に関する話。
映画の中間あたり(モサドの名前が上がる辺り)は面白いと思っていた。
カールがコケットと言う店で会った女。
結婚をしていて近く父親になるというのにそれはまずいだろとかくだらないことを考えていると、最初に迫られた時はきっぱり断る。
そのことをバウアーに打ち明けるとこの一言…
「その男とはもう会うな」
やっぱりそうなのか…と。
ここで自分は物語の華僑がそこにあるような気がしてならず、アイヒマンは何処へやらであまり集中出来なかった。
自慰ってドイツ語でもオナニーて言うのなw
しかし、本題の方はなかなか面白かったと。
いかにしてアイヒマンを追い詰めたか、普段積極的にドンパチする映画ばかり見ている自分でもこれは良作だと思った。
バウアーの思惑を良しとしない人間も巧妙に邪魔をしようと策を労するところを見ているとなんだかんだでナチの息がかかってるんだなと…
『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』と『顔のないヒトラーたち』の3部作だね
「ユダヤ人問題の最終的解決」に関与したアドルフ・アイヒマンを追う、西ドイツ・ヘッセン州の検事総長フリッツ・バウアーを描いた作品。
アイヒマンを巡る作品としては、アイヒマン確保後の裁判を描いた『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』がありますが、それはこの作品後の世界を描いたものになりますね。『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』では、ナチスの残党が暗躍する中、どの様に安全に、そして、確実にアイヒマンを裁くのかと言う事が問題になっていましたが、その前段階の捜査の時点でも、ナチス残党の妨害に苦しんていたんですね。
ナチス残党の妨害と言えば、同じ頃のドイツを描いた『顔のないヒトラーたち』がありますが、こちらでもフリッツ・バウアーの姿を見ることが出来ます。こちらの作品でのバウアーは、メインの登場人物ではなく、ドイツの暗い過去と向き合う若手検事たちを鼓舞するカリスマとして描かれていますが、話はつながりますね。
これら作品を見て、同じ第2次世界大戦の暗い過去を持つ日本とドイツの、いまの時代に置ける近隣諸国との関係性の違いに思いを馳せてみました。戦後、ドイツは、ナチス残党の妨害に遭いながらも自らの手で過去の精算を図った事がよくわかりましたが、果たして日本はどうでしょうか?日本が自らの手で過去の精算を図ったとは、聞きません。極東国際軍事裁判はありましたが、あれは、連合国の手によるものですからね。このあたりに、いまだに過去を蒸し返される一因があるのかも。もっとも、国内事情から目を背けさせるために、近隣諸国が日本を利用しているという側面の方が強いのかもしれませんが。それでも、ドイツの精算と日本の精算の違いを学んでおいても悪いことはないと思います。
さて、不思議なのは、バウアーの公序良俗に関する品行が反対勢力に把握されていたにも関わらず、文春砲よろしく使われなかったのは何故なんですかね?使おうとしていたのに時期を逸したのか、あるいは、使えないほどにバウアー人気があったのか?ちょっと気になるところではありました。
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