「十分見ごたえのあるエンタメ作品」BLEACH R41さんの映画レビュー(感想・評価)
十分見ごたえのあるエンタメ作品
誰もが漫画の実写化だと思う作品。
ある意味そのまんま
異世界もの
異世界に迷い込む話ではなく、異世界の一部がこの世界と重なっていることで、この世界に異世界の一部が迷い込んだ物語。
タイトルの「漂白」とは、記憶をなくすということか?
成長しても記憶がなかったら成長したと言えるのだろうか?
教科書に書かれた「さわいだら殺す」を、イチゴはどう解釈したのだろう?
このあたりのシーンには、もしかしたら輪廻転生を表現しているのかもしれない。
俗にいう「魂レベル」というヤツだろうか。
「守るつもりが、また守られた」
「ボクが母さんを守るよ」
イチゴ少年の取って付けたようなセリフはあくまで子供心だろうが、魂レベルでは真剣なのかもしれない。
イチゴ 一護 つまり「ひとつまもる」
彼は妹たちを守り、ホロウやグランドフィッシャーなる輩から世界を守ったと言えるだろう。
しかし彼の中では思ったことができなかった釈然としない感覚は残ってしまったと思われる。
しかし死力を尽くし、やれることはやった。
事実、死神一家もそれを認めたようなものだ。
記憶をなくしても魂レベルでは成長を遂げた主人公
翌日の学校でクラスメートたちがイチゴの風貌を見てそれを感じ取る。
さて、
死神という役割 掟
人間という見下された生物
悪霊という取り締まりの対象
ルキアは最終的にソウルソサエティなる場所で罪滅ぼしをさせられているようだが、人間も死んだあとそこへ行くのであれば、みな等しいのではないのかという疑問が出てくる。
そもそもなぜみなソウルソサエティに行かなければならないのだろう?
死神が死刑になるとはどういうことだろう?
ルキアは当たり前に「記憶」という言葉を遣っているが、そこに隠された心情が杉咲花さんの演技から溢れ出している。
この作品でいうまぎれもない人間的感情
それを「失う」ということがどういうことなのか、彼女の演技からそれは、とても大切なものを消し去ってしまう「悲しさ」を読み取ることができる。
同時に記憶とは自分自身そのものなのではないかと感じる。
記憶をなかったことにすることは、病気や何らかの刺激であり得ることだが、一番罪深いことのようにも思えてくる。
だからこそ記憶に関する物語は、人の興味を惹きつけるのだろう。
漂白とは記憶のことかと思ったが、何もかもまっさらな状態に戻すことかもしれない。
イレギュラーの発生によって起きた一連の事実を、ある種の概念上ふさわしくないからという理由でなかったことにしてしまう行為こそ、最大の悪と考えることができると思う。
これこそが従来からずっと行われている人間社会の通念であり、いい加減やめてしまうべきことだろう。
収まりどころに使われがちなこの設定
ここだけが残念な点だった。
そもそも原作通りに作っていることは重々承知しているが、新しい概念を映画で描くことで人々に考える機会を提供することが、映画の使命だと思う。