「恋愛が肉欲ゲームに侵食された時代の中で」映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ Takehiroさんの映画レビュー(感想・評価)
恋愛が肉欲ゲームに侵食された時代の中で
『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』(2017)
恋愛という方法が肉体の快楽ゲームと化してしまった日本を代表する東京。肉欲ゲームの他には、
空に飛行船が飛んでいても誰も気づくこともなく、誰もがスマホを眺めている路上の光景。主人公の女性は昼は看護師として、それだけでも重労働だろうに、夜は仕送りをするためにガールズバーでいやいやながら働いていた。主人公の男性のほうは、日雇いの工事現場などで重労働をしている。仲間の年輩の一人がガールズバーに行きたいと言い出して、仲間と行ったときに、仲間の一人と女性はデートに応じるまでになったが、仲間は若くして脳梗塞で死んでしまう。路上や仲間の葬儀などで主人公の男女は偶然に何度か会い、お互いが不器用だということで、いつしか、女性が男性を仕送り先の田舎まで連れていき、老いた父と女子高生の妹に紹介し、パートナーになっていくが、その経過で周囲の人達の衰えや死が挟み込まれてくる。肉欲ゲームの時代に客へのサービスとしてなのか、それが慣例化してしまったのか、ベッドシーンなど濃厚なラブシーンを入れたがる現代映画だが、この映画は、ラブホテルの中のシーンはあったりしても性交を垣間見せるシーンはない。そういう面からも、この複雑化してしまった浅はかな時代の中で、それとは違う純粋な男女関係や人間関係を模索しようという意図だろうか、だが、逆に主人公は思考の過程がくどくて難しかったりする。肉欲ゲームと化した危険性を、同時代の中で感ずるのが難しいほどになってしまっているということだろうか。貞操教育がなされていないのだから当然のごとくか。監督脚本は『舟を編む』の石井裕也で、この映画も不器用な風変りと現在では言われるような男性が主人公だったが。石井自身も女優と離婚し、別の女優と再婚したりしているが。女性主人公の石橋静河は、石橋凌と原田美枝子の娘だった。劇中に、恋愛は元カレと元カノだった人が交換して出会うことかなどと皮肉に聞こえるようなのがあったが、女性主人公を捨てて、よりを戻したいという男性役が三浦貴大だった。三浦はテレビドラマの『高嶺の花』でも同じような役柄だった。肉欲ゲームに成り下がらない男女の結びつきについてどう感じるのか。それを思い出させようとする作品かも知れない。だが、すでにこうした汚れた時代の中で意味をくみ取るのが不可能になってしまったような男女がかなりいるに違いない。そういう人たちはどういう感想を抱くのだろうか。