ブレードランナー 2049のレビュー・感想・評価
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オマージュかな?
ブレードランナー俺も大好きですよ
見ればその都度いろいろ考えさせてくれるし、何よりあの世界観が大好きです
自分がこの作品好きな様に監督さんも多分大好きなんでしょう
世界観もよく書けてましたし、レプリカントに対する様々な考察もよく表れてました
何より映像が素晴らしく良い!
大好きですよ。流石だなぁと思いました
…ただそれでお終い
何も残らない
多分暫くしたら
ああ見に行ったよ結構良かったよ
位かな
まぁ映画は娯楽だからそれ位で良いのかもしれませんが
ネタバレになるんで深くは話せませんが
中盤からレプリカントはどうやって子供作ったの?生殖機能をオプションで付けたのかな?
の疑問が頭巡ってそのあとがなかなか入ってこなかった所が残念でなりません
結局この自分の疑問は本編では解決されませんでした
アンドロイドは人の生を感じて…
『ブレードランナー』の続編の企画が本格始動して、数年。
先日の前作レビューで書いた通り、慣れ親しんでいた作品ではないとは言え、非常に気になっていた。
前作は唯一無二の名作。あの世界のその後をどう描くのか。
これほどハードルとプレッシャーのしかかった続編もなかなか無い。
待望の公開、鑑賞。
その率直な感想は…
これはこれで、なかなかの続編だったと思う。
前作の珍台詞を借りて言うなら、「2も充分ですよ!」。
しか~し!賛否両論、評価が難しいというのも分かる。
これまた一筋縄ではいかない。
自分が本作に対しどれほどのレビューを書けるか一抹の心配と挑戦と楽しみを感じつつ、一応のレビューを。
まず、前作とは似て非なる続編。
渋いハードボイルドタッチの前作とは違い、サスペンスorミステリーの重厚なドラマ。
監督に才人ドゥニ・ヴィルヌーヴを抜擢出来たのは喜ばしいが、良くも悪くもこの監督の特色が出た。
展開は非常にスローテンポ、前作との繋がりも少しずつ少しずつ見えてくる感じ。
同じSFの前作『メッセージ』より、謎や不可解な作風はむしろあの難解作『複製された男』に近い。
言うまでもなくエンタメ性は望めず、ド派手なシーンもそれほど無いが、所々静かな中に迫力はあり。
尚、話の流れにはついていけるとは思うが、世界観や設定を知っておく為に、前作の予習は絶対条件!
『ブレードランナー』の代名詞、ビジュアル面。
さすがに前作ほどの衝撃さは無いが、時代が進んだ“その後”を構築。
日本人としてはどうしても気になる日本描写も、前作の“2つで充分の屋台のオヤジ”や“わかもと芸者”のような強烈でシュールなインパクトは無いが、ちょいちょい日本語の看板、文字、音声は散りばめられ、一安心。
映像美は秀逸。冒頭の白い霧の中に佇む主人公、屋内外の暗と陰、荒廃したオレンジ色の荒野…。
『ダンケルク』のホイテ・ヴァン・ホイテマが最大のライバルになるだろうが、この無冠の名カメラマン、ロジャー・ディーキンスに今度こそオスカーを!!
寡黙な主人公Kに扮したライアン・ゴズリングは『ドライヴ』を彷彿させる。
そして、待ってましたのデッカード。『スター・ウォーズ フォースの覚醒』のハン・ソロの如く、ハリソン・フォードが登場すると場が締まる。単なる前作の主人公を登場させましょには留まらない、重みのある演技と存在感。
新キャストでは、全く正反対の女性キャラが白眉。
アナ・デ・アルマスはホログラムにしておくのが勿体無い!(Kがホログラムの彼女とラブラブしたいオタクくんだが、それも頷けるキュートさ)
シルヴィア・ホークスはドSの女王様。
また、まさかの“彼女”の登場はサプライズ!
『ブレードランナー』の最大のテーマである“レプリカントとは? 人とは?”。
これはより深遠が増した印象を受けた。
時代が進みテクノロジーが進み、さらに高性能・従順なレプリカントが製造。
主人公がそうであるように、ブレードランナーのレプリカントも。
“人もどき”と差別・偏見の対象になる様は、まさに今の世ならでは。
レプリカントがレプリカントを追う不条理さ。
それを命じる人間の傲慢。
レプリカントを“生”造し、その先の“生”を産み出そうとするは、神の如き御業か、冒涜か。
人間らしさを感じ得たいレプリカント。
感触、感覚、感情、記憶…それらは虚無か実像か、人間らしさか。
さ迷える電気羊たちの自分探しの彷徨。
ラストのKの行動、デッカードが探し求めたもの、最もな人間らしさ。
日米共に成績はちと鈍い。が、『スター・ウォーズ』や『アベンジャーズ』のように大ヒットするタイプの作品ではないし、これは想定内。
賛否両論は、これが『ブレードランナー』ではなかろうか。
一回見ただけじゃ把握は無理。何度か見直し、頭悩ませ、考え回らせ…。
また30年後、どんな評価になっているか。
さすがの重量級で多少長さを感じたものの、つまらなくはなかったし見応えはあったので、採点は一応の。
常に我々を、時代を、先を行く。
それが『ブレードランナー』であるが所以。
よくなかった
レプリカントが老化したり妊娠する機能を備えていたとは、後付けとは言え労働力として製造されていたことを考えると受け入れがたい。前作のレプリカントは4年の寿命があるからこそ、それに争うために命の炎をバチバチと火花を立てて燃やしていたと思う。デッカードがレプリカントであったとしても自分は人間であると認識しているからこそモチベーションを維持していたと思うのだが、今作のKはレプリカントとして生活して働いて食ってバッチャールな嫁を愛していた。果たして成立するだろうか。虚しくならないだろうか。人間性を無視しているように感じる。
何よりムカついたのは、デッカードが仕組まれてレイチェルを好きになると言っていたことだ。それは事実かどうかは不明だが、事実だとしたら意図が不明だ。そんな遠回りして成立するかどうか分からない恋愛を仕込む必要があるか? 事実でないとしたら、なんのためにそんな発言をしたのか不明。動揺させたかったのか? だとしたらそれも何のためか意味が分からない。デッカードとレイチェルの出会いは、デッカードは自分が冴えないどん詰まり人生を送る人間として美女に魅了され、レイチェルは自分が人間かどうか不安に苛まれる存在としてデッカードに魅了された、そんなお互いの不安や不満を埋めあわせるかのように惹かれ合った美しいものを、非常に安易に冒涜していると思って腹がたった。
後付けでなんでもいじっていいかと思ったら大間違いだと強く言いたい。ひどいと思う。見ている者を煙に巻けばいいと思っているような二転三転するストーリーも別に大して腑に落ちなくてイライラする。
ポリススピナーの危ういゆっくり移動する感じがなく、ビュンビュン自由自在に飛んでミサイルまで撃つ高機能戦闘機になっていたのも、違うと感じた。ドローンを搭載しているのも時流におもねり過ぎている感じがする。
バーチャルな嫁はすごくよかった。あんな嫁欲しい。
1回見に行って1時間くらいで寝てしまったため出て、2回目はしっかりコンディションを整えて見に行ったにも関わらずけっこうウトウトした。眠くさせて出来の悪さを誤魔化そうとしてるのではないか。
前作が好きなら楽しめる
メッセージが面白いと感じたら、この作品も面白いのかもしれません。
盛り上がりとかないです。淡々と進行します。
私は、睡魔との戦いでした。
映像は綺麗です。
しかし、これ要るか?と感じるシーンが多かったです。
一番残念なのは、ラストです。
デッカードとガラスケースの女性の関係が、途中で予想できたので、ただ何やってんだ。ああやっぱり。という感じでになってしまいました。
あと、レイチェルのシーン。あれだけのために、出す必要があったのか?
デッカードの扱いも雑です。海で溺れそうになるシーン。何やってんだという感じでした。
俳優が良くて、映像が良くても脚本がつまらないと、こうなるんだなという感じでした。
可哀想なハリソン
メッセージ同様、ビルヌーブの映像の作り方は変わらず美しく、多くの未来像が提示されている。2019の様式を引き継ぎながらも、独自の未来世界を構築している。2019の30年後と現世界の32年後を混ぜ合わせることが求められるが、そこはよく納められているように思う。
ストーリーは2019よりも丁寧で長い。行間を読む手間は省けるが、奥行きはない。2019から2049に至る3つのストーリーを先出ししたのは過剰サービスかも知れない。
印象的だったのは、Kの記憶が事実であるか確認するシーン。呼び起こしている記憶映像を使わず、2人の演技だけで見せたのは良かった。ストーリー上でも要のシーン。
メッセージの時にも気になったのは、その映像美に対して、テーマ性が強く伝わってこない点。2019はレプリカントを通して差別意識といった問題点を省みながら、死生観という普遍的なテーマを強烈に意識させた。レプリカントが意識を持ち始めて生存を希求するのは今回も変わらず、従順に設計してもやはり同じでしたという結果は、この手の研究開発の限界を暗示しているのだろうか。酷い目にあったにも関わらず、性懲りもなくレプリカントに依存しようとする人間の愚かさを述べているのだろうか?
今回は、レプリカントが明確に主体になっており、レプリカントの創世記のようで、人間の葛藤は見えてこない。レプリカントが真に希求するものは何だったのか。種の保存と利他性に生き方を見出すものも、種としての進化を極める者もいたが、Kの動機はよく見えてこない。誰のためだろうか?義心なのかな。分かりにくい。対比的であるべきジョイやラブのキャラクターの持つ思想が少し薄いので余計に不鮮明であった。
何よりも終盤に、オマージュが過ぎたのか、なす術がないハリソン・フォードの姿を再度見せられると、「そこをもう一回やるか?」と不謹慎だが、笑いを堪えるのに苦しかった。お約束の罰ゲームじゃあるまいに、肝心のラストシーンまで引きずってしまった。
Kの義務とは
80年代作風の脚本が優れていた映画の時代に戻れた。
前作同様ハッピーエンドではない今作。
まずこれが個人的に条件だった。
主人公は物語の激流と自分の植え付けられた記憶に翻弄されるK。
自分は何者かと悩む姿は切なく、ジョイというホログラムの恋人を愛し、AIであるがゆえに実体のない恋人を抱く姿は哀しく、美しい。
愚直に突き進む姿は、力強く、脆い。
ライアン ゴズリング、アナ デ アルマス2人とも影のある雰囲気、憂いを感じる表情をまとい、それでも美しかった。
ドゥニ ヴィルヌーヴ、リドリー スコット、2人のアート系の映像作家は期待を裏切らなかった。地続きで映像を進化させ、混沌とした街は変わらず、非常なマイナーな、細かい部分の進化という、この世界のリアリティがある。
悪玉を倒して、平和になるなんてご都合の良い展開ではなく、ただ時間を追う毎に傷ついていく。あまりに理不尽。
前作、今作とも、敵を倒して笑顔なんてものはなし。撃った後の顔は悲しみそのもの。
自分の義務は果たしたと倒れるKは最期に何を思ったのか。
前作ブレードランナーは1番ではないのだが、1番見ている作品かもしれない。何気にディスクを手にし、何度も世界に浸っている。
今作もそうなるかもしれない。
もう一度見に行くことにしよう。
レプリカントとは、、
前作は2019年のLos Angeles。そのLos Angelesの地を来年には初めて踏む予定。
冒頭の画像を最初に見たのは、映画館では無くLD時代のパッケージ・メディア。
LC>DVD>BDそして4K UHDも買ってしまった。
UHDの方が、タイレル社の建物がはっきり見えた。
だけど、疑問が残った。
ネクサス6型のアンドロイドは血液が黒。
今回の2049は主人公のKの傷口から出る血液が人間と同じ赤。
ここまで、レプリカントは改良されたのか? と。
恐らくデッカートは、前作で傷口から赤い血液を出していた事から、レプリカントではなく人間だと思ってしまう。
あとレイチェル、、良くもあそこまで35年前の顔へ精巧にCG加工が出来るんだな、と。実際にはショーン・ヤングが頭部のみ演技しておりデジタル加工したそうだが。
でも、映画上死亡している設定になっているが、35年後の顔の方が説得力があったはず。前作でレイチェルは特別なレプリカントとなっていたから。
ハリソン・フォード氏は『アディラン100年目の恋(この映画も中半部から登場する。)』の出演時より老化している様に感じた。
流石に老体にむち打って頑張っているとは思うけど。。
ロマン メラン
一部にマニアがいる程のカルトムービーの続編。自分もマニア程ではないが、あの世界観に嵌った口である。強烈なディストピア感、親切心など微塵も感じられないストーリーの難解さ、哲学、宗教、諦観が散りばめられているプロット・・・ 決して未来は明るくなく、難しい難問を抱えながらそれでも未だ地球は破滅していない或る意味救いようのない世界を生きざるを得ない厭世観を漂わせているのだろうと想像に難くない。
で、今回の続編だが、監督はドュニ・ビリヌーヴ、主演はライアン・ゴズリングという、今引っ張りだこの両人がどうあの世界観を引き継ぐのか、それとも全く新しい世界へ誘うのか、そこそこファンの自分としては期待不安半々で鑑賞してみた。
今回も音楽はヴァンゲリスなのかは確認していないが、あの壮麗で重厚なシンセ音は健在であった。それに引っ張られるようにストーリーは進むのだが、何となく感じる概視感・・・オチも含めて、どこかで観たことがあるような展開がハリウッド仕立ての高額な撮影で着飾れてはいるが、そこまで感動出来ずにいた自分が残念ながらいる。結論から言うと、自分でも今作品の評価はわからないというしかない。駄作ではないのだろうが、色々フィルターが掛かってしまっている為、素直に気持ちを持って行けないのが現状だ。
ライアン・ゴズリングのスケールの小ささが原因なのか、ストーリーのプロットがもっと大袈裟に演出出来なかったことが原因か(確かに人間が作った人造人間が自ら種を拡げるという方向は斬新なので膨らまし方?)、映像が大変綺麗になったせいか、雑多な世界観が却って表現不足になってしまっているのではないだろうかとか、素晴らしいところと期待はずれだったところの差がメーターを振り切る位の離れ様で、益々総することができずチグハグな気持ちがずっと続いてしまっている。確かに、原作のいうところの『電気羊』達は、新しい夢の欠片を観た奇跡に遭遇するのだが、それよりも自分の経験だと思っていた夢が、持ち上げられるだけ持ち上げられて勝手に落とされるガッカリ感に囚われる気持ちの方が共感しやすいのは、そこまで自分が高邁じゃないからだろう。
きちんと前作の踏襲というか、ギミックの断片を引き継いでいる(一角獣から木で作ったおもちゃ、ピアノ、前作でデッカードに依頼する男が折る折り紙、そしてレイチェルのコピー等々)ので、マニアック的にも楽しめるのは認めるのだが、では作品単体で観た場合、心に響く何かを訴えかけたのかといえば、答えが導けない。それに前回程難解ではなく、きちんと伏線回収はされているのは嬉しくもあり、しかし物足りなさも感じてしまうのは、皮肉か?w
これは勝手な予想だが、そこはかと感じる、次回作への伏線の匂いを嗅いでしまったのだが、どうなのだろうか?この手の作品はあまり続かない方が伝説化していいのだけどね。
ディストピアアレルギー
SF映画の金字塔、待望の続編
ということで、35年ぶりの映画館には明らかに父親世代の観客ばかりで若者はほとんど見かけなかった
かくいう自分も前作公開時は生まれてもおらず、映画を見たのは小学生ぐらいだっただろうか
ほとんど記憶もない
そんな状態で鑑賞
冒頭のテロップでなんとなくストーリーは追えるようになったが、しっかり復習していればもっと楽しめたのだろうか
終始湿っぽい重く陰鬱な映像に抵抗を感じ
音楽らしい音楽もなく重苦しい不協和音ともとれるSE音に不快感を感じてしまった
そのあたり、「メッセージ」の監督らしさ故なんだろうか…
続編が描く都市部のイメージも前作から引き続いてのディストピア
退廃的なイメージの中に散見される日本らしさを観るとやはり違和感
この映画がなければ(さらには電気羊の原作が無ければ)、描かれる未来はどう変わっていたのか、そんなことを感じた
ストーリーはと言えば、何度も振り回されて予想を裏切るもので後味はいいやら悪いやら…
レプリカントものを見る度に複雑な感情を抱かせるが、この末路も退廃的な未来イメージ同様、定番になってしまっているということか?
結論、この手の映画は自分にフィットしないようだ。
レプリカントに電気羊の夢を見る権利はない
本作を観る前に復習として前作『ブレードランナー』を観た。そして本作でレイチェルの遺骨が見つかった時点でそれ以降の展開はほぼ読めた。
フィリップ・K・ディックの原作小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』と映画『ブレードランナー』は全く方向性の違う作品である。
原作、映画ともにそれぞれの良さがあるが、本作は間違いなく映画『ブレードランナー』の続編である。
原作のリック・デッカードには妻イーランがいて、最後にはアンドロイドを殺すバウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)の仕事にも飽き飽きしてしまうからだ。
本作はデッカードとレプリカントのレイチェルの間に子どもが生まれる設定になっている。
裏設定としてレイチェルは生殖機能のないネクサス6型とは違い、生殖機能があるのだとか。
しかし前作の時点でレイチェルが他のネクサス6型とどこが特別なのか明示されてはおらず、本作を展開するための後付けの設定のように思える。
またデッカードの夢の中にユニコーンが登場したり、2人が旅立つシーンでデッカードが折り紙のユニコーンを見つけたりするシーンから、デッカードもレプリカントである含みを持たせているらしいが、リドリー・スコット自身の考えも二転三転して定まっていない。
レイチェルに生殖機能があるなら、デッカードは人間になるのではないか?
むしろデッカードがレプリカントなら彼も生殖機能がある何か特別なレプリカントにしなくてはいけなくなってしまう。
前作で人間とレプリンカントの奇跡の愛を描き、その象徴としてユニコーンを登場させているのだから、その奇跡の結晶が子どもということで前作からの辻褄が合う。
ライアン・ゴズリング演じるKが植え付けられた偽の記憶から木馬を発見するが、この馬は前作の奇跡の象徴であるユニコーンを連想させる。
ただ角が折れた存在が馬と捉えるなら奇跡はもはや期待できない意味を込めているのだろうか?
なお本作と前作『ブレードランナー』の30年の空白を埋める3つの映像作品がYouTubeで観られる。
『カウボーイビバップ』で有名な渡辺信一郎が監督したアニメ作品『ブラックアウト2022』、本作でも登場したジャレッド・レト扮するウォレスが主役となる『2036 ネクサス・ドーン』、Kが冒頭で処分するレプリカント、サッパー・モートンが主役の『2048 ノーウェア・トゥ・ラン』である。後者2作品はともにルーク・スコットが監督している。
原作のデッカードの生きるLAは、核戦争後の絶えず放射性降下物が降り積もり動物が殆ど絶滅した死の世界であるが、今回『ブラックアウト2022』においてレプリカントが電磁パルステロで大停電を引き起こすのを描いたことで原作の世界に近付けている。
このテロによって食糧難が起き、レプリカントの製造も禁止されたことになっており、その食料難を遺伝子組み換え作物の大量生産に成功して世界を救ったウォレスが実績を背景にレプリカント製造を解禁させる。
その一端を伺えるのが『2036 ネクサス・ドーン』であり、『2048 ノーウェア・トゥ・ラン』はモートンがLA警察から処分対象になった理由を明かす前日潭である。
本作は原作や前作映画へのオマージュが見受けられる作品でもある。
前作でデッカードの相棒だったガフをKが訪ねる際、彼が電気羊の単語を口にし、折り紙で羊を折るのも、原作のタイトルや本編中の電気羊へのオマージュであり、折り紙もユニコーンの折り紙を連想させる前作へのオマージュに当たるだろう。
LA警察に帰還したKが作業する際に日本語が直接使用されるところは屋台の日本人親父とデッカードの会話へのオマージュであり、コカコーラや「強力わかもと」の電子看板は前作そのままである。
本作の始まりで目のアップと近未来の都市が交互に映し出される映像も前作の完全な焼き直しである。
またレプリカントのブレードランナーであるKという存在そのものが原作へのオマージュである。
「K」という名前自体が原作者フィリップ・K・ディックを連想させるし、原作にはフィル・レッシュというアンドロイドを処分するアンドロイドのバウンティ・ハンターが登場する。
しかもレッシュは偽の記憶を埋め込まれて自分を人間だと思い込んでいる。
原作でもデッカードとレッシュとは共同でアンドロイドを追いつめているので、本作のデッカードとKの協力関係に通じるものがある。
原作のレッシュは一般社会ではアンドロイドと認識されていないこともあってその後の消息がわからないが、Kは彼の化身にも見える。
原作のホバー・カーが前作映画では十分に徹底できず単なる近未来的な車でしかなかったが、本作の縦横無尽に空を駆け巡る「スピナー」は、ディックの意図したものがやっと映像上で実現されたのではないだろうか。
ただ前作映画から継続して1つ残念なことがある。
レプリカントが終始奴隷なことである。
前作と同様に反乱を起こしたり、前日潭でテロを起こしたりという設定も、地球外植民地へ先兵として派遣されることも、どこまで行っても彼らは奴隷階級である。
LA警察内の同僚からも「人もどき」と差別されるKも、ウォレスに忠実で「最高の天使」とおだてられていいように使われているラヴも人間様よりは一段下の存在である。
人間のデッカードとレプリカントのレイチェルの間の子ども、アナ・ステラインが病弱な希望の象徴という設定もなんだか気になる。
デッカードを白人、レイチェルを黒人やインディオなどの実際の奴隷階級にされた人々に読み替えるなら、アナは混血児を象徴していることになる。
実際に中南米のインディオは差別されないために白人(スペイン人)との混血を望み、メスチーソが多く生まれている。
そういう歴史的事実を思い起こさせる設定からは白人の傲慢さが感じられなくもない。
ディックの原作では実は影ではアンドロイドの方が絶大な社会的影響力を持っている反面、核戦争後の死の灰によって人類は体力や思考力の劣る人間に落ちる危険に常に脅かされており、相対的にどちらが上位の存在なのかわからなくなっているし、生理的欲求から肉体関係を結ぶことはあっても、両者がおためごかしに情を通じることもない。
原作の題名であるアンドロイドは電気羊の夢を見るかどうかは実際のところは人間側からの想像であって、彼らアンドロイドにとってはどうでもいいことのように感じられる。
しかし本作の内容ではレプリカントたちはできれば人間になりたい、もしくは同等の差別されない存在になりたいのである。
そう考えると、彼らが人間と同等に電気羊を飼うのはかなわない夢であり、それを夢見る権利すらないように思える。
奴隷の概念のない日本では『鉄腕アトム』に代表されるようにロボットやアンドロイドといえど人類の友達になる。
また前作はディストピア作品でありながら制作当時の時代背景が反映されているせいかそこまで暗い作品には感じないが、本作では監督や俳優たちも未来はバラ色じゃないと感じているせいか全体的な雰囲気が相当に重く暗い。
K役のライアン・ゴズリングの演技は相変わらず素晴らしい。
最近では『ラ・ラ・ランド』で想い起こす人も多いだろうが、筆者はあくまでもデレク・シアンフランス監督作品の『ブルーバレンタイン』や『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ』、ニコラス・ウィンディング・レフン監督作品の『ドライブ』や『オンリー・ゴッド』での彼の演技を強く推したい。
また、ゴズリングの監督作品である『ロスト・リバー』も現代におとぎ話を織り交ぜた素晴らしい作品である。
ジャレッド・レトは『スーサイド・スクワッド』の新ジョーカー役とはまた違った味を出しているし、Kのバーチャル恋人ジョイ役のアナ・デ・マルスは最近『スクランブル』で観たばかりである。
そして殺しも厭わない冷徹な女性レプリカント、ラヴを演じたシルヴィア・フークスは本作の役作りのために1日6時間、6ヶ月をかけてトレーニングを積んだらしい。
確かに日本では資金面の問題からトレーニングに時間をかけられない現実もあるのだろうが、本当にほとんどの日本の女優とは覚悟が違う。
フークスはジュゼッペ・トルナトーレ監督作品の『鑑定士と顔のない依頼人』で老人を手玉に取る美女を演じていたが、体作りの成果からかまったく同じ女優に見えないほどだった。
その他、冒頭で処分されるモートン役が『ガーデイアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズで破壊王ドラックスを演じたデイヴ・バウティスタであったり、LA警察のKの上司ジョシは『ワンダーウーマン』ではアマゾネス将軍を演じたロビン・ライトであったりと、奇しくも昨今のヒーローものに出演経験のある役者を起用しているのも面白い。
CGのため多少動きに違和感があるもののレイチェル役のショーン・ヤングの登場も本作の見所の1つである。
本作の音楽を担当したハンス・ジマーも前作のヴァンゲリスを意識した曲作りに徹していたので、エンドロールで流れる曲からは前作を彷彿とさせる感覚を覚えたし、前作でデザインのほぼ全てを担当したシド・ミードもデッカードの潜伏先のラスベガスの造形に関与していたりと前作を観た者には懐かしい想いがこみ上げて来るものがあるだろう。
そして根底のところで首を傾げるところはあるものの、前作や原作に敬意を払いつつ本作をまとめあげた監督のドゥニ・ヴィルヌーヴの手腕は見事である。
前作の『メッセージ』からこの監督を意識し始めたが、筆者はそれと知らずに過去にヴィルヌーヴの監督した『灼熱の魂』『複製された男』『プリズナーズ』『ボーダーライン』の4作品を観ていた。
特に『複製された男』と『ボーダーライン』は印象に残っている。
作風としては敵対する二者の間の葛藤を描きつつも、安易にリベラルには流れず距離を置いているように思える。現在はSF小説の金字塔『デューン 砂の惑星』の映画化を進めているという。
日本ではハヤカワ文庫から新訳版が刊行されて間もないし、過去にはデヴィッド・リンチの映画化監督作品が駄作と言われているだけに、どのような作品を魅せてくれるのか今から楽しみである。
スコット翁のsoulは何処へ
待ちに待った2049、予習の意味でブレードランナーファイナルカットは先週丸の内ピカデリーで観てきました。昔、ビデオでは何度となく観ては途中ウトウトしてしまい、もしかしたら通して観たのは初めてかも。
さて、2049、監督はドゥニ・ヴィルニーブ、撮影はロジャー・ディーキンス、音楽はヨハン・ヨハンソンと思いきやハンス・ジマー。私的には現在考えられる最強のタッグと言ってもいいかも。それはそれは期待も高まります。
2049のLA、その世界は正しくブレードランナーで描かれた2019の延長でした。但し、街は2019と比べると清浄化されたのか、かなりスッキリした様子。前作であった頽廃して死に逝く街のカタルシスは少しなりを潜めてたような気がします。しかし多くの日本語が聞こえてくる街はやはりブレードランナーの世界。ディーキンスさん、良い仕事しています。また街並みだけでなく、印影に富んだウォレス社、核の影響で死んだ街、頽廃した街の水が海に流れていく様、エルビスの前での銃撃戦、そして全てと対照的な雪景色。ジマーの音楽と相まってとても印象的なシークエンスがいっぱいありました。
SONYの広告はいけ好かないけど。
今度のブレードランナーはレプリカント。前作同様にアンドロイドのsoulとアイデンティティを求めて探す旅。そして奇跡とその奇跡を武器に世界の変貌させようとするレプリカント。Kも最後はAIだけでなく、より人間らしく人としてのアイデンティティを確立して行くのでしょうか。
折り紙の件りは嬉しかったですが、ハリソン君はハン・ソロに見えるし、レイチェルの場面ではローグワンのレイア姫のようにどうしても違和感がありました。
それにしてもJOIちゃんは是非手に入れたいAIです。
さて、スコット翁の近作はエイリアン・コベナント。こちらもアンドロイドが人間と同じ様に生命を生み出すことに取り憑かれて行く話でした。スコット翁のsoulは救われることはあるのか?
魂に触れる
奇跡を見たという男
その奇跡は希望
従順な作り物に響く希望
自分は何なのか
自分は記憶なのか
音と映像と物語、全て良かった。
ただし、アクション映画とは思えない。
この監督の映画を5本くらい見ていることに、今気づいた。自分は何、を揺さぶり掘り下げる映画が多い。
12月1日 再見
特別な存在でない事を知った後、主人公はデッカードを殺せという指示に従わず、身を呈して助ける。それは彼が自分の頭で考えた事だ。
音楽と風景、心象がシンクロしている。
前作をある意味超えている。
スローペースな映画
面白いと聞いて鑑賞。
ストーリーのながれがスローペースで、
シーンの切り替わりが多く
淡々としていたこともあって
登場人物に感情移入しづらかった。
所々ウトウトしながら観ていたせいもありますが(笑)、
・主人公のオリジナルになんで出会えたの?とか
・序盤どうして主人公が母親の亡骸を偶然発見できたの?とか
・孤児院で情報が抜き取られてたのにどうやって自分の素性がわかったの?とか
色々疑問が残されててスローペースな割に話の流れが雑な気がしました。
あとハリソンフォードと主人公の親子愛が
盛り込めたりしたら感情移入できたかなあ、とも。
前作の方が面白かったと聞いたので
テイストは変わらないみたいですが、
せっかくなので観たいと思います(^^)
地続きの未来の進化系。地続きの私としてのK
リアルタイムの世代ではないからか、正直ピンときていなかった前作に比べると、グッと感情移入がしやすく、涙を禁じ得ない。
VRコンテンツの発達と、フィクショナルなものに対して、萌えという感情を当てはめて語ることが(二次元、三次元に関わらず)もはや定着しつつある現在の状況とまさに地続きの物語。
日々仕事をこなしつつ、孤独で、VR彼女を愛する捜査官のKは、事件をきっかけにもしかしたら自分が特別な生を受けた人間なのかと、まるでラノベのストーリーのような期待をするが、結局彼は特別でも何者でもないし、彼の愛した人格も顧客向けにプログラムされた商品だと知る。
その絶望の中、他人の愛のために、立ち上がる姿は感動的に、人間的で野生的で、原罪的だった。
世界観と映像
ブレードランナーの廃退した世界観や映像のクオリティーはとっても凄かった!ライアンゴズリングの雰囲気はとても素晴らしいと思う
しかしスローテンポな展開と物語の抑揚があまり感じれないため少し退屈な作品でした。前作に比べてもうちょいワクワク感があったらなぁ〜って思うし、最後のオチも何かイマイチだし、ジョイの存在感もイマイチだったな〜
ライアン・ゴズリングはよかった
ライアン・ゴズリングの演技は素晴らしかった。
ジョイも壊され、ハリソンの子供でもなかったのに人間らしく死んで行くことを選んだKの最後はよかった。
が、それに到達するまでが長すぎる。
映像美と言われてるけど、そんなにきれいともならない。アクションシーンも特になく、、、。
もう少し削って短かったらよかったのになーって感じです。
映像美と世界観
IMAX3Dで鑑賞。
IMAX専用のオリジナルカウントダウンから冒頭のソーラーパネルの俯瞰シーンで一気に作品世界に引き込まれる。
前作の評価に囚われすぎることなく、よくここまでの世界観を構築し素晴らしい映像美を作り上げたものだと感心した。
ドゥニ監督とロジャー・ディーキンスの撮影ががっちりと噛み合った素晴らしいSF作品。
グリーンバックでの撮影を極力避けたという、セット主体の撮影は臨場感が抜群だし、VFXチームもすごくいい仕事をしている。前作では酸性雨が降り続けるロサンゼルスの街が舞台だったが、今回は汚染されたラスベガスや大波の防波堤等様々な場所のシーンがあったのでシーン毎に世界観を変える照明の作り込みは大変だったんじゃないだろうか。
ハンスジマーの音楽も良かったが、場面によってはもう少し王道の音を使っても良かった気がする。
役者勢も皆ハマり役というか、役をしっかりと掴んでいて良い。ライアン・ゴズリングは表情が乏しい役にも関わらずよくここまで感情を演技できるものだと感心した。
アナデアルマスはひたすらキュート!
AIホログラムというかなり特殊な役柄だが、それ故の哀しさやもどかしさをよく演じれていて、見た目だけの女優ではないところを分からせてくれた。
上映時間は少し長い気がしないでもないかな。
あと、終劇後にキャストのテロップが出て表題『ブレードランナー 2049』がバーンと出るのだが、凄くカッコいいその画面の端っこに【映倫】って出るのは何とかならないのか。
( ˘ω˘ )Kは幸せだったのだろうか?
全米でこけた?なんで?嘘でしょ?良質映画ですよ。
主人公Kの人生が幸せだったか?視聴者がどう考えるかで見方が変わるんでしょうね?
彼の満足げな顔を見て彼は人として最後を全う出来たんじゃないかと信じています。彼の人生は無駄ではなく大義のため、人との出会い、思い出、記憶を得ることができ明らかに幸せだったのでしょう。
誰かのために命をかけたのですから。
人形と人の差は?『イノセンス』『攻殻機動隊』などの映画でテーマになっていたと思いますが、本作もそうなのでしょう。記憶の位置が重要であるのですが、それは簡単に植えつけられるもので、だから人形と人の境目が曖昧になっているのでしょう。。誰かのための自己犠牲的な精神とその記憶は人と定義する一つの指標なのでしょうね。
いい映画でした。
長すぎです・・・
最後まで何が何だかよくわからなかったです。
冒頭シーンで肉体派のバティスタが良さを出すことなくあっという間に死んじゃったし、「SONY」のロゴが何度も出てきてそれはそれで嬉しかったが違和感があったし(2049年まであるんだ笑)、エンディングの親子再会のシーンもたったそれだけ?で終わったし、長い割には消化不良でした。
サイバーが人間と同期してアレをするのは近未来においてあり得そうでした(笑)
裸体も多く拝めたし、作品の出来はまぁまぁでした。
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