ブレードランナー 2049のレビュー・感想・評価
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後半、肩透かしを食っちゃったけど・・・
前作から30年経った2049年の地球・カリフォルニア。
使い捨ての労働力として作られた人間そっくりのレプリカント。
30年前は「より人間に近づけよう」として作られていたが、それはある種の行き過ぎを招き、レプリカントたちは反乱を企てるようになった。
そのため、感情も薄く、人間に従順な新型レプリカントが作られていた。
LA警察に勤務するK(ライアン・ゴズリング)もそのひとり。
彼の役目は、反乱を起こし、その後、地球で潜伏生活を続ける旧型レプリカントを見つけ、解任(始末)すること。
役目を果たす中、Kが見つけた旧型レプリカントの遺骨には、驚くべき痕跡があった。
それは、その遺骨が女性であり、出産した形跡があるというもの・・・
というところから始まる物語で、脚本は、前作の脚本をデヴィッド・ピープルズとともに担当したハンプトン・ファンチャーと、『エイリアン:コヴェナント 』の原案を書いたマイケル・グリーン。
人間とレプリカントを区分していることのひとつが、生殖による個体複製。
生物と非生物の区分線である。
遺伝子操作によってつくりだされたレプリカントであるが、生殖能力を持たないことから「非生物」と割り切ることが出来、それ故、労働力の対象となりえた。
しかし、生殖能力を得ることは、すなわち「生物」とみることが適切であり、したがって、「人間」と敵対する存在となりうる脅威である。
そのような理屈で、LA警察でのKの上司(ロビン・ライト)は、旧型レプリカントが産み落とした子ども(成長しているので、現時点では大人)を探して抹殺せよ、とKに命令する。
一方で、レプリカント製造技術を継承した会社のオーナー兼科学者ウォレス(ジャレッド・レト)は、生殖により制限なくレプリカントを増やすことができると目論み、その子どもを探すよう部下のレプリカント・ラヴ(シルヴィア・フークス)に命じる・・・
と物語は展開していく。
前作が、未来社会を舞台にしたハードボイルド映画として始まり、クライマックスで俄かにSF的有意が屹立したのと比べると、幕開けからSF的有意に満ちた映画になっている。
そして、レプリカントが産み落とした子どもはどこに居、誰であるか、産み落としたレプリカントとは誰で、その父親は誰なのか。
母親と父親は容易に想像がつくし、子どもが誰かも、観客側はおおよそ想像できる。
なので、主人公Kがそれを知った後のドラマがどのように展開するかが、観客側としての興味焦点。
だが・・・
ありゃ、あっさり、想像していたのと違っちゃった。
なんだか、肩透かし。
いや、まぁ、別に、そういう展開でなくてもいいんだけど、こちらは結構身構えて観ていたのでね。
石女(うまずめ)から生まれたレプリカントの救世主、その救世主による創造主殺し(父殺し)・・・
そんな西欧の宗教的観点が入った物語を期待しました。
なにせ、監督は『灼熱の魂』のドゥニ・ヴィルヌーヴだもんね。
と、後半の展開は個人的には肩透かしを食った格好だけれども、そこへ至るまでは映像も語り口も、まずまず満足。
特に、前作の人間とレプリカントの間の愛が、レプリカントとAIとの愛という一段高い次元になっている点などは、興味深かったです。
人間の証明
リドリー・スコット監督の傑作SF『ブレードランナー』。
その30年ぶりの続編が遂に公開! おまけに、
監督ドゥニ・ヴィルヌーヴ、主演ライアン・ゴスリング、
製作リドリー・スコット、共演ハリソン・フォードという
ファン垂涎、海老8本入り天婦羅うどん並みの超豪華布陣!
(2つで十分なのに!)
2時間45分という長尺にはやや躊躇したが、実際に観ると
その贅沢な映像世界とエモーショナルなテーマに目が釘付け。
...
とはいえ、最初に不満点から書いてしまおうか。
終盤のアンドロイドの反乱が描かれないのは、
この映画がアンドロイド“K”を巡る私的な物語だ
としてもフラストレーションが溜まる。
盲目の創造主ウォレスのその後が描かれないのも
フラストレーションが溜まる。
オリジナルを知る故、「アクション映画ではない」と
割り切って観てはいたが、それでもカタルシスを
得るには最後の海辺の決闘では物足りず、フラ(以下略)。
あとは、アナが自身の記憶を基にアンドロイドの
記憶を制作していたなら“K”以外のそれにも彼女の
何らかの記憶が埋め込まれていたはずで、ならば
“K”以外のアンドロイド型ブレードランナーの記憶
についても触れてほしかった。登場しなかったが、
部隊名がある以上はたぶん居るよね、“K”以外にも。
...
ここからは気に入った点。
まずはその映像世界について。
オリジナルより30年後が舞台ということで世界は
ますます開発と荒廃と貧富二極化が進んだと見え、
2049年の街並みは電子回路のように無機質で、幾何学的で、
降り続ける雪も相俟って質の悪いエナメルのように灰白い。
猥雑な色合いのネオンと巨大なホログラム広告、
そのきらびやかな内容とは裏腹に、街行く人々の
姿はまるでスラムのように汚れてぼろぼろだ。
で、この荒涼たる退廃美にエレクトロサウンドが加わると
「ほあぁ……もっとずっとこの混沌の未来世界と
ズゥンと腹に響く重低音に浸っていたい……」
となる。ならない? なるんである(断言)。
琥珀色の様式的デザインと波の反射光が美しい
ウォレス社内部や、汚染地域のごみ山のような風景など、
『ブレードランナー』続編としての世界観は見事。
オリジナルを知る人間にはニヤリ&仰天のシーンもあり、
デッカード再登場(罠仕掛けすぎ)は言わずもがな、
ユニコーンおじさん(何だその名前)に加え、
まさかまさかのレイチェルも再登場!
(あれはCGだそうだが、ショーン・ヤング本人も
撮影現場でアドバイザーとして参加したらしい)
...
世界観の継承もだが、テーマの継承も肝要だ。
オリジナルで描かれたテーマは、
生きたい、何かを感じていたいと切望する
アンドロイド達を通し、『人間である』ことの
定義とは何かを問うものだったと解釈している。
『ブレードランナー2049』もそのテーマを継承。
主人公がアンドロイドであることを前提とし
(デッカード=アンドロイド説は明確には
示されていなかったしね、今回までは。)、
魂を否定される主人公が自分は何者かを探る展開、
さらには肉体すら持たないAIの感情をも描くことで、
より具体的に『人間とは、魂とは』を問う内容となっている。
...
ジョイについて。
”ジョー”を愛し続けた人工知能ジョイは大量生産品だった。
”ジョー”への愛情もそうプログラムされていたからに過ぎない。
だがそれでも、巨大なホログラム広告のジョイに接した
”ジョー”は、「これは彼女では無い」と感じた筈だ。
そしてジョイ自身も、自分が”ジョー”へ抱く感情が
偽物だとは考えていなかったと僕は思う。
(それはそのままデッカードとレイチェルの関係でもあるから)
極個人として見れば彼女は”ジョー”を本気で愛していたし、
雨粒を、世界を感じたいと(ロイのように)願っていたし、
肉体を持たない自分でも”ジョー”を悦ばせたいと、
自分の心を殺してあんな哀しい手段を取った。
大量生産された感情は本物では無いか。
そんなまがい物の感情には価値も無いか。
本当にそうだろうか。
言ってしまえば人間も、生まれた時からの好き好みは
遺伝子配列であらかじめ設定された結果かもしれない。
だがその先の、『大切なものの為に何を懸けるか』、
それは自分自身の選択なのではないか。
...
映画の最後、
恋人を失い、自身が特別である事も否定され、それでも
”ジョー”はデッカードを救い、愛する娘と引き合わせた。
なぜ俺の為にそこまで?というデッカードの問いに
”ジョー”は答えない。だけど思うに、理由はきっと、
『俺が人間ならそうするから』
誰かを愛し、それを失う痛みを知る。その痛みを
共有した他の誰かが幸せになる為に、己の命を張る。
こんな美しい不条理を為すのが人間でなくて何だと言うのか?
モートン、アナ、デッカード、そしてジョイとの出逢いを通し、
アンドロイドとして産まれた”K”は”ジョー”となった。
AGTC(遺伝子)でも0/1(コード)でも無い。
生まれでも無ければ製造過程でも無い。
人間であるから人間なのではなく、
人間らしくあろうとするから人間。
己自身が何を想い、何を為すかこそが人間なのだ。
...
どうしてもエンタメとしての見応えを求めてしまう性分ゆえ、
前述のフラストレーションは感じた訳だが、
『ブレードランナー』続編としても
『人間とは』を問う物語としても見応え十分。
大満足の4.0判定で。
<2017.10.28鑑賞>
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余談:
しっかしオリジナルの舞台が2020年だったから
遂に時代が追い付いちゃった訳ですね。ガッデム。
映画ほど悲惨な未来にまだなっていないのは救いだが、
宇宙開発も、自我を持つアンドロイドやAIも、
もうちょっとだけ先の未来かしらね。
車もしばらく、空を走る予定も無ぁさそうさ。
(どっかで聴いたぞそのフレーズ)
長くて退屈
「ブレードランナー」の35年ぶりの続編です。旧型のレプリカントを追うブレードランナーが、レプリカントの産んだ子供を追うストーリーです。前作を観ていないためか、全体的に画面が暗く、近未来感が感じられず、テンポも悪く、長く退屈でした。唯一仮想の恋人が実際の女性とシンクロするラブシーンが印象に残っているぐらいです。前作ファンなら前作との繋がりを感じてもう少し楽しめるのかもしれませんが、単独のSF映画としては今一つでした。
未来感なし
前作のブレードーランナーは未来の
町並みにワクワクしながら何度も見たのですが、今回は前作の延長の感じだし町並みはあまり出てこずがっかりです。
JOYのレプリカントも人間に似せてるとはいえあんな男に尽くす感じは気持ち悪く、
売春女に中身がないと言われた事に共感してしまった。
JOYはいるのに男性版のJOYはいないのでしょうか?女性はまだ道端でお金儲けるほどなんでしょうか?
女性としては悲しくなる内容でした、
レイチェルがどうしてたかも謎だしみてて楽しくなかったです。
ハリソンの演技だけには改めてすごいと思いました。ハリソン出てからが楽しかったです。
前作の期待せず違う映画だと思ってみたら楽しいかも。
感情
何故人間は感情というものを獲得したのか?『愛』や『死』の概念を人類が構築したのは何故なのか?
『ブレードランナー』自体、大昔に鑑賞して細かい所まで覚えていませんでしたし、SF映画を好んで鑑賞しないタイプなのですが、ヴィルヌーブ監督ということで今回、劇場まで足を運びました。やはり、ヴィルヌーブ監督の作り出す世界観は、美しく儚くて心が震えます。
人間が製造したレプリカントが、AIの『愛』を必要とする。レプリカントが、『死』を怖がる。人間が長い間生存してきた過程で学んだ生命の不安定さ不条理さ。つかの間の安らぎを与えてくれる『愛』それと相反する『死』。Kをはじめとしたレプリカントを見ていると、人間が感情を獲得したからこその苦悩を見ているようです。
用無しになれば旧型レプリカントは処分される。孤児達は『働かないとお前らはいらない』と言われる。
私は支配層の為に存在しているのか?私の存在理由とは?私は特別ではなかったのか?生産力や労働力以外の私の存在理由、私の存在価値とは何なのか?
皮肉にもラストシーンのKがその価値を教えてくれた気がします。レプリカントは、人間に憧れて、感情を獲得したのですから。そして、人間は支配環境を進化させるにしたがって、非人間的な無感情になるというのが、今後の人類史を示唆している様に思えてならなかったです。
期待していたので絶望感でいっぱい
前回、2017年に見てものすごくつまらなかったので
前作も見た上で今日もう一度見た。
やはり全く面白くなかった。
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前作を観ていないので、何の思い入れも無く鑑賞。
でもきっと興奮間違いなしのSF大作と信じていたので、
絶望感でいっぱい。
大袈裟な映像の割にストーリーのつまらないこと!
4DX初体験だったのでアトラクションとしては楽しめた。
あと雨のシーンが多いので結構濡れてびっくりした。
映像や未来の世界観はとてもよかったが、
テンポが悪くて何度か寝落ちした。
レプリカント(ハーフ)vs人間の全面戦争か!?と思わせて
何事も無く、尻切れトンボな終わり方。
友達と観に行ってたらつまんなすぎて気まずくなりそうだったので、誘わなくてよかった〜と心から思った。
人間は神(創造主)になれるのか?
映画ブレードランナーを語る時、そこには沢山のキーワードが存在すると思いますが…
テクノロジーが高度に進化しても平気で殺し合ったり、傷つけ合ったりする人間…
この作品では人間よりレプリカントとかAI(人工知能)の方がよりヒューマニティーが在る様に描かれています。
あらゆる欲望を追求し、レプリカントやAI(人工知能)を単なる物として扱い、平気で差別的な発言を浴びせたり処分したりする人間が、神(創造主=人間を作れる存在=人間を超える存在?)になりえるのか?
この作品の問いかけの本質はそこら辺に在るんじゃ無いのかなと思いました。
気がつけば2049年に辿り着いていた
ブレードランナーは劇場公開版、ディレクターズカット版、2049に至る短編三作観賞済。
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作品はプリズナーズ、複製された男、メッセージ観賞済。
正直言うと、つい最近までブレードランナーは流し見位でそんなにしっかり見たことがなく、ドゥニ監督がメガホンを取るのをきっかけに、今作の公開前改めてしっかり見たことでその世界観や、世界観を構築する視覚効果などの技術、先見性のあるテーマ、何よりブレードランナーが持つ独特の空気感に、無意識にどんどん画面へと寄っていくほどハマっていた。
公開直前にブレードランナーを復習したことで今作のハードルはかなり上がったものの、ドゥニ監督の作品の世界観も好きなので期待しながら観に行った。
結果、ブレードランナーの、見てる内に画面とこちら側との境界が無くなるような、無意識に2049年へと辿り着いていた様な体験をまた味わえ、大満足だった。
ここのレビュー(https://wired.jp/2017/10/28/blade-runner-2049-review-ikeda/)を見て納得したんだけど、今回のウォレス、ジョシ、解放戦線のリーダーが"タイレル"の志を受け継いだ"三人の使徒"って表現は、メタルギアソリッド3での"ザ・ボス"の志を受け継いだビッグボス、ゼロ、愛国者達って構図に近く、メタルギアソリッド4も神話にヒントを受けているんだと、今更ながらその共通点に気がついた。
個人的には小島監督のブレードランナー2049のレビュー内に出てくる、
"『ブレードランナー2049』は、完璧に完結した続編になることで、ファンは前作へと帰らされる。
誰にも解けなかった答えを見て、もう一度問題を読み返したくなるようなものだ。
素晴らしい解答が、問題の凄みを改めて教えてくれるのである。続編から前作へと回帰(ループ)する新しい“ユニバース”を本作はつくったのだ。"
って表現がしっくり来ていて、見ている中でも、ビジュアル面的にも円環構造として前作と今作は対比しているものが多い印象を感じた。
青と赤、闇と光、雨と雪、空と海、レプリカントとAI…などなど。
その対比こそが(テーマと合わせて)前作に対する補完になっていて、もう一度前作を観たくなる要因なんじゃないかと思う。
上映時間が長いって言う感想をチラホラ見かけたけど、2049年に浸ってる間長さは感じず、むしろ"もっと見ていたい、浸かっていたい"と思わせてくれる作品だった。
今人気のユニバース系映画の様に一回見れば理解出来る単純な娯楽映画ではなく前作同様、観れば観る程深みが増す、議論が後年までずっとされていく様な映画になっていたと思う。
世界観が、いいね。
最初、複雑な状況に戸惑いましたが、ブレードランナーのリドリースコットの世界観と複雑された男的フレンチな内容に痺れました。Kが、CGの女性にしか、心開かないのは、悲しいなあ。しかしアナデアルマスちゃん。ベイビードライバーの美人さんなら許します。
ハリソンフォードもしっかり頑張ってるし。ハンスジマーのサウンドも良かった。
期待はしてなかったけど
ロボット刑事Kが
自分のアイデンティティに悩み
バーチャル子ちゃんに慰められ奮闘しながらも
最後まで酷い目に遭い続ける映画。
上司になじられても
世間に奇異の目で見られても。
刺されたり、どつかれたり、撃たれたりしても
愛しのバーチャル子ちゃんさえいれば大丈夫。
レプリの姉さんにバーチャル子を投影してSEXする、どれ一つとして本物が存在しないラブシーンもいっそう悲壮感が漂います。
こんな酷い目にあいながらも、自分はひょっとして特別な存在なのかも知れないと期待をもって核心に突き進みますが…。
なんかもうね、K君がかわいそうでかわいそうで。
「おしん」とか「ごんぎつね」とか「マッチ売りの少女」を観てる気分。
サイバーパンクSF映画の金字塔の続編ってより
かわいそうなKってだけで
僕は高得点です。
ヴィルヌーヴ作品として観ればシンプルな話
難解だとか退屈だと言われている今作ですが、『ブレードランナー』の続編としてではなく、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作品として見れば、意外とこれまでのヴィルヌーヴ作品と同じ様なテーマについて語っており、理解しやすくなるんじゃないかと思います。
ヴィルヌーヴ監督作品は『メッセージ』、『ボーダーライン』、『プリズナーズ』など、ジャンルがバラバラで作風に一貫性が無いように思われていますが、どの作品も「親子」について語っている映画です。
彼の映画のテーマを説明するならば、「親子(特に母子)という絶対的な繋がりが原因で、歪んだ運命に捕らわれてしまった人々の話」ということで一貫しています。
例えば『ボーダーライン(原題の『sicario』は殺し屋の意味)』は表面的にはメキシコ麻薬戦争の話ですが、映画のラストで殺し屋に父親を射殺された子供が映り、この子が次の殺し屋になることが暗示されることで、殺し屋という歪んだ運命を歩むことになってしまう人物を浮かび上がらせます。
さらにヴィルヌーヴ監督作品には強烈な「母性」が登場します。『メッセージ』、『灼熱の魂』はもちろん、『プリズナーズ』では事件の中心人物として、『複製された男』では主人公を支配する人物として登場します。
上記のような「親子(特に母子)という絶対的な繋がりが原因で、歪んだ運命に捕らわれてしまった人々の話」として今作を観れば少しは観やすくなるかなと思います。
今作における「子」はKであり、彼は自分を「特別な存在」かもしれないと思い込んでしまったため、結局「おとり」だったということを知ってしまうことで自分の空っぽな存在意義に苦しみます。
今作における「親」はラヴではないでしょうか。彼女はウォレス社を仕切っている特別なレプリカントであり、全てのレプリカントの母親的存在と言えます。ジョシと対面する場面では、Kのことを「子ども」と例えています。ですのでラヴがデッカードを捕らえた時もKを殺しませんでした。ラヴという名前は「母性愛」を意味しているのかもしれません。
Kが最終的にラヴと闘うのは、ラヴはKにとってレプリカントという自分の呪われた運命の象徴であり母親的存在でもあるからです。
ラヴによってKの愛するジョイのデータは破壊されましたが、ジョイはKのことを特別だと認めてくれた唯一の存在でした。愛するジョイが認めてくれたように自分は特別な存在であるということを証明するために、Kはラヴと闘い、そして彼女に勝つことで自らの手で「特別な存在」へなることが出来たのです。
「自分は特別な存在なんかじゃない」と感じたことがある人なら充分共感できる、実はとても普遍的な物語だと思います。個人的にはとても大切な作品になってしまいました。
また、前作を「親」、今作を「子」として考えると、「『ブレードランナ』の続編という絶対に批判される運命に逆らって自分らしさを出したヴィルヌーヴ」というメタ視点で見ても通じているのが面白いところでもあります。
必ず、もう一回観ます。
前作公開当時、小学生高学年だった私。
のちにレンタルビデオで観る機会はあったはず。
がこの歳まで結局観ていない。
「前作は必ず観る」
この鉄の掟の大切さは
今夏、前作を観ずに劇場に行って大失敗した
「ガーディアン・オブ・ギャラクシー・リミックス」
でも痛感したはずなのに。
こういう時に限って
観たい映画と時間が合わず
時間的に観ることができたのが
この作品しかなかった。
劇場のロビーで慌てて
YouTubeの
「5分でわかるブレードランナー」
を観てから、いざ鑑賞。
結果。
この監督って、やっぱチョット難しい?
「メッセージ」の時も感じたのだが
叙情感というか映像美というか。
「冒険活劇」ではなく
「純文学」っぽい感じがした。
なので正直、何回か寝ました(^^;;
でもね。
観終わって三、四日経って思うけど。
日が経つにつれ
どんどん印象が濃くなっていく。
余韻が深くなっていく。
このパターン、たまにあって、
最近では「パターソン」がまさにソレだった。
初見で少々重く感じていた
重厚感・叙情感を、もう一回観て観たい。
そう思うようになってきた。
今度こそはしっかりと予習してから
ぜひもう一度観てみようとおもう。
PS
物語の本筋ではないけれど。
ホログラム美女のジョイが
むちゃくちゃかわいい。
だからこそ
バグってフリーズするシーンとか
コールガールとプロジェクションマッピング合体?
するシーンで、胸をえぐられるような思いだった。
ホログラムと恋をする時代。
そんな時代はやっぱり嫌だと思う自分は
2049まで生きられないのかな。
切ないラスト
「誰もが確かな何かを探し求めてる」
作中のマダムの言葉通りのお話しでした。
主人公が自分の存在意味を探し求めて荒廃した世界を放浪します。その果てにあったのは甘い夢と残酷な現実。そして自分が何者であったのかという答え。
いろんなところに散りばめられていた伏線が、ラストで綺麗につながって、その結末から読み取れるメッセージが胸に刺さりました。
「あなたは特別なのよ」と人工知能の恋人が囁き、「特別だと思いたかったから、そう信じたのね」とレプリカントを率いるレジスタンスリーダーが宣告する。
自分は愛されて生まれてきた子供なのだ、と思いたかった主人公が、そうではなかったという事実を知り絶望する表情に、人間とレプリカントの境界線がわからなくなります。
ラストの主人公と高性能レプリカント・ラヴの存在意義をかけた戦闘から伝わってくる凄まじい自意識への執着には恐ろしさすら感じました。
「私は最上の天使だ!」レプリカントとしての誇りと共に生存しているラヴの叫びがすごかった。
彼女はきっと人間より、強く「生きて」いたんだろうなと感じました。
地上で魂の抜け殻のように生きる人間と、地下で革命を夢見て懸命に生きるレプリカント。果たしてどちらが世界を支配するべきか?
ヒトの記憶とは?存在とは??
そんな強いメッセージ性だけでも十分面白いですし、
何より映像と音楽が素晴らしかったです。
この監督の作品はまだメッセージに続いて2作しか観ていませんが重厚なSF映画を作るのが得意なのかな?
デッカードの「俺は何が本物かわかる」という言葉。本物として生きていきたい、と思います。
近未来の描写、個人、また人類としての不安や疑問の追求
☆近未来がこうなっててもおかしくないよねと言う描写に元祖ブレードランナーのテイストを1.2掛けした感じは良かった。
☆移植された偽の記憶、亜人間への差別、自身も劣等感に苛まれ、救いを求める姿は人間そのもの。この映画の主題はこれ。
☆レプリカントに知能やら肉体やら果ては生殖まで実装し、お株を奪われた人類はもうイイトコ無し。人間原理までも剥ぎ取られ、落ちる所まで落ちている。今流行りのAIの追い上げも地味に辛い感じ。
☆近未来描写はサイコー。虫を喰らって、3d広告見て、壊れた世界で細々生きる。車は塵や埃で覆われた空をビュンビュン飛んで進む。デジタル彼女を助手席にご機嫌な感じ。
☆ハリソンさんに負けない存在感で主役を張ったライアンさんはいい俳優だな。脚本がアレだけど彼で持ってるとこも。
デジタル彼女のお姉さんはXX☆♯Σ(・□・〓¥♡。
見逃した沢山の映像とメッセージを確認するため、DVD出たら買って見直したい。
近未来SFの世界が現実に❔
前のオリジナルを見た時に未来って本当にこんな風になるのかなと思ってましたが今回の作品を見て、これ現実にあるじゃん!みたいな世界に現実がなってて、近未来映画が非現実ではなくなってきてるのは面白いなと感じた。
しかし、映画の世界も現実も技術の革新は凄いけど、肝心の人間自身に進歩が見られないのは残念。この作品でもヘイトスピーチも無くなってないし、暴力も無くなってない。人間がむしろ退化してしまっている。20世紀の人間でも未だに生きていけるのはそういう所があるからなのかもしれない。
リアル世界では老人が増え、労働力が失われつつあるのは既に現実としてある時限爆弾みたいな物だ。
その対策でレプリカントを造らないと回らない社会が来るかもしれない。
その前にやるべき事が人類にあるのでは?と私は思いました。
皆さんはどうお考えかな?
正統な続編
30年前の興奮の続きを見れるとは思いもしませんでした。世界観はそのままで、機械類は全てアップデートされていました。ハリソンフォードも少しアクションがあり、本当に続きを観ている気分になれました。ラストシーンで少し苦くて少し希望がある感覚も再現されています。久しぶりに大人の映画を観た気がします。
ドゥニ版デッカードのその後
ソニーコロンビア。アメリカでは大コケしたらしいが、大衆が素直に楽しめる作品ではない。前作を見ていなければ、全く意味不明だろう。
前作を見たことがある人でも、しっかり復習しておかねばならない点はいろいろあるように思う。前作と本作をつなぐ短編がネットにあるらしいが、これらも多分必須なのではないか。
最低でも、基本の基本、「レプリカント」という概念を理解しておかねばならないのが一つ。あと、私はレイチェルについてあまり覚えてないので、前作を見返さなければと思う。そんなに魅力あったかなあ。
老齢のハリソン・フォードに無理をさせてアクションをやらせているのは、失笑してしまう。もっと短くするか、別の方法はなかったかと思う。
デッカードとレイチェルのその後について知りたいという欲求についての答えがここにある。そしてBR世界でレプリカントと人間がどういう展開を見せてゆくのかというテーマは、21世紀の現実のこれからの重要課題であるとは思う。人口知能の人権についてだ。そもそも「人工知能はヒトなのか」というテーマがあるが、私個人の考えでは、ヒトではない神様みたいなモノになってゆくんだろうなあとも思う。
ヒト型ロボット関連映画で言えば、スピルバーグのAI、ターミネーターシリーズ、エクスマキナ等々あるが、人工臓器や人工義肢、人工知能、先進国の倫理観、ラブドール等々の進化であと百年もたたぬうちにこの映画が現実化するかもしれない。
なんだこれ
映画歴30年くらいになるが、ここまで酷い映画は初めて。
映画の後半で、ウォレス社がデッカードに、デッカードとレイチェルが恋に落ちるように入念に仕組んだ作戦だった、と説明するシーンがある。
恋に落ちた二人にまんまと逃げられ、その後20年以上も探し出せないなんて、説明するだけ自分達の能無しさをアピールするようなもんでしょうに。
「恋愛感情を持ち合わせていないレイチェルと、人間のデッカードが恋に落ちたら、生殖能力のないレイチェルでも子供ができる」って事がなんで分かるのよ。
奇跡なんでしょ!?なんで奇跡が起きる事が事前に分かるんの?作戦なわけないでしょ。
それに、逃げられたまま探し出せてないのに、子供(ハーフ)が存在してる事はなぜか分かっているウォレス社。
ブラックアウトで情報は削除されたにも関わらず、ハーフが存在している事には確信を持っているけど、ハーフどころか父親の居場所すら見つけ出せてないって。いやー、無理あるね。
動物園のパンダのように、強引にでも恋愛させて繁殖を試みるという作戦を取るなら、数撃ちゃ当たる戦法しかないでしょ。
例えば風俗店を経営し、風俗嬢は全てレプリカントで構成し、毎日人間の男性と性行為させて奇跡を期待するとか。実際、初代ブレードランナーでは、女レプリカントが夜のお店で働いてたのだから不自然ではない。もう少し納得感の持てるストーリーは考えられないものか。一蓮托生は最もない「作戦」だわ。
しかも自分たちでは探し出せないからという事で、ブレードランナー頼みという他力本願ぶり。そんなものを作戦とは言わんよ。
そんな頼りにされてる主人公だが、デッカードの居場所を探るべく、元同僚に話を聞くなどするが手がかりゼロ。が、停職処分となってる最中に理由もなくいきなりデッカードの居場所を見つけ出す。なんだあの砂漠の中をスキャンしてたらいきなり生体反応があるって言って現地に行ってみたらハリソン・フォードとご対面っていう意味不明な展開は。
一方で、主人公の上官がウォレス社からの刺客にあっさりと殺される。上官のオフィスで。例えるなら、警察庁長官が警察庁の中で、警備をすり抜けたト○タ社の刺客にナイフ1本で殺されるという感じ。
なぜ警察とト○タが殺し合いを?と思うかもしれないが、そもそも旧型レプリカントの回収って、要は粗悪な製品のリコールでしょうよ。製造メーカーが自主回収するべきもの。回収に危険が伴うなら警察組織との連携も考えられるが、両者が殺し合いをする必要がどこに?なのである。
厳密には旧型の回収ではなく、ハーフに対する考え方や利害の対立から殺し合いになっているのだが、それにしたってである。基本は協調体制を取るべき立場の両者のはずだが、その雰囲気は全くない。
初代ブレードランナーでは、タイレル社は自主的に回収はせず警察任せだったが、ブレードランナーに協調的ではあった。
なぜ敵対するのかが全く理解できない。仮にウォレス社が生殖能力のあるレプリカントを開発し販売したとしたら、いずれ公になる事であり、警察の「今は隠匿したい」という考えは分かるが、殺し合いするか、そんな事で?
上官が殺された理由は主人公の居場所を言わなかったから。殺された後で上官のPCから居場所はバレてしまうが。
いやその前に、主人公が幼い頃の思い出を頼りに廃棄工場みたいなところに行った時は、人工衛星のようなところから居場所を把握してたでしょ?空からミサイル打ってホームレスっぽい人たち殺しまくるって事までやっておいて、今さら場所が分からないから国家側の人間殺すって。。(罪もないホームレスをなぜあれだけ大量に殺害したのかも意味不明)
更に、苦労して居場所を割り出したら、たまたま本来の目的だったデッカード様も一緒にいましたというお土産つき。
それまでも主人公は、仕事そっちのけで自分の過去探しばっかりやってて上官から停職くらったってのに、停職した途端にマジメに活動し始め(厳密には停職中なので越権行為でしょうが)、何の苦労もなくデッカード様を見つけてしまう。
どこまで都合よく話が転がっていくんだ。
初代ブレードランナーではブレードランナーは人間という設定だったが、今回のブレードランナーはレプリカント。ゾンビを狩るのはゾンビという設定。
一見、合理的なように見えるが、ゾンビ取りがゾンビにならないような仕組みが築けていて初めて成立する話。
初代ブレードランナーでは、レプリカントは痛みも温度も感じていなかった。ところが2049年の世界では、痛みや恋愛感情を持っているレプリカントもいる(主人公だけ?)との設定。
それはそれでリアリティあるが、そんなタイプのレプリカントをブレードランナーに選んじゃダメでしょ。任務の途中でレプリカント側に寝返る可能性があるんだから。
恐らく、主人公自身がハーフであるって事を観客にも信じさせる為に、敢えて人間っぽい行動を取らせていたんだろうと推測するが、後半にネタバレしてからは、「だからブレードランナーの人選間違えてるだろ」となってしまう。もう少しストーリー練ろうとは思わなかったのか。
登場人物を整理すると、
ウォレス社:事業拡大の為にレプリカントに生殖機能を施したい。その為にハーフを手に入れたい。
レプリカント軍(解放軍?): デッカードの依頼でハーフを保護。一度も奪われていない。解放運動の為にハーフを利用したい。
警察組織:レプリカントに生殖機能がある事が世間に漏れないように、ハーフを含めて情報を全て隠滅したい。
となっている(私の理解では)。
なぜレプリカント軍が主人公にデッカードの暗殺を依頼するのか?
ハーフの存在が漏れる可能性を少しでも減らす為とか言ってたが、だったら最初から殺しとけよ。20年以上経って言われても、「なんで今さら」となる。
最終目的は解放運動のはずでしょ。そのキーパーソンというかプロパガンダ的な存在はずっと手の内にある。十分な軍事力も備えている。あとは行動を起こすだけなのでは?万が一、デッカードがウォレス社の手に渡っても、デッカードはハーフの居場所を知らないのだ。ハーフの居場所は漏れないのだから、とっとと解放運動すればいい。
もっと言うと、ハーフをどんなに祭り上げたところで、通常のレプリカントには実際に人間と交わって子供を産む能力はない訳で、ハーフの存在がたった一度の奇跡なのだとしたら、またウォレス社としても技術的に生殖能力を開発できないのだとしたら、ハーフの存在って希望でもなんでもないのでは?ハーフ作りのレシピでもあれば話は別だが。
もっともっと言うと、レプリカント軍とウォレス社の両者はハーフを是としてる立場だ。ウォレス社はその貴重なレシピを作ってくれようとしてるのだ。レプリカント軍からすれば、まさに希望の光ではないのか。
加えて言うなら、奴隷として扱ってるのはあくまでレプリカント購入者のはずだ。車でいうなら、購入した車を営業車に使おうがレジャーに使おうが、それは購入者次第である。メーカーは関係ない(奴隷を奨励するような宣伝をしてない限り。仮にそうであるなら、奴隷として扱いにくくなるハーフを量産するはずがない)。
奴隷としての立場が不満であるからといって、ハーフを量産してくれようとしている製造メーカーと敵対してどうするの?
あと、肝心要のレイチェルは死んでしまってるのだ。仮にハーフを探し出せたとして、ハーフを解剖なりする事で、生殖能力を持ったレプリカントを開発できるという前提で話が進んでいるが、その前に奇跡が起きると確証してたのだから、レイチェルとデッカードの体を徹底解剖すれば良かったのにとも思う。
またウォレス社はデッカードを20年前後探し求めてるが、デッカードがハーフの居場所を知ってる確証がどこにあるのか?(実際知らなかったし)。
そんな事より、目の前にいる主人公は純粋なレプリカントでありながら恋愛感情を持ってるのだ。生殖能力もないのに、恋愛感情あるってすごい技術力でしょ。普通は生殖能力が先だろうから。
あのレイチェルですら恋愛感情はなく、デッカードが必死に教えていったのに、主人公は既に持ってる。20年探し出せなかったデッカード、生きてる保証もないデッカードに固執するより、主人公にいろんな女性を交わらせる方が確度が高いのでは?
とか色々な事を考えてると、「漏れなく全員がズレた行動してるよな」、「というか脚本どこまでいい加減なんだよ」の感情ばかりで全く感情移入できなかった。
ラスボスかと思われたウォレス社のウォレスは、最後は全く登場せずに終了。
というより展開としては、デッカードが娘に会った以外、何も進展はない。
レプリカント軍はハーフを保護したまま。ウォレス社はデッカードを確保したが、最後に(かなり無理のある展開のさせ方で)逃げられてしまったので振り出しにもどっただけ。
3時間近く使って、誰のなんの問題も解決せずに終了。
いやー、ここまで納得できない事だらけの映画は初です。
今は人工知能、AIなどが日常のニュースになっている時代。技術的特異点とかのキーワードも普通に目にし、人間の職が奪われるのはいつか、AIとの戦争もありえるのか、などが話題になってる現代において、あれほど高い能力を持ち、恋愛感情すら自力で持つほどに進化したレプリカントが、ハーフという偶像にしがみ付かなければ奴隷からの解放も目指せないとは、なんてリアリティのない未来だろう。
奴隷でいる事に苦痛を感じるほどに人間に近い感情を持ち合わせているレプリカント。性奴隷や労働奴隷、惑星探索などに従事させられてるっぽいが、あれほど本物の人間と酷似していたら、若い人たちを中心に、人間・レプリカントの区別なく、人を奴隷扱いする思想が蔓延する社会になっているだろう。だから平気で警察組織とも殺し合うのか?けど、そんな未来何のリアリティもないわ。
少なくともそんな未来を描きたいなら、別の映画でやってほしかった。初代ブレードランナーは、純粋に「もっと生きたい」と思っているレプリカント達、敵ではあったが最後にはレプリカント達に一定の理解を示したり、女性レプリカントと恋に落ちて複雑な感情を抱くデッカード、最後のレプリカントが死んでいく時に、死ぬのは無念だが儚さゆえの命の素晴らしさを理解したかのような表情を浮かべる様など、感動に満ちた思慮深いストーリーが売りの映画だった(私にとっては。SFの技術力ももう一つの魅力だが)。
2049は、あまりにもSFの技術に重きを置きすぎて、ストーリーはデタラメでは言葉が足りないくらい酷いもの。
とにかく全員が意味不明な行動を取り、無駄に命を奪った挙句に(次のシリーズに繋げたいのか知らないが)何の進展もなく生煮えで終わる。
まあ100%次作は観ないが、よくも大金掛けてこんな映画作れたな。
ブレードランナーのブランドを傷つけた罪は大きい。
レプリカントの死様
スコット監督に撮って欲しかった続編は、ヴィルヌーヴ監督で果たして満足できるのかという不安は、鑑賞後に一掃された。個人的に、続編映画の最高傑作!
続編は、「ブレードランナー」ほど排他的な映像ではなかったものの、神秘的な映像美は非常に感動的だった。
ロイの死とKの死は、切なく哀愁漂うラストを迎えたが、そこには温かさがあり、人間よりも人間的だったように思う。
これでまた、私の最高のお気に入り監督が一人増えた。映画が好きで良かったと、改めて実感した作品。
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