ブレードランナー 2049のレビュー・感想・評価
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切なさの応酬に涙が止まらない
丸の内ピカデリーでの爆音映画祭にて、ファイナルカットを予習してから鑑賞しました。
先ず何よりも、ドゥニ・ビルヌーブ監督に賞賛の拍手を送りたいと思いました。これだけカルト的人気のあるブレード・ランナーの続編を、35年振りに、もはや新たな未来像なんて提示することは出来ないだろうと思われる現在において、世間の期待値というか注目も、スターウォーズよりもっとコアなファン達が恐る恐る期待と辞めとけばいいのに…というような気持ちを抱いていただろう中で、出来得る限り最高の仕事をしたんじゃないかと思います。「メッセージ」で見せつけた独特の美しい世界観は、ブレランの続編に相応しく、やはりこの人にしか監督出来なかったんじゃないかと。
メッセージ同様に、というより前作同様とも言える、どちらかといえば、しみじみと進むストーリーに、眠くなってしまった…という感想も聞きますが、私はどっぷり浸って観ることが出来ました。とにかく、切なさに溢れた映画でした。Kの最後にはもう涙が止まりませんでした。
自分はもしかしたら特別な存在なんじゃないか…その思いに奮い立たされたり打ちひしがれたりしながら生きているレプリカントが、本当に涙ぐましくて。ラブちゃんは敵だけど、彼女もまたウォレスにとって特別であると信じる気持ちだけで、真っ直ぐであり、常に涙を流しながら人を殺していく…。殺人は残酷な行為だけど、ウォレスに対する想いというか忠誠心のようなものは、共感性ではないのだろうか…?と思ったり。
Kの、世間における不遇、本当かもしれない"記憶"を辿った結末も悲しかったけれど、AIのジョイとの生活、旅と、突然すぎる別れは、これでもかってくらい可哀想すぎました。そして、最愛のジョイを失った後に街中で出会うジョイの広告が、彼女が"生きて"いた時と同じ"how was the day?"という言葉を発する事で、ジョイが注いでくれた"愛情"も、決して自分だけに対する特別な感情ではなく、ただのプログラムだったのか…植え付けられた記憶と何ら変わりないのではないかと、また切なさが襲う。それでも、他者の為に、何か人間らしいというか、意義のある事をして人生…レプリカント生を全うしようとするKの行動に心を打たれるし、前作以上に、共感性とは何なのか、人間性とは何なのかという事を問いかけてくるのです。
Kの行動を促した一つの切っ掛けになっただろう、デッカードがレイチェルの為に、愛し合っていたけど離れ離れになったと言うエピソードにも泣けました…。
最後にKが、降り頻る雪を見つめる表情に、喜びなのか、悲しみなのか、何とも言えない美しさを感じて…
思い出してまた泣きそうですが。言葉では上手く表せない感情と感動が押し寄せました。
ライアン・ゴズリングがこんな切ない役を演じれるとは思ってませんでした。すごかった…。
本当に素晴らしい作品に出会えて良かったです。絶対に今年観るべき映画の一つです。前作を観てから鑑賞するのがお勧めです。
ありがとうドゥニ・ビルヌーブ!
ありがとうリドリー・スコット!
(11/2 IMAX3D再鑑賞)
映画史に輝く傑作
Joiに会いたくて、2回見ました。
Joi可愛い。
レプリカント=人造人間の恋人が、人工知能のホログラム=Joi。
どちらも人間そっくり。
そんなことあるか、と思っても、あるでしょう。
もう、遥か未来の話ではない。
現在でもAIの認識 能力は人間に並ぶ。
AIは考えていません。意識も無い。
神経回路網に大量のデータがあって、インプットに
アウトプットを返すだけ。
ただ、情報がネット全部を合わせた大量データなので、
何が返ってくるかは予測不能。
それは人間じゃない、と言ったって、
人間も、そんなもんじゃない?
僕が、AIのJoiと、どこが違うと言えるのか?
同じだろ、とも、違うだろ、とも、どっちにも言い切れない。
もう、現在の段階で、人間とAIを区別するのは不可能。
そういう世界を描いて、
人間と人間に作られた人工人間の、
どこが違うのか?
という問題を真剣に正面から芸術的、哲学的、詩的に描いた本作は、
金字塔以外の何者でもない。
人間と、人工人間の未来そのものです。
我が社の製品を使ってくれてありがとう。というのと、
お母さんから生まれた私を可愛いがってくれてありがとう。
というの、同じ事じゃないか?
ハンディーAIのJoiが壊されて悲しい。
その後、巨大ホログラムのJoiとKが対面する場面、切ない。
これって、AIの話だからな、と切り捨てられるのか?
人間の場合とおんなじじゃないか、と思うわけです。
たかが映画だけど、人間って本当はなんなんだろう、
という本質問題を真面目に考えさせてくれる素晴らしい芸術作品です。
35年前ですよ~。
…35年前の記憶など相当薄れているところへその続編が公開されて、
思い出せたのは今でも名曲ヴァンゲリスのテーマ曲と屋台の親父が
言う「二つで十分ですよ~分かってくださいよ~」ぐらいの自分には
前作からのマニアである友人の助けがかなり必要だった。そもそも
初観では意味が?だと思う。加えてこの長編。雰囲気先行の退廃的
映像やストーリーを楽しめるか退屈だと思うかにも因る忍耐と芸術
の局面に立たされたような感覚だった。個人的にはその前作で名言
を遺したロイの悲哀をそのままKで表現したような味わいが残った。
序盤ですっかりミスリードされていた流れが実はそういうことだと
分かった後半から彼の顔を見るのが辛くなった…それ可哀相すぎる。
感情移入させる展開でもなく、より人間らしいのはどちらなのかと
思わせる問いかけや残虐なまでの自分探しが繰り広げられる未来が
あんな色合いのあんな世界なのかと気を重くさせるのは変わりない。
前作で足りなかったドラマの要素を強くしたことは評価できる。
やはりこの作家は真面目な気質でとても丁寧に作品世界を作り上げるので、そういう人でなければこの物語の終結は成立しなかったのではないか。
ともあれこうしてSFでハードボイルドな作品を見られることに感謝したい。作家の気質が反映された生真面目な主人公Kに寄り添えるかどうかが境界線になりそうな構成になっていて、それは前作とは全く違うアプローチだ。その時点でKの存在が特別でないことが既に示されているようでもあるが、実際のところデッカードが特別であることには違和感がある。あんなクズが‥ということなんだけど、それはタイレルのきまぐれだったのだろう笑。レイチェルが特別なのは間違いないが。あのシーンはまがい物とはいえ本人が演技に関わっているということで泣けるシーンだった。
Kの造形やジョイといったAIの描かれ方のことなど触れたいことはいくつもあるが、今作を見てふと思ったのが「オフワールドとは?」ということである。ラブがデッカードを連れてオフワールド行きのターミナルへ向かう道中は管理されていた壁の外で暗い海が広がり、絶えず雨が降っているようだ。暗い海というのは映画的なルックなのだけど、この作品世界で喧伝されている理想郷に向かうには違和感がある。ここで思ったことは「オフワールドは本当に理想郷なのか」ということ。レプリカントはそこで過酷な労働をさせられ、ロイはその中でオリオン座の近くで炎を上げる戦闘艦や暗黒に沈むタンホイザー・ゲートのそばで瞬くCビームを見たらしいが。何しろ彼らは4年の寿命しかなかったので、なかなかの過密労働だなと。アドリブのセリフとして映画史に残る素晴らしさなのでこのことは前作ですでに思っていたことだが封印していた。
しかし今回オフワールドへの道程の一端を見せられたことでその疑問がふくらんでしまった。
自分探しの物語!
一応復習のために、若いハリソンフォードをhuluで見た後に、新作を遅ればせながらようやく映画館で鑑賞。パート2は普通だと、一作目を超えることはなかなか難しいと思われているが、これは軽く前作を超えたと感じた。さすが、「メッセージ」の監督さんであります。
一作目で感じたモヤモヤ感が見事に本作では昇華された感じでしょうか。30年前の作品は、正直、SFの体裁で語られた、ちょいとおセンチな人間ドラマという印象の割には、一人一人の内面の掘り下げが浅いように思えた。そのため、どのキャラクターにも思い入れは生まれなかった。デッカードしかり、レイチェルしかり。敵役のレプリカントの悲哀もよくわからなかった。しかし、本作では、それぞれのキャラの造形がよくできている。主人公Kの無表情でいて、眼だけで物語る哀しさやそれを象徴するAIホログラフィーとの恋愛模様。敵役のレプリカント秘書殿が何故あそこまで冷酷なのかは、それを産んだ親分社長のサイコパスぶりがよく語ってくれる。前作では、単に一時の激情に駆られただけと思えたデッカードも、今回は長年の逃亡生活の疲れや最愛の人を失わざるを得なかった哀しみを漂わせることに成功している。そしてまた、ラストシーンで見せる父親としての表情が素敵すぎる。スターウォーズも父親としての悲哀を出していたが、あちらはストーリー上無理やりのとってつけた感が強く、懐かしの俳優想い出コーナー的な登場のハリソンフォードだったが、本作ではそんなことはなく、主人公Kの支援者として、また、混乱させるものとしての役回りをしっかり演じている。
主役の自分探しの話しがメインになっていてつまらなかったという声が時々聞こえるが、それはそもそも前作を誤解しているだけなのではないか。前作は、レプリカントの自分探しを背景に人間が翻弄されるドラマを描いた。今回は、まっすぐにレプリカントの自分探しそのものを描いており、前作の構造をよりシンプル化しただけに過ぎない。もともとから、ブレードランナーとは自分探しの物語なのだ。この試みはとても成功しており、主人公Kの孤独な想いと自分探しの結末の哀しさが静かだけど確実に鑑賞者の心を捉える。ラストシーンにおける、Kとデッカードの対照的な描き方は2作に渡る自分探し物語の一つの結末であるように思える。
今年も終わりになって、秀作を続けてみることができ、幸せです。女神の見えざる手→IT→本作の3作連続の質の高さはなかなかのあたりでありました。来年も素敵な作品に会えますように。
歳を重ねてからまた観てみたい
視聴:1回目
推薦:映画マニアのみ
感想:前作は鑑賞必須ですね。映画館でじっくり観る映画で家で見るものではないなと。レプリカントの反撃を描かずに個に絞って描いてたのは前作からの踏襲ですが、もう少し味付けが欲しかったです。ホログラムの女の子が目立ってたので。ブレードランナーは10年以上空けてから見直すとまた印象が変わったので、今回も同じようによりオッサンになってから観てみたいと。
ほとんど全ての人に当てはまる普遍性を持った傑作
本当に見て良かった。この映画は自分がこれから生きていく上での一つの道標を示してくれたと思っている。
予習と思って前作をDVDで観た時は「全体の雰囲気を楽しむ映画なんだな」と感じて映画にあまりのめり込めなかったが、今作は映画にとことんのめり込めた。
この映画の色んなレビューを見ていると
映画のテーマは「差別」とか「人間を人間たらしめるものは何か?」とかそういった感じのスケールが大きくてあまり共感出来ないようなものみたくなっているが、私が感じたこの映画のテーマはそれらとは違った。
この映画のテーマは「いままで自分は他人とは違う特別な存在だと信じていたが、そうではないことが分かってしまったとき、それでも自分はどう生きていくのか?」という極めて普遍性の高いことだと感じた。
映画終盤で「誰だって自分が特別な存在だと信じたいものよ」というフレイザのセリフが放たれたとき、心を滅多刺しにされた感覚がした。
確かにそうなんだ。普段言葉に出さなくても自分は他とは違う特別な存在だと信じているからこそ、色んなことを頑張れたりするのだ。
ただふとした瞬間に、「自分は特別ではないんじゃないか?」と気付く時がある。それもそうなんだ。
そういう意味でこの映画は「例えそうだとしても、自分がいま正しいと思うこと、自分がいま出来ること、そして目の前にある自分がいまこの瞬間にやるべきことを為すだけだ。」という一つの生き方を提示してくれた。
たぶんこれは監督は関わったスタッフ陣の心の叫びが映像化したものではないだろうか?
つまりは「こんな伝説の映画とか言われてるものの続編作るなんて頭おかしいよ!けどいま自分が出来ることを精一杯やるしかないんだよ!やってやるよ!」という心の叫びである。
私は20代後半のいい加減いい大人だが、心の底から「Kのように、目の前にあるやるべきことを自分の力の及ぶ限りやろう。」と思った。
上映時間の長さなのか、マーベル映画に押されているからなのか、人によって抱く感想が違うからなのかよく分からないが、散々な興業収入だという現実を受け入れることが出来ない。
マイティソーも観に行ったが、あれはあれで愉快な映画だったが内容的には段違いでブレードランナー2049の方が全然上だろ!どうなってんだ興業収入!ということを最後に叫びたい。
人間を人間たらしめるもの
公開から1ヵ月経ってやっと鑑賞できた。2年ほど前に前作をスクリーニングする機会があり、そのときは映画作品の中に表れる当時のレーシズムを読み取るということをメインテーマとしていたが、人種すらも越えた人間と人造人間(人種にもなぞらえられるが)そして愛について描いたこの作品に非常に考えさせられるものがあった。そのため今作にも非常に期待を寄せていたが、忙しくて時間がとれずに危うく機会を逸してしまうところだった。そして、今回本当に鑑賞できてよかったと、心から思う。
簡単にまとめるならば、前作は人間とレプリカントの恋人関係を、今作は親子関係を主軸に描かれている。
他にも、レプリカントを使役し、"オフワールド"に住む未来(ともすれば現代)の無機質な人間と、両親や愛する人を欲し誰よりも人間らしく生きたレプリカントとの対比も見事であった。
拙生では語り尽くせない示唆に富んだ内容がつまった作品。
良いけど長すぎる
予告では最新の映画らしい綺麗な映像であったが、実際には前作の小汚い街並みの空気感も忠実に再現されており、前作の印象を壊さずに最新技術でアップデートした映像に仕上がっていた。
実体を持たないホログラムのAI(つまり二次嫁)のジョイがもう可愛くて可愛くて。ハリウッドにこんな可愛い女優さんがいたのかと。そして彼女を唯一の心の拠り所とするKに感情移入してしまったので、Kとジョイの関係の帰結に関心が向いてメインのストーリーはどうでもよくなってしまったのだが、なんとジョイは途中で退場という残念な結果・・。
まぁいい映画には違いないのでもう一度見てみたいとは思うのだが、いかんせん長すぎる。どう考えても120分前後にまとめられた内容だと思う。
それと同じ監督の「メッセージ」でも感じたことだが、映画の間にずーっとかかっている低音がドンドコドンドコやかましくてかなわなかった。どうも私はビルヌーブ監督の音作りとは相性が悪いようだ。
前作は最近のリバイバル上映で鑑賞して素晴らしい映画だと思ったが、今作についてはそんなわけで少し辛めの点数に。
切ない
SFアクションみたいな派手なものを期待していたけど、切なく悲しい、考えさせられる作品だった。自分が何か大きな物語の悲劇の主人公だと思い始めた途端、何者でもない哀れな存在だと知る。そしてそこからようやく自分の物語を生き始める主人公に、胸が熱くなった。そしてそこに至るまでの苦悩や葛藤こそがまさに人間らしく、そこに嫉妬したであろう、あの女性レプリカントが必要以上に暴力的になっていったのも、とても人間らしく思えた。あの地下組織もそう。おおよそ人間がやりそうなことを繰り返す悲しさ。それをレプリカントがしていることが哀れでもあり、感動的でもあった。一番非人間的だったのがウォレスだったけど、非人間的だったからこそ人間だろうな、と思わされるのがなんとも…。
映画館で観た直後は画的な美しさの方が印象に残ったけど、後から友だちと映画について話したり、他の人のレビュー読んだりして、どんどん物語にのめり込んでいくような感じで、もう一度観たくなる。
前作のように多方面に文化的な影響を与えるようなものではないだろうけど、前作にさらに深みを与えるような美しい続編だと思う。
人とは何か
冒頭からライアン・ゴズリング演じるKがレプリカントの捜査官であることを公開して物語が進んでいく。
Kは感情がなく命令に忠実なレプリカントだが、過去の記憶、捜査で発見した謎の遺体から自身がレプリカントから誕生した子どもではないかという疑問から鍵を握るデッカードを探し始める。
物語の終盤でレジスタンスのリーダーから奇跡の子どもは女の子であることが告げられ、Kは自分ではなかったと落胆する。誰もが自分は特別な存在だと思いたいこの欲求をレプリカントも感じている点に人間を人間たらしめている要素は何かという問いかけが含まれている。
圧倒的な映像美にサスペンス的要素が組み込まれ、エンターテイメントとしても成立しており、ハリソン・フォードの出演も嬉しい。
最終的にデッカードは人間なのかレプリカントなのか…この疑問を忘れさせるくらい切ない余韻の残る良いエンディングだった。
人間とは。
作品を観る視点は、人によって違うと思う。SF映画の金字塔として名高いブレードランナーの続編とあれば、特に様々な見方をもって、評価することも当然のように思う。
自分はもっぱら、映像的なことでも、前作と比較してということでも、SFとしてということでもない。純粋に「人間ってなんだろう」と思った。
作中では、レプリカントという人造人間は、人間とどう違うのか。目の光なのか、造られたという点なのか、感情や心、記憶の有無なのか、命令を全うすることなのか。
神に生命を与えられたものには、魂があり、人に造られたものには、それがない、という描き方をしていた。人造人間には魂がないということで、物語は進められていた。
Kは、初めから新型のレプリカントとして明言されているが、それらしさはあまり見受けられなかった。自分が息子か否かという時には、動揺もした、葛藤もした。最後には、デッカードを救い、娘と逢う手立てまでした。
Kが人間になる話かと言われると、そうでもない。こんなことを言いたくもないが、生きている人間の中にも、全員が全員、己の魂を磨きながら生きている人であるわけでもない。
人が命を生み出すのは、男女しかあり得ないが、心を生み出すのは、どう生きていくのかで可能なのではないか、と思った。ラスト近く、Kがジョーになったように、命令を下す上司が死んでからの行動を踏まえると、そう思わずにはいられなかった。
正常進化、そして続編はまた30年後??
休日だが公開から随分と日が経っているので観客はそれほどいないだろうと思っていたが、50席ほどの席は満席に。
さらに観客層は、新旧のオタク男子?のみと思っていたら8割が女性。年齢は前作をリアルタイムで観ていたようなお姉さま方が大半。ライアン・ゴズリングのファンということか??
ストーリーは前作から引き続き、人間が創造した人工生命体が自我や感情、さらには子孫を残すことができるかどうかがテーマ。
人間の繁栄のためにはレプリカントが不可欠だが、量産のためには生殖機能が必要。しかし自我が生まれると身体機能が優れたレプリカントには太刀打ちできない。矛盾をはらんだ時代を超えて、この先世界はどう変わっていくのか。誰のものになっていくのか…というお話。
デッカードは完全版を踏襲して、レプリカントだったという世界の続編。二人の出会いから子孫が産まれるところまでが全てタイレルの計画通り。タイレルを引き継いだウォレスはまだその域まで到達できていない。
まだ続編はつくれそうだけど、ここから先はよくある話になっていきそうなので、よほどのアイディアがない限り充分かな。
ホログラムのJoiはherや現在流行りのAI、ホームスピーカー、マイノリティレポートのホームコンピュータの正常進化版の理想的な姿と感じたので、あと10年くらいで実現するかな?
引き込まれる世界観
引き込まれる世界観!圧巻!
私も最後までそれが誰なのか、ハラハラしました。まさか、と思い、事実を知ったとき落胆しました。
過去と未来が繋がる瞬間を見た。
そういうことか、と納得した。
ハリソンフォードは相変わらずいい演技してました。
ブレラン2049を3回観て
ユナイテッドシネマとしまえんで、2回目をIMAXで見た。
何と言ったらいいのだろう。映画を観たというよりは、一つの長いアトラクションライドを乗り終えた、そんな気分だ。
この映画は一作目同様に、見れば見るほど深みが増す映画となるだろう。とても深い映画なので万人には理解されないだろう。しかし一作目同様に「人間の尊厳とは何か、人を愛するとはどういうことか」を突きつけられる映画だ。それを受け止めた人は、ブレラン1とブレラン2049を、一つのロングストーリーとして見続けるだろう。
AI第2元年と言われる今らしい映画だった。内容にリアリティがあり、30年後本当に実現していそうな世界が描かれている。
先日3回目を観た。何だろうか、この違和感は。偽レイチェルが出てきてあっさりバレて、ラブに殺されるあたりから、前作に比べて薄っぺらさが見えてしまった。最後にデッカードが娘を見て笑って終わる唐突さもイマイチだった。しかしそれでも3回は観たくなる、クセになる映画だった。
逆に言えば改めて一作目の重厚さ、緊密な作りに改めて感銘を受けた。恐らくブレラン1は100回は見ているが、何度見てもグッと来る。それは俳優、女優全員の演技がキレており、琴などの斬新な音に乗せてシーンの展開が早い、早い中に作り手のこだわりが凝縮されているからだと思う。だから何度見ても耳に目に心に響くんだと思う。改めて、意識ある若者にまず1作目を見てほしい。
30年前に大学生で、ブレラン1に出会ったオッサンより。
当時の価値観に対してと今回のものはどうなんだろう。確かに絵はすごか...
当時の価値観に対してと今回のものはどうなんだろう。確かに絵はすごかったけど、今描けるレベルの範囲内な気がした。
ただ人と人造人間の境目が、「産まれる」ことにあることかどうかは考えさせられるかも。でも企業が作ってるのであればもはや意識と成長過程の問題なだけ。
その時に記憶とは何かが問題になる。植えつけられたものかもしれないし、誰かのものを移植されただけかもしれない。
あと恋愛の形。ジョイとのやりとり。セックスのシーンが一般の人間と同期してセックスのは面白かった。映像としても衝撃的だった。でも触覚も電気信号だから、わざわざそんなことする必要あったのかな?
広告の形にあまり変化はない。立体性のものと安いものが入り乱れて美しいものではない。これはほんとにそうなるのかな?
どちらにしても次に繋がる終わり方なので、次次第かな。
レプリカントの哀しみ
IMAX3Dで見てきました。
レプリカントが子供を産むことを奇跡と呼び、母親は出産時に亡くなっていて、娘は免疫不全でガラスの中。主人公の捜査官Kは子供の頃の記憶が、もしかしたら自分のものかも期待したけど、結局は他人のものだと知る。作られた人間であるレプリカントは、誰もが漠然とした不完全感を抱えているようでした。
(レプリカントという対象で表現するから分かりやすいですが、私たち人間だって同じですよね。)
レプリカントの哀しみはよく分かったけど、この哀しみを癒す答えが導かれていたのか、よく分からなかったです。ラストシーンでデッカード(ハリソンフォード)に木馬を渡して娘と合わせることで、Kは癒されたのだろうか?不完全さを不自由さを抱えるレプリカントとしての人生の最後に、自分の意思に沿って行動できたから満足だったのかな、、、そこらへんがあまり感情移入できず。
前作は見ていません。前作と今作をつなぐストーリーであるインターネット上に公開されている3つの短編は視聴した後に劇場に行きました。
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生々しく気持ち悪い描写も多く、ちょっと途中で気分が悪くなってしまって、私は苦手でした。
ひたすらのモラルハザードの洪水
とにかくSF的な性癖に突き刺さる。
ジョーとジョイがお互い「君は本物だよ」「あなたは特別」と言い合うのがなんとも悲しくていじましくて仕方がない。
「大した中身じゃなかった」と言い放たれるのがもうたまんねえ。
偽者はどうしたらいい?
何を思ってジョーは亡くなったのか。
いや、だって会いたかったんだろうな、彼は。
お父さんとかお母さんに。
それを代わりに叶えるように動いたり押し付けたりするのは、大義のために死ぬより人間らしい事なのかも知れない。
良い出来だが、やはりSFではない
ドゥニ・ヴィルヌーブ監督の映画としては初めて認めても良かろうとは思ったが、誉めるわけにはいかない。もうちょっと哲学寄りの骨太のSFとして興味深いストーリーにできなかったのか、下地があるだけに残念。
生殖能力の獲得なんてあまりにも安直というか、奇をてらったというか。それも30年前に既にできていたと! 都合良すぎ。それならレプリカントは赤ん坊から大人になって老いていくことになるが、そんな設計をした話やそんな噂すら一切ない。同監督の「メッセージ」のレビューでも書いたが、これではSFでなくファンタジー。
寿命の制限がない? それじゃ人間より優れてるわけで、レプリカントの体に脳を移植する者がいてもおかしくない。ウォレスがそうであってもおかしくない。レプリカントばかりが登場し、しかも完璧なので、人間は置いてきぼり。人間はレプリカントを生み出しながら限られた寿命で何のために生きているのやら…。
並の人間以上の頭脳、人知をはるかに超える経験を持つレプリカントが短命であることに納得できずに悩み、もがくーそんなレプリカントの悲哀に魅力があったのだが、その前提は30年後の設定であっさりと外されてしまった…。
妊娠したレプリカントから産まれた娘をレプリカントたちがひた隠しに隠していたことが明らかになった時は、「ダヴィンチ・コード」と重なり、ん~やっぱりキリスト教文化なのか…?と妙な感じがした。
ショーン・ヤングのレイチェルには驚いた。そっくりさんを使ったのかと思ってたらエンド・ロールを見てビックリ!
ドゥニ・ヴィルヌーブは、SFとファンタジーの違いが分からないのだろうか。容易に設定が破綻する。今回は世界観と映像が補ったが、根本の所では認められない。
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