ブレードランナー 2049のレビュー・感想・評価
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ライアン・ゴズリングの名前のない男
これは続編を超えて独立した傑作。成功の多くは主演のライアン・ゴズリングにある。ゴズリング演じるブレードランナーは K と呼ばれているが、これは名前どころかあだ名ですらない。シリアルナンバーなのだ。名前のない男はハードボイルド小説やイーストウッドの西部劇から続く伝統だが本作では名前の代わりになんとシリアルナンバー。K は最初狂言回しにみえるが、次第に物語のコアに移動してくる。ゴズリングは「ドライヴ」でも名前のない男を演じた。あの映画でも本作でも名前もない彼が他人の人生を引き受けて死んでいく。ハードボイルドの探偵にもイーストウッドの流れ者にも人生は見えない。しかし K には人生らしきものがあったように見えるからラストが哀しい。ゴズリングの孤独をたたえた目が素晴らしく不覚にも泣いてしまった。「ラ・ラ・ランド」でもこの目が生きてたね〜。
前作を観ていた方がストーリーの通りがいい。しかし観ていなくても想像力でカバーできる作りにはなっている。ヴィジュアルは圧倒的だが前作での衝撃は超えていない。この点はどうにもならない。オリジナルあっての世界観だからね。
音楽を含めた音響も素晴らしい。やはりこれは劇場のスクリーンで観ないとね。
ハリソン・フォードに心からの感謝を捧げます
前作の中の、
レイチェルがデッカードに私はレプリなの?と不安に満ちた瞳で問いかけたシーンとその後の展開。
最後の逃亡直前の折り紙(今回も出てきましたね〜、何とファン思いの演出だろう!)を拾い上げたデッカードの微かな笑みとそこに秘められた決意と覚悟。
この二つを思い出しながら観ると、涙無しには観れません。
同じく前作で、
デッカードの指を一本ずつ折りながら迫り来る死への恐怖を示し、最後は命を救ってくれたルトガー・ハウアー演じるレプリカント。
デッカードがこのネクサス型レプリカントの、もっと生きたい、という思いを受け取り、レイチェルとの愛情を育み、そして、この作品で明かされる奇跡に繋がる。
何と壮大な愛の物語だろう。
ほぼ同時進行で年齢を重ねたハリソン・フォードが出演してくれたからこそ、この作品のリアリティーと深みが出たのだと思います。元気で俳優を続け、オファーを断らないでくれて本当にありがとうございます、と心から感謝します。
冗長に過ぎる
長い、とにかく、ひたすら長い。
なかなか話が進まず、加えてつまらない。
何度も意識が飛んだ。
もしかして、これはプロローグ?
何部作かの第一部?前後編の前編?
などと思い始めたころ、ようやくハリソン・フォード登場。
それでも遅々として進まず、いい加減嫌になりかけてようやく終了。
いや、辛かった。
前作は見ていない。
だから、特段の思い入れもない。
この作品だけで見る限り、最後にちょっとしんみりするだけ。
根本的問題である人類VS人造人間の部分は置き去りで、
前作のエピローグに終始している。
せめてもう少しコンパクトにまとまっていたらと思うが、
絶好の行楽日和に見るべき作品ではなかった。
全体を通して映像、音響共に陰鬱で、外に出てほっとした。
美しい世界
ビジュアルは凄いが薄味!!
圧倒的なビジュアルに釘付けになり、静かな世界に存分に浸る事ができました。前作未見ですが、デッカードが過去にレプリカントと愛し合ったのが伝わってきました。ジョイの外見がクルクル変わって可愛かったです。ダストマルチャンが登場したと思ったら、即退場して笑えました。本作を観ると他の大作映画のビジュアルは物足りなくなりますが、アクションが物足りず都市の細部も分からないので映画自体は薄味だと思います。アンドロイドに対する酷い所業は「デスピリア」に比べるととても物足りなかったです。
危惧していた通りの冗長さ
エイリアン・コヴェナントの出来と、北米での興収不振などからある程度は予想していましたが、やっぱりなーという内容でした。リドスコの掲げるテーマというか方向性は最近の作品と完全に同じ路線を踏襲していて、やりたい事が見え見え。先が見える割にはシナリオのテンポが悪く、おまけに長尺なもんで見ていて退屈です。ハリソンフォードが登場した時、横のご老人が「やっと出たか・・」と思わず呟いてしまったのが全てを物語っていましたね。
映像が凄いのはお金をかけてるのである意味当然と言えば当然。でも新しくインスパイアされる何かはこの映画からは感じられません。VR彼女とか、もう時代の方が追い付いて追い越してしまったネタですし、何で今更そこなんだと。やっぱり、フィリップ・K・ディックの世界観を途中からリドスコが引き継いだからこその、前作の完成度なのでしょう。最初からリドスコのやりたいようにやらせるとこうなるんですね。その意味では庵野監督のエヴァQを彷彿とさせます。
前作のデッカードことハリソン・フォードは、終始仏頂面で陰鬱でも画面を持たせてしまう役者としての存在感がありましたが、ライアン・ゴズリングはちょっとキツかった。彼にはラ・ラ・ランドみたいな役の方が合ってると思います。
ただただ
前作同様耽美的な映像
Blade Runner2049日本で昨日から公開されやっと観てきました。
本国アメリカでは10月6日に公開され早く観たいと願っていた。
Blade Runnerは僕が学生の頃に公開され当時はそれほど話題にもならなかったのを覚えている。
しかしあの映画を見た途端ショックと共に僕の中に入り込んでしまった。
ビデオ、DVDそしてBlu-rayになりバージョンも映画公開から色々と発表された。
耽美的な映像そしてヴァンゲリスの素晴らしい音楽。
近未来はこうであるはずだと思わせる説得力がそこにはあった。
そしてあの映画から30年が経って続編が作られるしかもリドリー・スコットが関係していると聞いた時には本気か⁉︎と思わず思ってしまった。
オリジナルを超える事は出来ないだろう。見てしまってガッカリしちゃうんじゃないかと。
しかし同時に早く見てみたいという気持ちが発表から今日まで僕の中で日増しに大きくなった。
デッカードはレプリカントなのか?
レイチェルと逃亡の果てに何が待ってるのか。
その答えは得られるのか。
謎は謎のままでいいんじゃないのかと思う自分もいた。
監督が当初予定されていたリドリー・スコットからドゥニ・ビルヌーブに変わりリドリースコットは総指揮になると聞いた時あのBlade Runnerの世界観がどうなるのか不安で仕方なかった。
しかしドゥニ・ビルヌーブ監督作品である『ボーダーライン』『メッセージ』を見てこれは期待しても良いのではと思うに至った。
そして本日やっと鑑賞してきた。
映画が始まりどんどんとあのBlade Runnerの世界観に入り込んでいく。
オリジナルのBlade Runnerから30年後の世界。
益々世界は荒れ果てている。
耽美的な映像の連続。
ヴァンゲリスの音楽を彷彿とさせる曲が映像に追従する。
往年のリドリースコットの光と陰の効果的な映像がドゥニヴィルヌーブ監督によって映像化されている。
オリジナルのあの猥雑感は薄れている気もするが良しとしましょう。
圧巻なのは捜査官Kを演じたライアン・ゴズリングだ!
レプリカントの捜査官を演じその表情や佇まいにレプリカントである事の彼の悲哀。
自分はどこから来てどうして生まれなければならなかったのかと問い続ける気持ちの表れが演技に現れている。
人の手によって作られた偽物の生命。
しかしレプリカント達は感情もあるし葛藤もある。
生命とは何なのか常に問われる。
仮初めのメモリーで自我を保つ彼らはロボットなのかそれとも新しい生命体なのか?
そしてAIは人格が宿るのかAIは生命と言えるのか?
レプリカントである彼らから新しい命が生まれる。
その命は人間とどう違うのか?
最近のリドリースコットの作品を見ていると神とはそして生命とは何かという命題が根幹に流れている。
今作もその思想哲学を一層厚くし見るものに問いかけてくる。
映画はミステリー要素が半分以上占めているストーリーがまた良いですね。
ハリソン・フォード演じるデッカードが登場しストーリーもどんどん展開していきますが昨今の派手なドンパチはなくしっかりと見せてくれます。
163分という長い映画ですがBlade Runnerファンにはニヤリとさせてくれるカットやガジェットが散りばめられ楽しませてくれる。
一般的なエンターテイメント作品とはやはり違いかなり人を選ぶだろう。
オリジナルのBlade Runnerとはまた違うが新しいBlade Runnerの世界が作られた気がした。
本日『ブレードランナー2049』2回目の鑑賞をしてきました。
初回鑑賞の時より落ち着いて細かいところまでチェックしながらこの作品がどういう構図で作られてるか見てきました。
先ずは映像から思うところを挙げてみようと思います。
出たしから絵画的な映像が続きます。
人工農場でのシーンですがサッパーの部屋の雰囲気とか明かりの使い方がアンドレイ・タルコフスキーの『鏡』の様です。
この作品はオリジナルのBlade Runnerの光と影の使い方をドゥニ・ビルヌーブ監督により荒々しい前作より繊細な表現に仕上げてきた感があります。
光と影に加えて今作は水の使い方がタルコフスキーの表現に影響を受けているのではないかと感じました。
タルコフスキーの『ストーカー』『ノスタルジア』『惑星ソラリス』という名作の美しい表現を再現しようとしたと思います。
映画は絵画的であり多彩な絵画が映像から読み取れますね。
デッカードを探しにラスベガスに向かった“K”ですがそこは赤い砂漠とかして砂が霧の様に舞っています。
ラスベガスにある建物には色々な絵画が飾られてます。
ターナーやバルチュス(たぶん。遠くて分からなかった)やラファエッロかダ・ビンチ?ミケランジェロ?この辺は色々な絵画の影になっててわからなかったがルネッサンス期の絵画が教会と切っても切れない関係がこのブレードランナーという作品にキリスト教との関係を示唆してる様に思われます。
赤い砂の霧はターナーの空気遠近を感じさせますね。
デッカードが拉致されウォレスとの対面の場面はカラバッジオの絵画の様に光と影の対比が素晴らしくそこで語ったウォレスの言葉。レイチェルを聖書に登場するラケルと言った。Rachelはラケルと読む。
ラケルはヤホフとの間にヨセフを産んだ。
この事からもこの作品が聖書にヒントを得ている証でしょう。
レプリカントが人類に変わって新しい生命を繁栄させていく。
人類は新しい生命を生み出し新たなる生命体に取って代わるのか。
ここまで書いてきてこの作品は映像や言葉に色々なヒントが散りばめられている。
だからこそレジスタンスが登場するシーンは多分に説明的でありあのシーンは僕的には要らない気がした。
あのシーンももっと示唆に富んだ表現が出来るのではないかと思わずにはいられない。
ブレードランナー2049を客観的に見ることが出来たのではと僕なりに思いました。
また何度も見直してもっと深く探っていくのが楽しみな作品だ。
孤独な男が共感を得るまでの物語
この映画から得られる教訓は、自分の存在を認めてくれる「何か」を探す行為に拘泥してはならないということだ。その行為に身を投じれば道を誤りかねない。誤りとは、共感のない相手に対して自らを売り渡すことだ。たとえ自分の存在を相手から認めてもらえたとしても、そこに救いはない。真に探すべきことは共感だ。共感だけがこの世の救いだ。
この映画の全ての登場人物は、「求められて生まれてきた存在」にこだわっている。しかし、自分の存在を認めてくれる「何か」を探し続けたKだけが、そんなものに意味がないということに気づいてしまう。そして、Kだけが本当の悟り(救い)を得る。映画の最後でやっと、彼は共感を得る。彼は救われ、満ち足りた表情で死んでゆく。デッカードが彼に共感を与えたのだ。
物語の構造自体はブレードランナーと同じなんだけど、2049の方がより純化されている気がする。だから2049の方が好きなんだよね。
よし、とする。良かった!
天麩羅うどん食べたかったのにそばメシかよ
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